剣客商売 番外編 黒白(こくびゃく) 下巻 [#地から2字上げ]池波正太郎     秘密      一  この夜、波切八郎《なみきりはちろう》は、いつになく深い眠りに落ち込んだらしい。  八郎は、雨戸を繰る音に目ざめた。  一瞬、目黒の道場の寝間にいるような錯覚があった。  あのころ、毎日の早朝に、老僕《ろうぼく》の市蔵《いちぞう》が寝間の縁側の雨戸を繰る音で八郎は目をさましたものだ。 「う……う、う……」  目を開けると、晴れわたった晩秋の日ざしがながれ込んできて、八郎は、 (だれが、雨戸を……?)  半身を起すと、女の顔が目の前に笑っていた。  女は、お信《のぶ》である。 「来ていたのか……」 「もう、お昼ですよ」 「よく、寝た……」 「めずらしいこと。階下《した》でも、おどろいています」 「寝入ったのは、明け方近くになってからだったので……」 「さようでしたか……」 「昨日は、御苦労だった」 「市蔵さんは、ほんに、よいお年寄りでございますね」 「私には、またとない者だ」  この二人の会話から推してみると、  昨日、目黒不動の境内で、 「波切先生の、使いの者でございます」  と、市蔵に言った、お信の言葉が嘘《うそ》ではないことになる。  そして、料理屋・伊勢虎《いせとら》で語り合った市蔵と別れてのち、お信は市蔵が「八郎先生へ、さしあげて下さいまし」と、託《ことづ》かった桐屋《きりや》の黒飴《くろあめ》を、何処《どこ》かで落ち合った波切八郎へ手わたしたのであろう。  何故《なぜ》なら、昨夜、八郎が口にふくんだ黒飴の紙袋は、いまも八郎の枕元《まくらもと》に置いてあるからだ。  ところで、昨夜。  岡本弥助《おかもとやすけ》は、和泉屋《いずみや》へ訪ねて来た伊之吉《いのきち》に、穴八幡《あなはちまん》裏の鞘師《さやし》・久保田宗七《くぼたそうしち》方へ行き、長くあずけておいた脇差《わきざし》を受け取ったと語り、 「鞘師の家で、女を見た」  と、いっている。  してみると、お信は八郎と別れて後に鞘師の家へ駕籠《かご》で帰り、今日は、ひとりで三《み》ノ輪《わ》の八郎の寄宿先へあらわれたことになるではないか。  ひとりで来たということは、前にも来ていることにもなる。  と、なると……。  去年の夏の或日《あるひ》の午後に、早稲田《わせだ》の建勝寺《けんしょうじ》の墓地へ姿をあらわした波切八郎とお信との交情が、このようによみがえったのであろうか。  そうらしい。いや、そうなのだ。  臥床《ふしど》の上へ半身を起した八郎へ身を寄せたお信が、八郎の、はだけた胸元へ顔を押しつけ、 「今夜は、泊ってもよろしい?」  甘やかにいう。 「うむ」  八郎はうなずき、お信の上体を抱きしめた。  以前、橘屋忠兵衛《たちばなやちゅうべえ》方の離れ屋で、八郎に抱かれたときのお信とは、そのニュアンスが大分にちがう。  以前の、秘密の濃い匂《にお》いをただよわせていた、お信の眉《まゆ》は明るくひらいている。  大柄《おおがら》だが細身だった、お信の躰《からだ》にはみっしり[#「みっしり」に傍点]と肉がついて、以前のお信を見知っている……たとえば橘屋の女中お金《きん》などが、いまのお信を見たら、それ[#「それ」に傍点]とわかるかどうか、だ。  お信は、建勝寺の墓地で、 「橘屋忠兵衛が死んでから、わたくしは別の女に、生まれ変ったのでございます」  と、いった。  忠兵衛を、お信が呼び捨てにしたことに、八郎は先《ま》ずおどろいたものである。 「そうだ。今度、市蔵へ連絡《つなぎ》をつけるとき、忘れずに、亡《な》き父が手づくりの有明行燈《ありあけあんどん》のことをたずねておいてもらいたい」 「あい」  顔をあげた、お信の唇《くち》へ、八郎のそれ[#「それ」に傍点]がひたと押しあてられた。  お信の双腕《もろうで》が、八郎の背へまわって、 「波切さま……」 「うむ?」 「伯父が申します」 「何のことだ?」 「お前は、これより、おもうままに生きるがよい。波切八郎殿と共に住み暮したとて、わしは何の異存もない、と……」  八郎は、沈黙した。  お信が伯父とよんだのは、ほかならぬ鞘師の久保田宗七のことだ。  宗七も、姪《めい》のお信と八郎との関係をわきまえているらしい。 「波切さま。この家《や》で、共に暮してはいけませぬか?」  八郎は、こたえず、両眼を閉じた。  お信は、八郎と岡本弥助との関係を知らぬ。八郎が、まだ打ちあけてはいないからであった。 「なりませぬか……いけませぬか?」 「いま少し……待ってもらいたい」 「何故《なぜ》?」 「まだ、おのれのこころが、さだまらぬ」  身を引いて、お信が、 「以前の、わたくしのことを、まだ……?」 「そうではない」  お信の光る眼《め》が、凝《じっ》と波切八郎を見つめた。  今度は、お信のほうが、八郎から秘密のにおいを嗅《か》ぎとっている。 「おもってもみてくれ」  と、八郎は顔をそむけて、 「あれから二年……私には、いろいろなことが……すぐには口に出せぬようなことがあったのだ。二年が十年にも、二十年にもおもえる」  すると、お信が目を伏せ、ややあって、 「申しわけもありませぬ」  ほとばしるように、いい出た。      二  お信《のぶ》の父は、信州・松代《まつしろ》十万石の真田家《さなだけ》に仕えていたという。  父の名は平野彦右衛門《ひらのひこえもん》といい、勘定方に属し、五十石二人|扶持《ぶち》という低い身分で、江戸の藩邸に詰めていたのだそうな。  母の名はみよ[#「みよ」に傍点]。この母の兄が、すなわち鞘師《さやし》の久保田《くぼた》宗七なのだ。 「伯父も、若いころには、真田家へ仕えておりました」  と、お信は宗七について、波切八郎へ、 「なれど、侍の世界が、ほとほと嫌《いや》になったのでございましょうか。好きな細工の道へ入り、ついに、鞘師となってしまいました」  そう洩《も》らした。  それは、二十何年も前のことらしい。  そのころ、前将軍の徳川吉宗《とくがわよしむね》は、精力的に政治の改革をおこなっていた。  しかし、将軍も幕府も財政の危機に苦しみ、大半の諸大名も同様であって、当時の真田家の藩主だった真田|伊豆守信弘《いずのかみのぶひろ》の日常生活は、到底、十万石の大名のものとはおもわれなかったと、お信はきいている。 「先《ま》ず、あるじたるものが身をもって、しめさねばならぬ」  というわけで朝は塩粥《しおがゆ》に梅ぼし、香の物のみ。夕食の膳《ぜん》も一汁一菜《いちじゅういっさい》。  好きな習字の稽古《けいこ》をするのにも、 「闇《やみ》の中へ、お手をさしのべられ、指にて字をお書きあそばしておらるる」  侍臣たちが泪《なみだ》をこぼしたほどの、倹約ぶりであった。  夜になって、殿様の居間や寝所に灯《あか》りがつかぬこともあって、家来たちが不審におもい、しらべてみると、燈明《とうみょう》の油も蝋燭《ろうそく》も切れていた。  このようなことは、 「めずらしくもなかったのでございます」  と、お信は八郎へ語っている。  八郎も、これをきいたとき、 (さほどまでに……)  一種の衝撃を受けたことは事実だ。  八郎も、亡父の波切|太兵衛《たへえ》も、剣ひとすじに打ち込み、質実な生活を送りつづけて来たものだが、灯りをつけるに不自由をしたことなど、一度もなかった。 「あるじが身をもって、倹約をしめさねばならぬ」  と、十万石の大名が暗闇の中で好きな習字を指でするのは、紙にも不自由をしていることになる。  このことを語ったとき、お信の両眼から熱いもの[#「熱いもの」に傍点]がふきこぼれてきたものだ。  真田伊豆守信弘という殿様は、なんと五十八歳にもなってから、当主となった。  それまでは、養父の真田|幸道《ゆきみち》が藩主だったのだが、何故《なにゆえ》、養子が六十に近くなるまで十万石の家をゆずらなかったかというと、 (わしが、でき得るかぎりは負債をへらし、しかるのちにゆずりわたしたい。それでないと、信弘に気の毒ゆえ……)  とのことであった。  この養父と養子は、従兄弟《いとこ》同士でもある。  だが、おもうにまかせぬうち、先代の幸道が病歿《びょうぼつ》し、信弘の代となったわけだが、藩主となって間もなく、信弘は、これも好きな俳諧《はいかい》の師匠への礼金五両が手許《てもと》になく、侍臣たちが少しずつ出し合って工面をしたこともあった。  このときは、さすがに、おとなしい伊豆守信弘も、小さくて細い躰《からだ》を打ちふるわせつつ、 「十万石のあるじながら、わずかなたのしみのための、金五枚の都合がつかぬとは……」  泪ぐみ、うつむいてしまった、その姿を見た侍臣が、たまりかねて号泣したという。  むろん、すべての大名がそうだったのではない。  豊かな収益をもたらす領国をもつ大名や、飢饉《ききん》に遭わぬ大名は別である。  戦火が絶え、徳川将軍の威風の下に諸国大名が屈服し、いわゆる天下泰平の世となってから、百三十年をこえた。  こうなると、生産にむすびつかぬ武家は、権威に取りすがっているだけで、金は町人たちのふところへ吸い込まれてしまう。  老いた真田信弘が家をついだとき、上は幕府から、下は商人にまで、真田家の借金は一万三千両におよんでいた。現代の金にして三十億にも四十億にもあたろう。  真田信弘は、つくづくと、 「養父上《ちちうえ》より早く、あの世[#「あの世」に傍点]へ行きたかった……」  と、洩らしたそうな。  養父の真田幸道は、死にのぞみ、 「わしのちから[#「ちから」に傍点]がおよばなんだ。跡をつぐ信弘に苦労をかくるが、心苦しい」  そういった。  借金のみではない。  幸道の代には、幕府がつぎつぎに課役を申しつけてきた。  何度も、江戸城の普請《ふしん》の手つだいを命じられたし、長野の善光寺の普請、東海道の道普請、朝鮮使節団の饗応《きょうおう》など、幕府の命令には、 「逆らうわけにはまいらぬ」  のである。  ただ、真田信弘が家をついだころは、前将軍の徳川吉宗が、幕府の赤字財政のたて直しをはかり、きびしい倹約生活を武家に実行させつつあったので、 「よし、わしも……」  と、伊豆守信弘としては、堂々と倹約ぶりを発揮できるようになっただけ、気もはれたらしい。  将軍吉宗は、町人の経済力の進展を、押しとどめようとした。  武芸や学問を奨励し、貨幣を改鋳した。  殖産や新田の開発に、ちから[#「ちから」に傍点]をそそいだ。  これが、いわゆる享保《きょうほう》の改革というもので、真田信弘も、領国の産物の生産にちから[#「ちから」に傍点]を入れ、 「家来たちも、織物などの内職をしてよい」  との新令を、出したりしたものだ。  真田伊豆守信弘という、松代十万石の藩主は、先ず、このような殿様であった。  信弘は、すでに病歿した正夫人との間に、四男一女をもうけ、このうちの三男一女が父に先立って病死している。  このため、信弘が六十七歳の生涯《しょうがい》を終えたとき、十万石の真田家のあるじとなったのは、ただひとり生きていた三男の信安《のぶやす》である。  すでにのべたごとく、五両の礼金にも困ったほどの真田信弘は、正夫人のほかに、側妾《そくしょう》をもたなかった。  躰も丈夫なほうではなかったのだが、信弘にしてみれば、 「それどころではない……」  心境だったにちがいない。  側妾がなければ、妾腹《しょうふく》の子もないのが道理だ。  家来たちも、そうおもっていた。  ところが……。  何と、信弘には、正夫人以外の女に生ませた子が、二人もいた。  二人とも男子である。  そのあたりの、くわしい事情は、お信もわきまえていないらしい。 「一人は、江戸の大きな商家のあるじになっておられると、ききおよびました」 「ふうむ……」  波切八郎にとっては、まったく縁のなかった世界をのぞいたおもいであった。  大名だの、将軍家だの……大きな組織の闇の底に横たわる秘密は、数かぎりがないようにおもえる。 「で、いま一人の御子《おこ》は、真田家におわすのか?」  この八郎の問いに、お信はかぶり[#「かぶり」に傍点]を振って見せた。 「おらぬ?」 「はい」 「では、何処《いずこ》に?」 「この江戸におわします」 「やはり、商人か?」 「そう申しても、よろしゅうございましょう」 「それだけのことか……」 「いえ、いま一人の御子様のことは、よく存じております」 「お信どのが?」 「はい」  八郎は、好奇のこころを押えかねて、 「何処に、おられる?」 「雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の橘屋《たちばなや》におわします」 「何と……」  これには波切八郎も、二の句がつげなかった。      三  亡《な》き真田伊豆守信弘《さなだいずのかみのぶひろ》の隠し子が、 (あの、橘屋《たちばなや》にいた……)  それは、だれなのか?  まさかに、八郎が手にかけた橘屋|忠兵衛《ちゅうべえ》ではあるまい。  となると……。  忠兵衛の養子・豊太郎《とよたろう》か?  豊太郎は、養父・忠兵衛|亡《な》き後、橘屋忠兵衛を名のっているけれども、この物語ではまぎらわしくなるので、 「橘屋豊太郎」  として、書きすすめてゆきたい。  豊太郎は、波切八郎の二歳年上ときいたから、この年(宝暦《ほうれき》二年)で三十二歳となっているはずだ。 「お信《のぶ》どの。では、真田様の血をわけた御子《おこ》というのは、豊太郎どのか?」 「はい」 「ふうむ……」 「あなたさまなればこそ、打ちあけたのでございます。おわかりでございますね」 「む……」 「他言をなさらずに……」 「わかっている」  お信が、嘘《うそ》をいっているともおもわれぬ。  そのとき八郎は、しばらく茫然《ぼうぜん》としていたが、ふっくりとして品のよい豊太郎の、万事におっとりとした物腰を思い浮かべるにつけ、お信の言葉が真実味を帯びてくる。 「亡き橘屋忠兵衛も、養子でございました」  またしても、お信は意外なことを口にのぼせた。 「橘屋忠兵衛は若きころ、真田家に仕えていたのでございます」  と、いったのである。  そういえば、橘屋は、徳川御三家の一である紀伊中納言《きいちゅうなごん》の〔御成先《おなりさき》・御用宿《ごようやど》〕としての格式をもち、 〔紀伊御本陣〕  の大看板を表口に掲げているばかりではなく、諸大名や大身《たいしん》旗本とも、 「関《かか》わり合いが深い」  と、きいている。  ことに、真田・九鬼《くき》の両大名家とは昵懇《じっこん》の間柄《あいだがら》だと、八郎は亡父からきかされたことがあった。 (そうか……そうだったのか……)  納得がゆくと同時に、 (あっ……)  胸の内で、波切八郎は、何か[#「何か」に傍点]がわかったような気がした。  それは、橘屋が紀伊家の御用宿をつとめていることであった。  紀伊家は、前将軍・徳川|吉宗《よしむね》の実家なのだ。  その、御三家の一である紀伊家から迎えられて、初代将軍・家康《いえやす》の曾孫《ひまご》にあたる吉宗は、徳川八代将軍の座についたのであった。  ついで、思い起されたのは……。  去年、京都で公卿《くぎょう》と見えた人物を暗殺した折に、岡本弥助《おかもとやすけ》が、 「天下《てんが》のためです」  と、いい出た一事である。  八郎は、すぐさま、 「天下といえば……いまの天下は、徳川将軍の天下だ。では、徳川の天下のために、人を斬《き》れと申すのだな」  反問をするや、岡本は、 「おっしゃるとおりです」  たしかに、うなずいたではないか。  当時、吉宗はまだ病歿《びょうぼつ》をせず、大御所《おおごしょ》として江戸城・西ノ丸に在ったのである。  すると、 〔紀州家—吉宗—徳川幕府〕  という関係が、 〔紀州家—橘屋忠兵衛—吉宗—徳川幕府〕  このような関わり合いにならぬこともないのだ。  さすれば、 「徳川の天下のために、暗殺をする」  そう言いきった岡本弥助と橘屋との関係も、 (うなずけぬことではない……)  このことであった。  八郎は、 「お信どのは、岡本弥助という男を知っているか?」  尋ねたとき、お信は、 「橘屋忠兵衛から、一、二度、名をきいたことがございます」  いいながらも、それ以上のことは知らぬらしかった。  ところで、お信と橘屋忠兵衛との関係は、 (どのようなものなのか?)  何故《なにゆえ》に、お信は、波切八郎を誘惑してまで、 (あの、高木勘蔵《たかぎかんぞう》という手強《てごわ》い浪人を、自分に討たせたのか?)  このことであった。  この、八郎の問いに対して、お信は、 「高木勘蔵は、御家《おいえ》の秘密を、知りすぎていたのでございます」 「御家……?」 「真田家でございます」 「すると、あの高木勘蔵も、以前は、何ぞ真田家に関わり合いがあったのか?」 「そのとおりでございます」 「ふうむ……すると、高木は、亡き伊豆守様のわすれがたみ[#「わすれがたみ」に傍点]が、橘屋の養子の豊太郎であることも知っていたのか?」 「はい」  いちいち、くわしい事情を知っているお信ではないが、真田家にも、この二、三十年の間、内紛が絶え間もなかったのだそうな。  みずからをきびしく律し、徹底した倹約生活をまもりぬいて世を去った、真田|幸道《ゆきみち》・信弘《のぶひろ》父子の二代の藩主も目がとどかぬところで、家来たちが三つも四つも派閥をつくり、争ってきたらしい。  財政に苦しむ大名家では、 「半知御借《はんちおか》り」  などと称して、藩士たちの俸禄《ほうろく》を半分に減らしてしまうことが、めずらしくなくなってきている。  真田家とて、その例に洩《も》れぬ。  会社の社長が、 「いまは経営が苦しいから、社員の給料の半分を会社が借りるということにして、減らしたい」  と、いうようなものである。  現代の会社で、こうしたことが起ったなら大さわぎとなってしまうし、社長も会社も、それができるはずもない。  しかし、当時は封建の世である。  大名たちが将軍の命令にそむくことができぬと同様に、大名の家来も、殿様のいいつけにはそむけない。  ことに真田家では、殿様自身が家来よりも、ひどい倹約をしていたのだから、殿様をいさめることもできぬ。  そこで貧困に苦しむ、身分の低い家来たちの憤懣《ふんまん》は、他人に向けられることになる。  では、どこへ向けられたのか……。      四  諸国大名は、自分の領国にある本城と、江戸に設けてある藩邸との間を、隔年ごとに往復しなくてはならぬ。  隔年に将軍の城下である江戸へあらわれて、 「将軍と幕府に、忠誠をつくす」  と、いうことなのだ。  大名の正夫人と嗣子《しし》は、国許《くにもと》の城へは帰れず、江戸藩邸につづけて住み暮さねばならぬ。  これは、とりもなおさず、正夫人と嗣子を江戸の幕府へ、 「人質として……」  あずけておくことにもなる。  武力によって天下を制圧した将軍と幕府が諸国大名を屈服せしめるための一手段であって、それがいまもつづけられている。  さて……。  領国にいる家来たちと、江戸藩邸に勤務する家来たちとでは、俸給は同じでも、暮しぶりまでが同じではない。  たとえば、江戸藩邸には、 〔江戸留守居役《えどるすいやく》〕  という役目がある。  この役目は、江戸藩邸に勤務する藩士が世襲でつとめる外交官だ。  いや、大名家にとっての外務大臣と、江戸における大使を兼ねているといってもよい。  江戸留守居役は、絶えず、幕府や他の大名家のうごきに目をくばり、さまざまな秘密情報や、他の大名家や幕臣たちとの交際なども、 「一手に引きうける……」  ことになる。  たとえば、財政危機に苦しむ大名家が、 「ここは一つ、幕府《こうぎ》から一万両ほどを何としても借り受けねば、どうしようもない」  と、重役たちが秘密会議の決定をする。  そうなると、この借り入れを成功させるためには、幕府の関係すじへ数百両の大金を、ふりまかねばならぬ。  こうした運動費は、藩へ出入りをしている商人たちから借りたりする。  その商人へも、金が返せなくなって、 「返せぬかわりに、そちらの子息を武士として召し抱えよう」  と、交換条件を出したりした例が、真田家《さなだけ》にもあったのだ。  さて、こうした場合には、申すまでもなく、江戸留守居役が活躍せねばならぬ。  運動費を、うまくつかいわけ、幕府からの借り入れを何としても成功させねばならぬ。  そこで、長年にわたって蓄積された留守居役の、諸方との交際と手腕が、 「物をいう」  のである。  それゆえ、江戸留守居役は何代もつづいて、一家の藩士が受けついでゆく。  いうところの〔泥縄式《どろなわしき》〕では、どうにもならない。ふだんからの交際が物をいう。  ゆえに、留守居役へは、平常でも相当の交際費がわたされる。  殿様も家来も、貧窮に耐え、倹約をしているというのに、江戸留守居役は、ぜいたくな衣服を身につけ、毎夜のごとく宴席へ出て、酒に酔って帰るということもあり得る。  当然、他の藩士たちの目には、 (うまいことをしている……)  ように映る。  中には無能な留守居役もいて、交際費だけもらいながら、いざというときの役に立たぬ者もいたろう。  しかし、大半の留守居役は、酒をのみ、派手やかな宴席にいても、 (いざというときに、そなえて……)  はたらいているのである。  このように、貧乏な大名家にも、それぞれの立場と利害関係が錯綜《さくそう》しており、おもいがけぬ大金が入ったり出たりしているものなのだ。  そこに、内紛が生まれる。  生まれて一度も江戸を見たことがない藩士の耳に、留守居役の華美な生活がきこえたとしたら、 「けしからぬことだ。殿様が、あのように御倹約をあそばしているのに……」  と、なる。  これは、一つの事例にすぎない。  数ある重役の中にも、出入りする金を、たくみに吸い取ってしまう者がないでもない。 「甘い汁《しる》ばかり吸っていて、藩の借金も返せぬとは、何という無能な重役なのだ。けしからぬ」  と、いうことになる。 「あのような重役がいては、御家のためにならぬ」  とか、 「殿様に、申しわけが立つとおもうているのか、彼奴《きゃつ》どもは……」  とか、 「江戸屋敷の内々《うちうち》を改めねばならぬ」  などと、藩政改革の声もあがってくる。  下の藩士のみではなく、重役たちも派閥をつくり、日ごろの不満を転化させて、うごきはじめる。  そして、そこに、さまざまな、 「葛藤《かっとう》が生じる……」  ことになるのだ。  お信《のぶ》は若いころに、真田家の江戸屋敷へ、侍女として奉公にあがっていたことがある。  そのころは、すでに真田|伊豆守信弘《いずのかみのぶひろ》は世を去っており、三男の信安《のぶやす》が藩主となっていたわけだが、 「御奉公をいたしておりましたのは、両三年でございましたが……」  幸道《ゆきみち》・信弘の時代からくすぶりつづけていた真田家の内紛は、伊豆守信安に至って、一層の激しさを加えてきた。 「この目で見たわけではございませぬが、血なまぐさい事件《こと》も、蔭《かげ》では、何度も起っていたようでございます」  お信は、唇《くち》をかみしめた。  そのころの、苦しい思い出がよみがえってくるのであろうか。  先代、先々代とちがって、真田信安という殿様は、 「どうにも仕様がない……」  殿様だったらしい。  信安は、二十三歳で藩主となった。  いうまでもなく、若いさかりに、亡《な》き父の信弘から倹約生活を強いられていたのだが、その反動で、自分が藩主になると、 「まるで、別のお人のようになってしまわれました」  と、お信は哀《かな》しげに語った。  はじめのうちは、おとなしくしていた真田信安なのだが、かねてから寵愛《ちょうあい》していた原八郎五郎《はらはちろごろう》という藩士を抜擢《ばってき》し、ついに、原は家老職に立身をしてしまった。  信安は、原という味方を得て、にわかに、享楽《きょうらく》と贅沢《ぜいたく》の世界へ、のめり込んで行ったのである。  御殿を新築したり、歌舞音曲に熱中したり、さらには、ひそかに新吉原《しんよしわら》の遊里へ足を運び、遊女の桜木《さくらぎ》というのを身うけして、これを原家老の養女という名目で、自分の側妾《そばめ》にし、松代《まつしろ》の国許へ連れ帰った。  原もまた、遊女を身うけし、これは何と自分の正妻にしてしまったものだ。  このため、原家老が藩金を流用したことは申すまでもない。  信弘の代に、少しずつ、整理がつきかけていた借金も、これでは以前よりも増えるばかりであった。  真田家の紛争は、幕府の耳へまで達するようになってしまった。  その最中《さなか》に、お信は、 「嫁いだのでございます」  お信の夫は、藩士の中山伝四郎《なかやまでんしろう》という。  そして、 「やがて、中山も、私の父も弟も、御家の騒動に巻き込まれ、世を去ったのでございます」  と、お信は八郎へ打ちあけた。      五  お信《のぶ》の父・平野|彦右衛門《ひこえもん》が、真田家《さなだけ》の勘定方をつとめていたことは、すでにのべた。  勘定方という役目は、金銭の出納《すいとう》をつかさどる役目だ。  平野彦右衛門は、その下役で、他の同僚たちと役目をつとめていたわけだが、 「或夜《あるよ》、突然に……父は、自害をして果てました」 「何故《なにゆえ》に?」 「わかりませぬ。母は、すでに亡《な》くなっておりましたし、私は中山の家へ嫁いでおりましたので、当夜の、くわしい様子はわかりませなんだ……」  お信の夫・中山伝四郎も、同じ江戸藩邸に勤務していた。  したがって、中山家も平野家も、麻布《あざぶ》・谷町にある真田家上屋敷内の長屋に住み暮していたのだ。  弟の小太郎《こたろう》からの知らせで、お信が夫と共に、屋敷内の石畳の通路を走って、実家へ駆けつけたときには、すでに、 「父の息は、絶えておりました」  腹を切ったのではない。短刀で心《しん》ノ臓《ぞう》を突き刺したのである。  お信の父は、百何十両もの大金が使途不明のまま、何処《どこ》かへ消えてしまった責任を問われ、江戸屋敷の重役に詰問《きつもん》をされたのを苦に病み、自殺したらしい。 「下役の父には、わけもわからぬうち、罪を着せられてしまったのでございます」  語ったときのお信は、当時のくやしさがこみあげてきて、顔が蒼《あお》ざめ、わなわなと五体をふるわせていた。  罪を着せられ、釈明もせずに自殺したのだから、平野家は断絶となった。  お信の弟の小太郎は、夫の中山伝四郎が引き取ってくれたが、 「病身の弟は、よほどに、父の自害が身にこたえたのでありましょう。中山の家へ引き取られてから半年後に、病死してしまいました」  と、お信は波切八郎の前に、泣きくずれたものである。  それは、早稲田《わせだ》の建勝寺で出合った日から三度目に、二人が会ったときのことで、そのときはじめて、八郎はお信を三《み》ノ輪《わ》の笠《かさ》屋の二階へ案内したのであった。  さて……。  お信の不幸は、それだけではすまなかった。  翌年の春に、今度は、夫の中山伝四郎が急死してしまった。 「中山は、殺害《せつがい》されたのでございます」 「何……まことか?」 「はい」  当時は……というと、いまから四、五年前のことで、真田家の御家騒動が頂点に達していた。  国許《くにもと》でも江戸屋敷でも、 「このままにしておくと、幕府も見逃してはくれぬ」 「御家を、取り潰《つぶ》されてしまうぞ」  というので、藩士たちも騒然となってきた。  いつまでたっても、殿様の伊豆守信安《いずのかみのぶやす》の行状があらたまらないので、悪いうわさが幕府の耳へも入っているし、一国の大名が領国を治められぬとなれば、幕府も黙ってはいない。 「政事が不行きとどきである」  と、領国を没収されてしまいかねない。  中山伝四郎は、妻のお信の父や弟が憤死したこともあって、 「この一命をかけてもよい」  と、改革運動へ加わり、はたらきはじめた。  先《ま》ず第一に、殿様をあやつり、汚職を重ねている家老の原|八郎五郎《はちろごろう》一派を、 「始末してしまわねばならぬ」  たまりかねた一藩士が原家老を襲ったこともある。  原も、警戒を怠らぬようになった。  腕の立つ剣客を雇い入れ、自分の身辺を警護させるようになった。  原を襲った藩士も、この護衛の剣客に斬殺《ざんさつ》されてしまった。 「では、それが中山殿だったのか?」 「いえ、夫ではございませぬ。夫は……中山は別に殺害されました」  おもいもかけぬ、お信の述懐がすすむにつれ、波切八郎の胸に重く鬱積《うっせき》していた、お信への怒りや憎しみがしだいに消え、 (まるで、別の女……)  を、見るようなおもいで、八郎は、お信のはなしにひき込まれていったのである。 「高木勘蔵を一時も早く、葬《ほうむ》ってしまわぬと、真田の御家に大変な傷がついてしまう」  と、橘屋忠兵衛《たちばなやちゅうべえ》に説きふせられ、お信は忠兵衛がいうままに、波切八郎へはたらきかけた。  夫や父と弟を無念のうちに死なせてしまっただけに、お信も、原八郎五郎一派に対しては激しい怨《うら》みを抱いている。  高木勘蔵は、原家老を警護していた剣客のひとりで、 「中山も、おそらくは高木の手にかかったのではないかと……」  お信は、そういった。  お信の夫・中山伝四郎は、公用で、江戸屋敷から国許の松代《まつしろ》へ駆けつける途中で、何者かに暗殺されてしまった。 「いまに、原を斬《き》ってくれる」  などと口走るほどに、中山伝四郎は改革運動の同志たちの中でも激しいうごきをするようになっていたので、原家老の手がまわったのであろう。 「そのうちに、原一派の秘密を知った高木勘蔵は、これを種にして、原から大金をゆすり奪《と》るようになったと申します」  そうなっては、原八郎五郎のみか、真田家にとっても一大事だ。  高木が巧妙な手段で、真田家の内情を幕府へうったえ出たりしたら、真田家自体が危機にさらされる。  橘屋忠兵衛に説きふせられ、お信も、ついに決意をかため、波切八郎へ接近したのである。  忠兵衛が、あれほどに腕が立つ高木を討ち取ることができる男を探していたところへ、八郎が転げ込んで来た。 (そうだ、八郎さんがよい)  咄嗟《とっさ》に、橘屋忠兵衛の肚《はら》が決まった。 「すると、私は、お信どのの亡夫殿の敵《かたき》を討ったことになるのやも知れぬ、な」 「も、申しわけございませぬ」  身寄りがなくなった自分を引き取ってくれた橘屋忠兵衛への恩義もあったろう。  それにしても、純真な剣士・波切八郎が自分と忠兵衛が為《し》かけた罠《わな》へ、わけもなく落ちてしまったことに、お信は、 「身を切られるような、おもいがいたしました」  と、いった。  橘屋忠兵衛は、その以前にも、お信をつかって、原一派の悪行を探らせていた。  そのために、お信は何人かの真田の家臣へ、わが肌身《はだみ》をあたえたのであろう。  なればこそ、橘屋忠兵衛が死んで、伯父の久保田《くぼた》宗七の許《もと》へ身を寄せるようになると、お信は、 「生き返った……」  ようなおもいがした。  そして、真田家の騒動にも、解決のきざし[#「きざし」に傍点]が見えてきたのである。  殿様の伊豆守信安は、享楽《きょうらく》におぼれつくしたむくい[#「むくい」に傍点]が出たものか、死病にとりつかれてしまった。  こうなると、原家老一派の勢力も、当然におとろえてくる。  反対に改革派のちから[#「ちから」に傍点]が強くなり、国許にいる筆頭家老の恩田民親《おんだたみちか》を中心にして、 「真田家再建」  の、足なみがそろいはじめた。  真田家の親類にあたる大名たちも、これを応援するようになった。  今年の夏に真田信安が病歿《びょうぼつ》し、子の豊松《とよまつ》が跡をつぐにおよび、原一派の息は絶えた。 「なれど……橘屋忠兵衛は、あのように空恐ろしいお人でございましたが、御先代様の隠し子をかくまわれ、後には養子になされたほどゆえ、真田の御家の安泰を、片時も忘れてはいなかったのでございます」  お信は、そういった。  橘屋忠兵衛は、真田家の中級藩士の四男に生まれ、先々代の橘屋の主人に見込まれ、十八歳の折に養子となったという。      六  お信《のぶ》が、こうした秘密を波切八郎へ打ちあけてより、早くも、一年余の歳月がすぎている。  八郎と自分のことを、お信は伯父の久保田《くぼた》宗七へ、どのように告げているかは知らぬが、宗七は八郎に好意を寄せているらしい。  いまでは、八郎のほうからも穴八幡《あなはちまん》裏の鞘師《さやし》の家を訪れ、二階の、お信の部屋で一夜を送ることもあった。 「此処《ここ》ならば、安心をしておられてよい。いっそ、二階で、お信と共に住み暮されてはいかが?」  つい先頃《さきごろ》に、久保田宗七が八郎へ言い出たことがあるほどだ。  しかし、鞘師の家は、すでに岡本弥助《おかもとやすけ》と伊之吉《いのきち》に知られている。  そのことを八郎は、お信にも宗七にも打ちあけていない。  だから、昨日、お信が八郎と別れ、辻駕籠《つじかご》をひろって鞘師の家へ帰ったとき、久保田宗七の客が出て行くところをちらり[#「ちらり」に傍点]と見ても、それが岡本弥助とは知るよしもなかった。  夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》についた宗七が、弟子の富治郎《とみじろう》に酒の相手をさせながら、 「もう、忘れてしもうていたのかと思うていたが……近江《おうみ》の彦根《ひこね》の、佐々木友太郎《ささきともたろう》という仁が、今日、見えてな。越中守正俊《えっちゅうのかみまさとし》の脇差《わきざし》を受け取って帰ったわえ」  そう語るのを耳にしても、お信は、〔佐々木友太郎〕が岡本弥助であることを知らぬ。  知らぬゆえ、今日、三ノ輪へ来て波切八郎に逢《あ》っても、口にはのぼらぬ。  その夜、お信は笠屋の二階へ泊った。  橘屋《たちばなや》の離れ屋では、八郎が瞠目《どうもく》するほどに、激しい愛撫《あいぶ》の仕ぐさを見せたお信であったが、いまは、たがいの裸身を抱きしめ合ったまま、凝《じっ》とうごかぬ。  それでいて、お信の肉体の反応は、以前と全くちがっていた。  躰《からだ》はうごかぬが、躰の内部が激しくうごく。  波切八郎は、またしても、女の肉体のふしぎさに目をみはっている。  翌朝の臥床《ふしど》の乱れもないままに抱き合っていて、お信も八郎も陶酔の極に達してしまう。 (これが、女か……)  お信の肌身《はだみ》は、ねっとりと女の凝脂に照ってい、その肌身に八郎のたくましい躰が溶け入ってしまう。 「八郎さま……」  あえぎながら、お信が、 「いつまでも、このようにして、暮せぬものでございましょうか……」  八郎は、こたえぬ。  お信への怒りと憎しみは消えたが、まだ、すべての疑惑が消えたわけではない。  あのときの、お信が自分にあたえた苦悩をおもえば、お信が打ちあけた事のすべてを、 (まことのことだ……)  として、受けいれかねる。  お信のみではない。  あれから足かけ三年にわたる歳月が、波切八郎の生涯《しょうがい》に決定的なダメージをあたえてしまったことを思えば、それも当然であったろう。  八郎の、剣士としての夢は消えた。  もはや、道場を構えることもならぬ。  剣士としての、正当な条件のもとにではなく、何人もの人を手にかけてしまったのだ。  それでいて、剣に対する情熱だけは、いまだに燻《くすぶ》りつづけているのである。  その燻りを、八郎は持てあましていた。 (どうしたらよい。これからのおれは、どのように生きて行ったらよいのだ?)  それが、わからぬ。  丹波《たんば》の国の田能《たのう》の山中へおもむき、石黒素仙《いしぐろそせん》の許《もと》で、 (修行を為直《しなお》したい……)  と、願うこころも捨てきれぬ。  素仙の許で、 (一生を終えても、よいのではないか……)  と、考えることもある。  そうなれば、岡本弥助との縁を断ち切ることもできよう。  いまの波切八郎は、以前の八郎ではない。  往来切手(身分証明)がなくとも、金をつかい、姿を変えて、旅をすることもできぬことではない。  金しだいで、関所を通らず、抜け道を案内してくれる者もいる。  そうしたことを、八郎は岡本弥助から教えられていた。  お信の居所をつきとめたなら、 (場合によっては、斬《き》って捨てよう。そして、石黒先生の許へ行こう)  と、半ば決意をしていた八郎だが、おもいもかけず、お信との新たな交情が生まれた。  老僕《ろうぼく》の市蔵とも再会してしまい、そうなると、無下《むげ》にも市蔵を捨てきれなくなった。  八郎には、これも新たな悩みが生じつつある。  だが、この悩みには怒りも憎しみもない。  それだけに、おもいきって始末をつけることができぬ。  お信は、一夜を八郎と共にすごし、翌日の昼すぎに、笠《かさ》屋の二階を去った。  八郎は坂本の駕籠屋から町駕籠をよび、お信を鞘師の家へ送らせることにした。  お信が泊ったときは、いつも、こうしている。  波切八郎が、お信と共に笠屋の店先へあらわれ、お信を乗せた駕籠が出て行くと、すぐに笠屋の内へ姿を消した。  それは、ほんの一分か二分の短い間であったが、 (あっ……)  その八郎を見て、おどろいたのは、ほかならぬ伊之吉であった。  伊之吉は、笠屋の真向いにある小体《こてい》な川魚料理の店から出て来たとたんに、通りをへだてた笠屋の内から、先《ま》ず、お信が出て来るのを見かけ、 (や、あれは……)  素早く身を引き、様子を見ていると、すぐに波切八郎があらわれたではないか。 (波切先生は、こんなところに隠れていなすったのか……道理でわからねえはずだ)  橘屋|忠兵衛《ちゅうべえ》が死んだとき、波切八郎は、お信の容貌《ようぼう》を伊之吉へくわしくつたえて、 「外から、このような女が弔問《ちょうもん》にあらわれたなら、後を尾《つ》け、居所をつきとめてもらいたい」  と、たのんだ。  当時の女たちとは、いささか趣を異にしているお信があらわれたとき、伊之吉はすぐにわかったものだ。  用心ぶかい伊之吉は〔川魚御料理〕と書いた看板の蔭《かげ》にいて、すぐには通りへ出なかった。  果して、笠屋の二階の窓の障子が開き、坂本の方へ去って行く、お信の駕籠を見送る波切八郎の顔が見えた。 (このことを、岡本の旦那《だんな》に知らせたら、どんなによろこぶことか……いや、むしろ、知らせねえほうがいいか、な?)      七  だが、結局は、 「知らせねえのも、旦那《だんな》が可哀相《かわいそう》だからね」  と、伊之吉《いのきち》は岡本弥助《おかもとやすけ》へ、波切八郎の居所をつたえた。  それは、伊之吉が八郎とお信《のぶ》を見かけた翌日の夕暮れのことで、場所は、例の浅草の、今戸《いまど》の船宿・吉野屋の二階座敷である。  いまの岡本弥助は、総髪《そうがみ》の月代《さかやき》を青々と剃《そ》りあげ、紋つきの羽織・袴《はかま》をつけ、どこぞの大名家に仕えているような、あらたまった姿《いでたち》であった。 「そうか、そうか……」  岡本は、伊之吉へ抱きつかんばかりによろこんだ。 「よくやった。よくやってくれた」 「なあに。ほんのめぐり合わせですよ」 「ありがとう、ありがとう」 「およしなせえよ、気味が悪い」  からみついてくる岡本弥助の腕を、わざと邪険に振りはらった伊之吉が、 「私が、もし、居所が知れなくなって、それがわかったとしても、旦那は、そんなによろこびますまいねえ」 「何をいう」  岡本弥助は、屹《きっ》となって、 「お前は、おれの片腕だ。片腕をもぎとられたら、どうなる」 「ほんとかねえ」 「何だ、その笑い様《よう》は……」 「ふ、ふふ……」  伊之吉は機嫌《きげん》を直し、岡本の盃《さかずき》へ酌《しゃく》をしながら、 「で、これから、どうなさるので?」 「さて……」  盃の酒をのみほした岡本が、 「むずかしい……」 「すぐにも、波切先生へ会いにおいでなすったら、どうなので」 「迂闊《うかつ》に顔を見せると、また、逃げられてしまうからな」  伊之吉は忍び笑いをしながら、手酌でのんでいる。 「会いたい。会うだけでもよいのだが……」 「めんどうなことですねえ、旦那」 「うむ……」 「ときに旦那……」 「何だ?」 「昨日は、神田《かんだ》の和泉屋《いずみや》から連絡《つなぎ》をつけてもらったのだが、このごろの旦那は、まったく和泉屋にいなさらねえ。いったい、いまは何処《どこ》に暮しておいでなさる?」 「まあ、な……」 「まあ、なはねえでしょう」 「伊之吉、からむなよ」 「自分の片腕にもいえねえところで、妙な暮し方をしていなさるらしい」  伊之吉の毒舌に、岡本弥助はこたえなかった。  屋根を、時雨《しぐれ》の音がしている。  ややあって、岡本は伊之吉の機嫌をとるように酌をしながら、 「今年も、間もなく暮れるなあ」 「わかりきったことをいいなさる」 「膠《にべ》もない返事をするやつだ」 「私は、そういう男なんですよ」 「伊之吉、たのみがある」 「波切先生を見張れといいなさるので?」 「打てば響くとは、このことだ」 「ほめられているのだか、うまく旦那に操られているのだか……」 「長い間ではない。たのむ」 「ねえ、旦那。どうも、ちかごろの旦那がわからなくなってきた。いったい、どういうことになっているので?」 「お前には関《かか》わり合いのないことだ。心配するな」 「別に、心配はしていませんよ」 「それにしても……」 「え……?」 「波切先生が、あの女と、忍び逢《あ》っていようとはおもわなかったよ」 「あの女は、何者なので?」 「よくは知らぬ」 「へっ。恍《とぼ》けていなさる」 「伊之吉。何か旨《うま》いものでも食べようではないか。何がいい?」 「さて、ね」 「外へ出てもいいぞ」 「こっちのはなしを、逸《そ》らしなさるのだから嫌《いや》になってしまう」 「今夜のお前は、からみ方が少し度がすぎるぞ」  岡本は、伊之吉へ背中を向け、ふところの紙入れから出した小判を紙へ包みながら、 「伊之吉。これは少いが……」 「要りませんよ、今度は要りません」 「遠慮をするな」 「旦那のふところは、ちかごろ、さびしくなっていなさるらしい」 「ばか[#「ばか」に傍点]にするな」 「ま、このつぎにいただくときは、何倍にもしていただきましょうよ」  岡本弥助は、白い眼《め》で伊之吉を睨《にら》むようにしたが、その面上に、何やらさびしげな翳《かげ》りが過《よぎ》った。 「旦那の金主が、何処の、どんなお人か知らねえが……」 「少し黙っていろ」 「へい、へい」  伊之吉は煙草入《たばこい》れを腰へ差し込み、立ちあがった。 「もう、行くのか?」 「波切先生の見張りは、いつごろまでつづけたらいいので?」 「長いことではない。たのむ」 「こいつは、むずかしい見張りだし、退屈な見張りだ」  たまりかねて岡本が、 「伊之吉。さほどに嫌なら、してくれなくともいいぞ」 「怒ってはいけません。口の悪いのは生まれつきだ。それよりも旦那。連絡《つなぎ》は和泉屋でいいのでござんすね?」 「なるべく……なるべく、これからは和泉屋にいるようにしよう」 「わかりました」  伊之吉は、素っ気もない態度で座敷から出て行った。  盃の冷えた酒を口にふくみ、岡本弥助は、壁の一角を見つめたまま、身じろぎもしなくなった。  いつの間にか、時雨が通りすぎていた。  大川(隅田川《すみだがわ》)に面した窓の障子が風に鳴った。      八  夜が更《ふ》けてから……。  岡本弥助《おかもとやすけ》は、深川の木場《きば》に近い例の武家屋敷へあらわれた。  いや、もどって来たというべきであろう。  このところ、岡本は、この屋敷内に暮しつづけている。  屋敷は、敷地二千坪余もある大きなもので、旗本ならば三、四千石の大身《たいしん》ということになる。  旗本屋敷とすれば、家来・奉公人を合わせて五十人に近い者が屋敷内に暮しているわけだが、夜ともなれば、屋敷の奥には人の気配も感じられぬほどで、土地《ところ》の人びとは、 「幽霊屋敷」  などと、よんでいるそうな。  つまり、日中でも、ほとんど人の出入りがないらしい。  屋敷の主《あるじ》が、どのような人物にせよ、屋敷そのものは大身旗本のそれ[#「それ」に傍点]であった。  したがって、屋敷内は〔表〕と〔奥〕に区別されている。  すなわち〔表〕は、公《おおやけ》のもの。 〔奥〕は主と、その家族の居住区ということになる。  岡本弥助は、その〔表〕と〔奥〕の境にある〔中《なか》ノ口《くち》〕を奥へ入った左側の八畳間に起居していた。  この部屋へ入った岡本が羽織をぬぎかけたとき、小廊下へ足音が近寄って来て、 「岡本殿。おもどりでござるか」  と、声がした。 「おお」 「殿の、お召しでござる」 「この夜更けに……?」 「はい」 「何ぞ、火急のことでも起りましたか?」  岡本が襖《ふすま》を開けると、小廊下に侍がひとり、片膝《かたひざ》をついていた。  屋敷の主の家来だ。  主と岡本とが〔表〕の書院で密談をするときは、かならず広縁の一隅《いちぐう》に坐《すわ》り込み、あたりへ目を配っているのが、この家来であった。 「さて……」  自分にはわからぬというふうに、家来はかぶり[#「かぶり」に傍点]を振って見せた。 「すぐに、まいる」 「では……」  一礼して、家来は去った。  ぬぎかけた羽織の紐《ひも》をむすびつつ、岡本弥助は、何やらむずかしい顔の色になってきた。  間もなく、岡本は、いつもの書院へ出て行った。  すでに、屋敷の主は燭台《しょくだい》を背に坐り、岡本が来るのを待ちかねていたようである。 「帰邸が、遅かったの」  主の、女のように細く、透き徹《とお》った声が、 「何処《いずこ》へまいっていたのじゃ?」  咎《とが》めているのではない。  むしろ、岡本が屋敷内にいなかったので、それが心許《こころもと》なかった……とでも言いたげな口調なのだ。 「波切八郎先生の居所が、わかりましてございます」 「ほ……そうか」  と、主が身を乗り出すようにした。 「何ぞ、波切先生に?」 「ちょうどよい。波切ならば、打ってつけといえよう」 「なれど……」  岡本は、口ごもった。 「いかがした?」 「波切先生は、もはや、われらの役には立つまいかと存じます」 「何故《なにゆえ》じゃ?」 「それが……」 「それが?」 「そもそも、波切先生が姿を隠したことは、私との縁《えにし》を断ち切りたかったからでございましょう」 「今日は、波切八郎に会《お》うたのか?」 「いえ、手先に使《つこ》うている者が見かけたと申します」 「波切は何処にいる?」 「千住《せんじゅ》の近くだそうにございます」  岡本は何故《なぜ》か、波切八郎が暮している場所を「三《み》ノ輪《わ》」とは告げなかった。 「さようか。千住にのう……」 「殿。何ぞ、火急の事でも?」 「そのことじゃ。近《ちこ》う寄れ」 「はい」  岡本弥助は、屋敷の主の目の前まで近寄った。 「岡本。困ったことが起った」 「と、おおせられますのは?」 「森平七郎《もりへいしちろう》に、あの世[#「あの世」に傍点]へ行ってもらわねばならぬ」 「森を、御成敗に?」 「いかにも」 「それは、どのようなことなのでございます」 「森平七郎は、いまのわしの立場を見透かしてしもうた……」 「まさかに……」 「いや、そうでない」  微《かす》かに苦笑を洩《も》らした主が、 「五百両を強請《ねだ》ってまいったわ」 「そ、それは、まことでございますか?」 「岡本に嘘《うそ》を言うても仕方がないわ」  岡本弥助は、沈黙した。  両眼を閉じた岡本の頬《ほお》のあたりが、ひくひく[#「ひくひく」に傍点]とうごいている。  暗い照明の書院ゆえ、岡本の顔の色はさだかでないが、おそらく蒼《あお》ざめているにちがいない。  屋敷の主が口にのぼせた森平七郎という男は、主にも岡本にとっても、相当な重味をもっているらしい。  しかも、その男を、 「斬《き》らねばならぬ」  と、主はいっているのだ。 「どうじゃ、岡本。お前の手に負えるか?」  岡本は、こたえず、眼《め》をひらかなかった。 「どうじゃ?」  主の声が、軽い揶揄《やゆ》の匂《にお》いを帯びてきたようである。  岡本は、口を噤《つぐ》んでいる。  主が、ためいき[#「ためいき」に傍点]を吐いて、 「岡本が手に負えぬとなれば、他の者には当然、手に負えまい。三人、四人とかかっても同じことじゃ」  岡本弥助が、わずかにうなずいた。 「となれば、波切八郎の手を借りるよりほかに道はあるまい」 「は……」 「手間取ってはいられぬのじゃ。森平七郎は、われらのことを知りすぎている。もっとも、森を、ずいぶんとはたらかせたゆえ、な」 「さよう……」 「なれど、昨年の、京都での一件に森を使わなかったことだけでも、いまは、よし[#「よし」に傍点]とせねばなるまい」 「はい」 「のう、岡本」 「は……?」 「これよりは、いよいよ、むずかしくなろうぞ」  この屋敷の主の声が、にわかに沈痛なものとなった。 「大御所《おおごしょ》が生きておわすうちに、いま少し、手を打っておけばのう」  深い後悔が、主の声に滲《にじ》んでいた。 「なれど……なれど、手をつかねているわけにはまいらぬ」 「そのとおりでございます」  と、岡本がいった。 「何としても、波切の手を借りねばなるまい。なれど、そのほかに手段《てだて》があるか、どうじゃ?」 「急がねばなりませぬな?」 「なればこそ、波切がよい。波切の居所がわかったというのは天祐《てんゆう》というものじゃ」 「はあ……」 「何としても、波切八郎を説きふせよ。よいか、岡本。森平七郎は口先だけで物を申す男ではないぞ」 「心得ております」 「五百両の金の都合がつかぬというのではない。なれど、その五百両のみで、すむとはおもわぬ。われらの立場が不利となるにつれて、森平七郎は尚《なお》もたくらみごと[#「たくらみごと」に傍点]をするであろう」 「おもえば……」 「何じゃ?」 「もそっと早く、毒薬《どくぐすり》をつかってでも、森を始末してしまうべきでございました」 「何を申す」  と、主が苦笑を洩らし、 「毒薬をのむような男ではないわ。いずれにせよ、森の恐るべき剣のちから[#「ちから」に傍点]をよいことに、われらが用いすぎた」 「森を連れてまいったのは、この私でございます」 「わしは、お前を責めているのではない」 「おそれいりまする」 「では、波切のことをたのむぞ」  細いが、ちから[#「ちから」に傍点]のこもった主の声に、岡本弥助も決意をかためたらしい。  きっぱりとうなずいた岡本が、 「おまかせ下さいますよう」  と、いった。  うなずいた屋敷の主は手を打って家来をよび、立ちあがった。     浮寝鳥《うきねどり》      一  その朝、初霜が下りた。  目ざめた秋山小兵衛《あきやまこへえ》は、寝間から廊下へ出た。  いつものように、石井戸の水をかぶるつもりだったのである。  右側に、老僕《ろうぼく》・市蔵《いちぞう》が寝起きしている小部屋があり、その板戸が開いていた。  市蔵は、道場の外まわりの掃除にかかってい、部屋にはいない。  台所から味噌汁《みそしる》の香ばしい匂《にお》いがただよい、お貞《てい》がつかう庖丁《ほうちょう》の音がきこえていた。  何気もなく、小兵衛は市蔵の部屋へ目をやって、足を停《と》め、 (おや……?)  いぶかしげに、中をのぞき込んだ。  といっても、格別に異常をみとめたというわけではない。  市蔵は、目黒の波切《なみきり》道場から、この秋山道場へ引き取られた折に、小さな箱型の有明行燈《ありあけあんどん》を他の荷物と共に運んで来た。  それを見た秋山小兵衛が、 「ほう……その行燈は、手づくりの物だな」 「さようでございます」 「お前さんがこしらえたのか?」 「いえ、とんでもない。これは、御先代が……」 「波切|八郎殿《はちろうどの》の亡《な》き父御《ててご》か?」 「はい。細工をなさるのが、お好きでございまして……この有明行燈は、八郎先生が、まだ少年《こども》のころに、御先代が手づくりにして、さしあげたものでございます」 「それは、たいせつな……」 「はい、はい」  市蔵は、こちらへ引き移ってからも、この有明行燈を使用していた。  いま、秋山小兵衛の目にとまったのは、あきらかに別の有明行燈であった。  このほうは、素人《しろうと》の手づくりでないことが、だれの目にもあきらかだ。  先の行燈は、先代・波切|太兵衛《たへえ》の形見の品ゆえ、破損してはならぬとおもって、戸棚《とだな》の奥にでも仕舞い込んだのであろうか……。  市蔵が波切八郎と再会したことを、小兵衛は知らぬだけに、 (八郎殿と出合《でお》うたときに、あの行燈を手わたすつもりなのだろう)  と、おもってはいた。  台所で、お貞と市蔵の、はなし声がきこえた。  掃除を終えた市蔵が、もどって来たのだ。  秋山小兵衛は、台所|傍《わき》の戸口から、裏手へまわった。  明るく弾んだ市蔵の声が、井戸端まできこえてくる。  市蔵は一昨日に、また、目黒の波切道場の掃除におもむいた。 「この前に、為残《しのこ》したことがございますので……」  と、いい、いそいそと秋山道場を出て行った。  この前に、目黒へ行ったときから、まだ一月《ひとつき》も過ぎてはいない。  このようなことは、かつて、なかった。  そして、一昨日の夕暮れ前に帰って来たときの、市蔵の老顔は生き生きとした血色を浮かべていた。 「あれほどに、目黒の道場へ行くのが、うれしいのでしょうか?」  と、お貞が小兵衛にささやいたものである。 「やはり、な。市蔵にとっては長年にわたって住み暮したところゆえ、気にかかるのだろう」  こたえて、そのときは気にもかけなかった秋山小兵衛は、 (もしやすると……?)  水を浴びつつ、ふと、胸に浮かんだものがある。  一昨日以来の、明るく弾んでいる市蔵の声。  波切太兵衛が手づくりの有明行燈が消えたかわりに、市販の安物の行燈が置かれてある市蔵の部屋。  これらのものが、小兵衛の脳裡《のうり》へ一つになってむすびついた。  昼すぎになって、お貞に買物をたのまれた市蔵が出て行った。  このとき、小兵衛は稽古《けいこ》の昼休みで、道場から母屋《おもや》へもどって来ていた。  居間から出た小兵衛は厠《かわや》へ入ってから、ついでに市蔵の部屋へ向った。  閉まっている板戸を開けて中へ入り、押入れや戸棚の中を見た。  手づくりの有明行燈は、どこにもない。  小さな部屋ゆえ、他《ほか》に物を仕舞い込む場所もないのだ。 (やはり、そうだったのか……いや、そうらしい)  今朝方の想《おも》いが、いよいよ、はっきりとしてきたようである。 (市蔵は、一昨日、波切八郎殿に会って、形見の有明行燈を手わたしたにちがいない)  このことである。  となれば、何故《なにゆえ》に市蔵は、そのことを小兵衛夫婦に打ちあけないのか……。  もしも、波切八郎と市蔵が再会していたとするなら、去年の真剣勝負の約定《やくじょう》にそむいたこともあって、 「自分と会ったことは、秋山殿に打ちあけぬよう」  と、八郎は市蔵に念を入れたろう。  秋山小兵衛は、この自分の推理が、果して的中しているか、どうか……それはわからぬが、想えば想うほどに、 (会った。二人は、たしかに会っている……)  としか、考えられぬようになってきた。  一昨日、目黒からもどって来て以来、市蔵は、 (隠そうとしても隠しきれぬ……)  よろこびに、浮き立っているようだ。  小兵衛には、そのようにおもえてならぬ。 (すると……?)  市蔵は、近い将来に、波切八郎の許《もと》へ帰るつもりでいるのか。  いや、その希望が生じてきたのではあるまいか。 (それならば、何もいうことはない。結構なことだ)  去年以来、秋山小兵衛の波切八郎へ対する関心は、さらに深まってきていた。  去年の、平林寺《へいりんじ》門前における決闘の日までは、八郎を単なる好敵手として看《み》ていたにすぎぬ。  が、その後、八郎が剣士としての約定を破るにおよんで、 (あれほどの男が、何故に……?)  その疑問が、小兵衛の想像をかきたてたことは事実だ。  なればこそ、小兵衛は目黒の波切道場を訪れたのである。  そして、八郎の老僕・市蔵を手許《てもと》に引き取った。  こうなれば、八郎・市蔵主従への関心が深まるのは当然といえよう。  小兵衛夫婦は、蔭日向《かげひなた》なく忠実にはたらいてくれる市蔵へ、いまは愛情を抱くようになっていた。 (いずれにせよ、何とか市蔵を幸せにしてやりたい)  と、おもうのみだ。  市蔵は、いまや秋山家にとって、 (なくてはならぬ……)  老僕となってしまっているが、市蔵が波切八郎の許へもどるというのなら、手ばなすよりほかに仕方もないのだ。  それにしても、 (いま、波切八郎殿は、どのように暮しているのだろうか?)  決闘の約定を破った八郎の身には、たしかに異変が起っているとしか、考えられぬ。 (会ってみたい、波切殿に……そして、もし、悩み事があるならば、相談に乗ってやりたい)  同じ剣客《けんかく》として、秋山小兵衛は、波切八郎への関心が尚更《なおさら》に昂《たかま》ってくるのをどうしようもなかった。      二  その日の夕暮れに……。  三《み》ノ輪《わ》の川魚料理〔川半《かわはん》〕の二階座敷で、岡本弥助《おかもとやすけ》と伊之吉《いのきち》が酒を酌《く》みかわしている。  盃《さかずき》を置いた伊之吉が、上体を伸ばして障子を開け、通りをへだてた向い側の笠《かさ》屋の二階を見た。 「今日は波切先生、何処《どこ》へも出かけませんね」 「もういい。伊之吉、障子を閉めろ」  岡本は、少し前に此処《ここ》へあらわれ、待ち受けていた伊之吉から、波切八郎が住み暮している、笠屋の茂平方《もへいかた》の二階を指し示されたばかりだ。 「そうか……こんなところに……」  いいさして、あとは黙念と、盃をふくむばかりの岡本弥助であった。 「どうなすったので?」  障子を閉めた伊之吉が、 「あれほど気にしなすっていたのに……」 「うむ……」 「笠屋へ乗り込んで行ったらいいじゃあござんせんか」 「少し、黙っていてくれ」 「ひどいねえ、旦那《だんな》も……これだけ見張りをさせておきながら……」 「ありがたいとおもっている」 「今夜は、波切先生に会わねえつもりなので?」 「居所がわかったからには、いつでも会える。いや、ぜひとも会わねばならぬ」  滅入《めい》ったような岡本の顔へ、わずかに血の色がのぼってきたので、伊之吉も機嫌《きげん》を直したらしい。 「伊之吉。この店は大丈夫なのか?」 「むかしの仲間が、ここの亭主《ていしゅ》なので」 「そうか……」 「口の堅い男です」 「お前が、そういうのなら間ちがいはあるまい」  岡本は、ふところから小判で十両を出し、 「少いが、取っておいてくれ」  うなずいた伊之吉が、金をふところへ仕舞った。  この場合、岡本がよこす金なら、たとえ一両でも、伊之吉は嫌《いや》な顔をしなかったろう。 「旦那も景気が悪くなりなすったねえ」  と、毒口の一つも出したいところだが、今夜の岡本弥助の、何か、さしせまった様子が伊之吉にはよくわかっていて、いつものような軽口にはなれなかった。  酒が切れたので、伊之吉が、手を叩《たた》こうとするのへ、 「もういい」 「お帰りなさる……?」 「うむ」 「旦那……」 「何だ?」 「近ごろ、妙ですね」 「おれが、か?」 「何か、困った事が起きたらしい。ちがいますか?」 「そう見えるか?」 「見えますとも」  すると岡本が、びっくりするような大声で、 「そりゃ、いかぬなあ」  と、いったものだ。  伊之吉は、呆気《あっけ》にとられた。  岡本弥助が笑い出して、 「お前と二人きりのときは、つい、こころがゆるむ。だから見透かされてしまうのだろう」 「そんなのは、女にいう台詞《せりふ》ですよ、旦那」  と、今度は伊之吉が不機嫌になって、盃の中の冷えた酒を口にふくんだ。  その肩を、やさしく叩き「明日もたのむ」といってから、岡本は大刀を手に廊下へ出て行った。 〔川半〕は、別に気取った店ではない。  階下は十五坪の板張りへ、竹の簀子《すのこ》を敷きつめ、膳《ぜん》がわりに並べた長い桜板を囲み、多勢の客が〔泥鰌鍋《どじょうなべ》〕に舌つづみをうっている。 〔川半〕の亭主の惣吉《そうきち》が、板場から飛び出して来て、二階から下りて来た岡本へ、 「もう、お帰りで……」 「うむ。伊之吉が世話になっているらしいな。これからも、よろしくたのむ」 「とんでもございません」  年齢《とし》は、伊之吉より三つ四つ上であろう。でっぷりと肥えて、髭《ひげ》の剃《そ》り痕《あと》の青々とした亭主の惣吉へ、岡本弥助は小判一両をわたし、 「みんなで、蕎麦《そば》でもやってくれ」 「これは、どうも……」  惣吉は、目をみはっていた。  岡本は、夜に入った通りへ出た。  上野山下から坂本、金杉《かなすぎ》、三ノ輪へつづく通りは、千住《せんじゅ》を経て日光・奥州《おうしゅう》の両|街道《かいどう》へむすびついているだけに、夜に入っても人馬の往来が絶えぬ。  岡本は通りへ出て、向い側の笠屋の二階を見あげた。  二階の窓の障子に灯《あか》りがさしている。  これは、波切八郎がいることの証明でもあった。 〔川半〕の二階では、伊之吉が、 「へっ、おもしろくもねえ」  ごろりと躰《からだ》を倒し、壁に眼《め》を据《す》えた。  何ともいえぬ、暗い眼の色であった。  岡本弥助は、ふところから頭巾《ずきん》を出してかぶり、しばらくは佇《たたず》み、笠屋の二階の灯《ひ》を見つめていたが、深いためいき[#「ためいき」に傍点]を吐き、歩み出した。  そのとき、目の前を通りかかった辻駕籠《つじかご》へ、岡本が、 「これ……」 「へい、へい」 「深川まで行ってくれるか?」 「ようござんす」  岡本を乗せた駕籠は、上野山下の方へ去った。  笠屋の二階では、波切八郎が、亡父・太兵衛《たへえ》の形見の越前康継《えちぜんやすつぐ》二尺四寸余の銘刀へ打粉《うちこ》をかけ、手入れにかかっている。  八郎の傍《かたわら》の行燈《あんどん》は、笠屋に借りたものだが、部屋の一隅に有明《ありあけ》行燈が置いてあった。  この有明行燈は、八郎が、この二階へ身を移したとき、近くの店で買ったものではない。  その行燈は、一昨日、目黒不動の裏門前にある料理屋・伊勢虎《いせとら》で市蔵と会ったとき、 「これを、持ってゆくがよい」  と、わたしてやった。  そのかわり、市蔵が持って来た亡父手づくりの有明行燈を受け取り、笠屋の二階へ持って来たのである。  電灯のない当時にあって、有明行燈は暮しの必需品であった。眠るときには、これへ細く灯をともしておくのだ。  暗闇《くらやみ》の中では、何が起るか知れたものではない。      三  それから四日のちの午後に、波切八郎の姿を仙台堀《せんだいぼり》(神田川《かんだがわ》)の北岸に見出《みいだ》すことができる。  八郎は、高田|八幡宮《はちまんぐう》(穴八幡)裏の鞘師《さやし》・久保田宗七《くぼたそうしち》方の二階で、お信《のぶ》と二夜をすごし、三《み》ノ輪《わ》へ帰る途中であった。  すでに師走《しわす》(陰暦十二月)に入っていたが、このところ暖かな日和《ひより》がつづき、まことにしのぎやすい。  外出《そとで》のときの八郎は、いつものように塗笠《ぬりがさ》をかぶり、羽織・袴《はかま》のきっちり[#「きっちり」に傍点]とした姿《いでたち》である。  お茶の水から、湯島の聖堂(幕府の学問所)に沿った道を、八郎は、ゆっくりと歩んでいた。  右側は仙台堀で、荷舟が一つ、東へ下っていた。  空は雲一つなく晴れ、行き交う人びとも多い。  昨夜、夕餉《ゆうげ》の折に、お信と八郎は鞘師の宗七と酒食を共にした。  そのとき、八郎は、 「丹波《たんば》の田能《たのう》へおもむき、石黒素仙《いしぐろそせん》先生の許《もと》で、修行を為直《しなお》したい……」  ようにも考えていることを、久保田宗七へ洩《も》らした。 「行先は、どうなるか知れませぬが……」  それによって、新しい道を見出すことができるやも知れぬ、というおもいが、このごろの八郎には強くなるばかりなのだ。 「結構なことですな」  すぐに、宗七は賛意をしめし、 「で、お信は、いかが相なります?」 「剣の修行に、女連れというわけにもまいりますまい」 「いかさま……」  うなずいた宗七が、 「なれど、お信が丹波の田能の近くに住み、そこへ、波切先生が月に一度か二度、お帰りになられてはいかが?」  と、いうではないか。  波切八郎のことを、お信が伯父の宗七へ、どのように語っているのか、それは八郎もたしかめてはいない。  しかし、宗七は八郎について、凡《およ》そのことをわきまえているのではあるまいか。 「私も、むかしは主《あるじ》に仕えたこともある侍ながら、このような生業《なりわい》に生きることもできる。人というものは、これでなかなかに融通のきくものですよ」  いつであったか、声にちから[#「ちから」に傍点]をこめ、八郎をはげますようにいったこともある。 「田能の近くへ、お信どのを?」 「さよう」 「それは……?」 「京へ住まわせておけばよいとおもうが……」  これは、八郎にとって、おもいもかけぬことであった。 「京には、いろいろと私の手蔓《てづる》もありましてな」  事もなげに、久保田宗七がいう。  たとえば、お信と八郎が京都なり丹波へなりおもむくとすれば、それに必要な往来切手(身分証明)も、どうにか、 「伯父は、手に入れてくれまする」  と、昨夜も、お信は八郎の腕に裸身を抱かれつつ、甘やかにささやいたのだ。  両三年ほどの暮しには困らぬほどの金を、いまの八郎は所有している。  田能の山中での、きびしい修行の合間に、京都にいるお信の許で、 「息ぬきをする……それもまた、人の修業と申すものではありますまいか」  と、久保田宗七はいうのだ。  宗七が、 「長らく、苦労をさせましてなあ」  しみじみという、お信の、これからの幸せを願っていることは、八郎によく看《み》て取れた。  お信と共に、久保田宗七の言葉をきいていると、なにとはなしに、自分の暗く重く閉ざされていた胸の内が、少しずつ、明るみをたたえてくるかのように感じられる。 (自分は、また、新しく生き返るのだろうか……?)  夢を見ているような想《おも》いさえする。 「もし、八郎さまが丹波へおいでになるのなら、市蔵さんを、私は京へ連れてまいります」  お信は昨夜、八郎の頸《くび》すじへ双腕《もろうで》を巻きつけ、八郎の耳朶《みみたぶ》へひた[#「ひた」に傍点]と唇《くち》を押しあてつつ、ささやいた。  少し前までは「波切さま」とよんでいたのに、昨夜のお信は「八郎さま」とよんだ。 (お信と市蔵が待っている京の家へもどり、修行の息ぬきをする……などと、そのようなことでよいのだろうか?)  しかし、久保田宗七は、 「それも、人の修業……」  だといった。 (そうなのやも知れぬ……?)  水野新吾《みずのしんご》を、あのように始末したのも、始末した後に、ひたすら苦悩するあまり、われから道場を捨てたのも、 (もっと、ほかに仕様があったのではあるまいか……)  とさえ、おもえてくる。  水野新吾の成敗は仕方もなかったことだが、それを、あれほどにおもいつめなくともよかったのではあるまいか。いまは取り返しのつかぬことではあるにせよ、だ。  さて……。  波切八郎は、湯島聖堂の角を、石垣《いしがき》に沿って左へ曲った……いや、曲ろうとした。  昌平坂《しょうへいざか》をのぼり、湯島へ出ようとしたのである。  そのとき、昌平坂を下って来た侍がひとり、八郎と擦れちがいざまに、 「あっ……」  おどろきの声をあげて、 「な、波切先生ではありませぬか……」  その侍は岡本弥助《おかもとやすけ》だったが、八郎は咄嗟《とっさ》にそれ[#「それ」に傍点]とわからなかった。  岡本が、月代《さかやき》を青々と剃《そ》りあげていた所為《せい》もあったろう。 「先生。私です、岡本弥助です」 「おお……」 「おもいがけなく、おもいがけぬところにて……」 「ふむ……」  われにもなく波切八郎は、笠をあげて、なつかしげに岡本を見やった。      四  岡本弥助《おかもとやすけ》は、偶然に波切八郎と出合ったのではない。  そのように、見せかけたのだ。  八郎が、それ[#「それ」に傍点]と気づかなかったのは、岡本の段取りが、 「真にせまっていた……」  からだとしか、いいようがない。  すでに伊之吉《いのきち》は、八郎が目黒の伊勢虎《いせとら》で市蔵と会ったこともつきとめ、市蔵が秋山道場へもどったことも、岡本へ告げてあった。  以前の八郎ならば、伊之吉の尾行に気づかぬはずはなかったのだが、依然として笠《かさ》屋の二階にとどまっているところをみると、やはり、気づいていないらしい。 「波切先生は、このところ、気もゆるんできたのではありませんかね」  と、伊之吉は岡本弥助にいった。  あるいは、そうなのか……。  江戸へもどって来たころの波切八郎が、身に危険をおぼえ、いつも神経を張りつめていたことは事実だ。  しかし、あれから今日まで、別に危険な事も身辺には起らなかった。  それは八郎が、岡本にも行先《ゆきさき》を告げずに身を隠してきたことにもよるが、この間に、八郎は、わが身の上について、さまざまに、おもいをめぐらすだけの落着きを取りもどしたことも、事実なのである。  さらに八郎は、お信《のぶ》と再会をした。  その結果によっては、二人の身が、どのように変転をしたか、それはわからぬ。  けれども、いまの波切八郎には少くとも、丹波《たんば》・田能《たのう》の石黒素仙の許《もと》で、修行を為直《しなお》そうという思案が浮かぶほどになった。  そうした変化は、伊之吉が指摘したように、 「気がゆるんできた……」  ことに、なるのやも知れぬ。  神田《かんだ》の旅宿・和泉屋《いずみや》にいた岡本弥助は、一昨日の夕刻に、伊之吉から、 「波切先生が、あの鞘師《さやし》の家へ入って行きましたぜ」  との知らせを受けるや、すぐさま、伊之吉と共に穴八幡《あなはちまん》へ向った。  一昨夜から今日にかけて、二人は交替で鞘師の家を見張った。 「波切先生の居所は、もう、つきとめてあるのだから、何も、こんなところで見張りをしなくとも、いいのじゃありませんか」  と、伊之吉は、しきりに不満を洩《も》らしたが、岡本は取りあわなかった。  岡本は、どこまでも偶然の出合いをのぞんでいた。  それも、穴八幡や三《み》ノ輪《わ》の近くで出合ったのでは、 (居所をつきとめたことを、波切先生に勘づかれてしまいかねぬ)  と、おもった。  二人は、早稲田《わせだ》馬場下町にある小さな宿屋へ入り、たっぷりと〔こころづけ〕をはずみ、交替で見張ることにした。  すっかり夜が更《ふ》けて、鞘師の二階の窓の灯《あかり》が消えてからは、見張る必要もない。  夜が明けて昨日の昼すぎには、塗笠をかぶった波切八郎とお信が、外へあらわれた。  二人は穴八幡へ参詣《さんけい》をし、それから早稲田の建勝寺《けんしょうじ》へ行き、橘屋忠兵衛《たちばなやちゅうべえ》の墓へ詣《もう》でてから、鞘師の家へ引き返して行ったのである。  これを、伊之吉が尾行し、宿屋の炬燵《こたつ》にもぐり込んでいた岡本弥助へ告げた。  そこで岡本は、伊之吉の案内で建勝寺へおもむいた。 「この墓へ、二人が詣でていたのか?」 「さようで」 「ふうむ……」 「どうなすった、旦那《だんな》」 「これは、橘屋忠兵衛の墓だ」 「え……ふうむ……なるほどねえ……」  うなずいた伊之吉は、すぐに、鞘師の家の見張りへ引き返して行った。  岡本弥助が、雑木林の中から見張っている伊之吉と交替をしたのは、夕暮れになってからだ。  昨夜も、波切八郎は鞘師の家に泊った。  そして今日。  朝早くから見張りに出ていた伊之吉が、 「波切先生が出て来ましたぜ」  と、告げた。  そこで岡本は、伊之吉と共に八郎を尾行し、先まわりをして昌平坂《しょうへいざか》へあらわれた、ということになる。 「見ちがえたわ。あまりに立派な姿《いでたち》をしているので……」  と、波切八郎は、塗笠の縁《ふち》へかけていた手を外した。 「皮肉を、いうておられるのですか」 「ありのままを申しているだけだ。それにしても、このように笠をかぶっている私が、よくわかったな」 「先生と、どれほどの月日を共に送りましたか、それを、お考え下さい」 「いかさま、な……」 「私は笠など、かぶっておりませぬ。それなのに、いかに出合頭《であいがしら》とはいえ、私に気づかれぬとは……いやもう、なさけないことですな」 「ま、ゆるしてくれ」  八郎は笠の内で、いささか顔を赤らめ、 (おれとしたことが……)  どうかしている、とおもった。  お信と自分の行末について、おもいにふけっていたことはたしかだが、それにしても、擦れちがった岡本弥助に気づかぬとは、 (何たることだ……)  であった。  岡本が、もし自分の一命をねらっている刺客《しかく》だとしたら、たちどころに抜き打ちをくらっているに相違ない。 「先生。お目にかかれてうれしく存じます」 「ふむ……」 「先生は、どうも、私と出合ったことを、よくおもってはいなさらぬらしい」 「さようなことはない」 「ほんとうですか?」 「うむ」 「ほんとうですな?」 「くどいな」  八郎と肩をならべて、昌平坂をのぼりきった岡本弥助が、 「なれば、久しぶりで一献、さしあげたいと存じます」 「さて……」 「いけませぬか?」 「ふむ……」 「お急ぎの用事でも、おありか?」 「別に……」  聖堂の裏道を行く八郎と岡本の姿を、伊之吉は神田|明神社《みょうじんしゃ》の大鳥居の蔭《かげ》にいて、見送っていた。 「へっ……波切八郎のどこがいいのだ」  伊之吉はつぶやき、身を返して昌平坂を下って行った。  岡本弥助は、 「波切先生、おまかせ下さい」  そういって、先へ立った。  程近い湯島天神社・裏門の鳥居|傍《わき》に〔三好野《みよしの》〕という、小体《こてい》だが瀟洒《しょうしゃ》な料理屋がある。  岡本は八郎を、これへ案内した。  岡本には、なじみの店らしい。  出迎えた女あるじが、二人を二階の奥座敷へ通した。 「いかがです。落ちついた、よい店でしょう」 「そうだな」 「それにしても、おもいがけぬことでした。いまは、どちらに?」 「それは、尋《き》かぬ約束になっていたはずだ」 「はあ……」 「いまも、神田の和泉屋《いずみや》にいるのか?」 「おります。先生が、いつ、お見えになるか知れぬとおもい、外出《そとで》をするのにも気が気ではありませんでした」 「もう、おぬしとは手が切れたはずではないか」 「そう、おもわれますか?」 「ちがうのか?」 「手が切れた、とは、おもっておりませぬ」 「…………?」  物静かな、中年の座敷女中が酒肴《しゅこう》を運んで来て、 「ほかに、御用は……?」 「呼ぶまではよい」 「はい」  女中の足音が小廊下を立ち去って行くのを耳でたしかめてから、岡本弥助は急に、かたちをあらためた。      五  岡本《おかもと》が、両手を膝《ひざ》の上へ置き、ひた[#「ひた」に傍点]と八郎の目を見つめ、 「実は……」  何かいいかけるのへ、 「待て」  手に取った盃《さかずき》を膳《ぜん》へ置いた波切八郎が、 「いうな」  と、きびしい声で、 「ききたくない」 「ふうむ……」  岡本|弥助《やすけ》は、微《かす》かに唸《うな》り声《ごえ》を発した。  一瞬、二人は、たがいに斬《き》りつけかねぬような凄《すさ》まじい眼《め》の色になって、睨《にら》み合った。  窓の障子にあたっている、日差しが弱くなってきた。  その障子の桟《さん》に、どうして、このような場所へ入って来たものか冬の蝿《はえ》が一つ、凝《じっ》と留まっている。  八郎が目を逸《そ》らし、手酌《てじゃく》の盃を口へふくんだ。 「先生……」  いいさして、岡本弥助が躙《にじ》り寄るように躰《からだ》をうごかした。 「よさぬか」 「ぜひとも、先生のおちから[#「おちから」に傍点]を貸していただきたい」  低いが、ほとばしるような岡本の声であった。  以前の、このような場面における岡本弥助とは全くちがう必死の様子が、看《み》て取れた。 「いまの私は、一年前の私とはちがう」  むしろ、岡本を宥《なだ》めるようにいったとき、波切八郎の脳裡《のうり》へ、突然に浮かびあがったものがある。  それは、八郎が少年《こども》のころに見た一場面で、これまでに一度も思い出したことがないものだ。  ある夏の日の夕暮れであった。  亡《な》き父の波切|太兵衛《たへえ》が客人と酒を酌《く》みかわしており、少年の八郎が、父に命じられて給仕にあたっていた。  人の記憶は、おもいもかけぬときに、おもいもかけぬことを、よみがえらせる。  数年前に、ある相撲取りが、 「昨日、土俵へあがって塩をまいた瞬間に、子供のころの、小学校の女の先生の顔を思い出した。ぼくの担任の先生でもなく、別段、親しく教えてもらったこともない先生なのに……ふしぎなことがあるもんですねえ」  と、語っている記事を、筆者はスポーツ紙で読んだことがあるし、筆者も何度か、そうした経験をもつ。  ところで、その日の客人の名は、たしか、湯本宗泉《ゆもとそうせん》といい、幕府の表御番《おもてごばん》医師をつとめていたように、父からきいた。  父と湯本宗泉との関係について、くわしくは知らぬ八郎だが宗泉は何度か父を訪ねて来たし、父も、おそらく宗泉邸を訪問していたのであろう。  八郎の父より十余も年上の湯本宗泉は、もはや、この世の人ではない。  さて……。  父と宗泉の、酒の給仕をしながら、少年だった波切八郎は、父へ語りかける湯本宗泉の言葉を記憶していて、それが急に、いまの八郎の脳裡へ閃《ひらめ》いたのであった。  その言葉とは、つぎのようなものだ。  父の波切太兵衛が、親しい剣客《けんかく》のことにふれて、 「それが宗泉先生。急に、別人のごとく、人柄《ひとがら》が変ってしまいまして……」  と、いうのへ、湯本宗泉はうなずき、 「よくあることでござるよ。それは、その折の、人びとそれぞれにちがう星の累及《るいきゅう》によるものでおざろう」  つまり、中国の干支九星学や易学や陰陽学《おんようがく》などによれば、天地の軌《みち》と、人それぞれの生年月日による星との関係は、年毎《としごと》に変るものなのだそうな。  その年々、月々、日々によって、人それぞれに、大自然の運行がさだめた星の上へ移り変ってゆく。  その影響を受ける人もあり、それが表にあらわれぬように見える人もあるが、だれもが影響を受けていることは、 「たしかなことのようにおもわれる……」  と、湯本宗泉はいった。  それを知らずして、たとえば殺気や災難にみちみちた星の方位へ身が移ったりするときは、 「われ知らず、その星の殺気が心身に移るゆえ、人が変ったようになってしまうのじゃ」  と、なんでも、そのようなことを湯本宗泉が類例をあげて説明したとき、父の太兵衛が、おどろきと感服の面《おも》もちで聞き入っていたのを、波切八郎は、いま思い出したのである。  そしてまた、年が変り、自分の星が本来の姿にもどったときは、その人もまた、以前の人柄にもどる。 「なれど、そのときはすでに遅く、殺気・災難の星の影響をうけ、おのれの運を失う人も多いそうな……」  たしか、湯本宗泉は、そういっていた。 (ふうむ……)  波切八郎は、この三年間の自分をかえりみて、 (水野|新吾《しんご》を成敗した年の自分は、まるで、自分が自分ではないような……)  おもいがしたことも、想起した。  医師の湯本宗泉は、交際がひろく、おそらくは陰陽学などの研究家から聞いたはなしを、波切太兵衛につたえたのであろう。 (三年前の、あのときの自分と、いまの自分とは、めぐって来た星がちがっているのだろうか……?)  これまでに、自分が為《し》てのけてきたことは、剣客として、 「取り返しのつかぬこと……」  と、いってよい。  人の世の物事は、すべて、歳月が解決するといわれているが、いまの自分は少くとも、水野新吾を斬り、高木勘蔵を討ち、岡本弥助と共に京都へ逃げたときのような、追いつめられて虚《うつ》ろな自分ではないような気がしてきた。 「もし……もし、波切先生……」  切迫した岡本の声に、八郎は我に返った。 「岡本さん。おぬしへの義理立ては、すんでいるはずだ。ちがうか?」 「いえ……」 「去年までの私と、いまの私とは、別人だとおもってもらいたい」 「はあ……」 「納得ができぬか?」 「納得しております。なれど、先生……」 「またも、天下《てんが》のために人を斬れというのか?」  岡本は沈黙した。 「此処《ここ》は、おぬしのなじみ[#「なじみ」に傍点]の店か?」 「さよう……」 「岡本さん……」  よびかけて、八郎は岡本の盃へ酌をしてやった。 「私に、たのみごとをせぬと約定《やくじょう》してくれるなら、こうして、たまさかには酒を酌みたい。世間ばなしもしたいとおもう。どうであろう?」  岡本は、歯を食いしばるようにして、またも沈黙した。  あぐねたように嘆息を洩《も》らした波切八郎が、 「それができぬというなら、今日のように道で出合《でお》うても、知らぬ顔をして別れるばかりだ」 「せ、先生……」  岡本弥助が、すがりつくような眼の色になって、 「こたびのことは、失敗《しくじり》がゆるされぬのです」  と、いった。 「よさぬか、岡本さん」 「おちから[#「おちから」に傍点]を貸していただけるならば、すべて、申しあげます」  これは、岡本弥助をはたらかせている幕府関係の秘密を、打ちあけようというのであろうか。 「私が聞いても仕方のないことだ」 「聞いて下されば、私の立場もわかっていただけるかとおもいます。私は、堀大和守《ほりやまとのかみ》様の……」  懸命に言いかけようとする岡本へ、 「やめぬか」  波切八郎は、きびしく制止し、大刀を手に立ちあがった。 「先生。お待ち下さい」  血相を変えて、これも立ちあがった岡本弥助へ、 「むだ[#「むだ」に傍点]なことだ」  の一言を残し、八郎は小廊下へ出た。  岡本は、追って来《こ》なかった。  さすがに、あきらめざるを得なかったのであろう。      六  湯島の切通しから、上野|広小路《ひろこうじ》へ出た波切八郎の後を尾《つ》けて来る者はいなかった。  今度、岡本弥助《おかもとやすけ》が命じられた暗殺の相手は、 (よほどに、手強《てごわ》いらしい……)  と、八郎は看《み》た。  岡本ひとりでは、目的を達することができないのであろう。  また、他の刺客《しかく》をあつめても、歯が立たぬ相手らしい。  それでなければ、今日の岡本が、あれほどにおもいつめた様子を見せるわけがない。  それが、岡本の〔演技〕ではないことを、八郎は見ぬいている。 (その相手とは、どのような遣い手なのか……)  波切八郎は、微《かす》かに身ぶるいをした。  剣客《けんかく》としての闘志が、久しぶりで、八郎の五体を熱くしてきはじめた。 (世間は、ひろい……)  のである。  たとえば、お信《のぶ》にたのまれて討ち取った高木勘蔵にしても、剣客としての名前が江戸の剣術界に知れているわけでもない。  これといって、素姓もない浪人にすぎぬ高木勘蔵は、恐るべき剣客であった。  あの夜の、高木との決闘は、いまも八郎の夢に、しばしばあらわれる。  高木の巨体と刃風《はかぜ》が、夢を見ている八郎を押しまくり、はっ[#「はっ」に傍点]と目ざめたときには、八郎の全身が冷汗《ひやあせ》に濡《ぬ》れつくしていることもあった。 (高木勘蔵のような剣客が、まだまだ、いくらも世に埋もれているに相違ない)  このことを想《おも》うとき、一道場の主《あるじ》であった過去の自分が、いかに狭い枠《わく》の中に生きていたかを、みとめぬわけにはゆかぬ。  今日の岡本弥助の様子は、 (徒事《ただごと》ではなかった……)  となれば、目ざす相手も、 (徒ならぬ剣客……)  なのではあるまいか。 (立合ってみたい……)  八郎の胸が、さわぎはじめた。  だが、八郎はかぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。  せっかくに見出《みいだ》そうとしている新生の道を、 (見失ってはならぬ)  と、おもった。  真剣を揮《ふる》い、相手を斬《き》って殪《たお》したときの充実感は、道場において、木太刀で打ち合うのとは、まったくちがう。真剣の斬り合いにくらべれば、木太刀の稽古《けいこ》は子供の遊びといってもよいほどだ。 (いかぬ。何という愚かなことを……)  いつの間にか、夕闇《ゆうやみ》が夜の闇に変りつつあった。  上野広小路の盛り場の灯火の中に、せわしげに人びとが行き交っている。  冷たい風が出て来た。  波切八郎は、五条天神社の前を行き過ぎようとして、ふと、足を停《と》めた。  五条天神の門前に〔西村屋伊兵衛《にしむらやいへえ》〕という書物問屋がある。  その店先へ通りかかった八郎が、何やらを思いついたように、西村屋の店内へ入って行き、 「武鑑《ぶかん》を見せてもらいたい」  と、番頭にいった。 〔武鑑〕とは、大名や旗本の氏名から役職・官位などを記《しる》した人事録とも紳士録ともいえるもので、武家のみならず、商家にとっても必需の書物だ。  簡便な小冊から、詳細に記載された大冊数巻|揃《ぞろ》えのものまで、いくつもの種類が発行されている。  八郎が西村屋で買い求めたのは、一巻本ながら充分に役立つと見られる武鑑であった。  間もなく、八郎は三《み》ノ輪《わ》の笠《かさ》屋の二階へもどった。  いつものように、白鳥《はくちょう》(大きな徳利《とくり》)には酒が満たされている。  笠屋|茂平《もへい》の女房《にょうぼう》が、熱い餡《あん》かけ豆腐を運んで来て、 「旦那《だんな》。お腹《なか》のぐあいはどうですね?」 「何か、食べさせてもらえるか?」 「根深汁《ねぶかじる》に目刺しぐらいなものですがね」 「結構だ。たのみます」 「へい、へい」  階下へもどった女房が茂平に、 「二階の旦那、このごろは大分に変ってきたねえ。よく口もきくし、何といったって目の色がちがう」 「以前は、何かこう、凝《じっ》と考え込んでいるような……妙に暗い目つきをしていなすったが……」 「根深汁と目刺しでいいとさ」 「そりゃあ、よかった。すぐに仕度をしておあげ」  八郎は白鳥の冷酒を茶わんへ汲《く》み入れ、武鑑をめくりはじめた。  先刻、岡本弥助が湯島天神の料理屋で、 「私は、堀|大和守様《やまとのかみさま》の……」  いいかけた言葉を、八郎は書物問屋の前を通りかかったとき、おもい出したのである。  堀大和守という大名の名前は、八郎の記憶にない。  すると、旗本なのか……。  その名は、間もなく見出すことができた。 〔堀大和守|直行《なおゆき》〕  は、五千石の大身《たいしん》旗本で、屋敷は深川の島田町《しまだちょう》にある。  役目にはついておらず、寄合《よりあい》に列している。 〔寄合〕というのは、役目についていない旗本の名称といってもよい。 (堀大和守……旗本か……)  その役目についていない大身の幕臣が、岡本弥助の背後にいる。  岡本へ、暗殺の指令をあたえているのは、堀大和守なのか、どうか……。  笠屋の女房が、夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を運んで来た。 「私がやる」 「さよですか。それじゃあ、お願い申しますよ」  女房が階下へもどり、 「今度は、ばかに、むずかしい顔になっていなすったよ」 「ふうん……」 「何だか、むずかしい本を見ていなすったようだがね……」 「そうだろうとも。笑いながら、むずかしい本は読めねえや」 「そりゃ、まあ、そうだねえ」 「寒くなってきやがった。後で、二階の旦那へ炬燵《こたつ》を入れておやり」 「旦那ったら、二晩もうち[#「うち」に傍点]をあけて、あの女のひとのところへ泊ったのかねえ?」 「婆《ばあ》さん。よけいなことに、目を向けるのじゃあねえよ」 「あい、あい」  笠屋と通りをへだてた川魚料理屋〔川半《かわはん》〕の二階座敷では、伊之吉《いのきち》が、おもしろくもなさそうに酒をのんでいる。  伊之吉は時折、眼《め》を据《す》えて、ぶつぶつとわけのわからぬことをつぶやいたりした。  湯島天神の料理屋〔三好野《みよしの》〕の二階座敷では、岡本弥助が、まだ酒をのんでいた。  あれから、茶わんで呷《あお》るようにのみつづけている岡本なのだが、のむほどに蒼《あお》ざめた顔色となり、すこしも酔わぬ。      七  深川は、江戸の水郷である。  深川の地は、古いむかし、大川(隅田川《すみだがわ》)の河口に近い三角洲《デルタ》だったという。  徳川家康《とくがわいえやす》が、はじめて江戸へ入国したころ、赤坂の溜池《ためいけ》や上野の不忍池《しのばずのいけ》にも江戸湾の海が入り込んでい、現代の日比谷《ひびや》公園のあたりは海辺であった。  その海辺に、板屋根や藁屋根《わらやね》の漁師の家が散在していたかとおもえば、現代東京の姿との、あまりの隔絶に、 (夢を見ているような……)  おもいがする。  ある人のはなしによると、銀座のビルの地下にある酒場などでウイスキーをのんでいると、日と時によっては海のにおい、汐《しお》の香が、どこからともなくただよってくるそうな。 「むかしは、あの辺、みんな海の底だったのですな」  と、その人はいった。  深川は、徳川氏の城下町の開拓の一端を担《にな》い、摂津《せっつ》出身の深川八郎右衛門《ふかがわはちろうえもん》と、紀州から来た熊井理右衛門《くまいりえもん》の二人が徳川氏へ願い出て、開拓をはじめた。  深川は海にのぞみ、その海水や大川の水を引き入れた堀割《ほりわり》や運河が四通八達しており、大小の舟が無数に行き交うという……一種特別の雰囲気《ふんいき》があり、筆者の少年時代までは、江戸の面影《おもかげ》を、かなり色濃くとどめていたようにおもう。 「江戸のころの深川は、イタリアのベニスだよ」  そう言った人もいる。  しかも、深川は徳川将軍の城下町である江戸の一部なのだから、土地の美しい風景が江戸文化の洗練を受け、さらに独特の風俗を生んだといえよう。  木場《きば》に、江戸の材木商があつまっているのも、水運の便利があるからだし、富岡八幡宮《とみおかはちまんぐう》を中心にした門前町のにぎわいも、なかなかのものだ。  深川に住む人びとは、大川に懸かる永代橋《えいたいばし》を西へわたるにも、 「ちょいと、江戸へ行ってくる」  などという。  深川には諸大名の下屋敷(別邸)も多いが、旗本の屋敷もないではない。  木場と堀割ひとつをへだてた入船町《いりふねちょう》の角地に、小ぎれいな居酒屋がある。  その入れ込みの一隅で、羽織・袴《はかま》をつけた波切八郎が、しずかに酒をのんでいた。  湯島天神の料理屋で、岡本弥助《おかもとやすけ》と別れた翌日の午後であった。  空はどんよりと曇っていて、冷えこみが強《きつ》い。  小女《こおんな》が、かわりの酒を運んで来たのへ、 「向うの御屋敷は、どなたの御屋敷なのだ?」  閉めてある北側の窓の障子を指し、八郎が尋《き》いた。 「堀|大和守《やまとのかみ》さまの、お屋敷だときいています」 「さようか……」  小女は、酒を置いて去った。  十坪ほどの板敷きに貴子《すのこ》を敷いた入れ込みには、八郎のほかに老人の客が一人だけだ。  しばらくして、波切八郎は居酒屋を出た。  堀割沿いの道の右側から北へ、木場の材木置場が、びっしりとならんでいる。  堀割をへだてた前方、やや左手に、大きな武家屋敷が見える。敷地は五、六千坪もあろうか。  これが、五千石の大身《たいしん》旗本・堀大和守|直行《なおゆき》の本邸らしい。  塗笠《ぬりがさ》をかぶり、道へ出た波切八郎が堀割沿いの道を左へ曲りかけ、はっ[#「はっ」に傍点]と身を引いた。  堀割に懸かる入船橋を、向う側へわたって行く岡本弥助を見たからである。  岡本は、八郎に気づいていない。  岡本も塗笠をかぶっていたが、顔は見えなくとも、一目で八郎はそれ[#「それ」に傍点]とわかった。  岡本弥助は、うつむきかげんになり、左手をふところへ入れ、何やら悄然《しょうぜん》として橋をわたって行った。  八郎は居酒屋の蔭《かげ》から、これを凝《じっ》と見まもった。  曇り空の何処《どこ》かで、鳶《とび》が鳴いている。  八郎の目の前の堀割を、小舟がひとつ、ゆっくりと辷《すべ》って行く。  堀大和守の長屋門の前へ立った岡本が、潜《くぐ》り門《もん》の扉《とびら》を叩《たた》いてから、あたりを見まわした。  潜り門の扉が開き、門番が半身を見せ、岡本を中へ入れた。  これを見とどけてから、波切八郎は身を返して歩みはじめた。  入船橋の南詰《みなみづめ》を過ぎ、左へ折れて汐見橋《しおみばし》をわたり、富岡八幡宮の門前へ出る。  ここまで来ると、冬の曇り日でも、さすがに人出が多い。  門前の菓子舗・亀屋《かめや》へ入った八郎は、名物の紹鴎饅頭《じょうおうまんじゅう》を二つの箱へ詰めさせた。  波切八郎が穴八幡裏の鞘師《さやし》・久保田《くぼた》宗七方へあらわれたのは、夕暮れどきになってからだ。  二階へあがってから、八郎が、 「これを一箱、階下《した》へ……」  と、饅頭の箱を、お信《のぶ》の前へ置き、 「一箱は、お信どのへ」 「まあ……」  目をみはったお信が、 「八郎さまに、このような、おみやげをいただくのは初めてでございます」  八郎は、顔をそむけた。  照れたのであろう。  菓子箱の包紙《つつみがみ》を見て、 「深川へ、おいでになりましたのか?」  と、お信がいった。 「うむ……」 「めずらしいところへ……」 「さよう」  深川などへ、何の用事があってのことか、それを知りたかったらしいが、お信はあえて尋ねず、熱い茶をいれて八郎へ差し出した。  お信の部屋には、小さな炬燵《こたつ》がしつらえてある。  お信は炬燵へ身を入れ、八郎の左手をにぎりしめた。  行燈《あんどん》には、まだ灯《あか》りが入っていない。  いつとはなしに、二人の唇《くち》と唇とがひた[#「ひた」に傍点]と合わされ、お信が喘《あえ》ぎつつ、 「早《はよ》う、京へ行きとうございます」  ささやいてよこした。  八郎は、こたえぬ。 「八郎さま……」 「む……」 「今夜は、あの……」 「泊めていただこう」 「うれしい……」 「お信どの」 「あい」  こたえる声も、甘やかであった。 「お信どのは、堀大和守という大身の旗本を知っておられるか?」 「堀、やまと……?」 「大和守。五千石の大身なのだが……」  夕闇《ゆうやみ》がたちこめている部屋の中で、お信は顔をあげ、視線を壁の一角へとどめ、考えていたようだが、 「耳にした、おぼえがありまする」 「いつ、どこで?」 「たしか、橘屋《たちばなや》で……」 「では、橘屋|忠兵衛《ちゅうべえ》から聞いたのか?」 「そのようにおもえます」 「どのようなことを耳にしたか、おもい出せぬか?」 「さあ……」  このとき二階へあがって来た、少年《こども》の弟子の為三《ためぞう》が、 「お信さま。あの、お師匠さまがおよびです」  小廊下から声をかけてよこした。 「あ……いま、すぐに」  と、お信は炬燵から出て、 「お酒の仕度も忘れてしまいました。八郎さま。堀大和守様のことを伯父に尋ねてみましょう」 「いや、待て」 「え……?」 「尋ねるときは、私から尋ねる」  立ちかけて、お信はいぶかしげに、 「その、大身の御旗本と八郎さまとは、どのような?」 「いや、私のことではない」  岡本弥助に関《かか》わることなのだ、と、いいかけて八郎は口を噤《つぐ》んだ。      八  堀|大和守《やまとのかみ》について、お信《のぶ》の記憶がよみがえったのは、この日の夜更《よふ》けであった。  激しさを秘めた二人の、密《ひそ》やかな愛撫《あいぶ》が終ってのち、眠りに入ったかとおもっていたお信が、 「八郎さま……もし……」 「うむ?」  波切八郎が目をひらくと、お信は身を寄せてきて、 「あの、堀大和守様の……」 「何か、おもい出してくれたか?」 「はい。くわしいことは何も存じませぬが……」 「かまわぬ。どのようなことでもよい」 「橘屋《たちばなや》へも、たしか一、二度、お忍びで見えたようにおもいます」 「堀大和守が?」 「はい。その折に……橘屋が、私にそっ[#「そっ」に傍点]と申しました」 「ふむ、ふむ」 「大和守様は、八代様《はちだいさま》が紀州から、おつれになった御家来だとか……たしか、そのようなことを申していたように……」 「ふうむ……」  八郎は、低く唸《うな》った。  なるほど、 (腑《ふ》に落ちる……)  ところがないでもない。  お信が「八代様」といったのは、八代将軍・徳川|吉宗《よしむね》のことである。  九代将軍位を、わが子の徳川|家重《いえしげ》にゆずりわたし、大御所《おおごしょ》となっていた吉宗が病歿《びょうぼつ》したのは、去年の夏のことであった。  吉宗は、徳川御三家の一、紀州の徳川家の二代領主・光貞《みつさだ》の四男に生まれている。  生母は、光貞の家臣・巨勢利清《こせとしきよ》のむすめで、光貞の側室となり、吉宗を産んだ。  生母の実家は、紀州・巨勢村の農家であったそうな。  吉宗には、すでに兄たちがいたし、生母の身分が低かったこともあり、はじめは越前《えちぜん》の国において三万石の所領があたえられたにすぎない。  それが後に、紀州本家五十五万五千石の跡目をつぐことを得たのは、二人の兄が相ついで病死をしてしまったからだ。  ときに、徳川吉宗は二十二歳。  五代藩主となった吉宗は、窮乏にあえいでいた紀州藩の財政を、みごとに回復させた。  一に倹約、二に文武の奨励、三に人材の登用。  この三つを主軸に、吉宗は、みずから先に立って支出を押え、行政の改革に踏み切り、農業生産力の増大をはかった。  その手腕と実績は、 「天下の注目をあつめた……」  と、いってよい。  一方、徳川将軍は、六代|家宣《いえのぶ》の後に、幼年の家継《いえつぐ》が七代将軍となったが、わずか三年にして病歿してしまった。歿年は八歳。徳川幕府の最年少の将軍ということになる。  その家継が危篤《きとく》におちいったとき、折から、江戸・赤坂の紀州屋敷にいた吉宗が江戸城へまねかれ、将軍の後見役をいいわたされたのである。  さらに、家継が死ぬや、吉宗は八代将軍位につくことになった。  このときは、御三家の水戸《みと》・尾張《おわり》の徳川家も将軍位をねらっていたし、幕府閣僚たちの勢力争いもからみ、 「一口にはいえぬ……」  複雑な事情があったそうな。  吉宗は、初代将軍・徳川家康の曾孫《そうそん》にあたり、将軍となってからは、 「中興の名君」  などと、よばれるほどに、精力的な活動をして、どうにか、おとろえかけた幕府の威光を復活させたといってよい。  ところで……。  徳川吉宗は、紀州家から江戸城へ移るに際し、かねがね、自分が目をつけていた家来たちを江戸へともなってきた。  たとえば、のちに幕府の老中として、その権勢を誇った田沼意次《たぬまおきつぐ》の父・意行《おきゆき》も、その一人である。  田沼意行は、紀州藩主だったころの、吉宗の小姓をつとめていたが、吉宗の気に入られて江戸へともなわれた。こうなると、もはや紀州家に仕えているわけでない。  将軍の家来ということになるのだから、当然、幕臣に取りたてられることになる。  田沼意行は、はじめ三十俵の軽い身分にすぎなかったが、後には九百石の旗本に立身をした。  田沼意行|亡《な》きのち、その子の意次が家をつぎ、現在は二千石の大身《たいしん》に出世をし、将軍家の御側御用取次《おそばごようとりつぎ》という重い役目をつとめている。  この意次が、幕府の老中となるまでには、まだ二十年を待たねばならぬ。 (そうか……堀大和守は吉宗公が紀州から連れて来た家来であったのか……)  それが、いまは五千石の大身旗本になっている。  二千石で、将軍家重の側近く仕えている田沼意次よりも、ずっと大身の旗本なのだ。  それでいて堀大和守は、何年にも役目についていない。  前将軍が、 「これぞ……」  と、見込んで江戸へ連れて来たほどの人物なのだから、堀大和守は、それ相応のはたらきをして、出世をしたと見なくてはなるまい。 (以前には、どのような御役目をつとめていたのだろうか?)  いずれにせよ、岡本弥助《おかもとやすけ》が堀大和守の下で、密かなはたらきをしていることは、 (略《ほぼ》、間ちがいはない……)  と、波切八郎は看《み》た。  すると、 〔徳川吉宗—堀大和守—岡本弥助〕  という関係が生じてくる。  吉宗が将軍として威勢さかんなころは、独自の隠密《おんみつ》組織をもっていたといわれている。  波切八郎は、目黒の道場に暮していたころ、道場の庇護者《パトロン》の一人だった大身旗本の秋山出雲守《あきやまいずものかみ》が、 「八代様の手足となってはたらく人びとの中には、おもいもかけぬ人がおるらしい」  と、洩《も》らしたことがある。  吉宗は、こうした隠密組織によって、諸国大名や旗本たちのうごきを探り、おのれの独裁政治に役立てていたというのだ。  このはなしを、秋山出雲守から聞いたときには、 (そうしたものなのか……)  そう思っただけで、八郎は、すぐに忘れてしまっていた。  ひたすら、剣一筋に生きぬいていた波切八郎にとって、天下の政治などには関心が向けられなかった。  しかし、いまこのとき、以前に聞いた秋山出雲守の言葉が、はっきりと脳裡《のうり》へよみがえってきたのである。 (もしやして?)  堀大和守は、前将軍吉宗に命じられて、隠密のはたらきをしていたのではあるまいか。  八郎は沈黙した。  つぎからつぎへ、想像の波紋がひろげられてゆく。 「八郎さま、どうなされました?」  ささやいて、お信が八郎の腰のあたりへ腕を巻きつけてきた。      九  翌日の午後になり、波切八郎は鞘師《さやし》の家を出た。  堀|大和守《やまとのかみ》について、鞘師・久保田《くぼた》宗七へ問いかけることは、 (まだ、早い)  と、八郎はおもった。  久保田宗七は、元|真田《さなだ》藩士でもあり、鞘師としても諸方の武家や大名家の注文を受けている関係から、諸家の内幕についても、 「いろいろと、知っているようでございます」  お信《のぶ》は、そういったが、 「いや、このことは宗七殿へ洩《も》らさぬように……尋ねるときは私から尋ねる」  八郎は、念を入れておいた。 「なれど、その堀大和守様と八郎さまとは、どのような……?」 「さしたることではないのだ、お信どの」  しかし、お信は気がかりの様子であった。  再会してからの八郎が、以前に橘屋《たちばなや》の離れにいたころの八郎とは、 (どこかが、ちがう……)  ように、お信はおもわれてならぬ。  女の鋭い直感で、八郎の身辺にただよう秘密の匂《にお》いを嗅《か》ぎとっていたのであろう。 (あれから、八郎さまは何処《どこ》で、どのように暮しておいでになったのだろうか?)  お信が、さりげなく、そのことにふれると、 「ただ、ぼんやりと、日を送っていた」  と、八郎はこたえる。  それが事実ではないことを、お信は感じている。  お信が、そのように感じていることを、八郎もまた察知していた。  昨夜、お信は八郎の胸肌《むなはだ》へ顔を埋めて、 「早《はよ》う、江戸を発《た》ちましょう」  ささやいてよこした。  その声音《こわね》には、あきらかに不安の想《おも》いがこもっていたのである。 (そうだ。やはり、丹波《たんば》の石黒素仙《いしぐろそせん》先生の許《もと》へ行こう。すべては、それからだ)  歩みつつ、波切八郎の思案が、どうやらまとまりかけたようだ。  この日、八郎は音羽《おとわ》から大塚《おおつか》へ出て、小石川、本郷への道順をとった。  団子坂《だんござか》を東へ下り、谷中《やなか》から上野山内を抜け、三《み》ノ輪《わ》へ帰るつもりであった。  団子坂を下りきったとき、早くも夕闇《ゆうやみ》がたちこめている。  考え事をしながら、ゆっくりと歩んでいたため、おもいのほかに時間がかかってしまった。  それに気づいて、八郎が足を速めたとき、どこかで男の悲鳴がきこえた。 (はて……?)  あたりを見まわすと、右側の寺院の横道で、人影がうごいている。  二人の侍が、中年の町人を蹴倒《けたお》し、殴りつけたり、町人の顔を草履《ぞうり》で踏みつけたりしていた。 「ごかんべんを……ごかんべんを……」  と、町人は鼻血をふき出し、泥《どろ》まみれになって、泣きながらあやまっているのを、 「こやつ、武士の魂(刀)に打ち当っておきながら、黙って立ち去ろうとしたのは、何事だ!!」 「ゆるさぬぞ。おもうさま、痛めつけてくれる!!」  酒に酔った侍たちの乱暴は、熄《や》むことを知らぬ。  この時刻の、この場所には、ほとんど人通りもない。  八郎は、寺院の横道へ入って行った。  侍たちの暴行を見て、そ[#「そ」に傍点]知らぬ顔で立ち去ることはできなかった。  これが、波切八郎という剣客《けんかく》の本質である。  人間の本性《ほんしょう》というものは、時によって姿を隠してしまうが、いざともなると、それがあらわれてくる。  良きにつけ、悪《あ》しきにつけ、人間が幼年から少年のころまでに育《はぐく》まれた本質は、 「絶対に消えぬ」  と、いってよい。  おそらく、町人は、この細道で二人の侍と擦れちがったとき、侍の刀の鞘にでも躰《からだ》が触れたのであろう。  侍たちは、それを咎《とが》めた。  酒に酔っていた所為《せい》もあろうが、彼らは何やら胸に憤懣《ふんまん》でもあって、それが町人へ向ってほとばしり出たものか……。  二人とも、本郷か小石川に屋敷を構える大名か旗本の家来のように見えた。 「お助け……ごかんべんを……」  町人の悲鳴は、弱々しい哀訴に変ってきた。  このときに八郎が団子坂を下って来たなら、その声も耳へ入らなかったろう。  塗笠《ぬりがさ》をかぶったまま、寺院の土塀《どべい》に沿って近寄った波切八郎が、 「もし……ゆるしておやりなされ」  おだやかに声をかけた。  足音もたてずに近寄って来た八郎に、はじめて気づいた侍たちが、はっ[#「はっ」に傍点]と振り向き、 「な、何だ、おのれは……」 「通りがかりの者です」 「何!!」 「立ち去れ!!」 「ゆるしておやりなされ」 「おのれ、何者だ?」 「名乗るほどの者ではない」 「ぶ、無礼な」  笠の内で、八郎は低く笑った。 (無礼とは、片腹痛い……)  まさに、このことではないか。  血まみれの顔になった町人は、這《は》うようにして逃げにかかった。  これを見た若い侍が、 「こやつ、逃げるか!!」  おもいきり、町人の腰を蹴った。 「およしなさい」  と、一歩出た波切八郎へ、 「おのれ、笠をとれ!!」  中年の侍が喚《わめ》いた。  八郎は、それにこたえず、町人へ、 「これ、立ち去るがよい」  声をかけて、二歩、三歩と進み出た。  その瞬間に、 「邪魔するな!!」  叫びざま、中年の侍がいきなり八郎へ抜き打ちをかけた。      十  その一刀は、かなり鋭かった。  身を引いた波切八郎の、塗笠《ぬりがさ》の縁を切り割ったほどだ。  八郎も、まさかに、侍が切りつけてくるとはおもわなかった。  もしも、八郎が笠をかぶっていなかったなら、その眼光の尋常ではないのを見て、侍も無茶なまね[#「まね」に傍点]はしなかったやも知れぬ。 「ぬ!!」  さらに身を引いた八郎へ、侍が二の太刀を送り込んだ。  侍の刃風《はかぜ》を、右斜《みぎななめ》に飛びちがって躱《かわ》した八郎が振り向きざまに抜き打った。 「う……」  八郎の一刀は、これも向き直った侍の左腕の肘《ひじ》のあたりを浅く切り裂いている。  このときまで、八郎は侍を斬殺《ざんさつ》するつもりはなかった。  若い侍は蒼《あお》ざめ、立ちすくんでいた。  町人は、必死に逃げはじめた。 「よせ」  右手《めて》に大刀を引提《ひっさ》げたまま、息もはずませずに八郎が、 「無益《むやく》……無益」  と、いった。  中年の侍は、こたえぬ。  侍は、すっかり逆上してしまっていた。  刀を引こうともせず、上段に振りかぶった。  幅三間の細い道に、八郎と侍は対峙《たいじ》している。 「よせ、よせ」  夕闇《ゆうやみ》が濃くなってきた。 「よさぬか」  二度、三度と、八郎はたしなめたが、こちらも刀を引くことはできぬ。  刀を引けば、相手はつけこんで、さらに襲いかかるにちがいない。  この場を立ち去ろうとして背中を見せれば、かならず切りつけてくる。 「むう……」  低く唸《うな》り、侍が必殺の気合をこめ、じりじりと間合《まあい》をせばめてきた。  波切八郎は舌打ちをした。 (こやつ。さほどに、死にたいのか……)  八郎の背筋に冷たいものが疾《はし》った。  久しぶりに味わう感覚である。  これも一種の殺気が生じたといってよかろう。  八郎の右手の剣の切先《きっさき》が、わずかに上がり、左足が半歩下った。  そのとき、侍が激烈な気合声《きあいごえ》を発して刀を打ち込んできた。  八郎の大刀は、これを下から擦りあげている。  満身のちから[#「ちから」に傍点]をこめて打ち込まれた侍の刀を、八郎は片手の大刀で撥《は》ねあげたのだから、力量の差はどうにもならぬ。  侍は、よろめいた。  その頸《くび》すじへ、空間に一回転した八郎の大刀が疾った。 「うわ……」  頸部《けいぶ》の急所を切り割られた侍が大刀を放《ほう》り出《だ》し、横ざまに倒れた。  波切八郎は早くも返り血を避けて身を引き、腰を沈めて若い侍を注視した。  若い侍は両手を泳がせ、声も出ぬままに逃げかけている。  町人の姿は、もう見えなかった。  八郎は、身ぶるいをした。  真剣での立合いに勝ったときの、本能的な快感であったのやも知れぬ。  刀をぬぐって鞘《さや》へおさめつつ、あたりを見まわしたが、人に見られた様子もない。  寺と寺の間の細道から、波切八郎は一気に走り出て行った。  三《み》ノ輪《わ》の笠屋茂平方の二階へもどった八郎へ、茂平の女房《にょうぼう》が上って来て、 「お腹《なか》のぐあいは?」  と尋ねた。 「何か、食べられるなら、仕度を……」 「あい、あい」  女房は階下へもどって来て、茂平に、 「今夜の二階の旦那《だんな》は、ちょいと変だよ」 「何が?」 「何がって……何だか変だ」 「何をいってやがる」 「目がねえ、お前さん……」 「目だと?」 「旦那の目が、何だか、こう、きらきら[#「きらきら」に傍点]と光っていてねえ」 「それがどうした?」 「どうしたといわれても……」 「昨夜《ゆうべ》は、いつもの、あの女のひとのところへお泊りなすったのだろう。いいおもいをしているときの男の目は、きらきら光るものさ」 「お前さんの目なんぞ、むかしから光った例《ためし》がない」 「光るような相手がいなかったからよ」 「へえ、お気の毒さま」  間もなく、女房が夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を持って二階へ行くと、波切八郎は着替えをすましていて、 「すまぬな」  しずかにいった。 「何もありませんでねえ」 「いや、結構」 「では、お願いを……」 「うむ」  八郎が食事の給仕を好まぬと知っている女房は、すぐに出て行った。  夜が更《ふ》けた。  階下の老夫婦は、すでに寝入っている。  波切八郎は端座して、河内守国助《かわちのかみくにすけ》がきたえた二尺四寸五分の愛刀を行燈《あんどん》へ近づけ、凝《じっ》と見入った。  切先に、わずかな血曇りが残っているのみだが、相手の打ち込んできた刀を擦りあげた痕《あと》が残っていた。 (この刀を、研ぎに出しておかねば……)  と、おもった。  京都にいたころ、岡本弥助《おかもとやすけ》にたのみ、研ぎに出したことがある。  研師が見れば、人の血を吸ったかどうか、たちまちにわかってしまうので、迂闊《うかつ》には研ぎに出せぬ。  こうしたときに、岡本弥助がいれば、まことに便利なのだ。  八郎は、国助の愛刀のほかに、亡父の形見の越前康継《えちぜんやすつぐ》二尺四寸余の大刀を所持している。  そのほかにも、亡父や自分の刀を合わせて十|振《ふり》ほど道場に残してきたが、これは老僕《ろうぼく》の市蔵が刀箪笥《かたなだんす》と共に秋山小兵衛へあずけてあるそうな。 (それにしても、秋山小兵衛殿とは、ふしぎな縁《えにし》が……)  そうおもわざるを得ない。  小兵衛との決闘の約束を、われから破った八郎は、剣客《けんかく》として、二度と小兵衛に顔を合わすことができぬといってよい。  その八郎に仕えていた市蔵が、いまは秋山小兵衛の世話になっているのだから、八郎としては、重ね重ねの負い目を負ったことになるのだ。 (また、人を、斬《き》ってしまった……)  深いためいき[#「ためいき」に傍点]が、八郎の口から洩《も》れた。  やむを得ずに斬った……と、いえぬこともない。  しかし、今日の相手は、殺さずにすまそうとおもえば、それが可能の相手であった。  かつて、八郎が橘屋《たちばなや》の離れに隠れていたころ、砂利場村《じゃりばむら》の木立の中で、近辺の農家の娘に乱暴をしようとしていた浪人者を斬って捨てたことがある。  あのときは、まさに、 (やむを得ず、斬った……)  と、いえる。 (あの浪人者は、恐るべき手練者《てだれ》であった……)  それゆえに、八郎も手かげんをする余裕がなかった。  だが、今日の侍はちがう。  刀の峰で相手の頸すじを打ち、気絶させてもよかった。それだけの余裕が八郎にはあったのだ。  けれども、あのとき、むらむら[#「むらむら」に傍点]と八郎の五体に涌《わ》き起った殺気は何であったのだろう。 (こやつを斬ってみたい……)  真剣で人を殪《たお》したときの快味に、波切八郎は取り憑《つ》かれてしまったのだろうか。  目黒の道場を出て、足かけ三年の間に、 (何人、斬ったろう……)  数え切れぬというほどではないが、これは、以前の波切八郎がおもいおよばぬことであった。  八郎が生まれてはじめて人を斬殺したのは、愛弟子《まなでし》の水野|新吾《しんご》である。  あのときの衝撃は、ついに、八郎をして、自分の生命といってよい道場を捨てて出奔せしめるに至った。  それをおもえば、今日の侍を斬ったときの八郎は、別人の感がある。  国助の愛刀を見つめる波切八郎の両眼が、しだいに細められてゆく。  深い光りを秘めた刀身に、自分の躰《からだ》が吸い込まれて行くようだ。  このとき、八郎の胸の底から急に衝《つ》きあがってきたものがある。  八郎の両眼が、活《かっ》と見ひらかれた。      十一 (やはり、何としても、秋山小兵衛殿と真剣の立合いがしてみたい……)  このことであった。  むろんのことに、平林寺《へいりんじ》での真剣勝負を、われから破棄した波切八郎が、二度とふたたび望んではならぬことだ。  それは、八郎もよくわきまえている。  いるが、しかし、真剣をもって秋山小兵衛と闘うという誘惑には抗しがたいものがある。  あきらめてはいても、 (あきらめきれぬ……)  ものがある。 (そうだ。秋山殿と真剣の立合いができたなら、もはや、この世におもい残すことはない)  いつもは、あきらめて、自分の執着を自分で嘲笑《ちょうしょう》してきた八郎なのだが、この夜は容易に胸さわぎがおさまらない。 (もしも……もしも、路上に秋山殿を待ちかまえ、有無をいわせず、こなたから斬《き》りつけたなら、秋山殿はどうなさるか?)  それを想《おも》うだに、八郎の心の昂《たかぶ》りがつのってくる。 (見たい。そのときの秋山殿を見とどけたい)  その一方では、 (またしても、私は何ということを……)  反省とあきらめとが、八郎の脳裡《のうり》をかすめてゆく。 (ああ……あのとき、何としても平林寺へおもむくのだった。惜しい。悔んでも悔みきれぬ)  あのときは、 (私は、もはや、秋山殿と立合える身の上ではない)  みずからを恥じ、約束を破った波切八郎だが、この日は久しぶりで人の血を吸った愛刀を見つめているうち、秋山小兵衛への闘志が、反省と断念を押しのけてしまう。  これが、剣士というものの血なのであろうか。  秋山小兵衛は、波切八郎が念願の真剣勝負の相手にえらんだ、ただ一人の剣客《けんかく》であった。  剣士としての正規の手つづきによる真剣勝負だったのである。 (名乗り出て斬りつけるか。それとも……)  いまの八郎としては、正規の手つづきを経ての勝負を申し入れるわけにはまいらぬ。  たとえ、それができたとしても、一度、剣士としての誓約を踏みにじった自分を、 (秋山殿は、ゆるしてくれようはずもない……)  ではないか。  誓約を破ったことによって、波切八郎は負けたのである。  秋山小兵衛が、このことを江戸の剣客たちへ打ちあけたなら、八郎の恥辱は層倍のものとなる。  小兵衛が、八郎について他言をしていないことは、老僕《ろうぼく》の市蔵を引き取り、親切に世話をしてくれていることによっても知れる。  小兵衛は、市蔵にも平林寺の一件を洩《も》らしていない。 (もしも……もしも、私が、小兵衛殿へ闇打《やみう》ちをかけたなら、どうなろうか?)  われながら意外の想像が脳裡へ浮きあがったとき、波切八郎は、激しく身ぶるいをした。 (見たい。そのときの秋山殿を見たい)  闇打ちは、不意打ちである。  暗殺をたくらんでいるのも同様といってよい。  それが卑怯《ひきょう》だとか、悪行だとか、そのようなことは、いまの八郎の念頭になかった。  不意に闇の底から疾《はし》り出た自分の一刀を、秋山小兵衛はどのように受けるか。ひとたまりもなく斬られてしまうか……。  それとも、八郎の一刀を躱《かわ》して立ち直るか。  立ち直って、どのように迎え撃つか……。 (見たい。そのときの秋山殿を見たい)  空が白んできたとき、波切八郎は、ようやくに、抜き持った大刀の重味を腕に感じてきたようだ。  刀を鞘《さや》へおさめ、のめり込むように臥床《ふしど》へ打ち倒れた八郎の躰《からだ》には、じっとりと脂汗《あぶらあせ》が滲《にじ》んでいた。 「むう……」  八郎は、低く呻《うめ》いた。  名状しがたい疲労が、八郎の躰を抱きすくめてきた。  たちまちに、八郎は眠りに落ちた。  どれほど眠ったか知れぬままに、夢を見た。  暗い川の中を、八郎は、もまれ、ゆられつつ、流れている。  暗い空の下の川面《かわも》は、海のようにひろびろとしていた。  八郎は、川面に横たわってい、沈みもせずに流れてゆく。まるで、水鳥のように……。 「もし……もし、旦那《だんな》……」  笠《かさ》屋の女房《にょうぼう》の声に、波切八郎は目ざめた。  枕元《まくらもと》へ来た女房が心配そうに、八郎の顔をのぞき込んでいる。 「どうなさいました?」 「う……」 「昼すぎになっても下りておいでにならないので、様子を見に来たら、ひどく、魘《うな》されていなすったので……」 「そうか……」 「どこか、お悪いので?」 「いや、何でもない。悪い夢を見ていたらしい」 「顔を、お洗いになりますかえ?」 「いや、もう少し、こうしていたい」 「さようで……」 「すまぬが、酒をたのむ」 「ようござんす」  女房は、空《から》になった白鳥《はくちょう》(大きな徳利)へ酒を汲《く》み入れ、二階へもどって来た。 「何か、おあがりになりますか?」 「いや、酒だけでよい」  女房が去った後で、八郎は白鳥の冷酒を茶わんでのんだ。 「いまにも降り出しそうな空模様でござんすよ」  と、笠屋の女房がいったとおり、部屋の中は薄暗かった。  ときに、八ツ(午後二時)ごろであったろう。  八郎は、また寝入ったが、半刻《はんとき》(一時間)ほどして、また、笠屋の女房の声に起された。 「旦那。下に、お客さんが……」 「何……」  八郎が半身を起した。  この家の二階に自分が住み暮していることを知っているのは、お信《のぶ》のみといってよい。  市蔵にも、まだ、打ちあけてはいないのだ。  お信が訪ねて来たのなら、女房は黙って二階へあげてくれる。  となると……。 (だれが、来たのだ?)  波切八郎は、枕元の大刀へちらり[#「ちらり」に傍点]と目をやってから、 「私を、三上市蔵《みかみいちぞう》と知って、訪ねて来たのか?」  と、女房へ尋《き》いた。  笠屋の老夫婦へ、三上市蔵の変名を用いていたからである。 「いえ、二階の旦那へ、そういってくれればわかるとか……」 「侍か?」 「いえ、そうじゃあございません」 「男だな」 「はい」  と、女房が、不安そうな面《おも》もちとなっているのに気づいた八郎が、むり[#「むり」に傍点]にも笑って見せ、 「では、町人か?」 「はい」 「年齢《とし》のころは、四十前後の……」 「さようでございますよ」  伊之吉《いのきち》だと、八郎は直感した。 「では、此処《ここ》へ通してやってくれぬか」 「はい、はい」  女房が出て行くと、八郎は脇差《わきざし》をつかみ、これを掛蒲団《かけぶとん》の中へ入れ、臥床の上へ正座をした。  左手に脇差をつかみ、右手で掛蒲団をはね[#「はね」に傍点]のけられるようにしておいたのである。  梯子段《はしごだん》をあがって来る足音がきこえた。  果して、伊之吉であった。 「おのれ、どうして此処を嗅《か》ぎつけたのだ?」  八郎の詰問《きつもん》を受けた伊之吉が、崩れるように両膝《りょうひざ》をついた。 「だれにたのまれた」 「せ、先生……」 「岡本弥助《おかもとやすけ》にたのまれたのか」  伊之吉の顔が蒼《あお》ざめている。  それが、薄暗い部屋の中でも、八郎にはよくわかった。  八郎は舌打ちをした。 (仕方もないことだ。こうなれば、また他の場所へ身を隠さねばならぬ)  そのとき、伊之吉が、 「もし……」  これまでに聴いたことのないような、なさけない声で、 「先生。どうか、助けてやっておくんなさいまし」 「助ける……?」 「岡本の旦那が、危《あぶな》いのでござんす」     旋風《せんぷう》      一  波切八郎《なみきりはちろう》は、臥床《ふしど》の裾《すそ》の方に両膝《りょうひざ》をついたままの伊之吉《いのきち》を、まじまじと見やった。何か、伊之吉ではない、別の男のように見えた。この男の、このように打ち拉《ひし》がれた姿を、八郎は見たことがない。  不安と絶望とが綯《な》い交ざった蒼白《そうはく》の顔の、いつもは鋭い眼差《まなざ》しが、必死に八郎へ訴えかけている。 「波切先生のほかには、岡本《おかもと》の旦那《だんな》を助けてやれる、お人はいねえので……」 「岡本さんが、だれかに斬《き》られるとでもいうのか?」 「旦那は、森平七郎《もりへいしちろう》というのを斬りに行くのでござんす」 「またか……」 「斬りに行って……斬られる覚悟なんで……」 「一人か?」 「いえ、二人ほど連れて行くことになっていますが、二人や三人の助人《すけっと》を連れて行ったところで、どうにもなるものじゃあねえ」  伊之吉は、この笠《かさ》屋の二階に波切八郎が隠れ住んでいることを知っていた。  とすれば、当然、岡本|弥助《やすけ》の耳へも入っていよう。  自分の手にあまるほどの相手ならば、八郎の助勢をたのみに来るはずだが、この前に湯島天神の料亭《りょうてい》で語り合ったときの、八郎の強い態度を見きわめた岡本は、 (たのんでみても、到底、承知をしてはくれぬ)  と、おもいきわめたのであろうか。 「私が、此処《ここ》にいることを、岡本さんも知っていたのだな」  八郎に、じわり[#「じわり」に傍点]と念を入れられ、伊之吉は頸《くび》をすくめ、 「へえ……」  と、目を伏せた。 (それで、先日、岡本さんは昌平坂《しょうへいざか》で私を待ちうけていたのだな……)  今度の暗殺も、深川に屋敷を構える旗本・堀大和守《ほりやまとのかみ》が、岡本弥助へ命じたものと看《み》てよい。  岡本をうごかしている背後の〔黒幕〕の存在を、 「伊之吉は何も知っておりませぬよ、波切先生」  以前に、岡本は八郎へ洩《も》らしたことがあった。  八郎も、そのようにおもっている。  伊之吉と岡本弥助との関係が、どのようなものかは知らぬけれども、伊之吉が岡本のためにはたらくのは、 「理屈も何もない……」  二人の間だけに通い合う感情のままに、つかずはなれずの関係がつづいているのであろうか……。 「せ、先生……波切先生……」  臥床の裾から、八郎の前へ躙《にじ》り寄って来た伊之吉が、そこへひれ[#「ひれ」に傍点]伏すようにして、 「助けてやって下さいまし。この通りでござんす」  泣くような声でいった。 「さほどに、強いのか。その、森なにがしという男は……」 「私にはわかりません。ですが岡本の旦那は、もう、これっきりだ。おれが死んでしまえば、後のことはもう知らぬ……こういって、出かけなさいました」  目を閉じた波切八郎の面《おもて》へ、血がのぼってきた。  八郎が、急に身ぶるいをしたので、伊之吉は目をみはった。 (岡本弥助が死を覚悟して立ち向うほどの相手と、立合ってみたい)  むらむらと、胸にこみあげてきた剣気に八郎は両眼をひらき、 「場所を知っているのか?」 「行って下さるので?」 「まだ、間に合うのか?」 「斬り込むのは、明日の明け方だと、そういっておいでになりました」 「ふむ。そうだろうな」  八郎が臥床の上へ立ちあがったのを見て、 「ありがとうござんす」  伊之吉が、叫ぶようにいった。  八郎は階下へ行き、井戸端へ出て顔を洗った。  夕暮れには、まだ間があったが、空は鉛色に重く、冷え冷えと曇っている。  裏手へ出て来た笠屋の女房《にょうぼう》へ、 「何でもよい。軽く腹ごしらえをしたいのだが……」 「ようござんすとも。お客さんのほうはどうします?」 「たのみます」  おもいついて、八郎は下帯ひとつになり、井戸水を何杯もかぶった。 (岡本弥助。また、二人して斬り込むことになったな……)  このことである。 (おぬし、まだ、死ぬるには早いぞ)  胸の内で、八郎は岡本へよびかけている。  伊之吉も自分と同じように、岡本弥助の、あのふしぎ[#「ふしぎ」に傍点]な人柄《ひとがら》に魅了されているのだろうか。  二階へもどった八郎は着替えをし、袴《はかま》をつけた。  何もいわぬのに、伊之吉は、お信《のぶ》が使っている鏡台の上に置かれた櫛《くし》を手にして、八郎の総髪《そうがみ》をととのえてくれた。 「伊之吉。相手は、森なにがしが一人か?」 「いえ、そのほかに、もう一人……こいつも、ひどく強いやつらしいので」  八郎が、だまってうなずいた。  やがて、笠屋の女房が早目の夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を運んで来た。  蕪《かぶら》の味噌汁《みそしる》に、葱入《ねぎい》りの煎卵《いりたまご》。それに炊《た》きたての飯であった。  女房は階下へもどり、亭主にいった。 「二階の旦那の目が、また、妙に光っていたよ」      二  岡本弥助《おかもとやすけ》が死を決して闘おうとしている、森平七郎という浪人は、大川(隅田川《すみだがわ》)の東岸も外れに近い木母寺《もくぼじ》・東面の家に住み暮しているそうな。  それを突きとめたのは、伊之吉《いのきち》ではなかったらしい。 「いえ、森平七郎の隠れ家は、だいぶ前に、別手のほうから突きとめてあったのでござんす」  と、伊之吉は、波切八郎に語った。 「別手のほう……?」  伊之吉は不満そうに、 「岡本の旦那《だんな》を蔭《かげ》でうごかしているのは、一体《いってえ》だれなのか、波切先生は御存知でございますかえ?」 「お前は知っているのか?」 「知っていれば、こんなにやきもき[#「やきもき」に傍点]いたしませんよ」 「私も知らぬ」 「やっぱり……」 「お前が知らぬほどのことを、まだ、岡本さんとの付き合いも浅い私が、知るわけがないではないか。ちがうか」 「いえ、そりゃ、まあ……」  岡本弥助が伊之吉へ、森平七郎のことを打ちあけたのは、五日ほど前のことだという。 「伊之吉。やはり、お前に助けてもらわぬと、安心ができない」  と、岡本はいったそうだ。  森の居所《いどころ》を突きとめたからといって、すぐに斬《き》り込むことはできない。  森が、どのような暮しぶりをしているか、独り暮しなのか、それとも同居の者がいるのか、どうか……。  森ほどの剣客《けんかく》を襲うからには、よくよく念を入れておかねばならぬ。 「なあ、伊之吉。生きては帰れぬと覚悟を決めてはいるが、相手も人間だ。魔物でもなければ鬼神でもない。つけこむ隙《すき》が針の穴ほどでもあったなら、それを、おれは見逃さぬつもりよ」  その針の穴ほどの隙に乗ずるためにも、下調べには念を入れておきたい。 「死んでも、悔《くい》を残さぬように、な」  と、岡本は伊之吉へいった。 「旦那。波切先生の居所は、わかっているのですぜ」 「うむ」 「旦那は、波切先生の助けを借りなさるつもりでいたのではありませんかえ?」 「ふむ……」 「波切先生に来てもらったがいいとおもいますがね」 「一度、ことわられた」 「もう一度、やってごらんなせえよ」 「むだとおもう」 「波切先生はね、いざとなりゃあ、旦那のことを見捨てませんぜ」 「いや、今度ばかりはちがう」 「そりゃあ、押しが足りねえのだ。波切先生は旦那のことを忘れきってはいねえ。旦那という人は、ふしぎに人の心を……いや、女ではねえ男の胸の中へ入り込んで来る人なのだ」 「おれが、か?」 「私だって、これまでに何度、旦那と手を切ろうとおもったか知れたものではねえ」 「すまなかったな」 「旦那があやまることはねえ。そうだ。旦那が波切先生をあきらめなすったのなら、この伊之吉が当ってみましょうか」 「よせ」 「なぜ、ね?」 「切りがない」 「それは、どういうことなので?」  と、伊之吉が尋《き》いたとき、岡本弥助は深いためいき[#「ためいき」に傍点]を吐いて、 「おれもなあ、いいかげんに、切りをつけたいのだよ。おれが森平七郎に斬られて死んでしまえば、もう後のことは知らぬ。勝手にしろというわけだ」 「その台詞《せりふ》は、だれに向けていっておいでなさる?」 「お前の知らぬお人よ」  相変らず、岡本の口は堅かった。  死を覚悟する一方で、岡本弥助が、今度の森平七郎暗殺に闘志を燃やしていることも事実といってよい。  やはり、それは、暗殺者としての情熱のようなものかも知れぬ。 「ですが、先生。よく承知をして下さいましたね」  食べ終えた夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を片寄せ、茶をいれにかかりながら、 「ありがとうござんす」  伊之吉が、妙に湿った声でいった。  この男が、波切八郎に、このような様子を見せるのは意外であった。 「昨夜の事がなかったら、私も承知をしなかったろう」 「どんな事がありましたので?」 「尋くな」 「へ……?」 「いわぬ」  昨夜、無法の侍を斬って捨てた八郎には、真剣の立合いへの情熱が激しくわきあがり、まだ消えつくしていない。  だが、これを、 「剣客としての情熱……」  だと、いってよいのであろうか。  秋山小兵衛《あきやまこへえ》が、いまこのときの波切八郎を見たなら、なんとおもうか。 (森平七郎と申す剣客。ぜひとも立合ってみたい)  森平七郎と、あの高木勘蔵《たかぎかんぞう》とが一つの姿となって、八郎の脳裡《のうり》に浮かんでいる。  もっとも、それだけではない。  これがもし、岡本弥助の助勢をするのではなかったら、八郎は森と斬り合う決意をかためなかったろう。  岡本の危急を知っていながら、もし、岡本が森平七郎に斬って殪《たお》されたとなれば、 (どのようなおもいがすることか……)  このことであった。  それに、岡本がどこまでも、伊之吉のさそいに乗らず、八郎の助勢を断念したことが、八郎に決意をさせたともいえる。  あの岡本弥助が、 (よくも、あきらめてくれた……)  そうなると却《かえ》って、 (よし、助けてやろう)  という気にもなってくるのだ。 「先生。そろそろ、まいりましょうか」  伊之吉と共に階下へ下りた波切八郎が、台所にいた笠《かさ》屋の女房《にょうぼう》へ、 「今夜は、もどらぬ」 「それなら提灯《ちょうちん》を、お持ちなさいまし」  笠屋の裏手から、二人は外へ出た。 「先生。駕籠《かご》を拾って大川をわたりましょう」 「好きにするがよい」  八郎は羽織・袴《はかま》をつけ、頭巾《ずきん》をかぶっていた。 「冷え込んでまいりましたね」  そういった伊之吉の声に、ちから[#「ちから」に傍点]がこもっている。  笠屋の二階へあがってきたときにくらべると、伊之吉に生色がよみがえってきたようだ。      三  そのころ、岡本弥助《おかもとやすけ》は、江戸郊外・寺嶋村《てらしまむら》の、諏訪明神《すわみょうじん》に近い料亭《りょうてい》〔大村《おおむら》〕の離れ座敷にいた。  このあたりは、現代の東京都墨田区東|向島《むこうじま》にあたるわけだが、当時は全くの田園地帯であった。 〔大村〕は、竹林と木立に囲まれた風雅な料亭で、凝った造りの離れ屋がいくつもあるし、どこやらの大名や大身《たいしん》の旗本なども、 「お忍びで……」  あらわれるという。  この日の夕暮れ前に、岡本は〔大村〕へあらわれた。座敷女中が心得顔に、岡本を奥まった離れ屋へ案内をした。 〔大村〕へ、岡本は、以前から何度も足を運んでいたと見える。  すぐに、岡本は酒をのみはじめた。  それから間もなく、二人の浪人|剣客《けんかく》が〔大村〕へ来て、岡本が待つ離れ座敷へ入った。  二人とも三十前後で、岡本よりも筋骨がたくましく、背丈も高い。  二人は月代《さかやき》を青々と剃《そ》りあげているし、岡本同様に羽織・袴《はかま》をきっちり[#「きっちり」に傍点]と身につけ、浪人ともおもえぬ姿《いでたち》をしていた。 「膳《ぜん》をたのむ」  と、岡本が座敷女中に命じておいて、 「各々《おのおの》、酒は、ほどほどに……」  二人の剣客へ言いかけたが、苦笑を洩《も》らし、 「各々に、念を入れるまでもないことだったな」 「いや、うけたまわっておきましょう」  こういったのは、早川太平《はやかわたへい》という剣客で、別のひとりは古沢伝蔵《ふるさわでんぞう》と名乗っている。 「岡本さんに、人斬《ひとき》りをたのまれたのは、久しぶりですな」  と、古沢伝蔵。 「さよう」  岡本弥助は、この二人のような浪人剣客を何人も知っているらしい。  膳部と酒が運ばれて来ると、いったんは女中たちを下らせておいて、 「ま、これを見ておいてもらいたい」  岡本が、ふところから絵図面のようなものを出し、古沢と早川の前へひろげた。  二人とも膳部を傍《わき》へ除《の》けておいて、絵図面の前へ顔を寄せてきた。  絵図面は、居宅の見取図であった。  その見取図を指し示しつつ、岡本が低声で、二人に何かささやく。  二人は引きしまった表情で聞き入り、ときには何やら質問をしたりする。  かなり長い間、三人は見取図の前からうごかなかった。  酒は冷えていたが、あえて女中を呼ぼうともせぬ。 「今度の相手は、手強《てごわ》そうですな」 「早川さん。そのとおりだ」 「油断はできぬ」 「先日も申したとおりだ」 「その、森平七郎のほかに、二人ほど、いるそうですな」 「これも、かなりの手練者《てだれ》と看《み》てよい」  岡本は、 (この二人、最後まで闘いぬいてくれるか、どうか……?)  おもいながら、 「各々は、先《ま》ず、森と共にいる二人に立ち向ってもらいたい。私は森へ向う」 「わかりました」 「なれど、場合によっては、三人がかりで、先ず森平七郎を襲うことになるやも知れぬ」 「何といっても、森を討てばよいのですからな」 「さよう。いま、人をやって探らせている。これまでに探ったところによると、三人は同じ部屋で眠っているらしい。と、なると……こちらも手分けをせねばなるまい」  三人は酒をのみ、箸《はし》を手にとり、膳部のものを口へ運びはじめた。 (いま少し、人数がほしかったが……)  と、岡本は胸の底で考えている。 (また、ほかに別の手段《てだて》があったのではないか?)  たとえば弓矢や鉄砲を利用することも、一応は思案してみた。  しかし、敵を奇襲する場合、それぞれに長所もあり欠点も出てくる。  相手にもよる。  森平七郎を襲うには、 (やはり、これしかない)  そう、おもいきわめたのだ。  金ずくで人を殺す浪人や剣客は、いくらでもいるが、岡本弥助の場合、迂闊《うかつ》には人をたのめぬ。  これは、単なる暗殺ではない。  それだけに、口が堅く、岡本が信頼できて、しかも腕が立つ男ということになると、波切八郎をのぞいて、いまのところ、古沢と早川しかいない。 (おれの、手持ちの駒《こま》も少くなったものだ)  そのとき、庭から、 「岡本の旦那《だんな》」  ひそかに、よぶ声がきこえた。  岡本弥助が縁側へ出ると、庭先に五十がらみの男が蹲《うずくま》っていた。 「藤吉《とうきち》、どんなぐあいだ?」  藤吉とよばれた男が、岡本の耳へ何かささやく。 「ふむ、ふむ……」  うなずきつつ聞き終えて、 「わかった。尚《なお》もたのむぞ」 「へい」  藤吉は庭づたいに、裏の竹藪《たけやぶ》の中へ消えて行った。  伊之吉《いのきち》のほかにも、岡本は同じような男を何人か使っているらしい。  今度も、事前の探りだけは伊之吉にさせたが、襲撃の夜には、 「お前は来るな」  拒否したのである。 「なぜでござんす?」 「なぜでもだ」  一瞬、伊之吉は黙ったが、 「なあに、心配なさるにはおよばねえ」 「何だと……?」 「旦那が危くなっても、助太刀なんぞいたしませんよ」 「ふざけるな」 「旦那と心中はごめんだ。ですからよ、当日も、この伊之吉を連れて行きなさるがいい」 「ならぬよ」 「どうしても?」 「そうだ。どうしてもだ」 「ふん。勝手にしなせえ」  例によって、この二人のことだ。  これだけの言葉のやりとりで、物別れになってしまったのである。  それにもかかわらず、伊之吉は、森平七郎襲撃の日を突きとめ、 (岡本の旦那が危ねえ。返り討ちになるかも知れねえ)  居ても立ってもいられずに、波切八郎の許《もと》へ駆けつけたことになる。  岡本は、伊之吉が指摘したように、 (伊之吉まで死なせることはない)  と、考えたのであろう。  自分が危くなれば、相手が森平七郎であろうと何であろうと、口先では何といっても、伊之吉は短刀か脇差《わきざし》を掴《つか》んで飛び込んで来るにちがいない。  そうなったら、伊之吉なぞは、 (ひとたまりもない……)  に、きまっているのだ。  座敷へもどった岡本弥助は、二人の浪人剣客へ、 「森は、二人の剣客と共に酒をのんでいるらしい。そのほかに、まだ若い小者がいるが、このほうは何とでもなる。さ、そろそろ、こちらは酒を切りあげて、ひと眠りしておこうか」  物静かに、いった。      四  同じ日の夜。  高田の穴八幡《あなはちまん》裏の鞘師《さやし》の家では、夕餉《ゆうげ》の後で、お信《のぶ》の二階の部屋へ久保田《くぼた》宗七があがって来て、半刻《はんとき》(一時間)余も語り合っていた。  これは、お信が夕餉の折に、 「伯父さま。後で、ちょっと二階へおいで下さいませぬか」  と、ささやいた。  階下では、奉公人の耳へ入るやも知れぬとおもったのであろう。  お信は、波切八郎に尋ねられた堀|大和守《やまとのかみ》のことが、気になってならなかった。  八郎は、 「伯父に尋ねてみましょうか?」  そういった、お信へ、 「尋ねるときは、自分が尋ねる」  と、こたえた。  これが、どうも気にかかってならぬ。  ちなみにいうと、八郎は橘屋忠兵衛殺害《たちばなやちゅうべえせつがい》のことを、まだ、お信へも久保田宗七へも洩《も》らしていない。  八郎には無断で、堀大和守のことを伯父に問うても、 (八郎さまにさえ知られなければ、かまわぬではないか……)  お信にしてみれば、橘屋を去って以来、今日までの波切八郎の行動が不明であるだけに、紀州の徳川家や、八代将軍(吉宗《よしむね》)とも深い関係にあるらしい堀大和守のことを、 (八郎さまは何故《なぜ》、気になされるのか?)  好奇心と興味が綯《な》い交《ま》ぜになって、お信は、伯父の久保田宗七へ尋ねてみる気になったのだ。  二階へあがって来た宗七が、 「いったい、何のはなしなのじゃ?」 「ま、お茶を……」 「うむ」 「実は、あの……」 「何のことじゃ」 「伯父さまは、あの……あの、御旗本の、堀大和守様のことを、何ぞ御存知でしょうか?」  久保田宗七は、口をつけかけた茶わんを置いて、 「お前が、何で、そのようなことを尋《き》くのじゃ?」 「いけませぬか」 「いかぬというのではないが、その理由《わけ》をききたい」 「では、伯父さまは堀大和守様のことを御存知なのでございますね?」 「お目にかかったことはない。人の口からきいたまでのことじゃ」 「人の口から……」 「さよう。橘屋忠兵衛殿から、きいたことがある」 「どのような?」 「なれば、お前が何故《なにゆえ》、大和守様のことを知りたいのか、それを申せ」  いつしか久保田宗七は、むかし、真田家《さなだけ》に仕え、両刀を腰に帯していたころの口調になってきている。  お信は黙った。  いってよいものか、どうか、迷った。 「何ぞ、橘屋に関《かか》わり合いでもあることなのか?」 「いいえ……」  久保田宗七も、むろんのことに、橘屋忠兵衛を斬《き》った下手人が波切八郎だとは知っていない。  だが、忠兵衛と真田家との関係、その秘密の数々をわきまえている宗七だけに、忠兵衛が暗殺されたことについても、 (あり得ること……)  と、おもっているようだ。  橘屋は、紀州家の〔御成先《おなりさき》・御用宿《ごようやど》〕という格式をもっているだけに、紀州家とも浅からぬ関係がある。 「では、伯父さま。おもいきって申しあげますが、このことは波切八郎さまへ内密にしていただきたいのでございます」 「波切さんが大和守様へ奉公でもなさるというのか?」 「そのようなことではないと存じます」  お信は、波切八郎に尋ねられたことを、そのまま、久保田宗七へ告げた。  宗七は半眼となって、銀煙管《ぎんぎせる》へ煙草《たばこ》をつめながら、 「そもそも、波切さんは、何故そのようなことが知りたいのかのう」 「存じませぬ」 「はて、これは、むずかしい」 「何がでございます?」 「わしがはなすことを、お前は、お前の胸ひとつにしまっておけるか、どうじゃ?」 「はい」 「たしかに?」 「私の胸の内におさめておきまする」  お信は誓いながらも、伯父の言葉に不安をおぼえてきている。 「お前も橘屋にいて、御家《おいえ》(真田家)のために、あれほどに辛《つら》いはたらきをしてきた女ゆえ、普通尋常の女とはちがう。そこで語ってきかせるのじゃが……わしとて、堀大和守様について、くわしいことは知らぬ。それは、橘屋忠兵衛殿も同様であったろう」  徳川吉宗が八代将軍位についていたのは約三十年であるが、その末期はさておき、就任以来十数年の間は、 「将軍暗殺の密計が絶えなかった……」  などと、いわれている。  事実、その中の二、三は実行に移された。  曾祖父《そうそふ》の初代将軍・家康《いえやす》同様に、吉宗も鷹狩《たかが》りを好み、将軍になった当初は、 「まいるぞ」  おもい立つやいなや、正式の布令《ふれ》も出さず、愛馬に飛び乗って江戸城を走り出て行くことが、 「めずらしいことではなかった……」  という。  吉宗暗殺は、その鷹狩りの最中《さなか》に二度ほどおこなわれたが、失敗をした。  これには、民間の目撃者もいて、風評もひろまったのである。  そのほかにも何度か、吉宗は危険な体験をしているらしい。  八代将軍の座を、徳川御三家の紀州家と尾張家が争ったことは、すでにのべた。  いや、その前の七代将軍位をも、この両家が争っている。  七代将軍の家継《いえつぐ》が在位わずかに三年、八歳の幼年のままに病死してしまったので、紀州・尾張《おわり》両家の将軍位争奪は、つづいて八代将軍の座をねらって再燃した。  紀州藩主の徳川吉宗に対抗したのは、尾張藩主・徳川|継友《つぐとも》であった。  そのときは、幕府と大奥の勢力が二つに割れ、その政治的な暗闘も、 「いや、まことに凄《すさ》まじかったそうな」  と、久保田宗七が、お信へいった。  吉宗が八代将軍となって間もなく、尾張の徳川継友が江戸屋敷で急死した折も、 「新将軍の手が密《ひそ》かにまわって、尾張侯は毒殺されたらしい」  そうしたうわさ[#「うわさ」に傍点]も、ひろまったほどだ。  吉宗は、自分が本家の将軍となったので、紀州家は初代藩主・頼宣《よりのぶ》の孫にあたる宗直《むねなお》を据《す》え、 「これでよし」  胸を張って八代将軍の座についたわけだが、尾張家に対しては、いささかの油断もなかった。 「表にはあらわれぬ、むずかしいことが、いろいろとあったらしいわえ」  久保田宗七が、 「お信。八代様は、まるで戦国の世の豪傑のような御方であったそうな。いやいや、むろんのことに、わしが、お目通りをしたわけではない。なれど、それでいて、まことに細心なところがあり、天下のうごきについては、どのように、小さなことであっても見逃すまいとなされたらしい」      五  徳川幕府の諜報《ちょうほう》組織は、初代将軍の家康《いえやす》以来、後代に引きつがれてきているが、徳川|吉宗《よしむね》は、それとは別に、自分の諜報網をととのえた。  新将軍となった吉宗には、幕閣にも、 「困ったことじゃ」  反感を抱くものが少くなかった。 「幕府の政治を、家康公のむかしにもどさねばならぬ」  というので、みずから質素倹約を実行する。  夏も冬も、木綿の衣服で、我子《わがこ》の家重《いえしげ》にもそのようにさせた。  つぎのような挿話《そうわ》が残っている。  江戸城内で、将軍の前へ出た家臣や大名の着ているものを、吉宗は凝《じっ》と、いつまでもながめている。  何しろ、将軍のほうが質素な身なりをしているのだから、たまったものではない。家臣も大名も冷汗《ひやあせ》をかいて引き下ってくる。  こうなると、いずれも質素な服装にならざるを得ない。  食事にしても、一汁一菜《いちじゅういっさい》をかたくまもって、少しでも贅沢《ぜいたく》な料理が出ると、 「下げよ」  きびしい声で、いいはなつ。  そして、野菜の煮たものか何かで、吉宗は玄米の飯を旨《うま》そうに食べる。  吉宗にしてみれば、紀州藩主だったころからしてきたことゆえ、少しも苦にならないのだ。  元禄《げんろく》以来、戦乱が絶えた世の中が派手やかになり、財力は町人の手に移ってしまったというのに、贅沢と体裁と見栄《みえ》ばかりを重んじるようになってしまった武家のありさまを、新将軍は徹底的にあらためようとした。  形式や格式にこだわらず、人材を抜擢《ばってき》し、武術・学問を強く奨励する。  そうかとおもうと、わずかな供まわりを従えたのみで、鷹狩《たかが》りへ飛び出す。 「自分が狩りをしている間、百姓たちは仕事の手をとめるにはおよばぬ」  という布令《ふれ》を出したほどだから、目の前を行き過ぎる新将軍の姿を、 「それ[#「それ」に傍点]とは知らずに……」  通行の人びとも目にしているはずであった。  草鞋《わらじ》も自分ではくし、馬の手入れもする。  あるときは、狩りの途中で水死人が引きあげられる場面に出合った。  すると吉宗は、気軽に馬から飛び下り、水死人の躰《からだ》をしらべ、 「まだ、のぞみがないではない。どこぞで鵙《もず》を手にいれてまいれ」  と、いう。  そこで家来が、鵙を手に入れて駆けもどって来ると、その鵙をどのようにしたかは知らぬが、ともかくも鵙の肝か何かを水死人に服用させるや、その水死人が生き返ったのだ。 「わしは、むかし、紀州で冷飯《ひやめし》を喰《くろ》うていたころ、山野を駆けめぐるのが好きで、その折、木樵《きこり》や猟師などに、こうしたことを教えてもろうたのじゃ」  吉宗は、そういった。  さらに、前《さき》の将軍・家継《いえつぐ》の葬儀についても、 「わしの申すとおりにせよ」  と、命じ、金銀珠玉で飾りたてた柩《ひつぎ》まであらためさせ、すでにととのえられていた葬儀の仕度を、 「武家は武家らしくいたさねばならぬ」  すべて変更し、質素きわまる葬儀に変えてしまった。  そうかとおもうと、狩りの途中で見かけた百姓娘を、 「気に入った」  というので、近くの寺院か何かに連れ込み、手をつけてしまう。  江戸城の大奥には、将軍夫人や側妾《そくしょう》・老女・中[#「」は「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26、WinIBM拡張文字=#FB9D]《ちゅうろう》以下の女中たち、小間使をふくめて二千にあまる女たちがひしめき、一大勢力をなしているし、幕府の政治にも大きな影響をもっていた。  将軍吉宗は、この大奥の下級の女中たちへも、大形《おおぎょう》にいうならば、 「片端から……」  手をつけてしまう。夫がいる女でもかまったものではない。  もともとの好色があったからだろうが、一つには、大奥へ新将軍の勢力をおよぼし、同時に多くの子をもうけて、自分の独裁政治を強大に存続させる意図があったのであろう。  ともかくも、徳川吉宗は、こうした将軍だったのである。  将軍吉宗には、 「天下が度肝をぬかれた……」  と、いう人もいるし、 「吉宗が将軍にならなかったら、明治維新を待たず、その五十年前に徳川の天下はつぶれていたろう」  と、評する人もいる。  だが、吉宗の倹約と武術の奨励と、人材の登用だけでは、大きく行きづまり、複雑に困窮してしまった幕府の財政が立て直ることもならず、ついに吉宗も、大名たちへ、 「一万石につき、百石を幕府へおさめよ」  将軍の威令をもって、このように強引な政策に踏み切ったりしている。  それだけに、諸大名のうごきにも、吉宗は敏感であった。  吉宗の隠密《おんみつ》組織には、先《ま》ず〔締戸番《しめどばん》〕というのがある。  これは後に〔御庭番《おにわばん》〕とよばれ、将軍直き直きに、 「これこれ[#「これこれ」に傍点]の大名の領国へまいって、これこれ[#「これこれ」に傍点]の事を探ってまいれ」  と、密命を受ける。  すると、御庭番は自分の屋敷へも帰らず、江戸城からそのまま、目的の地へ旅立って行く。  さらに徳川吉宗は、 「蜻蛉組《せいれいぐみ》」  とよぶ、隠密組をつくった。  蜻蛉組の初代主任は、伴格之助《ともかくのすけ》といい、吉宗が紀州藩主のころから、側《そば》近く仕えていた士《もの》だそうな。 「その伴格之助は、八年ほど前に病死してしもうたと、橘屋忠兵衛《たちばなやちゅうべえ》殿から耳にしたことがある」  と、久保田《くぼた》宗七が、お信にいった。  忠兵衛は、伴格之助とも、 「つきあいが、あったようじゃ」 「伯父さま。それで、堀|大和守様《やまとのかみさま》は、どのような?」 「さ、そのことよ」  煙草《たばこ》の灰を落してから、宗七が、 「お信《のぶ》。茶をいれかえておくれ」  そのころ。  大川を、駕籠《かご》で東へわたった波切八郎と伊之吉《いのきち》は、深い夜の闇《やみ》の中を、ゆっくりと北へ向って歩んでいた。 「これからすぐに、目ざす森平七郎宅へおもむくのか?」 「波切先生。岡本《おかもと》の旦那《だんな》が斬《き》り込《こ》むのは夜明けでございます」 「そうだろうな」 「それにはまだ、一眠りするだけの時間《とき》がございますよ」 「うむ……」 「知り合いの茶店が、寺嶋《てらしま》の諏訪明神《すわみょうじん》の近くにありますから、其処《そこ》で、おやすみになって下さいまし」 「お前は、何処《どこ》かへ行くのか?」 「岡本の旦那の様子を見てまいります」 「岡本さんは何処にいるのだ?」 「これも、諏訪明神の、すぐ近くにいなさいます。へえ、大村という料理茶屋なので」 「ほう……」 「暗《くろ》うござんす。足許《あしもと》に気をつけて下さいまし」      六  徳川|吉宗《よしむね》は、紀州藩主・徳川|光貞《みつさだ》の第四子に生まれた。  妾腹《しょうふく》の子であるし、兄たちがいるものだから、むろんのことに紀州家の跡をつぐわけにはまいらぬ。  吉宗の幼名を、源六という。 「撥馬《はねうま》の源六」  と、異名をとったほどだから、いうところの、 「冷飯《ひやめし》を食わされていた……」  ころは、相当の、暴れ者だったのであろう。  それが、兄たちの相次ぐ病死によって、紀州本家を相続し、さらには八代将軍に迎えられた。  若いころは、近習《きんじゅう》の家来を二人ほどつれ、和歌山城下の忍び歩きをしながら、夫婦|喧嘩《げんか》の仲裁をしたこともあるし、路傍に出ていた易者に手相を見させたら、 「これは、天下取りの手相じゃ」  易者が、目を見はったという。  背丈も六尺余。腕力も強い。  そして、何よりも下情に通じていた。  ところで……。 〔蜻蛉組《せいれいぐみ》〕の初代主任・伴格之助《ともかくのすけ》は、吉宗が少年のころから側《そば》近く仕えていたらしい。  何でも、近江《おうみ》の国の出身で、紀州家に低い身分で召し抱えられたのは父の代からだ。  その格之助が、将軍吉宗の隠密《おんみつ》組織の主任をつとめるようになったわけである。  伴格之助は何故《なぜ》か、自分の姓の〔伴《とも》〕を〔伴《ばん》〕と名乗っていたそうな。  伴格之助は、生涯《しょうがい》、妻もなく子もなかった。  そして、自分の屋敷もなかった。  何処《どこ》に住んでいたかというと、江戸城内で暮していた。  江戸城内の吹上《ふきあげ》の庭は、現代の天皇が起居されておられるところだ。  鬱蒼《うっそう》たる樹林に囲まれた吹上の庭の一角に、この庭を管理する役所があり、その一部に〔上覧所《じょうらんしょ》〕とよばれる建物がある。  吹上の庭の北面の馬場で、馬術の競技がおこなわれるときなど、将軍がこれを観覧するための建物であった。  檜皮葺《ひわだぶ》きの立派な建物であるが、平常は、この一郭に人影を見ることはめったにない。  その〔上覧所〕の一隅に設けられた二間つづきの別棟《べつむね》に、伴格之助は暮していた。  これならば、将軍吉宗が吹上の庭へあらわれて、すぐさま、伴格之助と密談や打ち合わせができたろう。 「さて、お信《のぶ》……」  と、鞘師《さやし》・久保田《くぼた》宗七が、熱い茶を一口のんでから、 「その、堀|大和守様《やまとのかみさま》のことじゃが……」 「はい……?」 「八代様《はちだいさま》には、蜻蛉組のほかにも、隠密《おんみつ》の事をはかる別の一組があったときいている。いや、これも橘屋忠兵衛殿《たちばなやちゅうべえどの》から耳にしたのだが……」 「それは、どのような?」 「くわしくは知らぬ。なれど、その一組を束ねていたのが、堀大和守様じゃ」 「ま……」  お信は息をのんだ。  いまは亡《な》き八代将軍直属の、隠密の頭《かしら》だった堀大和守のことを、 (八郎さまは、何故、お尋《き》きなされたのか?)  そのおもいは、久保田宗七にしても同じであったろう。  橘屋忠兵衛は、五年ほど前に、久保田宗七へ、つぎのようなことを洩《も》らしたことがある。 「蜻蛉組は、伴格之助が病死して後に、おのずから消滅してしもうたなれど、堀大和守のほうは、八代様が大御所《おおごしょ》におなりあそばしてからも、密《ひそ》かに威を張り、幕府《こうぎ》も、いささか、もてあまし気味になっているそうな」  むかしは同じ真田家《さなだけ》に仕えていて、しかも、お信を隠密のはたらきにつかっていただけに、橘屋忠兵衛は久保田宗七に、 「気をゆるしていた……」  と、いえよう。 「実はな、宗七どの」 「はい?」 「先年、堀大和守が微行で、わしのところへまいられてな」 「ふむ……?」  当時、真田家の騒動は頂点に達しており、家老の原八郎五郎《はらはちろごろう》の専横と越権行為に、心ある真田藩士たちは苦悩しており、お信の夫の中山伝四郎《なかやまでんしろう》が原一派の刺客《しかく》に暗殺されたのも、ちょうど、そのころであった。  で、堀大和守は橘屋忠兵衛に、 「われらの手で、原八郎五郎の始末をつけてもよい」  と、もちかけたというのだ。 「そ、そのようなことが、あったのでございますか?」  お信は、驚愕《きょうがく》した。 「忠兵衛殿が、わしに申したことゆえ、嘘《うそ》ではあるまい」 「し、知りませぬでした」  堀大和守は、原八郎五郎を、 「だれの目にも、とまらぬように……」  この世から消してしまうかわりに、三千両の大金を、 「お上《かみ》へ納めてもらいたい」  と、橘屋忠兵衛にいった。  お上といえば、幕府のことだ。  幕府が、このようなことを、大和守を介して橘屋へ申し入れるはずはない。  となると、これは堀大和守自身の申し入れということになるではないか。 「まことにもって、あの堀大和守には油断がならぬ」  橘屋忠兵衛は、眉《まゆ》をひそめたという。  かつては将軍吉宗の、直属の隠密組を束ねていた堀大和守だけに、諸国大名の内情には精通している。  おそらく、亡き真田|伊豆守信弘《いずのかみのぶひろ》の隠し子が、橘屋忠兵衛の養子になっていることも、 「口には出さなんだが、わきまえているのではあるまいか……」  忠兵衛は、しかし、 「そのようなことは、私めの、あずかり知らぬことでござります」  こういって、堀大和守の申し入れを断わった。 「さすがのわしも、いささか、おどろいた。堀大和守は、ほかにも、このようなまね[#「まね」に傍点]をしているのであろうか」  と、橘屋忠兵衛が嘆息を洩らしたというのだ。 「お信……」  久保田宗七は、さらに声を低めて、 「お前が、波切さんに関《かか》わることだというので、おもいきって、このようなことをはなしたが……これは大変なことなのじゃ、わかるか。わかっていような?」 「はい」 「なれば、波切さんにも、迂闊《うかつ》に洩らしてはならぬぞ。よいか」 「はい」  お信は、蒼《あお》ざめていた。  しばらくの間、久保田宗七は、その姪《めい》の顔を見まもっていたが、ややあって、 「お信は波切八郎さんを、あきらめたがよいのではないか」  と、いったものである。      七  秋山小兵衛は、この日、鐘《かね》ヶ淵《ふち》に住む絵師・友川正信《ともかわまさのぶ》を訪れていた。  友川正信は、以前、幕府の御抱え絵師であったが、家を息子の吉信《よしのぶ》へゆずり、いまは鐘ヶ淵の風雅な家に隠居している。  七十をこえた正信だが、 「まるで、布袋《ほてい》さまを見るような……」  と、小兵衛の妻お貞《てい》がいうように、堂々たる肥体《ひたい》のもちぬしで、いつも頭を青々と剃《そ》りあげている。  小兵衛が何故《なぜ》、友川正信を知っているかというと、小兵衛の恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》の旧友だったからである。  絵師なのに、友川正信は剣術を好み、しばしば辻道場へあらわれた。  けれども、剣士としての修行をしたわけではない。  門人たちの稽古《けいこ》を見るのが、何よりのたのしみなのだそうだ。  ことに、若いころの秋山小兵衛の稽古を見ることは、 「実に、たまらぬ」  と、目を輝かせ、 「まるで、牛若丸の再来じゃな」  などと、ほめそやして、小兵衛を照れさせたり、閉口させたりしたものだ。  そして、小兵衛に木太刀の振り方を教えてもらい、 「手にするものが絵筆のみというのでは、いまに躰《からだ》がおとろえてしまう」  自邸で木太刀を振り、運動にしていたらしい。 「いまも毎朝、欠かさずに木太刀を振っておるよ、小兵衛どの」  隠宅の、居間の炬燵《こたつ》をはさみ、夕餉《ゆうげ》がすんでからも酒をのみ直しつつ、友川正信が、 「おかげで、寒うなっても風邪《かぜ》一つひかぬよ」  酒光りした老顔を撫《な》でまわしつつ、 「そのかわり、何事にも面倒になってのう。おぬしの新しい道場を見に出かけたいと、おもうてはいるのじゃが、ついつい……」 「いえ、先生。来春になりましたなら、私が駕籠《かご》で、お迎えにあがります。泊りがけで、ぜひとも、お出かけ下さい」 「よし、よし」  秋山小兵衛の道場びらきには、友川正信は老妻の芳江《よしえ》に門弟をつきそわせ、わざわざ祝い金を届けてくれた。 「おぬしの新妻の顔も、見たいしのう」 「正信先生は、よく御存知ではありませぬか。長年、辻道場におりました、お貞が私の妻で……」 「お、そうじゃった、そうじゃった。いかぬなあ、年齢《とし》をとると、こうなるのだよ、小兵衛どの。先日もな、わが古女房《ふるにょうぼ》の名をよびかけたが、出てこない」 「まさかに……」 「ほんとうじゃよ。五十年つれそった女房どのの名前を忘れるほどゆえ、いまに、おのれの名前も忘れてしまうのではないかのう」 「は、はは」 「ほっ、ほほ……」  と、友川正信は唇《くち》をすぼめて、やさしげな笑い方をする。 「どうじゃ、小兵衛どの。久しぶりにて、夜明けまで、のみあかそうではないか」 「おさかんですなあ」  友川正信の隠宅は、大川(隅田川《すみだがわ》)・荒川・綾瀬《あやせ》の三川が合する鐘ヶ淵をのぞむ田地の中の、松林を背にして建てられていた。  正信は、老妻と下男・中年の女中の四人暮しで、のびやかな明け暮れを送っている。  このあたりは、 「官府《かんぷ》の命ありて、堤の左右へ桃・桜・柳の三樹を植えさせられければ、二月《きさらぎ》の末より弥生《やよい》の末まで紅紫翠白枝《こうしすいはくえだ》をまじえ、さながら錦繍《きんしゅう》をさらすがごとく、幽艶賞《ゆうえんしょう》するに堪《た》えたり」  と、物の本にあるような景観が展開しており、木母寺《もくぼじ》や梅若塚《うめわかづか》・白鬚明神《しらひげみょうじん》などの名所旧跡も多く、 「此処《ここ》に住み暮すようになってより、四季それぞれの趣が、あまりに美しいので、絵筆をとることも忘れてしもうた……」  などと、友川正信はいう。  夜半をすぎても、正信と小兵衛は語り合いつつ、延々と酒をのみつづけている。  正信老人は、妻も下男も女中も先へ寝かせてしまい、酒肴《しゅこう》の仕度を炬燵《こたつ》の傍《かたわら》へ運ばせておき、手ずから燗《かん》もしてくれる。  そのころ……。  寺嶋村《てらしまむら》の料理茶屋〔大村〕の、奥まった離れ屋では、岡本弥助《おかもとやすけ》と二人の浪人|剣客《けんかく》が袴《はかま》をぬぎ、炬燵へ下半身を入れ、仮眠をとっていた。 〔大村〕の客も、すでに帰り、座敷女中たちも眠っている。  二人の剣客は、ぐっすりと寝入っていた。 (さすがだ)  岡本は、何となく心強い気がしてきた。  そして、眠れぬ自分を恥じた。  二人の浪人剣客は、おのれの腕に自信をもっているにちがいない。  なればこそ、眠れるのだ。  襲う相手の森平七郎が、どのように手強《てごわ》い男かを、岡本は二人に語っていない。  いや、むしろ、 「貴公たちがいてくれれば、大丈夫だ」  と、いってある。  森平七郎の恐ろしさを語って、彼らを緊張させる理由は何もない。  腕に自信のあるがままに、彼らをはたらかせればよいのだ。 (森を殪《たお》すためには、もっと、ほかの手段《てだて》があったのではないか?)  いまにして、おもい返してみて、岡本は苦笑を浮かべ、微《かす》かにかぶり[#「かぶり」に傍点]を振り、両眼を閉じた。  森平七郎も、堀|大和守《やまとのかみ》へ、 「五百両ほど、いただきたい」  と、申し入れてきたからには、刺客《しかく》に襲われることも覚悟の上であろう。  その森を襲うには、 (やはり、剣をもってするよりほかはない)  岡本弥助は、そうおもいきわめた。  当時の鉄砲なぞは、現代の銃器にくらべたなら、子供だましのようなものだったし、弓矢にしても、それを使用するだけの理由がなければ失敗することが多い。  ただの一矢《ひとや》で、完全に相手の息の根をとめてしまうためには、よほどの条件がそろっていなくてはならぬ。それは鉄砲にしても同様なのである。 「八代様《はちだいさま》は、野駆けや御狩りの折に、二度ほど、曲者《くせもの》に鉄砲を撃ちかけられたものじゃが、一創《いっそう》もお受けなさらなんだわ」  と、堀大和守が岡本弥助へ洩《も》らしたことがあった。  さて、岡本たちがいる〔大村〕から程近い、諏訪明神社《すわみょうじんしゃ》門前の、茶店の奥の一間に波切八郎と伊之吉《いのきち》がいた。  この茶店の亭主《ていしゅ》は、五十がらみの男で、通いの小女《こおんな》ふたりを使って商売をしている。  伊之吉とは、古いなじみ[#「なじみ」に傍点]らしく、伊之吉が八郎を案内して来ると、 「伊之さん。好きにお使いなせえ」  こういって、何処《どこ》かへ出て行ってしまった。  翌朝まで、帰らぬらしい。  茶店の奥には六畳と三畳の二間がある。 「あの男なら、安心でございますよ、波切先生」 「そうか……」 「いかがです、岡本の旦那《だんな》のところへおいでになったら……」 「ま、よい」 「波切先生が、お出張《でば》りなすっていることを知ったなら、岡本の旦那は、どんなに心強いか知れたものじゃあございませんよ」  しきりに、伊之吉はすすめたが、波切八郎は、 「いや、此処で待ったがよい」  いうのみであった。 「先生。もし、先生……」  これも炬燵へ入り、眼《め》を閉じていた八郎へ、伊之吉が、 「それでは、ちょいと、大村の様子を見てまいります」 「そんな時刻か?」 「はい」 「よいか。岡本さんに、お前の姿を見せてはならぬぞ、よいな」      八 「これ……これ、各々《おのおの》。起きてくれ、そろそろ、仕度をせねばならぬ」  岡本弥助《おかもとやすけ》が、転寝《うたたね》をしている二人の浪人|剣客《けんかく》を揺り起した。  早川太平と古沢伝蔵は、すぐに目ざめて、 「よう寝たわ」 「夢見がよかったぞ」 「ほう……どんな夢を見たのだ」 「それがな、早川。夏に夕涼みをしていて、この大刀で、西瓜《すいか》を真二《まっぷた》つに断ち切った夢を見た」 「これぁ、いいな。幸先《さいさき》がいいぞ」  早川も古沢も、余裕|綽々《しゃくしゃく》というところだ。  岡本弥助は何ともいえぬ、微《かす》かな笑いを浮かべた。  相手の森平七郎の恐ろしさを、この二人は、まだ知っていない。  岡本は袴《はかま》をつけぬままに下着一枚となり、その上から鎖帷子《くさりかたびら》を着込んだ。 「岡本さんともあろう人が、そんなものまで着込むのですか」  と、早川太平が目をみはった。 「二人とも着込みなさい。ほれ、ここに用意してある」 「いや、拙者はごめんだ。それを着込むと、重たくて自由がきかぬ」  こういったのは、古沢伝蔵である。  その古沢の言葉にさそわれたかのように、 「私も、やめにしておこう」  と、早川がいった。  岡本弥助は、うなずいたのみで、強いて、すすめようとはせぬ。  それから三人は股引《ももひき》をつけ、着物の裾《すそ》をたくしあげた。  袴をつけると、素早く立ちまわることができぬからだ。  頭巾《ずきん》をかぶり、寒気をふせぐための合羽《かっぱ》を着た。  そのとき、雨戸を叩《たた》く音がした。  岡本が雨戸を開けると、氷のような寒気が座敷の中へながれ入ってきた。  先刻、森平七郎宅の様子を知らせに来た藤吉が顔をのぞかせて、岡本弥助へ、 「みんな、寝しずまっているようでござんす」  と、告げた。 「よし」  三人は〔大村〕の離れ座敷から庭へ下りた。  ときに七ツ(午前四時)ごろであったろう。  日の出には一刻半(三時間)ほども間がある。  提灯《ちょうちん》をもって先に立つ藤吉の後から、三人は庭づたいに裏の竹藪《たけやぶ》へ消えた。  ぬぎ捨てた袴などは一包《ひとつつみ》にして、これを藤吉が小脇《こわき》に抱えている。  料亭〔大村〕からも程近い、諏訪明神《すわみょうじん》の門前の茶店へ、伊之吉《いのきち》がもどって来た。  炬燵《こたつ》に身を横たえていた波切八郎が半身を起し、 「どうであった?」 「いま、大村から岡本の旦那《だんな》と、ほかに三人、出て行きましたぜ」 「見つからなかったろうな?」 「大丈夫です。竹藪を抜けて、森平七郎の家の方へ向っております」 「よし」  波切八郎は、すぐさま立ちあがった。  八郎も、袴をつけていない。  着ながしのまま、両刀を腰に帯し、 「伊之吉。案内を……」 「合点です」  ちょうど、そのころ……。  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の、絵師・友川|正信《まさのぶ》の隠宅では、正信が酔いつぶれてしまい、炬燵へ下半身を入れたまま、軽く鼾《いびき》をかいている。  それを、秋山小兵衛が盃《さかずき》を口にふくみつつ、ながめやっていた。 (正信先生の酒も、以前ほどではなくなったようだ)  それにしても二人で、二升はあけていたろう。  微笑を浮かべた小兵衛が、盃を置き、炬燵の上へ顔を伏せた。  小兵衛も、いささか酔い疲れてきたらしい。  だが、それも束《つか》の間《ま》のことで、すぐに顔をあげ、居間の片隅《かたすみ》の小机の上から硯箱《すずりばこ》を持ち運んでくると、ふところから懐紙を出し、墨を磨《す》りはじめた。  朝の日が昇るまで、この隠居にとどまっていることはできぬ。  昨日、家を出るときに、 「正信先生と酒になったら、また、夜明かしになるだろう」  と、小兵衛は妻のお貞《てい》へ言い置いてきたが、何しろ、夜明けと共に道場へあらわれる若い門人もいるので、それまでには道場へ帰っていなくてはならぬ。  自分の道場をひらき、たとえ小さくとも、 「一国一城の主《あるじ》に……」  なったばかりの秋山小兵衛ゆえ、毎朝の稽古《けいこ》を、おろそかにするわけにはまいらぬ。  小兵衛は、そのむね[#「むね」に傍点]を懐紙にしたため、友川正信の枕元《まくらもと》へ置いた。 「ま、楽になされ」  と、正信にすすめられたので、ぬいであった袴と両刀を抱え、小兵衛は台所へ出た。  友川正信の隠宅は、戸締りというものをしたことがない。  小兵衛は裏の戸を開けて、外へ出た。  冷気が、酒で火照《ほて》った躰《からだ》には快かった。  夜の闇《やみ》は、まだ消え去ろうとはしていないが、そこはかとなく、あたりの様子が目に見えるようなおもいがするのも、薄明が近づいているからであろう。  空に、星が瞬《またた》いていた。      九  森平七郎の居宅は、寺嶋村《てらしまむら》の東面にあって、土地《ところ》の人びとが、 「善左衛門新田《ぜんざえもんしんでん》」  と、よんでいる田地にあった。  田地といっても、このあたりは松林が多く、人家も少い。  森平七郎の家は、以前、幕府の御進物御番《ごしんもつごばん》をつとめていた小西十兵衛《こにしじゅうべえ》という旗本の別邸であったそうな。  西側から南へかけて竹藪《たけやぶ》を背負った敷地は四百坪もあるが、居宅そのものは小さい。  東側に玄関と次の間。廊下をへだてて二部屋がならび、その奥に、八畳の部屋が二つあり、ここが、森平七郎の居間であり、寝所でもあった。  眠るときは、森が南寄りの部屋へ入り、襖《ふすま》をへだてた隣室へ、二人の剣客《けんかく》が寝る。森につきそっている剣客は二人のときもあり、一人のときもあった。  北側は大きな台所につづいて湯殿。奥庭の池へ突き出たようなかたちの茶室ふうの離れが渡り廊下でむすばれていた。  この日、森平七郎につきそっている剣客は二人であった。  そのほかに、中年の下男が二人、台所|傍《わき》の部屋に眠っているようだ。  森平七郎は、波切八郎より三、四歳ほど年上に見える。  中肉中背の、外見《そとみ》には、別に筋骨もたくましくは見えぬし、品のよい服装で門を出て行く姿などを見かけた近辺の百姓たちは、 「いま、小西さまの屋敷には、何だか、えらそうな学者が住んでいるようだ」  などと、うわさをしているほどだ。  土地の人びとが、森を見かけて頭を下げると、総髪《そうがみ》をきれいにととのえた森平七郎が、にっこりと笑って挨拶《あいさつ》を返す。  血色のよい、ふっくらとした顔だちで、いかにも温和な人柄《ひとがら》に見えた。  近辺を散策するときも、笠《かさ》で顔を隠すようなことはしなかった。  森が、此処《ここ》に住み暮すようになったのは、三年ほど前からであった。  この別邸の、以前の所有者・小西十兵衛の本邸は赤坂にあり、現在は御役目を退いているという。  いずれにせよ、土地の人びとが、森平七郎を怪しむようなところはない。  前将軍・徳川|吉宗《よしむね》の腹心の一人であった、堀|大和守《やまとのかみ》が恐れているほどの男とはおもえぬ。  この日、森平七郎は外出《そとで》をせず、居間に引きこもって、何やら書きものをしたり、手紙をしたためたりしていた。  日中は、森につきそっている剣客は一人きりで、これはいかにも屈強の若い男だ。  夕暮れどきに、四十がらみの剣客がやって来た。  森は離れで、二人の剣客と共に、ゆっくりと酒を酌《く》みかわしてから、寝についたのが四ツ(午後十時)ごろであったろう。  つきそいの二人の剣客は、いつものように次の間の臥床《ふしど》へ入ったのである。 「よく、寝ているようで……」  と、森平七郎宅の裏手の竹藪に潜んでいた藤吉が、竹藪の中へ入って来た岡本弥助《おかもとやすけ》と早川・古沢の三人を迎えた。 「定平《さだへい》は?」  と、岡本が尋《き》いた。 「いま、様子を見に行っております」 「迂闊《うかつ》にうごいて、さとられてはいまいな?」 「大丈夫でございますよ」  藤吉は、こうした仕事に相当の自信をもっているらしい。  暁闇《ぎょうあん》は、海底《うみぞこ》のような明るみをたたえてきはじめた。  岡本弥助は、早川と古沢をかえりみて、 「いいな?」  と、念を入れた。  二人はうなずき、ゆっくりと、大刀を抜きはなった。  この居邸の裏手には、塀《へい》もなければ垣根《かきね》もない。  岡本たちが潜んでいる竹藪の中からは、奥庭の左手の大きな池の上へ突き出た離れ屋が見える。  その左傍の木蔭《こかげ》から、人影が一つ浮いて出た。 「定平でございますよ」  と、藤吉が岡本弥助にささやいた。  定平も、藤吉や伊之吉《いのきち》同様に、岡本が使っている手の者である。 「どんなぐあいだ?」  と、藤吉。 「裏の戸を一枚、外してきたぜ」 「定。ほんとうか?」 「しばらく様子を窺《うかが》ってみたが、気づかれた様子はねえ」  二人がささやき合うのを耳にした岡本弥助が、 「よし。藤吉は舟にもどっていろ。定平と共に一刻《いっとき》(二時間)待って、おれたちが引きあげて来《こ》ぬときは、舟を出してよい。後のことは、かねて打ち合わせておいたとおりにしてくれ」 「ようござんす」  ためらうことなく、藤吉は立ち去って行った。  岡本弥助も大刀の鞘《さや》をはらい、定平へうなずいて見せた。 「さ、こちらへ……」  先へ立つ定平の後から、三人は竹藪を出た。  このときに三人とも草履をぬぎ捨て、足袋跣《たびはだし》となっている。  離れ屋の北側をぬけた四人は、石井戸の後ろへまわり込んだ。  定平は、地を這《は》うようにして台所口へ近寄り、屋内の気配を窺ってから、岡本へ手をあげた。  気づかれていないという合図だ。  岡本たちも石井戸の蔭から、台所口へあつまった。  むかしは盗賊をしていたというだけに、定平は戸の一枚、二枚を外すことなど、わけもないことらしい。  少しずつ、少しずつ、定平は一枚の戸を引き開けてゆく。  四人は、台所の土間へ踏み込んだ。  岡本弥助が、定平へうなずいて見せた。 「これまででよい。先へ立ち去れ」  という意味だったのであろう。  うなずき返した定平は、戸口から外へ出て行った。  戸は一枚、開け放したままだ。  この居邸の間取りは、すでにわかっていて、その絵図面を前に、先刻も〔大村〕の離れ屋で、三人は打ち合わせをすませておいた。  間取りは、三人の脳裡《のうり》へ、しっかりときざみこまれている。  ひろい台所であった。  土間の向うに三坪ほどの板敷きがあり、囲炉裏が切ってあるが、むろんのことに火は消えている。  足音もたてずに、三人は板敷きへあがった。  このとき、定平は竹藪を抜け、小道を西へ歩みはじめている。  その姿を、波切八郎と伊之吉は木蔭から見とどけていた。 「あれは、定平という男で……」 「お前と同じように、岡本さんが使っている男なのか?」 「それはそうだが……」  と、伊之吉は不満を押えかねたように、 「あんな、盗人《ぬすっと》あがりを使うなんて、岡本の旦那《だんな》も、どうかしている」  と、つぶやいた。  そして伊之吉は小道を突っ切り、竹藪の中へ入って行った。  波切八郎も、伊之吉につづいて竹藪へ入った。  屋内では、岡本と早川・古沢の三人が板敷きの間から廊下へ出た。  廊下の前は壁で、壁の向うの二部屋に、森平七郎と二人の剣客が眠っているはずであった。  廊下は左へ鉤《かぎ》の手に曲ってい、その向うに、二人の下男の部屋がある。  岡本たち三人の刺客《しかく》は、薄い灰色の布でつくった頭巾《ずきん》をかぶり、面体《めんてい》を隠していた。  三人は、廊下を右へつたわって行き、左へ曲った。  そこは、廊下から縁側になっている。  左側の、二部屋の障子が、薄明の中に白く浮きあがっていた。  波切八郎と伊之吉が裏手へあらわれ、台所の戸が一枚開いているのを見出《みいだ》したのは、このときだ。  岡本弥助は、足音を忍ばせ、二部屋のうちの奥の部屋の障子へ近づきつつあった。早川と古沢も、これにつづこうとしている。  部屋の中は、しずまり返っていた。      十  岡本弥助《おかもとやすけ》が縁側へ片膝《かたひざ》を立て、右手に大刀をつかみ、左手を奥の部屋の障子へかけた……実に、その瞬間であった。  手前の部屋の中から、障子ごしに疾《はし》り出た手槍《てやり》が、早川太平の左の太股《ふともも》を突き刺した。  早くも、相手は気づいていたことになる。 「う……」  早川は、手槍の穂先が自分の太股から引き抜かれるのと同時に、身を倒すようにして障子へ体当りをくわせ、部屋の中へ転げ込んだ。  そこは、さすがに岡本弥助がえらんだ刺客《しかく》だけあって、決して逃げようとはしなかった。  太股へ傷を受けつつも、みずから敵の待ちかまえている部屋へ転げ込んだのである。  早川は転げながら、目に入った男の脚を切りはらった。  障子が凄《すさ》まじいばかりの音をたてて、部屋の中へ倒れ込んだ。 「あっ……」  叫んだのは、森平七郎につきそっていた二人のうちの、若いほうの剣客《けんかく》だ。  早川太平が、間《かん》、髪《はつ》を入れず、障子ごとに部屋の中へ倒れ込んで来たので、咄嗟《とっさ》に迎え撃つことがむずかしかったのであろう。  早川の一刀は、若い剣客の右脚の、膝の下の骨まで断ち割っていた。 「ぬ!!」  いま一人の中年の剣客が、早川へ切りつけた。  このとき、すかさず躍り込んで来た古沢伝蔵が、中年の剣客の胸もとを目がけて大刀を突き入れた。  剣客は、これを躱《かわ》し、 「先生……」  叫びつつ、奥の部屋へ駆け入った。  その後を追って浴びせかけた古沢伝蔵の一刀は、相手の背中を浅く切り裂いたのみだ。  傷ついた若い剣客と早川太平は屈せず、半身を起して、たがいに一撃を送り込んでいる。  一方、岡本弥助は、早川が部屋へ転げ込むのと同時に、奥の部屋の障子を引き開け、中へ躍り入った。  壁に背をつけていた森平七郎が、岡本の真向《まっこう》から大刀を打ち込んできた。  岡本は右手へ飛びぬけたが、森の二の太刀は息もつがせず、岡本へ襲いかかった。  その刃風《はかぜ》の鋭さに、岡本弥助は頸《くび》をすくめ、南側の障子へ身を投げた。  障子は、岡本の躰《からだ》を乗せて縁側へ倒れた。 (いかぬ……)  一瞬、岡本弥助は絶望を感じた。  潜入した、こちらの気配を相手が察知してしまったのだ。  潜入には自信をもっていた岡本だが、森平七郎と、その配下の剣客には、いささかの油断もなかったといってよい。  せまい屋内で三対三の、桶《おけ》の中で、 「芋を洗うような……」  斬《き》り合《あ》いがはじまった。  森は、奥の部屋から板戸を引き開け、板敷きの納戸《なんど》へ身を移した。  二人の下男は、外へ逃れたらしい。  納戸へ入った森平七郎を庇《かば》うようにして、中年の剣客が古沢伝蔵を迎え撃った。  森平七郎は納戸から、玄関へ通じる廊下へ出た。  縁側から廊下をまわり、走り出て来た岡本弥助が、 「たあっ!!」  気合声《きあいごえ》を発し、森の側面から襲いかかった。  その必殺の一刀を、森平七郎の大刀が打ちはらった。  恐るべき膂力《りょりょく》であった。  岡本ほどの男が、ほとんど撥《は》ね飛ばされるかたちになって、よろめいた。 「岡本だな」  と、森がいった。  大刀をひっさげ、森はゆっくりと岡本へせまる。 「岡本。きさま、このわしを討てるとおもったのか」  落ちつきはらった森の声に、 (もう、いかぬ……)  岡本弥助は、 (これが、おれの最期《さいご》だ)  おもいきわめて、猛然と森へ突進した。  岡本が打ち込んだ一刀を、森は鍔元《つばもと》へ受けとめるや、ぐいぐい[#「ぐいぐい」に傍点]と押し捲《まく》ってきた。  撥ね返す余裕とてない。  岡本弥助は、台所に面した廊下まで押し捲られた。  どうしようもない。  圧倒的な森平七郎のちから[#「ちから」に傍点]の前に、岡本弥助は喘《あえ》いでいる。  その岡本の脚を、いきなり、森が蹴《け》った。 「あっ……」  よろめいて、廊下へ尻餅《しりもち》をついた岡本の頭上へ、森の大刀が打ち込まれようとした。  そのとき……。  何処《どこ》からか飛び出して来た大きな人影が、森平七郎の背後から、腰へ組みついた。  奥の二間《ふたま》での、二対二の斬り合いの物音も凄まじかったし、さすがの森も、背後へせまった足音に気づかなかった。  森の腰へ組みついた男は、波切八郎である。  岡本弥助の危急を見て、組みつく直前に、八郎は大刀を帯から脱し、大胆にも投げ捨ててしまった。  どうして、そうしたのか、八郎にもわからぬ。  波切八郎の体躯《たいく》は、岡本や森にくらべると桁《けた》ちがいに大きいし、その腕力のほどはいうまでもない。  八郎は森を背後から抱えあげ、振りまわすようにして廊下へ投げつけたものである。  これには森平七郎も、おどろいたにちがいない。 「おのれ……」  投げつけられたが、そこは素早く半身を起した森へ、八郎の巨体が風を切って打ちつけられた。  この体当りは、強烈をきわめていた。  森の体勢が、完全にくずれた。  波切八郎の右手が、たばさんでいた短刀の柄《つか》にかかった。  押しつぶすようにして、波切八郎が森平七郎へ伸《の》しかかり、八郎の短刀は森の胸下へ突き入った。  森平七郎の絶叫があがった。      十一 「伊之吉《いのきち》、なぜ……なぜ、波切先生に今夜のことを告げたのだ。あれほど……あれほどに嫌《いや》がっておられた先生を、なぜ、引き込んでしまったのだ」  森平七郎の居邸から、裏の竹藪《たけやぶ》へ走り入ったとき、岡本弥助《おかもとやすけ》が伊之吉を叱《しか》りつけた。  だが、その声音《こわね》は弱々しく、まるで泣いているかのようだ。  伊之吉は鼻で笑って、 「波切先生にお知らせしなけりゃあ、いまごろ旦那《だんな》は、三途《さんず》の川《かわ》をわたっているところだ」  と、やり返した。 「ば、ばか」 「どっちがばかですよ」 「ばか、ばか、ばか……」  いいながら、岡本弥助の両眼から、急に泪《なみだ》があふれ出てきた。  伊之吉は、重傷を負った早川太平を背負っている。  早川は傷つきながらも若い剣客《けんかく》と闘い、これを討ち取った。  一方、古沢伝蔵も中年の剣客を斬《き》って殪《たお》した。古沢は左腕に浅傷《あさで》を受けたのみだ。  しかし、波切八郎の救援がなければ、どうなっていたか、 「知れたものではない……」  のである。  おそらく、岡本弥助を斬殺《ざんさつ》してから、森平七郎は取って返し、古沢も早川も仕とめていたにちがいない。  いや、そうなったにきまっている。 「先生。波切先生……」  先へ立った波切八郎へ追いすがるようにして、 「申しわけない。これは、私の……」 「もう、よせ」  八郎の声は低かったが、きびしかった。 「は……」 「先へ立て。どのように引きあげるのだ?」 「せ、先生。どうか、おゆるしを……」 「うるさい!!」  八郎が、かつて、岡本には見せたこともない形相になり、 「早く案内《あない》をしろ」 「は……」  岡本と古沢が先へ立ち、その後から、早川を背負った伊之吉。八郎は最後につづいて竹藪の中をぬけ、小道へ出た。  投げ捨てた八郎の大刀は、腰にもどっている。  朝の光りが、あかつきの闇《やみ》にかわりはじめ、寒雀《かんすずめ》が鳴きはじめた。  小道に、人影はなかった。  五人は、小道の向う側の木立へ入った。 「ひでえ血だ」  と、伊之吉がつぶやいた。  背負っている早川太平の傷口から流出する血汐《ちしお》が、伊之吉の躰《からだ》を濡《ぬ》らしているのであろう。  早川が受けた傷は、左の太股《ふともも》のほかに四ヶ所もあった。  すでに、早川太平は気をうしなっているようだ。  岡本弥助の森平七郎襲撃は、おもいもかけぬ波切八郎の出現によって、完全に成功した。  岡本が昂奮《こうふん》し、泪声を発したのも、 (むり[#「むり」に傍点]はねえや。岡本の旦那は、地獄へ入りかけたのだからな)  伊之吉も、昂奮していた。 (よかった……これも波切先生のおかげだ。岡本の旦那、このことを忘れてはいけませんぜ)  胸の内で、伊之吉は岡本へ語りかけている。  波切八郎は、唇《くち》を噛《か》みしめ、寄りつきがたい相貌《そうぼう》となっていた。 (あれ[#「あれ」に傍点]よりほかに、森平七郎とやらを殪す手段《てだて》はなかったろうか……?)  いまにして、しきりに、そのことがおもわれる。  あのとき、屋内の斬り合いの物音を聴いて、波切八郎は伊之吉へ、 「此処《ここ》に待て。うごいてはならぬぞ」  と、いい、台所から廊下へ出た。  下男たちの部屋の前へ来たとき、八郎の背後を岡本弥助が走りぬけ、玄関に面した廊下へ出たわけだが、このとき、無我夢中となっていた岡本は八郎に気づかなかった。  納戸《なんど》を出た森平七郎が、廊下をまわって来た岡本を迎え撃ったとき、八郎は、森がぬけ出て来た納戸口の廊下まで来ていた。  そこで、 「岡本。きさま、このわしを討てるとおもったのか」  という森平七郎の声を、耳にしたのである。  すぐさま八郎は、廊下を森の背後へまわった。  眼前に、森が岡本を圧倒している。  岡本が尻餅《しりもち》をつき、森が、まさに岡本の頭へ大刀を打ち込もうとした。  咄嗟《とっさ》の場合だ。  八郎が大刀を鞘《さや》ごとに脱し、森平七郎の背後から組みついたのも、当然といえよう。  けれども波切八郎としては、 (どうも、おもしろくない……)  このことであった。  八郎は、森と正面から斬り合うつもりでいた。  自分の姿を、森に、はっきりとみとめさせておいてから闘うつもりでいたのだ。  岡本弥助同様に、森平七郎にとっても波切八郎の出現は、 (おもいもよらぬ……)  ことであった。  八郎の攻撃は奇襲となってしまった。  それもこれも、岡本の一命を救うためには仕方もないことだったが、八郎としては何か割り切れぬおもいが残る。 (もっと、ほかの仕様があったのではないか?)  たとえば、 「森平七郎、見参《けんざん》!!」  の叫びを背後から投げつけていれば、森もはっ[#「はっ」に傍点]として振り向いたやも知れぬ。  振り向いたなら、その隙《すき》を岡本は見逃さなかったろう。  波切八郎ともあろうものが、敵の背後から組みつくなどということは、八郎自身にしても意外のことであった。  何故《なにゆえ》、自分がそうしたのか、どうしてもわからぬ。  大刀を帯から脱して投げ捨てたのは、一瞬の間のことであったが、 (なぜ、自分は、あのとき大刀を投げ捨てたのか。それならば抜き打ちに森平七郎へ一刀を浴びせかけられたではないか……)  それとても、正々堂々の立合いとはいえぬ。  いずれにせよ、森の背後から、八郎が襲いかかったことについては同じなのだ。 (まさかに……おれは、森平七郎を恐れていたのではあるまい)  ともかくも、あの場合、岡本を庇《かば》って森の正面へまわる余裕はなかった。  波切八郎は、岡本弥助に助勢をするため、伊之吉の請《こ》いをいれ、此処まで来たのではなかったのか……。  それならば、八郎は当然のことをしたまでである。  わざわざ、森平七郎の背後へまわったのではない。  薄明の廊下を、偶然に森の背後へ出てしまった。  もしも八郎が、岡本の背後へ出たなら、岡本と入れかわって森の正面から相対したろう。  そのことについては、八郎も自分の行動に疑念はなかった。  なかったにもかかわらず、 (岡本弥助ほどの男が恐れていた森平七郎と、正面から立合えなかった……)  その悔いが、波切八郎の相貌を険しいものにしている。      十二  朝靄《あさもや》がたちこめている木立の中をえらび、先導の岡本弥助《おかもとやすけ》は西へ西へとすすむ。  その殿《しんがり》をつとめるかたちとなっている、波切八郎の脳裡《のうり》に浮かびあがった男の顔があった。 (あ……)  おもわず、八郎の足がとまった。  それは、額が異常に張り出し、鷲鼻《わしばな》の高木勘蔵の顔であった。  一昨年の夏。  お信《のぶ》の、 「高木勘蔵は、父の敵《かたき》でございます」  という言葉を信じ、音羽《おとわ》の高木勘蔵宅へ打ち込んだとき、波切八郎は高木勘蔵の恐るべき剣風に圧倒され、危《あやう》かった。  高木勘蔵の、六尺余の巨体と、凄烈《せいれつ》の殺刀に押し捲《まく》られ、体勢がくずれた八郎は、咄嗟《とっさ》に大刀を手ばなし、くずれた体勢のまま、高木の胴体へ組みついた。  いま一歩で、八郎を仕とめたと感じたにちがいない高木にとって、これは予想外の反撃だったろう。  組みついた八郎は、ちから[#「ちから」に傍点]にまかせて高木の睾丸《こうがん》を膝《ひざ》で突き撃った。  高木勘蔵は白眼《しろめ》をむき出し、仰向けに倒れ、八郎は差し添えの脇差《わきざし》を引きぬき、高木の頸動脈《けいどうみゃく》を切って仕とめた。  このようなかたちで相手に勝ったのは、波切八郎にとって、はじめての体験であった。  木刀で闘う試合などでは、まさに、 (おもいもよらぬ……)  ことだといってよい。 (そうか、あのときの……)  強敵・高木勘蔵を討ち取った強烈な体験が、先刻の森平七郎へ組みついた自分に、 (期せずして……)  あらわれたのだ、と、いま、波切八郎は気づいた。  納得はできたが、森の背後を襲ったことについては、尚《なお》も八郎はこだわっている。  しかし、あの場合、他《ほか》に仕様があったとはおもえぬ。  それにしても、森平七郎の最期《さいご》は、まことに呆気《あっけ》ないものであった。  岡本弥助は、 「す、凄《すご》い……」  感嘆の一語を発し、波切八郎を見あげたものである。 「さ、早く……」  と、木立をぬけた岡本弥助がいった。  その向うに大川(隅田川《すみだがわ》)の堤の道が横たわっている。  先《ま》ず、古沢伝蔵と、早川太平を背負った伊之吉《いのきち》が道へ出た。 「あっ。こいつはいけねえ」  伊之吉が低く叫んだ。  背中の早川が異常な呻《うめ》き声《ごえ》をあげ、躰《からだ》を激しく痙攣《けいれん》させはじめたのである。  伊之吉は身を屈《かが》め、早川太平を道へおろした。 「早川、しっかりしろ」  と、古沢伝蔵が早川太平を抱きかかえた。  このとき、岡本弥助は後から来る波切八郎を迎えに、木立の中を走りもどった。  考え込みつつ歩んでいた八郎は、少し遅れてしまっていた。 「おい、伊之吉。早く、岡本さんを……」  古沢にいわれて、伊之吉は木立の中へ駆け込んだ。 「早川……おい、早川。もう少しの……」  もう少しの辛抱だ、と、いいかけた古沢伝蔵が息をのんだ。  古沢の腕の中で、早川太平はがっくり[#「がっくり」に傍点]と息絶えてしまった。 「もし……もし……」  突然、靄の中から人の声がした。  古沢は、ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として振り向き、大刀の柄《つか》へ手をかけた。 「どうなされた?」  小柄《こがら》な人影が、靄の幕を割ってあらわれた。  秋山小兵衛である。  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の友川正信の隠宅を出て、靄の中をゆっくりと歩み、此処《ここ》まで来たときに、小兵衛は古沢の声をきき、何やら異常の事態が起ったと看《み》て、近寄って来たのだ。  ちょうど、このとき……。  岡本弥助と伊之吉が、一足遅れた波切八郎と共に木立の中をもどって来た。 「御病人か? それとも……」  声をかけながら、古沢へ近寄る秋山小兵衛に気づいた岡本が、八郎と伊之吉へ手を振って見せた。  三人は、木蔭《こかげ》へ隠れた。  すぐ向うに、堤の道が見え、靄の中から、秋山小兵衛が古沢へ近づいて来るのが見えた。  片膝を立てた古沢は、こちらに背を向けてい、息絶えた早川太平を抱えている。 「いや、何でもない。おかまい下さるな」  と、古沢伝蔵が小兵衛にいった。 「ふうむ……」  小兵衛は行き過ぎかけて、また足をとめ、古沢と早川を凝《じっ》と見まもった。  古沢は抱えていた早川の死体を道端へ横たえ、これを自分の背中へ隠すようにしながら、ちらり[#「ちらり」に傍点]と木立の方を見やった。  木蔭に隠れている三人の姿は、古沢の目に入らなかった。  岡本弥助と伊之吉は、いま此処で道へ出て行っては、 (かえって、怪しまれる……)  そうおもったし、相手が、おだやかな小柄な侍ひとりゆえ、古沢がうまくあしらってくれると考えていた。  一方、波切八郎は、 (まさに、秋山小兵衛殿……)  と、みとめて、尚更《なおさら》に身うごきができぬ。  いまこのとき、このような状況のもとで、たとえ頭巾《ずきん》に顔を隠しているにせよ、自分の姿を小兵衛に見られたくはない。  秋山小兵衛は、 「何やら、お連れが怪我《けが》をしているように見うけられるが……」  と、古沢にいった。  古沢伝蔵が、またしても木立の中へ目をやってから、すっ[#「すっ」に傍点]と立ちあがった。  岡本弥助は胸の内で、 (あっ……)  と、叫んだ。  しかし、もう遅い。  古沢は、小柄な相手を見くびっていたし、 (面倒な。斬《き》ってしまおう)  決断したのだ。  場合が場合である。  岡本弥助なら、また別の対応の仕方もあったろうが、腕に自信のある古沢伝蔵だけに、自分と早川の姿を見られて、それが森平七郎暗殺にむすびつくことをおそれた。  森たちの死体は、むろんのことに、居邸内へ放置したままであった。  それに、怪しまれても仕方がない姿なのだ。  古沢は頭巾をかぶっているし、足袋跣《たびはだし》だし、頭巾をぬがせた早川太平の顔は血まみれになっている。  物もいわずに、古沢伝蔵が秋山小兵衛へ迫り、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と抜き打った。  古沢が、どこをどうされたのか、伊之吉の目にはとらえきれなかった。  伊之吉も、まさか古沢が斬りつけようとはおもっていなかった。  立ちあがった古沢伝蔵の背中の、斜め左に、小柄な侍が見え、それへ向って古沢が躍りかかったと見えた一瞬、古沢は、石に躓《つまず》いたようによろめき倒れた。  飛び下った小柄の侍の手に刃《やいば》が光っているのを、伊之吉は見た。 「う……むう……」  唸《うな》りつつ、古沢は必死に半身を起し、大刀を構えた。  腰を沈めて抜き打った秋山小兵衛の一刀は、古沢の左脚を、ほとんど切断に近い状態にまで切り割っている。 「ばかめ」  と、小兵衛がいい、刀をひっさげたまま、身を返し、堤の道を南へ立ち去って行く。 「うぬ……」  古沢は歯噛《はが》みをしたが、小兵衛を追うことは、不可能であった。  あまりにも鮮やかな秋山小兵衛の手並を見て、凍りついたように立ちつくしている岡本弥助より先に、伊之吉のほうが我に返って、 「じょ、冗談じゃあねえ。旦那《だんな》、先生。早く……早く、舟へ……」  声をかけ、道へ飛び出して行った。      十三 (はて、妙な……?)  少し離れた木蔭《こかげ》から、秋山小兵衛は、岡本たちの行動を見ていた。  引きあげたと見せかけ、木蔭へ入ったのだ。  頭巾《ずきん》をかぶった侍が二人と、これも布で顔を隠した町人|体《てい》の男が一人、木立から走り出て、小兵衛に脚を斬《き》られた男と倒れていた男を担《かつ》ぎ、堤の向うへ消えた。  堤の下にひろがっている洲《す》の枯《か》れ葦《あし》の中にでも、小舟を待たせてあるに相違ない。  まだ、靄《もや》は霽《は》れあがっていないし、頭巾をかぶった侍たちの面体《めんてい》もわからぬ。 (だが、あの中のひとり……木立から走り出て来たうちのひとりに、何やら、見おぼえがあるような……?)  顔は頭巾に隠れていたが、その男の堂々たる体躯《たいく》を何処《どこ》かで見たような気がした。 (いずれにしても、怪しい者どもだ)  男たちの身仕度は、 (尋常のものではない……)  に、きまっている。  夜更《よふ》けから朝にかけ、この近くの何処かで異常の行動を起してきた男たちらしい。 (盗賊か……)  そうともおもえぬ。 (では、何処かへ打ち込み、人を襲ったのか……どうも、そのようだ)  突如、自分へ斬りつけてきた男の刃風も、鋭かった。  小兵衛は、木蔭から出て、彼らの後を追ってみようかとも考えたが、 (それも、よけいなことか……)  おもい直した。  はじめは、怪我《けが》をしている男の面倒を見てやるつもりで声をかけたのに、男を介抱していた連れ[#「連れ」に傍点]が、いきなり斬りつけてきた。  これは、 (悪いところを見られた……)  からといってよい。  天下《てんが》は徳川将軍の威風のもとに治まっているというのに、近ごろは物騒で不可解な事件が絶えぬ。  人の危難を見て、見すごすわけにはまいらぬが、不可解な異変を探るほどの興味は、いまの小兵衛になかった。  それよりも、一日一日を一道場の主《あるじ》として充実したものにすることが、先《ま》ず第一のことなのである。  ゆっくりと道へ出た小兵衛は、堤の上へ立ち、あたりを見まわした。  怪しい男たちの姿は、すでに消えていた。  靄に包まれて、海のように見える大川に、ぼんやりと荷船がうごいている。  秋山小兵衛が、四谷《よつや》・仲町《なかまち》の道場へもどったのは五ツ(午前八時)ごろで、靄は消え、日も昇りはじめた。  道場からは、早くも若い門人たちの気合声《きあいごえ》がきこえていた。  門を入った小兵衛へ、 「先生。お帰りなさいまし」  石畳の通路を掃き清めていた老僕《ろうぼく》の市蔵が、小走りに近寄って来るのを見た途端に、小兵衛の顔色《がんしょく》が、わずかに変った。  市蔵を見て、小兵衛に連想が生じたのだ。  このとき、秋山小兵衛の脳裡《のうり》に浮かんだのは、以前、本多伯耆守《ほんだほうきのかみ》・下屋敷(別邸)において試合をしたときの、波切八郎の姿であった。  あのとき、小兵衛は八郎に勝ったが、波切八郎の、すばらしい体格には目をみはったものだ。 (まさかに……?)  とはおもうが、木立から走り出た男の巨体を、 (何処かで見たような……)  と、感じたのは事実なのだ。 「ど、どうなさいました?」  気づかわしげに、こちらを見ている老僕の市蔵へ、我に返った秋山小兵衛が、 「何でもない、何でもない」 「あの、お顔の色が……」 「朝まで、正信《まさのぶ》先生と、のみあかしてしまったのだ」 「それは、それは……」  玄関の戸が内側から開き、妻のお貞《てい》が、 「内山《うちやま》さんが、もう、お稽古《けいこ》をはじめておられます」 「よし、よし。おれもすぐに道場へ行く」  市蔵の目を逃れるように、家の中へ入って行く秋山小兵衛を見送り、 (どうも、腑《ふ》に落ちない……)  市蔵は、不安の面《おも》もちとなった。  自分の顔を見た途端に、 (秋山先生は、ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としたように足をとめ、お顔の色が変った……)  これは、何を意味するのであろう。  その後で「何でもない」と、強いて笑顔をつくって見せた小兵衛だが、いかにも不自然であった。 (もしや、八郎先生に関《かか》わる事でも起ったのではあるまいか?)  波切八郎と密《ひそ》かに連絡がついていることを、小兵衛には隠しているだけに、市蔵の不安は層倍のものとなってきた。  小兵衛が下帯ひとつになり、裏手の石井戸のところへあらわれ、水を浴びはじめた。  酒気を洗いながし、門人たちへ稽古をつけるつもりなのだ。  水をかぶる小兵衛を、市蔵は玄関|傍《わき》に身を寄せ、そっ[#「そっ」に傍点]と窺《うかが》った。  何となく怖くて、裏手へまわれぬ。  水を浴び終えた秋山小兵衛は、台所から湯殿へ入り、躰《からだ》を拭《ふ》いてから、居間へもどった。  お貞が、手縫いの稽古着と袴《はかま》を小兵衛の前へ置くと、 「うむ……」  うなずいた小兵衛が、いったんは稽古着を身につけたまま、何やら考えている。 「あの、お袴を……」 「うむ……いや、あの……」 「どうなさいました?」 「今日は稽古をやめよう。内山|文太《ぶんた》をよんでくれ」 「お躰のぐあい[#「ぐあい」に傍点]でも、悪いのでございますか?」 「そうではない。急用をおもい出したのだ。これから出かける。何か食べさせてくれ」  朝餉《あさげ》は、稽古の後にするといった小兵衛なのである。 「急用でございますか?」 「そうだ」 「はい」  お貞は、よけいなことを尋《き》かず、すぐに立ちあがった。     除夜《じょや》      一  秋山小兵衛《あきやまこへえ》は朝餉《あさげ》をすませ、道場の稽古《けいこ》を剣友・内山文太《うちやまぶんた》にたのむと、早々に家を出て行った。  門外まで見送ってから、お貞《てい》が振り向くと、門内に市蔵《いちぞう》が立っていて、 「何か、急な事でも起ったのでございますか?」 「いつものように、何も言い置いてはゆかぬ旦那様《だんなさま》ゆえ……」  いいさして、お貞は笑ったが、市蔵は何やら陰気な顔つきでうなずき、裏の方へ去った。 (市蔵までが、妙な……)  これまでに、市蔵が、小兵衛の外出《そとで》について尋ねたりすることは一度もなかったのである。  さて……。  秋山小兵衛は辻駕籠《つじかご》を拾って、ふたたび、両国橋から大川(隅田川《すみだがわ》)を東へわたった。  そして、大川沿いの道を、さらに北へすすみ、 「お……この辺りでよい」  長命寺《ちょうめいじ》の門前で、駕籠を下りた。  ときに、昼近くなっていたろう。  宝寿山《ほうじゅざん》・長命寺の本尊は、等身の釈迦如来《しゃかにょらい》だという。  むかしは、小さな庵室《あんしつ》にすぎなかったが、寛永年間の或日《あるひ》、三代将軍・徳川家光《とくがわいえみつ》が、このあたりへ鷹狩《たかが》りに来たとき、急に腹が痛み出し、庵室でやすみ、手当を受けたことがある。  これが縁となって、 「寺の号《な》をあらためよ」  と、将軍の声がかかったのだそうな。  長命寺は、 「牛《うし》の御前宮《ごぜんのみや》」  と、よばれている王子|権現社《ごんげんしゃ》と境内を接しており、むかしのままの、深い松の木立が美しく、大川をのぞむ景観と相俟《あいま》って、 「ことさら、当寺は雪の名所にして、前に隅田河の流れをうけて、風色《ふうしょく》たらずということなし」  などと、物の本にも記《しる》されている。  秋山小兵衛は、牛の御前の本社へ詣《もう》で、境内をぬけ、またも堤の道へ出た。  大川に沿った堤の道は、このあたりから大きく東へ屈曲し、洲《す》や田地を抱え込むようにしながら、北へ伸びている。  長命寺の北側に、小さな茶店が出ているのを見て、小兵衛は中へ入った。  この茶店は七十前後の老夫婦がやっていて、前にも、友川正信《ともかわまさのぶ》の隠宅を訪れたとき、二度ほど立ち寄ったことがあった。 「あの茶店の甘酒は旨《うま》いぞ」  と、正信もひいき[#「ひいき」に傍点]にしているらしい。  ときによっては、わざわざ、女中を買いに出すほどだ。  その甘酒を注文し、小兵衛は茶店の縁台で一服することにした。  それから、今朝の現場へ行き、曲者《くせもの》らしい男たちがあらわれた木立の中へ入り、手がかりでもつかもうとしているのであろうか。 (もしも、あのときの大きな男が、波切八郎殿《なみきりはちろうどの》であったとしたら……」  これは、捨ててはおけぬ。  何となれば、八郎を慕う市蔵を、小兵衛が引き取っているからだ。  市蔵は小兵衛には内密で、旧主の波切八郎と会っているらしい。  それは、小兵衛のみが感じていることで、お貞も内山文太も知らぬ。  市蔵の身柄《みがら》を引き受けたからには、どうしても、波切八郎への関心が深くなるばかりであった。  しかも、今朝の、あの男たちの行動は、 (まさに、怪しい……)  わけだから、 (波切殿ほどの剣客《けんかく》が、もしも、彼らの仲間に入っていたとなると、これは市蔵の身にも関《かか》わることだ)  このことである。  そもそも、剣士としての誓約を破り、定めた日に、平林寺《へいりんじ》・門前へ波切八郎があらわれなかったことをおもい合わせるとき、秋山小兵衛の胸さわぎは容易にしずまろうとはしなかった。  甘酒をのみ終えて、小兵衛が煙草《たばこ》入れから煙管《きせる》を抜き出した。  風も絶え、ちかごろめずらしい暖い日和《ひより》となった。  この茶店は、簡単に板囲いをし、屋根をつけただけのもので、老夫婦は別の家に起居している。  大川を行き交う大小の船をながめつつ、煙草のけむりを吐き出した秋山小兵衛の耳へ、 「それがよ、斬《き》り合《あ》いは昨夜《ゆんべ》のことらしい。あの辺りは大変なさわぎだ」  と、いう男の声がきこえた。  茶店の裏側から入って来た百姓らしい中年男が、茶店の老夫婦にはなしかけているのだ。 「そこは、旗本の小西様《こにしさま》のお屋敷だろう?」  と、老|亭主《ていしゅ》。 「いや、いまは、どこかの学者先生が住んでいなさる」 「それじゃあ、斬り殺されたのは、その学者さんかえ?」 「どうも、そうらしい。町奉行所から出張《でば》って来て、見張りがついて、大変だよう」 「ふうん……」 「小者が二人いて、それは助かったらしい。逃げて知らせたのだろうよ」 「どこへ?」 「さあ、そこまではわかんねえがね」  小兵衛は、黙って聞いている。  どうも、わからぬ。  今朝の男たちと、その事件とは関係があるのではないか。  百姓の男が去った後に、小兵衛は老夫婦へ〔こころづけ〕をわたし、 「何ぞ、血なまぐさい事が起ったようだな?」 「へい、へい」  小兵衛の人柄が、一目でわかったとみえる老亭主が、 「お耳に入りましたかね?」 「うむ。物盗《ものと》りか?」 「さあ、どんなことやら、さっぱりとわかりませんでございますよ」  小兵衛は、さりげなく、 「どの辺りだ?」 「お諏訪《すわ》さまの社《やしろ》の近くなので……」 「物騒だな。お前さんたちも気をつけるがよい」 「ありがとうございます」  これだけ聞けば、もう充分であった。  秋山小兵衛は茶店を出て、塗笠《ぬりがさ》をかぶり、堤の道を北へ歩みはじめた。      二  森平七郎《もりへいしちろう》が住み暮していた居邸は、すぐにわかった。  居邸の周辺には人家もないが、土地《ところ》の人びとが数人、遠く離れた道端で、ひそひそと語り合っている。  居邸の門前には、突棒《つくぼう》を持ち、身ごしらえをかためた足軽が四人も立っていて、あたりに目をくばっているではないか。 (学者が斬《き》られたというが、いったい、どのような学者なのだろう?)  秋山小兵衛も、やや離れた木蔭《こかげ》から、居邸の門前を見まもった。  門内から、羽織・袴《はかま》の侍があらわれ、足軽のひとりへ何かささやき、また、門内へ引き返して行った。  長命寺の茶店で耳にしたところによれば、町奉行所からも役人が出張って来ているという。  殺人事件とすれば、町奉行所が、これを調べるのは当然であろうが、いま、この現場へ来て見ると、いかにも警備が、 (物々しい……)  のである。  これだけの警備がおこなわれているからには、 (世に知られた学者ではないのか?)  そこで、小兵衛は遠くで見物している土地の男に、それ[#「それ」に傍点]となく尋ねてみたが、 「さあて、何という名前だか、それは知りませぬよ」  と、いう。 「なんでも、おだやかな、人柄《ひとがら》のよい学者先生でしたがね。へえ、わしらに道端で出合っても、頭を下げなさるほどで……どうも全く、お気の毒なことでねえ」 「なるほど」  この居邸は、以前、旗本・小西|十兵衛《じゅうべえ》の別邸だったそうな。  いずれ帰宅してから、武鑑《ぶかん》によって小西十兵衛のことを調べて見るつもりの秋山小兵衛であったが、取りあえず、大川の堤の道へ引き返した。  今朝、怪しい男たちと出合った辺りへ来てみると、道端の土に、おびただしい血の痕《あと》がみとめられた。  これは、あきらかに、 (あのとき、おれが脚を斬った男が介抱をしていた男の躰《からだ》から、流れ出た血に相違ない)  そのほかにも、小兵衛に斬られた男の脚から落ちた血痕《けっこん》も残っていた。  秋山小兵衛は、怪しい男たちが飛び出して来た木立の中へ踏み込んだ。  此処《ここ》にも、積み重なった落葉の上に血痕がみとめられた。  それをたよりに、しばらく歩むうち、血痕が見当らなくなった。  間もなく、木立を突きぬけ、小道へ出た。  道の向うには田地がひろがっている。 (あの男たちは、何処《どこ》から来て、この木立へ入ったのか……?)  いずれにせよ、此処からは、殺された学者が住んでいた居邸に程近いのだ。  町奉行所では、木立の中の血痕に、まだ気づいていないのであろう。 (はて……)  しばらくは其処《そこ》に佇《たたず》んでいた小兵衛だが、 (や……?)  素早く身を返し、木蔭へ入った。  田地の向うの木立から、二人の男があらわれたのに気づいたからだ。  一人は、だれの目にもわかる町奉行所・同心の風体で、一人は、その配下の御用聞きらしい。  小兵衛は、木立の中を引き返した。  彼らに見つけられて、あらぬうたがいをかけられてもはじまらぬことだ。  小兵衛は、物足らぬおもいを胸に抱きながら、帰途についた。  夕餉《ゆうげ》をすませてから、居間へ入り、武鑑をひろげて見た。  小西十兵衛の名は、すぐに見つかった。  以前は御役目についていたのやも知らぬが、小兵衛が所持する武鑑によると、いまの小西は寄合衆《よりあいしゅう》に列していた。 〔寄合〕とは、三千石以上の無役の旗本が所属し、役目につかぬかわりに、幕府へ〔小普請金《こぶしんきん》〕というものを納めることになっている。  小西十兵衛|重元《しげもと》は三千三百石の寄合衆で、本邸は赤坂にある。  その以前の小西の別邸に住んでいた学者らしき人物が、昨夜、殺害《せつがい》されてしまった。  秋山小兵衛の想像によれば、その犯人は、今朝見かけた男たちらしく、その中に、波切八郎と思《おぼ》しき大柄の男がまじっていた……と、いうことになる。 (どうも、わからぬ)  帰宅した小兵衛に、老僕《ろうぼく》の市蔵は、なるべく顔を合わさぬようにしている。それが、はっきりと看《み》てとれた。 「もし……」  と、お貞《てい》が居間の外廊下から、 「入っても、よろしゅうございましょうか?」 「おお、かまわぬ」 「お調べものでございますか?」 「ちょいとな」 「市蔵が、また、何やら塞《ふさ》ぎ込んでおりますようで……」 「ほう……そうか」 「このところ、陽気にいたしておりましたが、急に、また……」 「ふうむ……」 「何か、あったのでございましょうか?」 「さて、な……」  生返事をする夫を、お貞は凝《じっ》と見つめた。 「お貞。妙な目つきで私を見るなよ」 「ですが、あの……」 「市蔵の胸の内など、私にもわからぬよ」 「はあ……」  ところが、その翌々日であった。  夜が更《ふ》けて、小兵衛夫婦が寝間へ入ったとき、お貞が小兵衛の耳もとへ口を寄せて、 「あの、実は……」 「何……どうした?」 「今日の昼下りでございましたが、市蔵に用事をたのもうとおもいましたが何処にもおりませぬ」 「ふむ、ふむ」 「そこで、門の外まで出てみますと……」  小兵衛宅と坂道をはさんで北側にある竜谷寺《りゅうこくじ》という寺院の門の蔭《かげ》で、市蔵が女と立ちばなしをしていたと、お貞は告げた。 「女……ひとりか?」 「はい」 「どのような女だ?」 「それが、女頭巾《おんなずきん》をかぶっておりましたので、しか[#「しか」に傍点]とはわかりませなんだ」  地味な衣服を身につけていたことだけはわかった。  だが、長く見ていると、 「こちらに気づかれるとおもい、すぐに門の内へ引き返してまいりましたが……」 「それでよい、それでよい」  間もなく、市蔵はもどって来たが、お貞が買物の用事をたのんだときも、女と密《ひそ》かに立ちばなしをしていたことなど、 「一言も洩《も》らしませなんだ」 「さようか……」 「それから、また、急に市蔵の顔へ笑いが浮かぶようになりまして」 「ふむ。日暮れどきに、お前と台所で語り合《お》うていた市蔵の声は、まさに弾んでいたようだ」 「あの女は、いったい、何処の女なのでございましょう?」 「わからぬな」 「このままにしておいて、よいのでございましょうか?」 「といって、市蔵が黙っているものを、問いつめても仕方があるまい」 「それは、まあ……」 「こちらも黙って見ているよりほかに、仕方はあるまい。市蔵も、いい年齢《とし》だ。これまでにはいろいろなことがあったのだろうよ」 「まさか、いまの市蔵が女のことで……」 「そんなことを、いっているのではない」  その翌朝。  秋山小兵衛が石井戸で水を浴びているとき、台所から出て来た市蔵が、 「お願いがございます」 「何だね?」 「目黒の道場の様子を見てまいりたいと存じます。おゆるし願えましょうか?」 「ああ、行っておいで」 「ありがとうございます」 「今日、行くか?」 「いえ、明日にでも……」 「そうか。好きにしなさい」 「かたじけのうございます。いつもいつも、わがまま勝手を……」 「なあに、少しも遠慮をすることはないのだよ」  何度も頭を下げ、市蔵は台所へ入って行ったが、秋山小兵衛は振り向こうともしなかった。      三  老僕《ろうぼく》・市蔵は、その日の昼ごろに、目黒不動裏門前の料理屋〔伊勢虎《いせとら》〕へあらわれた。  伊勢虎の座敷女中は市蔵の顔を見おぼえていて、すぐさま奥座敷へ案内をした。 「あっ……」  先に来て待っていた二人の客を見て、市蔵は、よろこびの声をあげた。  一人は、お信《のぶ》である。  一人は、ほかならぬ波切八郎であった。 「市蔵。変りもなく、すごしているようだな」 「は、はい」 「さ、こちらへまいるがよい」 「今日、此処《ここ》で、お目にかかれるとはおもいませなんだ」  伊勢虎で、はじめて、お信と語り合ってから、今日が三度目の市蔵であった。  お信が、秋山小兵衛道場の近くの竜谷寺《りゅうこくじ》の門前へ来て連絡《つなぎ》をつけ、日をあらためて伊勢虎で会う手筈《てはず》になっている。  ゆえに市蔵は、毎日の昼下りの、きまった時刻には、必ず竜谷寺門前まで出て行くことにしていた。  小兵衛の用事で、ちょうど同じ時刻に離れた場所へ外出《そとで》をしているときなど、 (もしや、今日、お信さまが見えているのではないか……)  気が気でない市蔵なのだ。  酒肴《しゅこう》が運ばれて来て、女中が去ってから、波切八郎が、 「市蔵。もっと、近くへ寄ってくれ」 「はい、はい」 「秋山小兵衛殿に、お変りはないか?」  問いかけた八郎の眼《め》に、市蔵は何やら胸さわぎをおぼえた。  市蔵の表情の変化を、毛すじ一つも見逃さぬといった鋭い眼の光りだったからであろう。 「さようか。ならば、よし」  うなずいた八郎が、 「秋山殿には、いろいろと世話をかけてしまった……」  深い嘆息を洩《も》らした。  お信は、さりげなく目を伏せている。 「秋山先生には、何と申しあげてよいやら……」 「そのことよ」  またしても八郎は、ためいき[#「ためいき」に傍点]を吐く。 「ま、一つのむがよい」  八郎が、市蔵へ酌《しゃく》をしてやってから、 「ときに市蔵……」 「はい?」 「いつにても、秋山道場から出られるか?」 「えっ……それではあの、私を引き取って下さるので?」 「うむ」 「そ、そりゃ、まことでございますか」  市蔵の皺《しわ》の深い顔へ、見る見る血がのぼってきた。 「なれど、秋山殿へは内密にしておかねばならぬ」 「と、申しますと?」 「気取られぬようにして、出て来てもらいたいのだ」 「…………?」  こうなると、市蔵には、八郎の言葉の裏に潜んでいるものがわからなくなってくる。 (八郎先生の手許《てもと》に引き取られるというのなら、秋山先生も、きっと、よろこんで下さるにちがいない……)  からである。 「あの……」 「何も尋《き》くな。私のいうとおりにしてくれ。それでないと、お前を引き取ることができぬぞ」  市蔵は、あわてて、 「おっしゃるとおりにいたします」 「たのむ」  よけいなことを尋いて、八郎の機嫌《きげん》を損じ、この機会を逃してしまっては、 (取り返しがつかぬ)  と、市蔵はおもった。 「では、あの……いつに?」 「今日がよい」 「今日、これからでございますか?」 「そのほうがよい」  市蔵は困惑した。  たとえ、黙って出て来るにせよ、あれほど親身になって世話をしてくれた秋山小兵衛夫婦に、市蔵は心残りがある。  あるといっても事情を打ちあけるわけにはまいらぬのだから、どうしようもないが、せめて自分の胸に納得がゆくようにして出奔をしたかった。  たとえば、念入りに、心をこめて、秋山宅と道場の清掃をすませるだけでも、自分の感謝の念を表現できるし、それは出奔後に、かならず秋山夫婦の目にとまるであろう。 「市蔵。その身一つで来ればよいのだ。そうしてくれ」 「は、はい……」 「後に、秋山殿へ、お前から手紙をしたためるがよい。私が、そっと人知れず届けるようにしよう」  波切家の仏壇と位牌《いはい》は、目黒の明王院《みょうおういん》へあずけてある。  気がかりなのは、それだけであった。  身のまわりの品物などは、どうにでもなる。 「わかったな、市蔵」 「わかりました」  こうなれば、八郎の指図に従うよりほかはない。 「これできまった」  と、波切八郎がお信へ、 「先《ま》ず、よかった」 「はい。市蔵さん、ようございましたね」 「お、おかげさまで……」  市蔵の両眼から熱いものが、ふきこぼれてきた。  お信が女中をよび、昼餉《ひるげ》の膳《ぜん》を運ぶようにたのんだ。  とりあえず、市蔵は、お信に伴われて何処《どこ》かへ行くらしい。  波切八郎は、 「近いうちに、折をみて、そちらへ行く」  とのことである。  仏壇の件を市蔵がいうと、八郎は、 「しばらくは、そのまま明王院へあずけておこう。いずれ、引き取るつもりだ」  と、こたえた。  やがて……。  昼餉をすませた三人は、伊勢虎を出た。  先ず、女頭巾《おんなずきん》に顔を隠したお信と市蔵があらわれた。  それを、秋山小兵衛は目黒不動境内の木蔭《こかげ》から見ている。  小兵衛は、秋山道場を出た市蔵の後を尾《つ》けて来たのだ。  竜谷寺の前で、市蔵と女(お信)が密談をかわしていたことを、妻のお貞《てい》から告げられたとき、 (やはり、な……)  市蔵と波切八郎との間に連絡がついていることを、小兵衛は直感した。  けれども、先日の一件がなかったら、小兵衛は市蔵の尾行などしなかったろう。  何といっても、不可解な波切八郎の行動に対して、秋山小兵衛は好奇心をそそられずにはいられなかった。  あの朝、覆面の曲者《くせもの》たちの中にまじっていた大男を、波切八郎だと断定してしまうわけにもゆくまいが、 (八分どおり、波切殿にちがいない)  小兵衛は、そうおもっている。  小兵衛の尾行には気づかぬまま、市蔵は例によって明王院へ挨拶《あいさつ》をしてから波切道場へまわり、清掃を終え、伊勢虎へやって来た。  そのとき、すでに、八郎とお信は伊勢虎の中にいたわけだから、小兵衛は、いま、はじめてお信を見たことになる。  いや、はじめてではない。  前に一度、小兵衛はお信を見かけている。  それは、橘屋忠兵衛《たちばなやちゅうべえ》が波切八郎に殺害《せつがい》されたとき、それと知らぬ小兵衛は雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の杉浦石見守《すぎうらいわみのかみ》の下屋敷へおもむいた。  その帰り途《みち》に、橘屋へ弔問にあらわれたお信と雑司ヶ谷町の通りで出合い、軽く躰《からだ》がふれ合ったものだから、お信が小兵衛へ「御無礼をいたしました」と挨拶をしている。  小兵衛は帰宅してからも、 (美《よ》い女だった……)  ぼんやりと、お信の顔を想《おも》い浮かべたものだ。      四  いま、伊勢虎《いせとら》から出て来たお信《のぶ》の顔は、女頭巾《おんなずきん》に半ば隠れていたので、 (あの女は、あのときの……)  と、わかったわけではないが、 (はて……どこかで見たような……)  すぐに、その感じがした。  竜谷寺《りゅうこくじ》前で、市蔵と密談していたのは、 (この女にちがいない)  小兵衛は遠ざかる二人の後を尾《つ》けようとして、 (あっ……)  ふたたび、木蔭《こかげ》へ身を隠した。  今度は、波切八郎が伊勢虎から出て来たではないか。  八郎は、あたりを見まわしてから浅目の編笠《あみがさ》をかぶり、市蔵たちとは反対の方向へ歩み出した。  塗笠の内から、これを見た秋山小兵衛は、咄嗟《とっさ》に八郎の尾行をすることに決めた。  そうなると、これは市蔵の尾行よりも骨が折れる。  八郎ほどの剣客《けんかく》には、油断も隙《すき》もないと看《み》てよい。  すると、そのとき、不動堂・裏門前の道を町駕籠《まちかご》が一つ、通りかかったのを見た波切八郎が、 「これ、駕籠や」  よびとめて何かささやき、その駕籠へ乗り込んだ。 (よし。これならば大丈夫)  小兵衛は、八郎を乗せた駕籠と、かなりの距離をへだてて尾行を開始した。  八郎は、人目を避けるつもりで町駕籠に乗ったのだろうが、駕籠の中からでは尾行者に気づくことはない。  駕籠|舁《か》きは、客を乗せた乗物を担《かつ》いでいるのだから前方と両傍《りょうわき》に神経をつかうが、後ろを振り向くことはほとんどないから、尾行がしやすいのだ。  目黒から白金《しろがね》へ出ても、江戸市中とちがって、道路の混雑はなく、小兵衛は悠々《ゆうゆう》と尾行をつづけることができた。  波切八郎を乗せた駕籠は、上野山下から入谷田圃《いりやたんぼ》へ入り、金杉《かなすぎ》下町の裏側で八郎を下した。  目黒から此処《ここ》までは約三里半もある。  師走《しわす》の日は、かたむいていた。  淡い夕闇《ゆうやみ》の田圃道を、八郎は歩み、三《み》ノ輪《わ》の笠屋茂平《かさやもへい》方の裏口から中へ入って行った。  雑木林の中から、秋山小兵衛は、これを見とどけている。 (よいあんばいに……)  八郎は、小兵衛の尾行に気づかなかったようである。  むろんのことに、小兵衛は三ノ輪の表通りへ出て、八郎が入った家が笠屋であることをつきとめた。 (こんなところに、波切殿は住み暮していたのか。どうやら独り暮しらしい。あの女と波切殿とは、どのような関《かか》わり合いがあるのだろう?)  しばらく物蔭から、笠屋を見まもっていた秋山小兵衛だが、やがて、駕籠を拾って四谷《よつや》の道場へ帰って来た。  すでに、夜に入っていた。 「まあ、どちらへ行っておいでなされました?」  出迎えた妻に、小兵衛は口を濁した。  今朝、家を出るときは、市蔵が意外に早く先に出て行ったので、 「ちょいと、出てくる」  あわただしく、お貞《てい》へ声を投げて走り出て来たのだ。 「お貞。市蔵はどうしている?」  すでに帰って来ているものとばかりおもい、居間へ入って袴《はかま》をぬぎつつ、小兵衛が尋ねると、 「まだ、帰ってまいりませぬ」 「何……」 「妙でございますね」 「ふうむ……妙だ、な」 「市蔵の後を、尾けておいでになったのではございませんか?」 「うむ。なれど、途中で見失ってしまったのだ」 「まあ……」  道場の稽古《けいこ》は、すでに終っている。  門人たちの相手をしてくれた内山文太も帰って行ったそうな。 「酒をたのむ」 「お風呂《ふろ》は?」 「いや、腹が減った。すぐに仕度をたのむ」 「あれからいままで、何も召しあがらずに?」 「そうだ」  お貞は、夫の言葉に不審を抱いたらしいが、何もいわず、台所へ入って行った。 (市蔵は、あの女と何処《どこ》へ行ったのか?)  どうもわからぬ。 (それにしても、あの女、どこかで見たおぼえがある……ような気がする)  眼《め》を閉じ、眉《まゆ》を顰《しか》め、記憶を手《た》ぐり寄せてみたが、おもい出せなかった。 「もし……もし……」  夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を運んで来た、お貞に声をかけられた小兵衛が、 「あ……」 「どうなされました?」 「いや、なんでもない」 「まあまあ、お顔が埃《ほこり》だらけでございますよ。さ、これで、お拭《ふ》きなさいまし」  熱湯をかけて絞った手ぬぐいを二つ、笊《ざる》にのせたのを小兵衛の前へ置いて、お貞が、 「今日は、ずいぶんと、お歩きになったようでございますね」 「うむ」  小兵衛は徳利の冷酒を茶わんへ入れ、一息に半分ほどのんで、 「あ……生き返った、生き返った」  わざとらしく、お貞へ笑顔をつくって見せた。  巻繊汁《けんちんじる》に焼魚と香の物、それだけの夕餉であったが、お貞の手料理はなかなかに旨《うま》い。  小兵衛は沈思にふけりつつ酒をのみ、食事をすませた。  お貞も無言である。  しばらくして、小兵衛は湯殿へ行き、もどって来ると、 「すまぬが、お貞。もう少し、のみたい」 「はい」  酒の仕度をしておいて、お貞は寝間へ行き、臥床《ふしど》の仕度にかかった。  小兵衛は、視線を一点にとどめ、黙念と酒をのみつづけている。      五  この夜、秋山小兵衛夫婦は、まんじり[#「まんじり」に傍点]ともしなかった。 (もしや、市蔵が帰って来るのでは……?)  だが、老僕《ろうぼく》の市蔵は、ついに秋山家へもどって来《こ》なかった。  翌朝、暗いうちに目ざめ、井戸端で水を浴びてもどって来た小兵衛が、稽古着《けいこぎ》を身につけながら、 「お貞《てい》、すまぬが、たのまれてくれぬか。伝馬町《てんまちょう》の助五郎《すけごろう》に来てもらいたいのだ。そうだな、昼ごろがよかろう」 「すぐに行ってまいります」  市蔵がいないので、この朝のお貞は、寒いのに薄汗《うすあせ》を顔に滲《にじ》ませ、立ちはたらいている。  秋山道場からも程近い四谷《よつや》・伝馬町に住む助五郎は、御用聞きであった。  いわゆる〔御用聞き〕は、町奉行所の手先となってはたらくわけだが、どこまでも奉行所の下部組織として刑事活動をする。  お上《かみ》の風を吹かせて、裏へまわると悪辣《あくらつ》な所業をする御用聞きが多い中で、助五郎のような男はめずらしい。  いささか、大形《おおぎょう》だが、 「仏の親分」  だとか、 「仏の助五郎」  だとか、土地《ところ》の人びとがよんでいるそうな。  助五郎は三十八歳だが、年少のころから苦労をしてきて、それが実を結んだといってよいのだろう。  見たところは、まるで五十男のような落ち着きがある。  数年前に、辻《つじ》道場で盗難事件が起ったとき、伝馬町の助五郎がやって来て、辻|平右衛門《へいえもん》の気に入られた。  それから、平右衛門は、何かというと助五郎をよび寄せ、市井《しせい》の事件やら、うわさばなしを聞くのがたのしみになった。  辻道場にいた秋山小兵衛と助五郎の交誼《こうぎ》は、こうして生まれ、月日がたつごとに深味を増してきたのだ。  助五郎は、女房《にょうぼう》お富《とみ》との間に、今年八歳になる弥七《やしち》という男の子をもうけている。 「長男なのに、弥七[#「弥七」に傍点]とは、どういうわけなのだね?」  小兵衛が尋ねたとき、 「いえ、私の亡《な》くなった父親の名が弥七と申しますので、その名をつけてやりたかったのでございますよ」  と、助五郎はこたえた。  助五郎は薄く痘痕《あばた》の浮いた顔の、目も鼻も口も大ぶりな、でっぷりとした躰《からだ》つきの男だが、弥七は子供ながら、母親のお富に似て、 「おい、助五郎さん。お前さんの子は大きくなると、女を泣かせるのではないかね」  いつか、小兵衛が冗談まじりにいったことがある。 「いえ、そんなことはさせません」 「どうして受け合えるのだ?」 「弥七は、私の跡目をつがせるつもりでおります」 「というと、やはり、御用聞きにするつもりなのか?」 「さようで。この稼業《かぎょう》は、ともすれば泥水《どろみず》をのみかねません」 「ふむ、ふむ」 「そこのところをのみこんで、しっかりと、お上の御用にはたらくことができるなら……奢《おご》った言い方になりましょうが、世のため、人のためになれますので」 「もっともだ」 「ですから先生。私は弥七を、はじめから真《まこと》の御用聞きにするつもりで仕込んでみたいと、こう考えております」 「なるほど」  小兵衛は、助五郎の思念を聞いて感服したものだ。 「それで、先生に、お願いがございます」 「ほう。何だね?」 「弥七が、もう少し大きくなりましたら、剣術を教えてやっていただきとう存じます」  即座に小兵衛は、 「よし、心得た」  と、引き受けたものである。  伝馬町の助五郎という御用聞きは、こうした男ゆえ、秋山小兵衛の信頼は厚い。  その助五郎を、この朝、小兵衛が招いたのは、ふと、おもいついたことがあったからだ。  朝餉《あさげ》をとらぬまま、小兵衛は、みっちりと門人たちへ稽古をつけ、水を浴びてから、昼前に母屋《おもや》へもどって来た。  今日は、内山文太が出て来ない。何か急な用事でもできたのであろう。  早くも、小兵衛の居間に助五郎が待っていた。 「これは助五郎さん。いそがしいのにすまなかった」 「何をおっしゃいます」 「いっしょに、飯をどうだ?」 「はい。では、遠慮なしに頂戴《ちょうだい》いたします」  助五郎は酒をのまぬ。  昼餉の膳《ぜん》には卵を割り入れた味噌汁《みそしる》に鰈《かれい》の煮つけ、大根の香の物であった。 「用談は、後にしよう」  先《ま》ず、食事をすませ、お貞が茶菓を置いて出て行くのを見送った秋山小兵衛が、 「お前さん、うち[#「うち」に傍点]にいる市蔵を知っていような?」 「ええ、それはもう……何度も、先生のお使いで、うち[#「うち」に傍点]へ見えました」 「そうだった、そうだった」 「市蔵さんが、どうかしたので?」  小兵衛がうなずいたので、助五郎は膝《ひざ》をすすめてきた。  このあたりは、さすがに心得たもので、小兵衛が低い声ではなしかけても聞きとれる位置まで、耳を近づけてきたのである。 「いまから聞いてもらうことは、他言無用にしてもらいたい」 「うけたまわりました」 「実はな、助五郎さん。どうも、私ひとりでは手に負えぬ事が起きてな」 「市蔵さんのことで?」 「ま、そうなのだが……私に関《かか》わり合いがないこともないのだ」  小兵衛は茶を一口のんでから、助五郎へ語りはじめた。 「ええ、研ぎ屋でござい。鋏庖丁《はさみほうちょう》、剃刀研《かみそりと》ぎ……ええ、研ぎ屋でござい……」  家の前の道を、研ぎ屋の声が、ゆっくりと去って行く。  火鉢《ひばち》の鉄瓶《てつびん》が、音をたてはじめた。      六  秋山小兵衛と助五郎は、それから一刻《いっとき》(二時間)ほど、密談をつづけていた。  小兵衛は、この男なら……と、見込んでいたので、自分と波切八郎との関係をつぶさ[#「つぶさ」に傍点]に語って聞かせた。  助五郎は、お上《かみ》の御用にはたらく御用聞きゆえ、先日の、寺嶋村《てらしまむら》の小西|十兵衛《じゅうべえ》旧邸内における森平七郎たちの殺害《せつがい》に、小兵衛の知っている波切八郎が関係しているとなれば、 「捨ててはおけぬ」  ことになるはずだ。  それを承知の上で、すべては内密にして事を運んでくれるようにと、小兵衛は助五郎に依頼をした。  つまり、波切八郎の身辺を探るのには、 (助五郎にたのむよりほかに道はない)  と、おもいきわめたからである。  小兵衛自身が、毎日、道場を留守にして、八郎の見張りをするわけにもまいらぬし、いかにすぐれた剣客《けんかく》であっても、たった一人で、このように慣れぬ仕事をつづけていれば、 (かならず、波切殿にさとられてしまう……)  に相違ない。  森平七郎殺害事件については、助五郎も知っていた。  ところが、あの事件については、奉行所の方から、 「手をかけてはならぬ。打ち捨てておくように」  との指令が、江戸市中の御用聞きへ伝えられたそうな。 「そうか……」  小兵衛は、憮然《ぶぜん》となった。 (これは、やはり、何かある……)  助五郎も真剣の面《おも》もちで、 「ねえ、秋山先生。これは、あまり深入りなさらぬほうがよいのではございませんか」 「ふうむ……」 「これは、お上のほうの、何やら、こみ入った事情《わけ》があるようにおもえます」 「そうだ、な……ま、お前さんに迷惑をかけてもいけないが……」 「いえ、先生。そんなことを申しあげているのではございませんよ」  助五郎は手を振って、 「先生は、その、波切八郎というお人のことを案じていなさる。そうでございましょう?」 「手を貸してやれるものならとおもう。あれだけの剣客は、いまの世に少い。それに市蔵が不憫《ふびん》でもあってな」 「ともかくも、このことは私に、おまかせ下さいまし。秋山先生は、いったん、何事もお忘れになって下さいまし」 「それは、また……?」 「いえ、探りにもいろいろございます。いま、先生にたのまれましたことは、寺嶋村の一件ではございません。波切八郎というお人を探るのでございますから、それは、よろこんでやらせていただきます」  助五郎が、きっぱりといったので、 「おお、そうか、そうしてくれるか」  秋山小兵衛は、ほっ[#「ほっ」に傍点]とした。  一時は助五郎に、ことわられるのではないかとおもったからだ。 「まことに、少いのだが……」  と、小兵衛は金三十両の包みを助五郎の前へ置いた。  これは、探りの費用のつもりであった。  波切八郎の身辺を探るについて、助五郎一人ではどうにもならぬ。  御用聞きは、それぞれに自分の手先を抱えている。  手先の多くは、自分の職業をもち、裏へまわって探索や市井《しせい》の情報をあつめたりして、彼らが「親分」とよぶ御用聞きのためにはたらく。  したがって御用聞きは、手先たちへも相応の報酬をあたえておかねばならないが、この費用がお上から出るわけではない。 「自腹を切る」  のである。  けれども、お上から御用聞きへあたえられる手当は、 「はなしにも何もならぬ……」  ほどに少い。  そこに、御用聞きの複雑な性格が生じるわけだ。  前にものべたように、御用聞きの特権を利用して、密《ひそ》かに甘い汁《しる》を吸う者もいる。  または、助五郎のように人望がある御用聞きであれば、土地《ところ》の人びとの信頼も深いから、商家の主人たちが、 「いつまでも、助五郎親分に、はたらいてもらわねば困る」  というので、金をあつめて助五郎を庇護《ひご》することにもなる。  当時は、現代のような警察制度はなく、奉行所の人員だけでは、種々の犯罪に目も手もとどきかねる。  それを、おぎなうのが御用聞きであった。  伝馬町《てんまちょう》の助五郎は、土地の人びとの庇護を受けているが、そのかわり、目をかけた手先を何人も抱えていて、自分の縄張《なわば》り内に犯罪を起きぬよう、それこそ命がけではたらいてきた。  助五郎は、一人息子の弥七が自分の跡目をついだときには、 (何とか一つ、商売でもやらせ、それを女房《にょうぼう》にまかせて、自分は、お上の御用にはたらくようにさせたい。そうしておけば、土地の人たちに迷惑をかけなくとも、存分にはたらけるだろう)  かねてから、そう考えている。  秋山小兵衛から聞かされた、波切八郎一件のはなしは、助五郎の興味をひいた。  興味といってしまうと語弊があるやもしれぬが、そうした一つ一つの埋もれた事件を探ることにより、少しでも人びとが幸せを得ることができるなら、 (それに、こしたことはない)  わけだし、そうした小さな積み重ねによって、 (世の中が、うまくととのってゆくのだ)  それが、助五郎の信念でもあった。  まして、秋山小兵衛は、助五郎が敬愛してやまぬ人物だ。  その小兵衛に肚《はら》を打ち割ってたのまれたことゆえ、できるかぎりのことをしたい。  けれども、はなしを聞いてみると、この事件は、 (どうも、底が深い……)  ように感じられる。  世の中は、理解のおよばぬ大小の秘密の累積《るいせき》によって成り立っているといってもよいほどだ。  たとえば、いまも健在でいるが、下谷《したや》の或《あ》る商家の主人は、 「ずっと前の将軍様《くぼうさま》の血をわけた御子《おこ》だよ」  と、助五郎は聞かされたことがあった。  聞かせてくれたのは下谷の御用聞きで、助五郎を我子《わがこ》のように目をかけてくれた老御用聞きの文蔵《ぶんぞう》だが、文蔵は去年の夏に病死してしまっている。  もし、文蔵の言葉が本当ならば、大名・旗本とて、そうした例は、 「いくらでもある……」  と、看《み》てよい。  いずれにせよ、危険な事件には、 (秋山先生を巻き込みたくはねえ)  それゆえにこそ、小兵衛へ、 「先生は、いったん、何事も忘れて、私にまかせておいて下さいまし」  と、念を入れたのだ。  助五郎は、秋山小兵衛が出した金三十両を、遠慮せずに、 「では、おあずかりしておきます」  ふところへおさめた。  もしも、小兵衛が金に困っているようならば、助五郎は決して受け取らなかったろう。  それに、たとえば、 「このお金は、いりません」  辞退したところで、出した金を引き込めるような小兵衛ではないことを、助五郎はじゅうぶんにわきまえている。  秋山小兵衛が道場開きをしたときには、見事な鯛《たい》を一尾に、清酒の柄樽《えだる》。それに十両の祝い金をそえてよこした助五郎なのである。  当時の十両といえば、庶民の一家族が何とか一年をすごせるほどの金といってよい。  助五郎の女房は一昨年から、近くの塩町一丁目に、荒物屋の小さな店を出し、八歳の弥七《やしち》を手つだわせて立ちはたらいている。  それも、夫の助五郎の仕事を、 (少しでも助けたい……)  からなのだ。  店を出すときは、伝馬町の表通りにある武蔵屋《むさしや》という料理屋の主人が、ちから[#「ちから」に傍点]を貸してくれたという。  後年、助五郎の子の弥七が、武蔵屋の娘と夫婦《みょうと》になることは、いまの助五郎と武蔵屋の、 (夢にも想《おも》わぬ……)  ことであったろう。  助五郎が帰った後で、ふたたび、秋山小兵衛は稽古《けいこ》をつけに道場へ出て行った。  老僕《ろうぼく》の市蔵は、ついに、この日も帰って来《こ》なかった。      七  秋山小兵衛が、伝馬町《てんまちょう》の助五郎に、波切八郎についての探りを依頼した日の夜に入ってから、三《み》ノ輪《わ》の笠屋《かさや》茂平方へ伊之吉《いのきち》があらわれた。  波切八郎は、お信《のぶ》と共に、目黒の伊勢虎《いせとら》で市蔵と会って以来、笠屋の二階から一歩も外へ出なかった。 「あげていただけないのではないかと、案じておりました」  と、二階へあがって来た伊之吉が、八郎にいった。  森平七郎らを斬《き》って立ち退《の》いた舟の中で、岡本弥助《おかもとやすけ》が、 「波切先生。明後日に、お目にかかりたい」  いい出るや、八郎は即座に、 「無用」  と、いった。  あとになって岡本が、伊之吉に、 「取りつく島もない」  こぼしたほどに、すげない口調であった。  いくらはなしかけても、無用の一言のみだ。  あの日、一同は、舟の中へ用意してあった衣類に着替え、八郎のみは浅草の駒形《こまかた》の岸へ舟を着けさせ、三ノ輪へ帰ったのである。  それだけに伊之吉は、訪ねても会ってもらえまいとおもったし、岡本弥助は、 「居所《いどころ》を変えてしまったやも知れぬが……」  と、案じていたほどなのだ。  だが、八郎はすぐに、二階へ通してくれた。 「波切先生。岡本の旦那《だんな》が、これを……」  と、伊之吉は袱紗《ふくさ》に包んだ小判を八郎の前へ置き、 「五十両でございます」  八郎は黙って、金包みを見ている。 「岡本の旦那が申しますには、この倍の御礼をしなくてはならぬそうで……ですが、後金《あとがね》は、もう少し……十日ほど、待っていただきたいのだそうで」 「後金はいらぬ」  こういって八郎は、ごく自然な手つきで金包みを受け取った。  伊之吉は、ほっ[#「ほっ」に傍点]とした。 「私は勝手に、飛び入りをしたのだ」 「冗談ではござんせん。先生が来て下さらなければ、いまごろ、岡本の旦那は、あの世[#「あの世」に傍点]へ行っておりますぜ」 「そのほうが、いっそ、面倒でなくてよかったやも知れぬ」  笑いもせずに、こういった八郎へ、 「先生も、ひどいことをいいなさる」 「だが、もう、これきりだと岡本さんへつたえてくれ」 「いえ、その……ねえ、波切先生。岡本の旦那は、ぜひとも、一度だけでもいいから、お目にかかりたいと申しております。いえ、だからといって、もう二度と御迷惑をかけるのではねえそうでござんす。ただ、お目にかかるだけでいい。そうして自分の口から御礼をいわなくては気がすまねえと……」 「会うことはない。会わぬほうがよい」 「どうしても、いけませんかえ?」 「いま、岡本さんは何処《どこ》にいる?」 「下白壁町《しもしらかべちょう》の和泉屋《いずみや》においでなさいます」  刺客《しかく》の早川太平《はやかわたへい》が死んだことは、波切八郎も知っていたが、秋山小兵衛の抜き打ちを左脚に受けた古沢伝蔵《ふるさわでんぞう》はどうしたろうか。  八郎が、それ[#「それ」に傍点]を尋ねると、 「何とか和泉屋へ担《かつ》ぎ込みまして、左脚を切り落し、手当をしておりますがね。どうも、うまくねえようで……」 「血が出すぎてしまった……」 「さようで。それにしても、あの小柄《こがら》な侍は、どこのどいつなのか……ともかくも、恐ろしく腕の立つ侍でございましたね」  古沢伝蔵の脚を斬ったときの、秋山小兵衛の姿が、あれ以来、八郎の脳裡《のうり》から消えぬ。  岡本弥助にしても、 「古沢ほどの男が、あれほど簡単にやられるとはおもわなかった。おれは、古沢が相手を仕とめたと見たのに……」  くやしくもおもい、小兵衛の手練の冴《さ》えに瞠目《どうもく》した。  八郎も、同じおもいであった。  間もなく、伊之吉は帰って行った。  しかし、伊之吉は、 (なあに、なんとかなるさ)  半ば安心をしていた。  自分を二階へあげてくれただけでも、八郎は怒っているわけではない。  当夜も、その気[#「その気」に傍点]がなければ、いかに伊之吉がたのんでも岡本の助勢に出向くはずがないではないか。  下白壁町の和泉屋へ着いて、伊之吉が階段を二階へあがって行くと、岡本弥助があらわれ、 「伊之吉。どうであった?」 「いましたよ、笠屋の二階に」 「そうか、そうか。先生は金を受けて下されたか?」 「ええ」 「よかった。それはよかった、何よりだ」 「ですがね、旦那には、もう二度と会いたくねえといいましたよ」  岡本の顔に失望の色が浮かんだ。 「旦那……もし、岡本の旦那……」 「うむ」 「古沢さんのぐあい[#「ぐあい」に傍点]は?」 「少し前に、死んだよ」      八  翌々日の昼前に伊之吉《いのきち》は、また、三《み》ノ輪《わ》へ出かけて行った。  岡本弥助《おかもとやすけ》が前夜、伊之吉と酒をのんでいて、急に、何をおもいついたかして、 「やはり、お前に、波切先生を見張ってもらいたい」  と、いい出したからである。 「見張って、どうするので?」 「もしやすると、以前のように、姿を暗《くら》ましてしまうやも……」 「そんな気《け》ぶりもありませんでしたがね」 「おれはな、伊之吉。何としても後金《あとがね》の五十両を、波切先生に受け取ってもらいたいのだ。あと七、八日で金が手に入ってくる。それまで、見張っていてくれ、たのむ。な、たのむ」  そういわれては、承知するよりほかに仕方もない。  岡本弥助は、死んだ早川・古沢の両人の後始末をし、後に残された古沢の妻子への手当もしたらしい。早川は独身であった。  三ノ輪へあらわれた伊之吉は、笠屋《かさや》茂平方と通りをへだてた川魚料理の〔川半《かわはん》〕の二階座敷へあがった。 「また、何かあったのかえ」  川半の亭主《ていしゅ》の惣吉《そうきち》が尋ねると、 「しばらくの間、毎日、この座敷をあけておいてくれ」 「いいとも。いったい、何をしているのだね?」 「前の通りを見張っているのさ」 「だれか、通るのかえ?」 「通るかも知れねえ、ということよ」 「男か、女か?」 「女だ」  と、伊之吉は嘘《うそ》をついた。  惣吉は、その上のことを尋ねようとはしなかった。  今日も昨日と同様に、まるで春のように暖い日和《ひより》である。  障子を開け、運ばれて来た酒をのみながら、伊之吉は笠屋の二階を窺《うかが》った。  通りは、人や荷馬が絶えることなく往来している。  と、そのとき……。  笠屋の二階の障子が開いた。  盃《さかずき》を置いた伊之吉が、障子へ顔を押しつけた。  二階の障子を開け放ち、笠屋の女房《にょうぼう》が掃除をはじめている。  ということは、八郎が二階にいないというわけだ。 (しまった。何処《どこ》かへ外出《そとで》をしたらしい)  もっとも、笠屋には裏口もあることゆえ、見張りをするといっても限度があった。  裏へまわって、この寒いのに一日中、木蔭《こかげ》から見張りつづけるわけにはいかない。  そんなことをすれば、道行く人にも怪しまれるし、伊之吉ひとりではどうにもならぬ。  それに、何も波切八郎を暗殺するための見張りではないのだから、そこまで念を入れなくともよい。 (だが、どうも妙な……)  掃除をしている笠屋の女房の姿が見え隠れするのを見ているうちに、伊之吉は不安をおぼえはじめた。  直感といってもよい。  女房の掃除の仕方が、単に、八郎の留守の間をえらんで、掃除をしているように見えないのだ。  波切八郎が何処かへ移転してしまい、その後の掃除をしているように感じられてならぬ。  女房の掃除が、かなり時間をかけ、念入りなのである。  一刻《いっとき》(二時間)ほど後に、おもいきって伊之吉は笠屋を訪ねてみることにした。  少し前に、女房は掃除を終え、二階の障子を閉めた。  笠屋の店番は、亭主の茂平がしている。  伊之吉は裏手へまわり、 「へい、ごめん下さいまし」  声をかけると、台所の戸が開き、女房が顔を出し、 「おや、先日の……」 「へい、そのせつはどうも。ええ、二階の先生はおいでになりましょうか?」 「あれ、御存知ないのですか。三上《みかみ》の旦那《だんな》は、昨日、引っ越しましたよ」  三上市蔵という名が、波切八郎の変名であることは伊之吉もわきまえていた。 「さようでございますか……で、どちらへ引っ越しに?」 「さあねえ」 「わからないので?」 「落ちつきしだいに、ここへ知らせるといっておいでなすったけれど……」  なんでも、朝も暗いうちに荷車が来て、わずかな道具を運んで行き、すぐそのあとで、八郎も出て行ったという。 「一昨日の夜、お前さんが帰ったあとで、急に、三上の旦那が引っ越しをするといいなすってね」  笠屋の女房の言葉に、嘘はないと見た伊之吉は、 「よくわかりましてございます。いろいろと、どうもお世話さまに……」  ぬかりなく買って来た菓子の包みを女房へわたし、和泉屋《いずみや》へもどって行った。 「それ見ろ」  と、岡本弥助が、 「おれのいったとおりではないか」 「何も怒ることはねえ」 「いや、おれが悪かった」 「波切先生はね、きっと、あの女のところへ行ったのでしょうよ」 「鞘師《さやし》の家のか?」 「ええ、きまっていまさあ」 「念のためだ。見て来てくれ」 「明日でいいでしょう、旦那」 「ま、仕方がない」 「どうも、すっかりくたびれてしまった……今夜はおもいきりのんで、ぐっすり眠りてえ」 「好きにしろ。おれは出かけなくてはならぬ。金が出たのだ。お前にも、わたしておかぬとな」 「ありがてえことで」  岡本弥助が出て行ってから、伊之吉は岡本のとなりの部屋へ入り、酒をたのんだ。 (やれやれ、また、穴八幡《あなはちまん》へ見張りに行かなくてはならねえのか……)  古沢伝蔵の遺体は、階下の奥の部屋に安置されているらしい。  古沢伝蔵のことを、ほとんど知っていない伊之吉は、線香をあげに行く気にもなれなかった。  白鳥《はくちょう》(大きな徳利)に冷酒がたっぷりと入って、運ばれてきた。  その酒を、伊之吉は茶わんで呷《あお》るようにのむ。 (岡本の旦那の正体は、いったい、何なのだろうか?)  伊之吉は、くわしいことを何も知らぬ。  また、これまでは強いて知ろうともしなかった。  五年ほど前に、伊之吉は、深川の外れにある細川越中守《ほそかわえっちゅうのかみ》・下屋敷の中間《ちゅうげん》部屋の博奕場《ばくちば》で喧嘩《けんか》をし、相手の博奕打ちを叩《たた》きのめし、 「ざまあ見やがれ」  細川屋敷を出て、夜更《よふ》けの平井新田《ひらいしんでん》の堀割《ほりわり》に沿った道を歩いていると、叩きのめした博奕打ちの仲間が七人ほど刃物を手に追いかけて来て、危《あやう》く殺されそうになったことがある。  折しも、通りかかった岡本弥助が無頼どもを追い散らし、伊之吉を助けてくれたのだ。  いまも、伊之吉は、そのときの岡本の颯爽《さっそう》とした姿をおぼえている。 「あっ……」  という間に、岡本弥助は無頼ども三人を堀割の水の中へ、ほうり投げてしまった。  その早わざに、残りの四人はびっくりして逃げてしまったものだ。  岡本の早わざには、伊之吉も目をみはり、 (世の中には、こんなに強い人がいるのか……天狗《てんぐ》が化けて出たのではねえか)  冗談ではなく、そうおもった。 (あのときにくらべると、岡本の旦那も何だか元気がなくなってしまったようだなあ。それに、老《ふ》けなすった……)  酒をのむうちに、伊之吉は眠くなり、押入れから蒲団《ふとん》を出すと、着のみ着のままで、中へもぐり込んだ。 (だが、これから先、岡本の旦那も、おれも、どうなってしまうのか……?)  そうおもって、 (いけねえ、いけねえ。おれも焼きがまわったようだ)  伊之吉は舌打ちをした。  伊之吉は両親の顔を知らなかった。  捨て子である。 (生きてこられたのが、ふしぎなほどだ)  いまにして、そうおもう。 (死ぬことなぞ、何でもねえ)  そうおもって、生きて来たのだ。  行先《ゆきさき》のことなど考えてみたこともなかったのに、酔いがまわったいま、突然、得体の知れぬ心細さに躰中《からだじゅう》を抱きすくめられた気がしてきた。 (どうしたのだ、おれとしたことが……)  また、伊之吉は舌打ちをした。  そして、掛け蒲団を頭まで引きかぶった。  そのまま、伊之吉はうごかない。  廊下に足音がして、和泉屋の番頭が、 「伊之さん。いま蕎麦《そば》を打ったのだが、食べないかね」  声をかけてよこした。  伊之吉は、こたえない。  障子を開けた番頭が「なんだ、寝てしまったのか」と、つぶやき、階下へ去って行った。      九  伊之吉《いのきち》は、たった一日ちがいで、波切八郎に、 (逃げられてしまった……)  ということになるが、一方、御用聞きの助五郎は、八郎の行先《ゆきさき》を突きとめていた。  助五郎は秋山小兵衛にたのまれた、その日から、早くも手配りをおこなった。  これがよかったのである。  波切八郎が三《み》ノ輪《わ》の笠《かさ》屋の二階から移転したのは、その翌日の朝だ。  そして、伊之吉が三ノ輪へ出向き、八郎の移転を知ったのが、つぎの日ということになる。  伝馬町《てんまちょう》の助五郎は、秋山小兵衛の依頼を受けた、その足で三ノ輪へ向った。 (ともかくも、下見をしておこう)  と、おもいたったのだ。  そして助五郎もまた、伊之吉同様に、 (此処《ここ》は見張りにくい……)  ことがわかった。  後になって、助五郎が小兵衛に、 「表と裏に分けて見張りませぬと……」 「そこなのだ、助五郎さん。わしも、そうおもった」  いずれにしろ、波切八郎が外出《そとで》をするか、または八郎を訪ねて来る者があれば、その者を尾行して行先を突きとめ、探りの輪をひろげてゆくのがもっともよい。  助五郎は小兵衛から、波切八郎の人相をよく聞いておいたが、 「何としても、この目で波切様の顔をたしかめておかぬと……そうおもいまして」  助五郎は小兵衛宅から三ノ輪へ向う途中、女房《にょうぼう》が商いをしている、塩町一丁目の荒物屋へ立ち寄り、 「今夜、帰れなくとも心配はいらねえ」  いい置いてあったので、この夜は、下谷《したや》・御徒町《おかちまち》の御用聞き文蔵の家へ泊めてもらった。  この日、伊之吉が波切八郎へ金をとどけに来たのは、助五郎が去って後だ。  文蔵は去年に病死してしまったけれども、古女房のお吉《きち》がいる。  文蔵夫婦には子がなく、お吉の姪《めい》の子の文太郎を養子にしてある。  この文太郎が成長し、近くの北大門町へ移って御用聞きとなり、養父の名の文蔵を名乗るようになるのは、もっと後になってからだ。  助五郎は翌朝、暗いうちに文蔵の家を出て、三ノ輪へ向った。  人は、だれでも、朝起きると顔を洗う。  笠屋の裏手には井戸があり、となり近所が共同で使用している。  そこで助五郎は裏手の木立に潜み、洗面にあらわれる波切八郎の顔、姿をたしかめておきたいと考えた。  冬のことだし、あるいは屋内の汲《く》み置《お》きの水で洗面をすませてしまうやも知れぬが、雨でも降らぬかぎり、人びとは井戸端へ来る。  まして、小兵衛や八郎のような剣客《けんかく》ならば寒気などは物ともしないし、現に小兵衛は、寒中の水浴びを欠かしたことがない。  助五郎が木立へ潜んで間もなく、中年の男が小型の荷車を挽《ひ》いて笠屋の裏手へあらわれた。  それを待っていたかのように、裏の戸が開き、波切八郎が顔を見せた。 「いくらも荷物はございませんでしたが、すぐに荷車へ積み込んでしまいました」  秋山小兵衛は、しばらく考えて、 「まさかに、先日、わしが後を尾《つ》けていたことを、波切殿は知っていまいとおもうが……で、それからどうなった?」 「私ひとりきりで、波切様の後を尾けるのは、うまくないようにおもいまして……」 「なるほど」 「そこで、先へまわって、荷車の後を尾けたのでございます」  波切八郎は荷車を挽いている中年の男に何かささやき、〔こころづけ〕のようなものをわたし、 「先へ行ってくれ」  と、いう声が、木蔭《こかげ》に屈《かが》み込んでいた助五郎の耳へもとどいた。 「先へ行け」ということは「後から行く」ことになる。 「やはりこれは、引っ越しをなさるのだとおもいました」  この尾行は、見事に成功した。  相手は、荷を積んだ荷車を挽いているのだから、実に尾行がしやすい。  荷車を挽く中年男は、途中で二度ほど、茶店へ寄って休んだりしたが、昼前に大久保村《おおくぼむら》へ入った。  現代の大久保は東京都新宿区へ入っているが、当時は武州・豊多摩郡《とよたまぐん》の内で、江戸の郊外であった。  大久保村の法善寺という寺院の西方には、小旗本の居宅や民家もたちならんでいるが、それを過ぎると一面の田地と雑木林になる。  そのあたりの竹藪《たけやぶ》に囲まれた小さな家へ、中年男は荷車を着けた。 「小さいが、しゃれた構えの……あれは、どこかの寮か何かのようにおもえます」 「ほう……」 「ところが秋山先生。その家の中から、市蔵さんが出てまいりましたよ」 「そうか……やはり、な……」 「市蔵さんのほかに、背の高い、大柄《おおがら》な女のひとも出てまいりました」 「大柄の女……」 「さようで」 「年齢《とし》のころは?」 「もう年増《としま》で、目鼻立ちも大ぶりの、両の目がぱっちりとした女でございました」  大柄な女というのなら、先日、目黒の伊勢虎《いせとら》から市蔵と共に出て来た、頭巾《ずきん》の女にちがいない。  だが、助五郎の説明だけでは、その女と、いつぞや雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の道で見かけた女(お信《のぶ》)とが、一つにならなかった。  いまの小兵衛は、お信のことを、すっかり忘れてしまっている。  御用聞きの助五郎は、それから一刻《いっとき》ほど、木蔭に潜んでいた。  荷車を挽いて帰って行く中年男の後を尾けようかとも考えたが、やめることにした。  それよりも、波切八郎が後から来るかどうかを、たしかめておきたかった。  八郎が姿をあらわし、家の中へ入って行くのを見とどけておいて、助五郎は四谷《よつや》へ引き返し、二人の手先に、その家のことを探るようにいいつけ、夜に入ってから、秋山小兵衛へ報告にあらわれたのである。 「御苦労だったな。これからも、よろしくたのむ」  と、小兵衛は助五郎の労をねぎらい、すぐさま、お貞《てい》に酒肴《しゅこう》の仕度をさせた。  こうなっては、 (お貞へも、内密にしておくわけにはゆかぬ)  そこで小兵衛は、前夜、お貞にすべてを打ちあけておいた。      十  伊之吉《いのきち》が、穴八幡《あなはちまん》裏の鞘師《さやし》の家を見に出かけ、夜更《よふ》けてから和泉屋《いずみや》へもどり、待ち受けていた岡本弥助《おかもとやすけ》へ、 「中へ入るわけにもいかねえので、この寒いのに旦那《だんな》、外の竹藪《たけやぶ》の中から見たり、外まわりを歩いてみたりしましたがね。どうも、波切先生は鞘師の家にいねえような気がする」 「女は、いたのか?」 「さあ、顔を見せねえから、よくわかりませんよ」 「女物の洗濯物《せんたくもの》が出ていなかったか?」 「裏に干してあったのは、男物ばかりで」 「ふうむ。どうしたのかな、波切先生は……」 「どうします、旦那。明日もまた、行けといいなさるので?」 「いや……まあ、いい」 「お、助かった、助かった」 「だがな、伊之吉。おれは何としても後金《あとがね》の五十両を、波切先生におわたししたいのだ。それでなくては気がすまぬ」 「向うは、いらねえといっていなさるのだ」 「金があっても邪魔にはならぬ」 「別に急がなくともいいじゃありませんか。ねえ、もう年の瀬も押しつまってきているのだ。何事も年が明けてからということにしたらどんなもので……」 「そうか……そうだなあ、いつの間にやら、押しつまってきたなあ」  岡本弥助は、雨戸を打つ冬の風音に聞き入った。  その横顔が、妙に老《ふ》け込んで見えた。 (旦那の、こんなにさびしげな顔を、見たことがねえ)  と、伊之吉はおもった。 「ねえ、旦那……旦那」 「う……何だ?」 「どうなすったのだ、そんなに、なさけねえ顔をして……」 「なさけない顔をしていたか?」 「いましたとも。さ、のみましょう。今夜は、おもいきってのみましょう」 「む……そうするか」 「よしきた」  伊之吉は階下へ飛んで行き、酒の仕度をして、もどって来た。 「ねえ、旦那。下で、こんなものをよこしましたぜ」  鍋《なべ》に張った出汁《だしじる》の中に、大根と油揚げが入っており、これに山椒《さんしょう》を振って、熱々のところを食べる。  伊之吉は、鍋を火鉢《ひばち》にかけ、 「寒い晩には、こんな、つまらねえものが旨《うめ》えのさ」  つぶやきながら、まめまめしくうごいた。  ちょうど、そのころであったろう。  夕餉《ゆうげ》を終えた秋山小兵衛宅では、お貞《てい》が台所へ出て、洗いものにかかっていた。  すると、門を叩《たた》く音がした。  お貞が通路へ出ようとするのへ、 「よし。わしが出る」  廊下から、小兵衛の声がかかった。  門を開けてみると、そこに、顔なじみの老爺《ろうや》が立っていた。  この老爺は夜になると、夫婦で、近くの喰違御門《くいちがいごもん》外の火除地《ひよけち》へ、饂飩《うどん》と酒の屋台を出している。冬の寒夜など、外出《そとで》から帰って来たとき、秋山小兵衛も立ち寄ることがめずらしくない。 「おお、老爺《おやじ》か。いったい、どうしたのだ?」 「いましがた、やって来た客に、これをたのまれましてね」  老爺が、小さく細く折りたたんだ手紙のようなものを差し出した。  受け取った小兵衛が、 「どのような人だったね?」 「へえ、別に変ったこともねえ人で……そうさね、四十がらみの実直そうな人でしたよ」 「町人かね?」 「へえ」 「いや、ありがとう。出て来てもかまわなかったのか?」 「なあに、屋台の番は婆《ばあ》さんがしておりますよ」  小兵衛は、老爺に〔こころづけ〕をわたして帰し、居間へもどり、手紙をひろげて見た。 「何か、あったのでございますか?」 「見るがよい。市蔵がよこしたのだ」 「まあ……」  それは、まぎれもなく、老僕《ろうぼく》・市蔵の筆であった。  手紙の中で、市蔵は何度も何度も、秋山夫婦に詫《わ》びている。  たどたどしく筆をすすめている市蔵の姿が、目に浮かぶようであった。  ただ、波切八郎については、一言もふれていない。 「いまは、おゆるし下さいまし、と、申しあげるよりほかはございません。市ぞう[#「市ぞう」に傍点]のいのち[#「いのち」に傍点]が絶えぬうち、かならずかならず、お目にかかり、おわびをさせていただきますでございます」  と、ある。  手紙は短いものだが、無断で出奔してしまった市蔵の苦悩が滲《にじ》み出ている。 「この手紙を、市蔵が饂飩屋へ持って来たのでございますか?」 「いや、市蔵ならば饂飩屋のおやじも知っている。手紙を此処《ここ》へ届けさせたのは、四十がらみの実直そうな町人だったそうな」  手紙をたのんだ四十男というのは市蔵でもなければ、波切八郎でもあるまい。  おそらく、三《み》ノ輪《わ》から大久保村《おおくぼむら》まで、八郎の荷物を運んだ男ではあるまいか。  波切八郎と件《くだん》の女、それに市蔵が移り住んだ大久保村の家については、今日の昼すぎに、伝馬町《てんまちょう》の助五郎から知らせが入った。 「やはり、寮(別荘)でございましたよ、先生」 「どこの?」 「淀橋《よどばし》に、伊橋屋《いはしや》という薬種問屋があるそうで……」 「おお、知っている。疝気《せんき》の薬で知られた店だ。市中にも二つほど出店があるらしい。では、その伊橋屋の寮なのか?」 「はい。先代の主人《あるじ》が建てたもので、その先代が亡《な》くなってのちは、ほとんど使っていなかったと申します。土地《ところ》の人たちは、波切先生が移って来たことなど、いまのところは、だれも知ってはおりませんようで」  助五郎の探りは、慎重をきわめている。  奉行所の指令を受けての探索ではないだけに、 (迂闊《うかつ》なまね[#「まね」に傍点]はできない)  このことであった。  夜が更けて、秋山夫婦は寝間へ入った。  しばらくして、お貞が、 「市蔵には気の毒でございますが、好きにさせてやったほうがよいのではございませんか?」 「ふむ……」 「何やら、気味が悪いことばかりで……」  お貞の声が、不安に曇っている。  まさに、お貞のいうとおりなのだ。  自分の道場を構えたばかりなのだし、よけいなことに気をつかうのは、 (ばかげている……)  と、おもわぬではない。  自分という男は、いささか、好奇心が強すぎるのではないか……と、おもう。 (波切殿は、さだめし、おれのことを気にかけているのだろうな)  八郎が、剣客《けんかく》としての誓約を破ったのは、取り返しのつかぬことであって、小兵衛が、これを公表すれば、江戸の剣術界から波切八郎は抹殺《まっさつ》されてしまう。  いや、八郎自身、自分を恥じ、 (おれに顔向けがならぬのだろう。そのおれの手許《てもと》に市蔵が引き取られていることは、なるほど、堪えがたかったのやも知れぬ)  それだけならば、秋山小兵衛も、市蔵の出奔を気にかけなかったろう。  いまは、助五郎の探りによって、市蔵が波切八郎の手許にいるとわかったからだ。 (だが……どうも、これは底が深い。いまの波切殿は、どのような人に変ってしまったのか……)  それが知りたかった。      十一  深川の、堀|大和守《やまとのかみ》・屋敷内の書院で、主《あるじ》の大和守|直行《なおゆき》と岡本弥助《おかもとやすけ》が向い合っていた。  この夜は、めずらしく酒が出た。  大和守は、 「岡本。近《ちこ》う寄るがよい」  と、側《そば》へまねき、人ばらいをした上で、岡本の酌《しゃく》を受け、自分もまた、岡本の盃《さかずき》へ酌をしたりしている。  これまた、はじめてのことなのだ。  冬の夜のことゆえ、次の間《ま》との境の襖《ふすま》は閉じられていた。  広縁に面した障子も閉じられており、その広縁には例によって、いつもの家来が控えている。  この家来の名を、近藤兵馬《こんどうひょうま》という。  二十八歳になるが、兵馬は独り身で、主・大和守直行の信頼が厚い。  密談の折に見張りをつとめるのは、ほとんど、近藤兵馬であった。  口に出したことはないが、岡本弥助は、近藤兵馬が嫌《きら》いである。  近藤とは、ただの一度も酒を酌《く》みかわしたり、親しく語り合ったことがない。  大和守邸を訪れたときのみ、わずかに言葉をかわすにすぎぬのだが、岡本弥助は、 (いかにも大和守様好みの家来だが、あの男の眼《め》の色に、人の心というものを感じおぼえたことがない)  つねづね、そうおもっている。  近藤兵馬の声にも顔色にも、まったく表情がない。 「のう、岡本……」 「はい」 「大御所様《おおごしょさま》が、お亡《な》くなりあそばしてより、わしに寄りついていた人びとが、日に日に離れて行くばかりじゃ」  吐息と共に、堀大和守がいった。  このような弱音を吐く大和守を、岡本は、かつて見たことがない。  何と、こたえてよいか、わからなかった。 「岡本。波切八郎の行方は知れたか?」 「いまだ、わかりませぬ」 「早《はよ》う、突きとめておくがよい」 「…………?」 「明年には、また、波切の腕を借りねばなるまいか、と……」  いいさして、大和守が、岡本の眼の中をのぞきこむようにした。  筋肉質の、がっしりとした長身。  頬骨《ほおぼね》の張った精悍《せいかん》な風貌《ふうぼう》。  心ある者が見れば、若き日の大和守が剣にせよ槍《やり》にせよ、相当な武術の鍛練を経ていることがわかるであろう。  それにしても、堀大和守は、 (またも、何やら、たくらみごと[#「たくらみごと」に傍点]をしておいでなのか?)  岡本弥助は、 (もう……もう、よいかげんにしたら、どうなのだ)  われ知らず、やりきれぬというおもいが顔に出たのであろう。大和守が途端に厳しい口調となり、 「岡本。いま一息のところじゃ。気をゆるめてはならぬぞ」 「は……」 「よいか、岡本。わしはな、このままですまそうつもりはないのじゃ。いま一度、かならず、世に出《いず》るつもりじゃ。いや、これまでは大御所様の蔭《かげ》にあって、隠密《おんみつ》のはたらきのみにすごしてまいったが、これよりは違うぞ。わしの名を、はっきりと天下《てんが》に知らしめるほどの、はたらきをせねばならぬ。いや、仕てのけるつもりじゃ」  大和守の声に、ちから[#「ちから」に傍点]が加わってきて、 「それには岡本。何としても金銀が要る。欲しい」  岡本には、わかるような、おもいがする。  森平七郎を討つための費用も相当なものであったが、まだまだ、それほどの財力なら、大和守にそなわっていると看《み》てよい。  しかし、大御所・徳川|吉宗《よしむね》の蔭にあっての隠密活動は、吉宗亡き後の堀大和守にとって何の益もなかった。  それならそれで、五千石の大身《たいしん》を、ひっそりとまもり、 (これよりは、世に埋もれたままで、すごされるのがよいのではないか……)  と、岡本弥助はおもっている。  だが、どうやら大和守は、これから莫大《ばくだい》な金をあつめ、大御所亡きのちの、幕府の要路へ運動をして、大きな役目に就任することをのぞんでいるらしい。  その野心を実現するのは、 (至難の事……)  のように、岡本は感じた。  いや、至難なればこそ、大層な運動費を必要とするわけなのだ。  大和守が手を打った。  音もなく障子が開き、近藤兵馬が両手をついた。 「兵馬。酒が切れてしもうた」 「は……」  障子をしめた兵馬は、広縁の端へ行き、ふところから鈴を束ねたものを出して振った。  すると、どこからともなく侍女があらわれる。  兵馬は、侍女に酒の仕度をいいつけ、その位置に坐《すわ》ったままで、酒が運ばれて来るのを待った。  書院の内では、大和守が、 「岡本。たがいに骨も折れようが、何としても浮かびあがらねばならぬ」 「は……」 「どうじゃ、そのようにおもわぬか?」 「…………」 「首尾よく、わしが世に出た上は、もはや案ずるにおよばぬ。岡本も、わしに仕え、落ちつけばよい」  何と、こたえてよいものか、岡本弥助は返事に困った。  そのような日が来るとは、これまでに一度も考えたことがない。  堀大和守と岡本弥助の関係については、いずれ書きのべねばなるまいが、岡本は自分に、落ちついた平穏な日々の暮しがめぐってこようとは、どうしてもおもえぬ。  これまでも、いまも、変りはない。  おそらく、これからもそうだろうし、望んでもいなかった。  一個の剣客《けんかく》としても、岡本弥助は、大形《おおぎょう》にいうならば、 「数えきれぬ……」  ほどに、人を斬殺《ざんさつ》してきている。  若いころから、岡本は生死をかけた決闘の場を、何度もくぐりぬけてきた。  先日、森平七郎を襲ったときも、返り討ちを覚悟していたわけだが、波切八郎があらわれ、岡本は、 「一瞬、地獄を垣間《かいま》見たかとおもったら、生きていた……」  のである。  いろいろと場合はちがうが、 「これで死ぬ」  おもいきわめたことも少くない。  そのたびに、 (おもいもかけぬ僥倖《ぎょうこう》が、おれを生かしてくれた。それがよかったか悪かったかは別にして……)  なのであった。  伊之吉《いのきち》や、また、波切八郎から見た岡本弥助は、得《え》もいわれぬ温い人間味と軽妙な諧謔《かいぎゃく》を兼ねそなえた男であった。  むろんのことに、岡本がそれだけの男ではないことも知っている。  しかし、岡本弥助という男の胸の底に、ぬきさしならぬ重さで澱《よど》んでいる、暗い絶望感については推測がつかぬ。  名も知られぬままに死んだ剣客の子として、岡本は生まれた。  母は、岡本が十五歳の折に病死している。  それも、いまにして、かえりみるとき、 (貧窮のため……)  であった。  そうした生い立ちの岡本弥助が、今日に至るまでの経路は、 (おれだけが知っている……)  ことなのだ。  堀大和守のために、隠密のはたらきをするようになってからの岡本は、金に困るようなこともなかった。  いや、しばしば、大金がふところへ入ってきた。  そうした金を、岡本は右から左へ、つかい果してしまう。  それもこれも、死ぬることのみを考えているからである。 (いつ死ぬるか、今日か明日か……)  強いていうなら、それは、少年のころから岡本の心身へきざみつけられている。  幼少のころは、貧困の生活が、その原因となっていた。  剣は強かった父の、世に出られぬ不満は、ついに父を酒乱へみちびいた。  病身の母親が、何ヶ月も帰らぬ父を待ちつつ、薄い粥《かゆ》を弥助にあたえながら、薬も買えずに病み疲れ、まだ四十にもならぬのに、朽ち殪《たお》れてしまったのだ。 (おれが、いつの間にやら、人を斬《き》って金を得るようになったのも……)  子供のころの貧困の苦しさから逃れようとする潜在意識が、岡本弥助には根強く存在していたからやも知れぬ。  岡本も、いまの波切八郎同様に、真剣での勝負へ一命をかける刺激と昂奮《こうふん》には、やはり、抵抗しがたいものがあったといえよう。  だが、いまの岡本は、 (それにも飽いた。疲れてしまった……)  のである。  やがて……。  堀大和守屋敷を出た岡本弥助は、当所《あてど》もないような歩みぶりで、冷えきった夜の闇《やみ》の中へ消えて行った。      十二  大久保村《おおくぼむら》の町屋の外れに、小さな酒屋がある。  御用聞きの助五郎は、この酒屋の中二階を見張り所として借りた。  屋根裏の中二階は一間《ひとま》きりで、窓の障子を開けると、伊橋屋《いはしや》の寮(別荘)への細道がよく見てとれる。  寮の先は雑木林になり、道も絶えてしまうから、寮への出入りには何としても、この細道を通らねばならない。  そこで助五郎は、酒屋の亭主《ていしゅ》へ、 「実は、こういう者だが……」  お上《かみ》からあずかっている十手《じって》を見せ、名乗りをあげ、 「このあたりへ、まぎれ込んで来るかも知れねえ男を張っているのだから、一つ、ちから[#「ちから」に傍点]を貸してもらいたい」  と、たのんだ。  酒屋は、老夫婦だけでやっている。いうまでもなく、助五郎が協力をたのむまでには、助五郎と二人の手先が酒屋の老夫婦についての下調べをしており、実直な人柄《ひとがら》で、秘密を洩《も》らすようなことはないと、見きわめがついたからである。 「これは、少いが……」  と、助五郎が礼金を出すと、亭主は、なかなかに受け取らぬ。それを、むりやり[#「むりやり」に傍点]に受け取ってもらった。  ともかくも、このようにせぬと、 (とても、見張れたものではない)  江戸市中のように、人家がたてこんでいて、人通りも多いほうが、見張るにも探るにも都合がよいのだ。  このところ、助五郎は他《ほか》の事件にも引っかかっていたので、寮に住み暮す波切八郎たちへの見張りを二人の手先にまかせておいたのだが、今日は町駕籠《まちかご》を飛ばし、様子を見にあらわれた。 「さっき、どこかへ出て行きなさいましたよ」  と、酒屋の亭主がいったので、助五郎は中二階へあがって待つことにした。  酒屋の女房《にょうぼう》が茶を運んで来て、階下《した》へ去るのを見すましてから、助五郎は窓の障子を細めに開けた。  すると、寮への細道から、手先の庄次郎《しょうじろう》がもどって来るのを見た。  間もなく、庄次郎が中二階へあがって来て、 「親分。お待ちなさいましたか?」 「いま、来たばかりだ。何かあったのか?」 「へえ、いましがた、人品のいい年寄りが、あの細道を寮の方へあがって行ったので、念のためにたしかめに出たのでござんす」 「それで?」 「寮の中へ入って行きましたぜ」 「侍かえ?」 「いや、そうではねえが、侍にしてもおかしくねえような年寄りでござんす」 「そうか……」  別の手先の半平《はんぺい》は、夕方から庄次郎と交替することになっていた。 「寮の中にいる人たちは、相変らず外へ出て来《こ》ねえか?」 「へえ。買物に出て来るのは、市蔵さんだけでござんす」  庄次郎も半平も、助五郎の使いで何度も秋山道場へ来ているから、市蔵の顔を見知っている。 「市蔵さんは、どんな様子だ?」 「この窓の隙間《すきま》から見たかぎりでは、別に萎《しお》れているようでもありません。何だか、秋山先生のところにいたときよりも、顔つきに張り[#「張り」に傍点]が出てきたようで……」 「ふうむ……」 「この見張りは退屈だ。どうも、糸口がつかめませんよ」 「何をいってやがる。今日は糸口がついたじゃあねえか」 「あ、そうか……」 「よし。その年寄りが出て来たら、おれが後を尾《つ》けよう」  昼すぎになって、寮へ入って行ったという年寄りが細道へあらわれた。 「親分、あれ[#「あれ」に傍点]です。出て来ましたぜ」  障子の隙間へ顔を押しあてていた庄次郎の声に、助五郎も顔を寄せて見て、 「なるほどなあ……」 「ね、立派な顔つきをしているじゃありませんか。それにさ、何だかこう、軽袗《かるさん》のようなものをはいているのも気になりますねえ」 「ふむ……庄次郎、後をたのむぜ」 「ようござんす」 「それからな、半平が来たら、お前はちょいとおれの家《ところ》へ寄ってみてくれ。もしも、おれがもどっていなかったら、待っていろ」 「わかりました」  助五郎は、老人が酒屋の前を通りすぎるのを待って、外へ出て行った。  今日の助五郎の身なりは、御用聞きの風体《ふうてい》ではない。  どこの道すじにも見かける、平凡な町人の姿になっている。  土地の人びとが「久左衛門坂《きゅうざえもんざか》」とよんでいる坂道を下って行く老人の背すじが、すっきりと正しい。  足の運びも、しっかりとしたものだ。  老人は軽袗をはき、白足袋に草履、短袖《みじかそで》の羽織を着て、頭巾《ずきん》をかぶり、細い竹の杖《つえ》を手にしているが、その杖にたよった歩みぶりではなかった。  その後姿《うしろすがた》を見やりつつ、尾行をはじめた助五郎は、 (あの年寄りは、以前に二本差していたにちがいない)  一目で看破した。      十三 「それが秋山先生。大久保村《おおくぼむら》からは、さして遠くもないところに住んでいる年寄りでございました」  と、伝馬町《てんまちょう》の助五郎が、翌朝、秋山道場へ来て、小兵衛に告げた。 「高田の、穴八幡《あなはちまん》の裏の、一軒立ちの家へ入りました。近所で聞き込みましたところ、何でも、名の通った鞘師《さやし》の家なのだそうで」 「鞘師、な……」 「はい。名を久保田宗七《くぼたそうしち》というのだそうでございますよ。おこころあたりは?」 「ないな」 「なるほどとおもいました。名の通った鞘師ならば、あの年寄りの様子も、うなずけます」 「ふうむ……」 「ですが先生。いまは鞘師であっても、むかしは、きっと御武家《おぶけ》でございますよ」 「そうか。お前さんが見たのだから、間ちがいはなかろう」 「明日からは、鞘師のほうへも、手をかけてみようかと存じます」 「ありがたいが、助五郎さん。私のたのみごとが、お上《かみ》の御用のさしさわりになるのではないか?」 「いえ、もう、何とか片づきましたので、これからは私も出張《でば》れようかとおもいます」 「すまぬなあ」 「何をおっしゃいます」 「波切殿と件《くだん》の女は、めったに外へ出ぬとな」 「はい」 「波切殿が外出《そとで》をするときが、むずかしい」 「おっしゃるとおりでございます」 「だが、そのときは見逃さぬようにな」 「大丈夫でございます」 「それにしても、助五郎さん……」 「はい?」 「間もなく、今年も終る。このぶんでは何事も、年が明けてからということになろう。手先の人には見張ってもらうとして、お前さんは少し、やすんでくれ」 「先生。それがいけませんので……」 「そうか」 「得てして、そんなときに事が起って、取り返しがつかなくなるものなのでございますよ」 「なるほど」  風は絶えていたが、空は冷え冷えと曇っている。 「雪になるやも知れぬ」 「おや……」  耳を澄ませた助五郎が、 「今日は、餅《もち》つきでございますね」 「そうなのだ」  と、秋山小兵衛が、さすがに、うれしげな笑顔となった。  自分の道場ができて、はじめて迎える正月のための餅つきである。  餅つきが、道場ではじまった。  門人たちがあつまり、餅をつくのは旧・辻《つじ》道場のならわし[#「ならわし」に傍点]であった。 「助五郎さん。間もなく、つきたての餅がくる。食べて行ってくれ」 「それは、どうも……」 「私の故郷《くに》では、つきたての湯気がたっている餅を千切って、胡桃味噌《くるみみそ》をつけて食べる。子供のころは、これが何よりのたのしみでなあ」 「ははあ……」 「ま、田舎のことゆえ、餅つきは正月にかぎらぬが、胡桃味噌は年の暮れの餅つきにかぎられていたものだ」  小兵衛の両眼は優しげな光りをやどして細くなり、甲斐《かい》の山里をなつかしむ様子が、助五郎にもよくわかった。  餅つきも終り、胡桃味噌をまぶした餅の馳走《ちそう》になって、助五郎は帰って行った。  それから、秋山小兵衛が門人たちに囲まれての酒宴になった。 「このありさまをごらんになったら、大原《おはら》の里におわす辻|平右衛門《へいえもん》先生が、さぞ、およろこびなさるでしょうな」  と、内山文太がいう。 「いや、そうではあるまい」 「秋山さん、どうしてです?」 「たとえ小さくとも、一城の主《あるじ》となるには秋山小兵衛、まだまだ早いとおもわれているにちがいない」 「ですが、あれほどに、お祝いを送って下されたではありませんか」 「それとこれとは、別のことよ」  大蝋燭《おおろうそく》が、ずらりとならんだ道場内での酒宴は、若い門人たちの活気にみちみちている。  台所と道場を忙《せわ》しげに行ったり来たりする、お貞《てい》の顔にも血色がみなぎり、この寒いのに薄汗《うすあせ》が滲《にじ》んでいた。 「秋山さん……」  と、内山文太が、そのお貞の姿を目顔でしめして、 「うれしそうですなあ」  小兵衛は苦笑し、照れくさそうに盃《さかずき》をほしたが、 「なあ、文太さん……」 「はい」 「おれはなあ、このごろ、つくづくとそうおもうのだが、どうもなあ……」 「何です、どうなされた?」 「こうして、小さな道場を構えてみて、はじめてわかったことなのだが……おれという男はなあ、文太さん。いささか、気が多すぎるようにおもう。何事も打ち捨てて剣一筋に打ち込む、いのちをかけるということができぬ男らしい。どうだ、そうおもわぬか?」  内山は、おどろいたように目を瞬《しばたた》いた。 「それとも、三十をこえてから、おれは変ってしまったのかね?」 「はて面妖《めんよう》なことをいわれる。どうなされたのです?」 「こういうのは、節介やきというのだろうよ」 「何の節介を、おやきなさる?」 「もろもろ[#「もろもろ」に傍点]のことに、な」 「わかりませんなあ」 「おれにもわからぬ」 「秋山小兵衛ともあろうお人が、そんなことをいい出されては困る。よろしいですか、あなたは、無外流《むがいりゅう》の名人として天下に名をうたわれた辻平右衛門先生が、牛若丸とよばれたほどの天才なのですよ」 「これ文太さん。声が大きい。よしなさい、そんなことをいうのは……」 「ですが、それにちがいない。これは、辻道場のだれもが知っていることです。よろしいですか、秋山さん。あなたは隠棲《いんせい》された平右衛門先生にかわって、辻・無外流の真髄を後世につたえる大きな役目が……」 「もういい。それくらいにしてくれ、文太さん」  小兵衛は閉口した。  なるほど、このように道場を構えたのも、正直にいって小兵衛の野心が、その第一歩を踏み出したことになる。  同時に小兵衛は、お貞を妻に迎えた。  これは、道場の主になると共に、家庭をもったことになる。 (おれも、平右衛門先生のように、生涯《しょうがい》、妻などというものを迎えず、世の俗事をはなれ、無我夢中で剣一筋に打ち込むべきであったやも知れぬ)  だが、お貞と家庭をもったことに悔いを抱いているのではない。  むしろ、お貞との日々が、たのしくてならぬところさえある。いうまでもなく、若い門人たちを鍛え、彼らが目に見えて、それぞれの持ち味を生かしつつ、進歩してゆく姿を見ることも、小兵衛の生《い》き甲斐《がい》であった。  つまるところ、道場と家庭との融合が、秋山小兵衛にとっては、 (まことに、うまく運んでいる……)  ことになる。  そのかわり、いま、内山文太がいったような、 「辻・無外流の真髄を、後世につたえよう」  などという野心は消えてしまったように、自分でも感じられる。  それよりも、日々の一つ一つの出来事へ、自分の心が吸い寄せられてゆくことを、このごろの小兵衛は感得するのである。  たとえていうなら、波切八郎にせよ、老僕《ろうぼく》の市蔵にせよ、いまの秋山小兵衛が気にかけることの何一つないはずではないか。八郎も市蔵も勝手に生きてよいのだ。  それなのに、気にかかる。 (われながら、どうかしている……)  しかし、どうしようもない。 (おれは、剣術なぞやるよりも、長屋の家主《いえぬし》にでもなるように、生まれついているのやも知れぬ)  このことであった。 「秋山先生、先生……」 「胴揚げだ。先生を胴揚げだ」 「先生、先生……」 「内山先生も胴揚げだ」  歓声をあげて若い門人たちが、見所《けんぞ》に並んでいる小兵衛と内山のところへ走り寄って来た。      十四  この年、宝暦《ほうれき》二年(一七五二年)の大晦日《おおみそか》の夜となった。  大久保村《おおくぼむら》の、伊橋屋《いはしや》の寮の奥の間にて、刀の手入れをしていたらしい波切八郎が、 「お信《のぶ》。市蔵も来てくれぬか」  と、廊下へ出て、声をかけた。  お信と市蔵は台所にいた。  お信の手つだいで、市蔵が、ようやくに年越しの蕎麦《そば》を打ち終えたところである。  二人は顔を見合わせた。  二人がいっしょに、八郎からよばれたことは、これまでに一度もない。  奥の間へ来た二人へ、八郎が、 「用事は、すんだのか?」 「はい。いま少しで……」 「すまぬが、はなしを聞いてもらいたい。いや、別に急ぐことではないゆえ、年が明けた明朝にでもとおもったが……気が変らぬうち、二人へ、はなしておいたほうがよいとおもった」  めずらしく、波切八郎が微笑している。  市蔵は八郎の、その笑顔を、何かめずらしいものでも見るように、ながめやった。 「何事でございましょう?」  と、お信。 「半年ほど、江戸を留守にしたい」 「おひとりで?」 「うむ。いつぞや、お信に、はなしたこともある丹波《たんば》の田能《たのう》の、石黒素仙《いしぐろそせん》先生の許《もと》へまいるつもりだ」 「それは、あの……」 「わかっている。いずれは……」  いいさして、ちょっと沈黙したが、すぐに八郎は、 「いずれは、お信も市蔵も共に江戸を発《た》ち、二人は京都にでも落ちつき、私は両三年ほど、素仙先生の許で修行をしたいと申したが……」 「その、お約束でございます」  お信が鋭い口調でいった。 「わかっている」 「ならば何故《なにゆえ》に……」 「半年ほどと申している。ともかくも私一人で行ってみたい。そうして、いずれは二人にも来てもらいたい。何といっても、丹波の田能は、私が全く見知らぬ山の中だし、先《ま》ず様子を見ておきたいのだ」  お信が、不安そうに、市蔵を見やった。  市蔵も、黙ってはいるが、同じおもいらしい。  口には出せぬ事が、いまの八郎の言葉の底に潜んでいることを、お信も市蔵も直感した。  八郎も、それを看《み》て取った。  秋山小兵衛が、 (江戸府内の剣客《けんかく》の中でも、十指に入るほどの手練者《てだれ》だ)  と看た波切八郎だが、口先で人を言い包《くるめ》るなどということは、到底、剣をつかうようにはまいらぬ。  しかし、 (押し切るよりほかに仕方もない……)  八郎は、おもいきわめていた。 「帰る。半年後には、かならず江戸へもどって来る」 「まことに?」 「まことだ、お信」  これは、嘘《うそ》ではない。  田能へ行こうと考えていることも事実であった。  では何を、八郎は隠しているのか。  それは、いかに相手が市蔵とお信であろうとも、口にのぼせるわけにはまいらぬ。 「わかってくれ、たのむ」  二人へ向って、八郎が頭を下げた。  こうなれば、二人ともに、 (承知をするよりほかに仕方がない……)  ではないか。 「はい。わかりました」  先ずお信がうなずき、つぎに市蔵が、これは無言で頭を下げた。 「八郎さま。では、市蔵さんと私は、この寮に住み暮したまま、待っていてよろしいのでございますね?」  膝《ひざ》をすすめて、お信が念を入れたのへ、八郎が、 「申すまでもない。そうしてもらわねばならぬ」  はっきりと、こたえた。  そこには、いささかの逡巡《しゅんじゅん》もなかったので、お信も市蔵も、やや安心をしたらしい。 「二人とも、わかってくれたな?」 「はい」 「市蔵。お信をたのむぞ」 「は、はい」 「これでよし」  胸に蟠《わだかま》った思いが溶けたかのように、またしても八郎の顔に微笑が浮かんだ。 「いつ、お発ちに?」 「年が明けて、早々に……」 「相わかりました」  お信と市蔵は、台所に去った。  波切八郎は、そのまま、身じろぎもせぬ。  顔の微笑は消え、引きむすんだ口に決意がみなぎっている。  このとき、近くの栄福寺《えいふくじ》・法善寺《ほうぜんじ》の鐘が鳴りはじめた。  除夜の鐘である。  八郎の両眼が光りを帯びてきた。  それは、殺気に近いものといってよい。  何故の殺気なのか……。  少くとも八郎自身は、おのれの両眼の異様なかがやき[#「かがやき」に傍点]に気づいてはいまい。  台所の戸が開く音は除夜の鐘の音に消されたが、 「とうとう、雪になりましてございますよ」  という、市蔵の声がきこえた。  この寮は、三間《みま》ほどの小さなものだ。 「降りそうで、なかなか降らなかったけれど……」 「さようで」  波切八郎が両眼を閉じたかとおもうと、急に、激しく身ぶるいをした。  身ぶるいは、すぐに熄《や》み、八郎の唇《くち》が、わずかにうごいた。 「これが、最後だ」  と、つぶやいたのだ。  そのつぶやきは、たとえ、お信と市蔵が傍《そば》にいても、おそらく聴きとれなかったであろう。     霰《あられ》      一  次の間《ま》との境の襖《ふすま》は閉じられていたが、例のごとく、家来の近藤兵馬《こんどうひょうま》は広縁に控えている。  近藤にも、手焙《てあぶ》りの火鉢《ひばち》があたえられていた。  年が明けて宝暦《ほうれき》三年(一七五三年)となった、正月十日の夜である。  堀大和守《ほりやまとのかみ》・屋敷内の書院で、呼び出された岡本弥助《おかもとやすけ》は大和守|直行《なおゆき》の側《そば》近くに坐《すわ》っており、弥助の前にも酒肴《しゅこう》の膳部《ぜんぶ》が出されている。  近ごろの堀大和守は、岡本を呼びつけると、かならず、 「近《ちこ》う寄るがよい」  酒肴を出し、みずから、岡本の盃《さかずき》へ酌《しゃく》をしてやったりするようになった。  以前には、 (まったく、なかった……)  ことであった。  それは、何となく、 (おれの機嫌《きげん》をとっておられる……)  ように、岡本には感じられる。  今日の昼すぎに、大和守の使いとして近藤兵馬が神田《かんだ》・下白壁町《しもしらかべちょう》の和泉屋《いずみや》へあらわれたとき、岡本弥助は外出《そとで》をしていたので、深川の大和守屋敷へ姿を見せたのは、ほんの少し前のことだ。  以前ならば、 「遅いではないか。何処《どこ》へ行っていたのじゃ」  その一言が、堀大和守の口から出たにちがいないが、今夜などは、 「夜に入って相すまぬな」  ねぎらいの言葉をかけられたほどなのだ。 「冷ゆるのう」 「は……」 「さ、のめ」 「かたじけなく……」 「遠慮いたすな。いま一つ、重ねるがよい」 「はい」 「のう、岡本……」 「は……?」 「依頼がまいってな」  岡本はこたえず、盃の酒をのみほした。  依頼とは何か……。  それが、どのような性質のものかを、岡本弥助はわきまえている。  依頼の事情を尋ねたところで、堀大和守が、こたえてくれるはずもないことを、岡本は知っていた。  またしても、どこからか、堀大和守へ暗殺の依頼があったらしい。これまでと同じことなのだ。 「このたびは、岡本|一人《いちにん》にてもよいとおもうが……なれど、波切八郎《なみきりはちろう》が加わってくれるならば、尚更《なおさら》によい」 「…………」 「波切の居所《いどころ》をつきとめたか?」 「いえ……いまだに……」 「岡本ともあろう者が、何とした?」 「たとえ、つきとめましても、もはや波切先生は、手を貸して下さるまいかと存じます」 「波切は、金が欲しくはないのか?」 「そのようにおもえます」 「妙な男よ」  岡本は、ふたたび沈黙した。  堀大和守は、その岡本弥助を見つめつつ、盃を出した。  岡本が酌をするのへ、 「ま、よい。すべて、岡本にまかせよう。先《ま》ず様子を見るがよい。費用《ついえ》は惜しまぬ。よいか?」 「は……」  岡本弥助の声には張り[#「張り」に傍点]がない。 「いかがした?」 「いえ……」 「躰《からだ》のぐあいでも悪いのか?」 「別に……」 「こたびの事には、さして骨が折れまい。つき従っている者もいるが、格別に腕の立つ者どもでもないらしい。しかも、討ち取る相手は少年《こども》ゆえ、な」 「こども……で、ござりますか?」 「さよう」  事もなげに、大和守がうなずき、 「岡本。いま少しの辛抱じゃ。わしが世に出《いで》たるときは、もはや、これまでのような事にかかわってはおられぬ。岡本にも安楽をしてもらわねばなるまい。よいか、それまでの辛抱じゃ」  ひそひそ[#「ひそひそ」に傍点]と語る堀大和守の言葉は、広縁にいる家来の近藤兵馬の耳へもとどかぬ。  近藤は手焙りの火鉢を傍《かたわら》に置き、半眼を閉じ、身じろぎもしなかった。  しばらくして、大和守が手を打ち、近藤兵馬をよび、 「酒を……」  と、命じた。 「心得ました」 「岡本は今夜、屋敷へ泊る」 「はい」  近藤は、いつものように広縁の端へ行き、懐中から鈴を束ねたものを出して打ち振った。  すぐに、侍女があらわれる。  近藤兵馬が、その侍女の耳もとでささやく。  侍女は、やがて酒の仕度をしてもどって来る。  堀大和守邸内の夜は、物音ひとつせぬ。  家来たちや侍女たちも、しずまり返っている。  奥には、大和守の嫡子《ちゃくし》で、今年十七歳になった精太郎《せいたろう》や、精太郎を生んだ側室がいるけれども、岡本弥助などは一度も顔を見たことがない。  大和守夫人は、八年ほど前に病歿《びょうぼつ》してしまったらしい。  酒が来て、近藤兵馬が書院へ運び、広縁にもどる。  堀大和守と岡本弥助の密談は、それから一刻《いっとき》(二時間)もつづいた。  翌日。  岡本弥助が下白壁町の和泉屋へもどって来たのは、午後になってからだ。  この朝も、堀大和守によばれて密談をかわしたのである。 「いったい、何処へ行っていなすった。こっちは昨夜《ゆうべ》から待ちくたびれていたのですぜ」  と、岡本を迎えた伊之吉《いのきち》がいった。 「そうか。すまなかったな」 「旦那《だんな》。顔色が悪いね」 「そうだろう。よくはないはずだ」 「どうなさいましたえ?」 「ふん……」  鼻の先で、自嘲《じちょう》するように笑った岡本弥助へ、 「その顔色が、たちまちによくなる知らせを持って来ましたよ」 「え……波切先生の居所がわかったのか?」 「そのとおり」 「何処だ?」  さすがに、岡本の眼《め》の色が変った。 「一昨日《おととい》の夜、牛込《うしごめ》にいる昔の知り合いのところへ泊りましてね」 「そんなことは、どうでもいい」 「それで昨日、帰りがけに、ふと思い立って穴八幡《あなはちまん》の鞘師《さやし》の家を見に行ったので……」 「ふむ、ふむ……」 「何といっても、いまのところ、手がかりはあそこ[#「あそこ」に傍点]だけだ」 「それで?」 「別に手がかりもねえだろうとおもいながら、退屈しのぎに出かけてみると、ちょうど旦那、あの女が何処からかやって来て、鞘師の家へ入って行くのを見つけましたぜ」 「ほ、ほんとうか。ならば波切先生も鞘師の家に?」 「こっちも、はじめはそうおもいましたがね。ところがちがう」 「いなかったのか?」 「木立の中へ入って、しばらく見張っていると、あの女が出て来ました」 「後を尾《つ》けたのだろうな?」 「いうまでもねえ。女は、大久保村《おおくぼむら》の、竹藪《たけやぶ》の中の一軒家へ入って行きましたよ」 「そうか。そこに波切先生がいたのだな?」 「そこまでは見とどけていません。あそこは鞘師の家よりも、もっと見張りがむずかしい」 「では、どうして波切先生が……?」 「いなさるにちげえねえ。旦那も、そうおもいませんか」 「そうだな。ふむ……そのようにおもえる……」 「ですがね、あそこは何だか、ちょいと怖い」 「何だと?」 「あらためて出直して来《こ》ようとおもい、帰って来る途中で、どうも、妙な気持がする。案の定、こっちの後を尾けて来る男《やつ》がいたのでござんす」 「おい、伊之吉。まさかに、お前……」 「旦那。心配なさることはねえ。気づいたので、すぐに撒《ま》いてしまいましたよ」      二  伊之吉《いのきち》の後を尾《つ》けたのは、御用聞きの助五郎《すけごろう》の手先・庄次郎《しょうじろう》であった。  庄次郎は、例の酒屋の中二階から、伊橋屋《いはしや》の寮(別荘)を見張っていたのである。  この日、寮から何処《どこ》かに出て行くお信《のぶ》の姿を見かけた庄次郎だが、見張りは一人きりだったので、あえて、後を尾けなかった。  お信を尾行している間に、もしも、波切八郎が外出《そとで》をするようなことがあれば、 (それこそ、取り返しがつかねえ)  そうおもったからだ。  午後になって、お信がもどって来たのはよいが、 「どうもその、妙な奴《やつ》が、あの女の後を尾けて来ましたので」  と、庄次郎が、別の手先と見張りを交替してから、助五郎へ報告に来た。 「そいつは、寮のまわりをうろうろ[#「うろうろ」に傍点]していましたがね、そのうちに帰って行きました」 「後を尾けなかったのか?」 「いえ、尾けましたとも。ところが親分、申しわけがねえ。市《いち》ヶ谷《や》のあたりで撒《ま》かれてしまいました。野郎、気づいていやがったので」 「そうか……ま、仕方もねえ」 「相すみません」 「お前を撒いたというからには、よほどの奴だ」 「申しわけがねえ、ほんとうに、もう……」  その怪しげな男の行先《ゆきさき》を突きとめたなら、新たな局面がひらけてきたかも知れぬ。  残念だが、どうしようもない。  隙《すき》のない相手を尾行するときは、どうしても一人ではだめだ。 (もう一人か、二人、見張りを増やしたほうがいい)  と、助五郎はおもった。  夜に入っていたが、助五郎は、すぐに秋山小兵衛《あきやまこへえ》宅へ行き、庄次郎の報告をそのまま告げてから、 「その男に、秋山先生は、おこころあたりがございませんか?」 「さて……」  小兵衛にも、わからぬ。  庄次郎は伊之吉の容姿を、くわしく助五郎へつたえたが、そうした男に、こころあたりはなかった。 「わからぬなあ……」 「庄次郎が感づかれてしまって、申しわけもございません」 「なあに」 「一人二人、手を増やすつもりでおります」 「ともかくも、お前さんにまかせる。それにしても、そやつが後を尾けられたことを知ったとなれば、これより大久保《おおくぼ》の寮へは迂闊《うかつ》に近づくまい」 「そのことなのでございますよ、先生。ですから私も気を揉《も》んでいるのでございます」 「ま、仕方がない。ときに助五郎さん。市蔵《いちぞう》の様子は?」 「時折、買物などに出てまいりますが、市蔵さんは見ちがえるように元気になったようで」 「ほう……」 「一昨日《おととい》も、酒屋へ酒を買いに来たのを庄次郎が蔭《かげ》から見ていますと、血色もよく、声にも張りがあったそうで」 「それは何よりだ」  市蔵が幸福《しあわせ》ならば、それでよいではないか。  何も自分が、波切八郎の身辺を探るようなことをしなくともよいのだ。  しかし、考えれば考えるほどに、そして助五郎の報告がとどくたびに、どうも見すごしてはおけぬおもいにとらわれてくる。 (おれという男とは、何という御節介なのだろう)  けれども、 (気になるものは仕方がない。これも、おれの性分《しょうぶん》なのだから……)  なのである。  何といっても寺嶋村《てらしまむら》の、あの事件が小兵衛の脳裡《のうり》から消えぬ。 (市蔵は、よもや、あの事を知ってはいまい)  秋山小兵衛は、 「助五郎さん。入費《かかり》が不足なのではないか? それならば何とでもしよう」 「とんでもないことでございます。先生から、おあずかりをした金は、まだ、たっぷりと残っております」 「ほんとうか?」 「ほんとうでございますとも。それに秋山先生。今度の事は、私にとっても知っておかなくてはならねえことだと存じます」  寺嶋村の事件を、 (お上《かみ》は、もみ消そうとしているらしい)  と、助五郎は直感していた。  それだけに、御用聞きとしての情熱を燃やしているのであろう。 「これからは私も、たびたび、大久保へ出張《でば》ってみます」 「すまぬなあ。おれにできることがあれば、いつでもいってくれ、よいな?」 「はい」  その翌日。  午前の稽古《けいこ》を終え、小兵衛が居間へ引きあげて来て間もなく、杉浦石見守《すぎうらいわみのかみ》の使者がやって来た。  使者は、石見守|孝豊《たかとよ》の家来・谷彦太郎《たにひこたろう》だ。  谷は、旧・辻《つじ》道場の門人であり、いまは秋山小兵衛に師事しているが、このところ、道場へは姿を見せなかった。 「主人《あるじ》の身辺が、にわかに、忙《せわ》しくなりましたので、ついつい稽古を……」  と、先《ま》ず谷彦太郎は両手をついた。 「いや、かまわぬ。何事も、お勤め第一だ。石見守様が御役にでも就かれるのか?」 「よくは、わかりませぬが……」  口を濁した谷彦太郎が、 「あるじが先生へ、おたのみ申したきことのあるとのことで、まかり出ました」  と、石見守の口上を小兵衛につたえた。      三  翌日の午後。  秋山小兵衛は紋つきの羽織・袴《はかま》を身につけて、表四番町の杉浦|石見守《いわみのかみ》邸へおもむいた。  杉浦石見守は、すっかり健康を取りもどし、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の下屋敷から表四番町の本邸へもどって二年目になる。  小兵衛は、数日のうちに新年の挨拶《あいさつ》のため、石見守邸へおもむくつもりでいたので、呼び出しを受け、恐縮の言葉をのべると、 「いやなに、秋山先生……」  と、石見守は丁重に、 「こなたこそ、谷|彦太郎《ひこたろう》の稽古《けいこ》を休ませて相すまぬ」 「御繁忙のおもむき、洩《も》れうけたまわりましてございます」 「去年の暮から、何かと、取り込んでまいってな」  七千石の大身《たいしん》旗本・杉浦石見守は、以前に小姓組番頭《こしょうぐみばんがしら》や御書院《ごしょいん》番頭などを歴任してきたが、このところ数年は病気療養のためもあり、御役についていない。  秋山小兵衛は、 (何やら重い御役目につくのではないか?)  と、感じたが、石見守のほうから言い出さぬかぎり、 (お尋ねすべきことではない)  そうおもっている。  谷彦太郎と侍女が、酒肴《しゅこう》の膳部《ぜんぶ》を運んで来た。  しばらく見ぬうちに、杉浦石見守の顔も躰《からだ》も肉づきがよくなり、断っていた酒盃《しゅはい》を手にするようになったのが、小兵衛には何よりもうれしかった。  しばらくは世間ばなしに興じたのち、石見守が谷彦太郎へ|めくばせ[#「めくばせ」は「目+旬」、第3水準1-88-80]《めくばせ》をした。  心得た谷が、給仕をしていた二人の侍女と共に引き下って行く。  谷は、近くに控えているらしいが、書院の中には石見守と小兵衛のみとなった。 「あたたかい日和《ひより》がつづくことよ」  ひとりごとのように、石見守がつぶやいた。  新しい年が明けて、五十四歳となった石見守|孝豊《たかとよ》だが、声音《せいおん》にも若々しい張りが出てきたし、血色もまことによい。 「のう、秋山先生。谷彦太郎をもってつたえておいたが、実は少々、たのみごとがあっての」 「何なりと、お申しつけ下さいますよう」 「さようか。かたじけない」  石見守が、わずかに頭を下げる。  このように石見守は、秋山小兵衛のような一介の剣客《けんかく》にも決して高ぶらぬ。  それは、小兵衛の恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》との関係もあったろうが、 (やはり、お人柄《ひとがら》だ)  と、おもわざるを得ない。  自分の家来たちにも、高ぶった態度を見せぬ石見守なのだ。 「実は、今年、十三歳になった少年をひとり、秋山先生に見ていただきたい」 「見る……と、おおせられますのは?」 「いや、秋山先生の剣を通じて、いろいろと教えてやっていただきたい」 「…………?」 「と申すより、月のうち二度、三度でもよい。その少年に剣術の手ほどきをしていただきたい」  月のうちの二度、三度の稽古では、剣術の手ほどきも何もない。  剣術などというものは、そのように、なまやさしいものではない。  それを知らぬ杉浦石見守ではないはずだ。  石見守は、沈黙した小兵衛の顔色を窺《うかが》っていたが、 「このように勝手気ままなたのみをいたすのも、その少年なるものが、自由自在に外出《そとで》もできぬ身ゆえ……」 「はあ……?」 「ゆえあって、しか[#「しか」に傍点]とは申せぬが、ゆるしていただきたい。実は、ある大名の血を引く少年《こども》なのじゃ」  小兵衛が石見守を見返して、うなずいた。  いまの石見守の一言で、何となく、すべてがわかったようなおもいがしたからである。  その大名の名を口に出せぬのは、種々の複雑な事情があるにちがいない。  大名の子といっても、おそらく正夫人の子ではあるまい。  その少年を、たとえ月に二度でも三度でも、小兵衛に接しせしめたいというのは、杉浦石見守が秋山小兵衛という人物を高く評価していることになる。  徳川将軍の家臣ではあるが、石見守孝豊は諸大名との交際もひろい。 「わかって下されたか、な?」 「はい」 「ひきうけて下さるか?」 「私めにてよろしければ……」  膝《ひざ》を打った杉浦石見守が、 「かたじけない」  またしても、頭を下げた。  小兵衛は両手をつき、 「何処《いずれ》へまいって稽古をいたせばよろしいのでございますか?」  まさかに、そうした身分の少年が、四谷《よつや》の自分の道場へ来るとはおもわれない。  他の門人たちに入りまじっての稽古では、はばかられることがあるに相違ないのだ。 「雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の下屋敷ではいかがであろう?」 「私は、かまいませぬ」 「さようか。わざわざ、先生に足を運ばせて申しわけもない」 「おそれ入りまする」  間もなく、秋山小兵衛は石見守邸を辞去した。  石見守は、しきりに引きとめたが、だからといって、いまの杉浦石見守が暇なわけはない。  日をあらためて、くわしい打ち合わせをすることになった。  ある大名の側室が生んだ少年について、杉浦石見守はなみなみならぬ関心を抱いているらしい。大名の家というものは、大なり小なり表には出せぬ秘密やら内紛が存在している。  そうしたものがない大名家などは、 (一家もない……)  といってよいだろう。  杉浦石見守が、 「剣術の手ほどきをしてもらう」  という名目で、その少年を秋山小兵衛に師事させようというのは、あきらかに、少年の健全な成長を願っているからであろう。  となれば、少年の父である大名との関係も深いものと看《み》なくてはならぬ。  少年は、どこやらの屋敷に住み暮してい、そこから雑司ヶ谷の杉浦石見守・下屋敷までやって来る。  そして、月に二、三度、秋山小兵衛に手ほどきを受ける。  むろんのことに、少年が、ひとかどの剣士となるわけではない。  石見守のねらい[#「ねらい」に傍点]は、小兵衛の剣を通じて、少年の心身が強く、たくましくなってくれることなのであろう。 (では、どのようにしたらよいか?)  淡い夕闇《ゆうやみ》がたちこめている道を歩みつつ、小兵衛は考えた。 (ともかくも、相手を見てからのことだ)  風も絶えていて、歩んでいると汗ばむほどであった。  このところ、冬の最中《さなか》ともおもえぬ日和がつづいている。      四  翌日も、よい日和《ひより》となった。  波切八郎は、午後になってから、 「お信《のぶ》どの。裏にいる」  と、いい置いて外へ出た。  二月に入って間もなく、八郎は江戸を発《た》ち、丹波《たんば》・田能《たのう》の山中にある石黒素仙の道場へおもむくことになった。  八郎が留守の間、お信と市蔵は、この伊橋屋《いはしや》の寮で住み暮すことになっている。  このごろは、お信も、 「半年ほど後には……さよう、この秋までには、かならず江戸へもどって来る」  という八郎の言葉に、うたがいをもたぬようになった。  事実、八郎は、そのつもりでいる。  だが、江戸へもどって来てからは、どうなるか知れたものではない。  八郎の胸の底に潜むものは、お信にも市蔵にもわからぬ。  寮の裏手の、木立の中へ踏み入った波切八郎は、腰の大刀をしずかに抜きはらった。  それは、亡父・波切|太兵衛《たへえ》遺愛の、越前康継《えちぜんやすつぐ》二尺四寸余の一刀である。  正眼に構えた大刀の切先《きっさき》の向うに、八郎は一人の男を見ている。  それは、秋山小兵衛であった。 (いまの自分では、到底、秋山殿に勝てまい)  八郎にとっては、まさに、波瀾《はらん》の四年だったといってよい。  その間に、 (おれの剣は、邪道に落ちた……)  そうおもわざるを得ない。  岡本弥助《おかもとやすけ》と共に、人を斬《き》ったのは、いずれも暗殺といってよい。  白日のもとでの、正々堂々の立合いは一度もなかった。  かつて、八郎が熱望していた真剣の勝負の機会は、このようなかたちで、おもいもかけずに何度も八郎へ訪れた。  それが、われながら不本意であり、後ろめたかった。 (これまでのことは、何も彼《か》も忘れてしまおう。田能の石黒道場で自分を鍛え直すのだ)  それが半年で可能かどうか、それはわからぬ。 (まだ、いかぬ)  半年後に、そうおもったなら、いったんは江戸へもどり、お信と市蔵にいいふくめて、さらに半年なり一年なり、田能へこもるつもりだ。  そして、 (これでよし)  となったときは、あらためて、秋山小兵衛へ真剣の立合いを申し込む決意をかためている。  申し込める筋合いではないし、小兵衛から撥《は》ねつけられるやも知れぬ。そうなれば仕方がない。  引き下るか……または強引に、小兵衛へ挑《いど》みかかるか、その二つよりほかにない。 (何としても、秋山小兵衛殿と真剣の立合いをしたい。これが適《かな》えられたら、後はどうなってもよい)  剣士としての波切八郎は、いまや、そこまでおもいつめている。  去年、大川の堤の道で、古沢伝蔵《ふるさわでんぞう》の左脚を切りはらった秋山小兵衛の早わざを木蔭《こかげ》から見て以来、そのおもいは決意に変った。  武州《ぶしゅう》の平林寺《へいりんじ》門前における誓約を破った波切八郎を、秋山小兵衛はゆるしてくれるのではあるまいか……。  小兵衛が八郎を軽蔑《けいべつ》していないことは、その後、市蔵へ親切をかけてくれたことを見てもわかる。  となれば、いさぎよく名乗り出て、再度の立合いを望めば、 「よろしい」  小兵衛は、承知してくれるようにおもえる。  もしも、断わられたときは、 (仕方もない。こちらより挑みかかるまでだ)  八郎は、そこまで、おもいつめている。  これは、八郎のような剣士の、宿命なのやも知れぬ。  午後の木洩《こも》れ日《び》が、越前康継の刀身へ煌《きら》りと光った。  波切八郎は、凝《じっ》とうごかぬ。  何処《どこ》かで、雀《すずめ》が鳴いている。  と、そのとき……。  半眼に閉じられていた八郎の眼《め》が活《かっ》と見ひらかれた。  八郎は大刀を引提《ひっさ》げたまま、木蔭へ身を寄せた。  だれかが、木立の中へ入って来たからだ。  その者は、足音を忍ばせるでもなく、こちらへ近寄って来る。 (何者か……?)  木立の中に、八郎が居ると知って来たのか。  それでなくては、このあたりの者がわけもなく、寮の裏手へ踏み込んで来るはずもない。  八郎は木蔭から相手を窺《うかが》おうともせず、立ちつくして、近寄って来る足音に耳を澄ませていたが、そのうちに、八郎の片頬《かたほお》へ微《かす》かに笑いのようなものが浮かんだ。  足音が、八郎のすぐ近くまで来て停《とま》った。 「よく見つけられたな」  いい出たのは、波切八郎であった。  八郎は康継の一刀を鞘《さや》へおさめつつ、木蔭から出た。  そこに、岡本弥助が立っている。 「波切先生。しばらくでした」 「む……よく、わかったな」 「私にも、おもいがけぬことで……」 「伊之吉《いのきち》を使ったな?」 「ま、どのようにもお考え下さい」  八郎の顔に怒りの色はない。  岡本は、さすがにほっ[#「ほっ」に傍点]として、 「御無礼を、おゆるし下さい」 「岡本さん。どこか、躰《からだ》のぐあいでも悪いのか?」 「そのように見えましょうか?」 「見える」  岡本弥助は、ちらり[#「ちらり」に傍点]と上眼づかいに八郎を見やった。  その眼に、何ともいえぬ哀《かな》しみがただよっているのを、八郎は見逃さなかった。  岡本は、ゆっくりと、懐中から袱紗包《ふくさづつ》みを出し、何やら必死の面《おも》もちとなって、 「去年の、あのときの後金《あとがね》です。どうか先生、お受け取り下さい」  と、いった。  その声に、切実な響きがあった。  岡本は、素直に八郎が受けてくれぬとおもっていたらしいが、 「さようか……」  意外にも波切八郎は、すぐに袱紗包みを受け取り、ふところへ入れた。  岡本が、さもうれしげに、 「ありがとう存じます」 「岡本さん……」 「何でしょう?」 「近いうちに、また、あのようなことをやるつもりらしいな」      五 「よく、おわかりですな」 「それは、わかる」  八郎の眼《め》が鋭く岡本《おかもと》を凝視したが、岡本は眼を逸《そ》らさなかった。 「岡本さん……」 「は……」 「むずかしい仕事なのか?」 「いえ、さしたることはありません。今度は、私ひとりにてやるつもりです」 「ふうむ……」 「それよりも波切先生。お願いがあります」  岡本|弥助《やすけ》は、つぎの暗殺を一人で決行するといった。  その声には、いささかのためらいもなかった。 「先生。岡本弥助は、二度と先生の前へあらわれぬつもりでおります。後金《あとがね》を、こころよく受けて下されてほっ[#「ほっ」に傍点]としましたが、実は、お別れに一献、酌《く》みかわしていただきたい」 「ふむ……」 「いけませぬか?」 「いや、かまわぬ」 「かたじけない」  と、それこそ、童児《こども》のように無邪気な笑顔となった岡本が、 「御都合は、いつがよろしいか、それを……」 「これからでもよい」 「まことですか、それは……」 「うむ。私にとっても、別れの……」 「え?」 「いや、何でもない」 「波切先生……」  何かいいかける岡本へ、八郎が、 「此処《ここ》で待っていてくれ、すぐにもどる」  いい置いて、寮の方へ去った。  間もなく、八郎はもどって来た。袴《はかま》をつけ、塗笠《ぬりがさ》をかぶり、両刀を帯している。  お信《のぶ》と市蔵へ、ことわって来たのだ。 「さ、まいろう。こちらからのほうがよい」  先へ立つ八郎へ、岡本が、 「私も、ずっと遠まわりをして来たのです」 「そうか」 「それとなく様子を見るつもりで、やって来たのですが、先生が刀を構えている姿をちら[#「ちら」に傍点]と見て、実はおどろきました」  八郎は、声もなく笑った。 (波切先生は、変られたようだ)  岡本は、そうおもった。 (何かが、ふっ切れたように見える。先生は、これから、何かしようとしているらしい。もしやすると、江戸を発《た》って何処《どこ》ぞへ向われるのではあるまいか?)  八郎が「私にとっても、別れの……」と、いいさした言葉が、岡本の胸に、まだ引きかかっていた。 「岡本さん。伊之吉は、どうして私の居所《いどころ》をつきとめたのだ?」 「申しあげましょう。御一緒の女の方を見かけたのです」 「何処で?」 「穴八幡《あなはちまん》の……」  いいかけた岡本を、足を停《と》めた八郎が笠の内から凝《じっ》と見た。 「先生。おゆるし下さい」 「はてさて……」  八郎が、ためいき[#「ためいき」に傍点]を吐いて、 「かなわぬなあ」 「これよりは、御安心下さい。手出しは決していたしません。ともかくも最後に一目だけでもと……いや、その、後金の五十両を何としても、おわたしせねばならぬと存じて……」  八郎が歩み出した。  林の中を出たとき、岡本弥助も手にした塗笠をかぶった。  右手は丘。左手には田地がひらけている。  道もない枯れ草を踏んで、二人は歩む。  この日も、例の酒屋の中二階には見張りの庄次郎がいて、ちょうど御用聞きの助五郎も来合わせていたのだが、寮の裏側からまわって来た岡本弥助を見てはいないし、これまた裏側から出て行った波切八郎と岡本にも気づかぬ。 「波切先生。あのお住居《すまい》には、気をつけぬといけません。先日、伊之吉《いのきち》が、お住居を見とどけての帰るさ、後を尾《つ》けられたと申しています」  またしても、八郎の足が停《とま》った。 「おこころあたりは?」 「ない」  しかし、何者かに見張られたとしても、 (これまでの、私がしてきたことをおもい合わせれば、ふしぎはない)  と、八郎はおもった。  こうなると、自分が江戸を発った後で、お信と市蔵をこのまま伊橋屋《いはしや》の寮へ残しておくのが、 (こころもとない……)  気もする。  となれば、鞘師《さやし》の久保田《くぼた》宗七方へ二人をあずけるよりほかはない。  ともかくも、油断はできぬ。  伊之吉ですら、お信が八郎と共に暮していたことを知っていたというではないか。  歩み出した八郎の後ろから、岡本弥助がいった。 「お留守にして、大丈夫なのですか?」 「いずれにせよ、あの家に残っている者たちには関《かか》わり合いのないことだ」  しかし、お信は八郎と知り合う前から、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の橘屋忠兵衛《たちばなやちゅうべえ》との関係において、一つの秘密をもっている。  お信をつけ[#「つけ」に傍点]狙《ねら》う者が、 (ないとはいえぬ……)  のである。 「どうなさいました、先生……」 「いや、私よりも、そちらのほうこそ、大丈夫なのか?」 「私なぞ、もはや……」 「もはや?」 「大丈夫も何も、ありはしませぬ」  波切八郎は、岡本の、その言葉の裏に潜むものを感じとっていた。 (岡本も、また、何やら決意をかためているらしい)  このことであった。  それが、どのようなものかわからぬが、 (もしやすると岡本は、死ぬ覚悟でもしているのだろうか?)  そのようにも感じられる。  となれば、今度、岡本が一人でやってのけるという暗殺は、 (よほどに、むずかしいのか?)  それならば何故《なにゆえ》、岡本は、 (今度にかぎって、自分に助勢をたのまぬのか?)  八郎には、そこがわからぬ。  もっとも、たのまれたからとて、 (それに応ずるわけにはまいらぬが……)  気がかりである。  何で、このように、岡本弥助の身が気にかかるのか、八郎は自分でもわからない。  さして長い交誼《こうぎ》があったわけでもなし、岡本の背後の奇怪な勢力というべきものについて、八郎は全く関知していない。  いや、いないからこそ、一個の人間としての岡本弥助に、こころをひかれるのやも知れぬ。 「波切先生……」  と、大きく迂回《うかい》をして表番衆町《おもてばんしゅうちょう》(現・新宿区新宿五丁目)の通りへ出たとき、岡本が、 「私が御案内をしてよろしいでしょうか?」 「あ、かまわぬ」  日が沈みはじめている。  二人は、やがて自証院《じしょういん》の門前へ出た。  この天台宗の寺は円融寺《えんゆうじ》と号し、本尊は阿弥陀如来《あみだにょらい》。尾州《びしゅう》・徳川家《とくがわけ》が開創したものだそうな。  広大な境内の西側にも、門前町があり、そこに〔一文字屋《いちもんじや》〕という上品な料理茶屋がある。  茅《かや》ぶき屋根の鄙《ひな》びた構えながら、中へ入ると、なかなかに凝った造作で、座敷女中に案内をされて渡り廊下を奥の離れへ向いながら、八郎が、 「かようなところを、よく知っているものだ」 「いや、はじめてです。伊之吉が見つけました」  その伊之吉が離れからあらわれ、 「波切先生。お久しぶりでございます」  両手をついたのへ、八郎がじろり[#「じろり」に傍点]と見て、 「小用は?」  と、女中に尋ねた。 「はい、こちらでございます」  女中が八郎を厠《かわや》へ案内して行くのを見送った伊之吉が、岡本弥助に、 「おお、怖《こえ》え。凄《すご》い目つきだ」 「ふ、ふふ……」 「これで用ずみだ。ま、ゆっくりとやっておくんなさい」 「すまなかったな」 「毎度のことで……」  岡本は離れの内へ入り、伊之吉は渡り廊下から母屋《おもや》の廊下へ出た。  そのとき、 「これ……」  声をかけて、波切八郎が物蔭《ものかげ》からあらわれたので、さすがの伊之吉もぎくり[#「ぎくり」に傍点]と足を停め、顔色が変った。 「こちらへ来《こ》い」  八郎の眼が笑っているので、いくらか安心はしたものの、伊之吉は、 「どうか、ごかんべんを……」 「よけいなまね[#「まね」に傍点]をしたな」 「どうも、相すみませんことで……」 「ま、いい。それよりもたのみがある。岡本さんには内証だ。よいか、よいな」 「へ、へえ……」 「明日の……さよう、八ツ(午後二時)ごろ、この店に来てもらいたい。いささか談合したいことがある。来られるか?」 「ま、まいります」 「重ねていうが、岡本さんには黙っていてくれ」  厠の方へ去る波切八郎の後姿《うしろすがた》を、伊之吉は呆気《あっけ》にとられて見送った。      六  翌日は、寒気がもどった。  朝から、空は灰色の壁を張りつめたようになり、冷たい風が吹きつけていた。  その風の中を、伊之吉《いのきち》が、 「何だってまあ、こんな日に、こんなところまで出かけて来《こ》なくてはならねえのだ」  ぶつぶついいながら、一文字屋へやって来ると、すでに波切八郎は昨夜の離れで伊之吉を待っていた。 「さ、入ってくれ」  笑いかけつつ、八郎が、 「すまなんだな」 「いえ、なに……」 「何をしている。取って食おうとはいわぬ」 「先生に取って食われては、たまったものじゃあございません」  ようやく、いつもの伊之吉にもどったようだ。  すぐに、酒肴《しゅこう》が運ばれて来て、女中が去ると、 「岡本《おかもと》さんは、どうしている?」 「それは、こちらからうかがいたいので」 「昨夜、会わなんだのか?」 「へえ……」 「下白壁町《しもしらかべちょう》の和泉屋《いずみや》で、伊之吉が待っていると、岡本さんは申していたが……」 「とんでもねえことで。いつも、あの旦那《だんな》にくっついているわけではございませんよ」  八郎は、伊之吉の盃《さかずき》へ酌《しゃく》をしてやった。 「昨夜は遅くなったのでございましょうね?」 「岡本さんは、以前のあの人[#「あの人」に傍点]ではなくなったようだ」 「はて……」  くび[#「くび」に傍点]をかしげながら、伊之吉は八郎へ酌をした。 「そうはおもわぬか?」 「いえ、もともと、あの旦那は、ああいうお人なのでございます」 「というと?」 「いえ何、とりとめもねえところがあるのでございますよ。あの旦那が、いったい何をしているのだか、さっぱりわかりません」  いまいましげにいった伊之吉が、 「それでも、何となく離れられねえ。こういうのを腐れ縁というのでございましょうねえ」 「ふうむ……」 「先生と旦那も、その口なのではございませんか?」  波切八郎は苦笑して、 「いや、昨夜は別れの盃をかわした。私も、しばらくは江戸を離れるつもりなのだ」  八郎は、正直にいった。  伊之吉という男には、何も隠し立てをすることもない。 「それで、どちらへ?」 「山の中へ」 「どちらの山の中なので?」  そこまで、伊之吉に洩《も》らす必要はなかった。 「伊之吉。岡本さんは近いうちに、また何やら、うごきはじめるのではないのか?」 「そんなことを、岡本の旦那が言っていなすったので?」 「はっきりとは、いわなかった」  八郎は、わざと言葉を濁した。 「私も聞いてはおりません」  これは、事実であった。 「まことか?」 「はい」 「むずかしい仕事らしい」 「よく、おわかりに……」 「何となく、わかる」  伊之吉は唸《うな》った。  そのような気《け》ぶりを、いまのところ、伊之吉には少しも見せなかった岡本|弥助《やすけ》なのである。 「どうも、わからねえ」  つぶやいて、伊之吉は盃の冷えた酒を口にふくんだ。  二人とも、沈黙したまま酌をし合い、酒をのみつづける。  風の音が、いくらか弱くなったようだ。 「今日は、帰りを急ぐのか?」 「いえ、別に……」  また、言葉が跡切《とぎ》れた。  八郎が立って障子を開け、手を打って女中をよび、 「酒を……」 「はい」 「今日は、ゆっくりとのもう」  伊之吉は、何か、めずらしいものでも見るように波切八郎の顔をながめやった。 「ふしぎな縁だな」 「へ……?」 「お前とも、岡本さんとも……」 「まったく、へえ……」  このときほど伊之吉が、波切八郎に親近感をおぼえたことはない。 (この先生も、岡本の旦那も……それからこのおれも、どうやら同じ穴の絡《むじな》らしい)  いつの間にか、離れ屋の内が薄暗くなってきている。  風が絶えた。      七  その日の朝。  秋山小兵衛は、道場の稽古《けいこ》を内山文太にたのみ、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》にある杉浦|石見守孝豊《いわみのかみたかとよ》の下屋敷へおもむいた。  秋山道場へ、小兵衛を迎えに来た谷|彦太郎《ひこたろう》は石見守の家来で、小兵衛の門人でもある。  石見守は前もって、谷彦太郎へ、 「秋山先生には乗物の用意をいたせ」  と、申しつけたが、これは小兵衛が固く辞退をした。  小兵衛は、二振《ふたふり》の木太刀を用意して谷彦太郎へ持たせ、紋つきの羽織・袴《はかま》をつけた。  小兵衛と谷が雑司ヶ谷の下屋敷へ着いたのは五ツ(午前八時)ごろであったろう。 「月のうち、二度でも三度でもよい。秋山先生に手ほどきを……」  と、杉浦石見守からたのまれた少年に、この朝、秋山小兵衛は初めて会うことになった。  その少年は、 「ある大名の血を引いている……」  と、いう。  その大名の名は、 「ゆえあって、しか[#「しか」に傍点]とは申せぬ」  と、いう。  なればこそ小兵衛は、この朝も、内山文太が、 「朝早くから、また物々しい姿《いでたち》ですな。何処《どこ》へまいられます?」  問いかけて来たとき、 「いやなに、杉浦石見守様へ御稽古を……」 「まことですか?」 「まことさ。石見守様は弓の名手だ。剣術をなさっても、ふしぎはあるまい」 「五十をこえられたのではありませんか?」 「そうだ」 「ふうむ。感心なものですなあ。谷彦太郎が迎えにあらわれたので、石見守様に関《かか》わりがあってのことだとはおもいましたが……」 「後をたのむ」 「はあ」  雑司ヶ谷へ向う途中で、谷彦太郎が、 「秋山先生には、申しあげてもよろしいかと存じますが……」 「何だ?」 「主《あるじ》の石見守は、このたび、御小姓組御番頭《おこしょうぐみごばんがしら》を相つとめることになりました」 「おお……やはり、御役におつきなされるのか。それはめでたい」 「ありがとう存じます。なれど先生、あるじには、まだ……」 「心得た」  御小姓組というのは、書院番と共に、戦場において将軍の身を守るのが役目である。  平時は、江戸城内の御殿を警護し、もろもろの儀式がおこなわれるときは、将軍の介添えをつとめると同時に警護も兼ねる。  ことに小姓組は、将軍に接近する機会が多いので、重代の旗本の中からえらび抜かれる。  まして、その小姓組の〔頭《かしら》〕ともなれば、選任がさらにきびしい。  このように重要な役目に就任したというのは、いまの幕府が杉浦石見守を信頼しているからであろう。  大御所《おおごしょ》・徳川|吉宗《よしむね》が歿《ぼっ》して後、幕府の政治も大きく変りつつあるらしい。  秋山小兵衛は、 「一介の剣客《けんかく》に、政事のことなど、わかるはずもない」  こういって、ほとんど関心をしめさぬように見える。  その小兵衛の人柄《ひとがら》をわきまえているからこそ、杉浦石見守は、 「ある大名の血を引く少年……」  について、くわしいことを小兵衛に洩《も》らさなかったのやも知れぬ。  下屋敷へ着くと、いつもの書院に杉浦石見守が待っていた。 「これは、わざわざのお越しでございましたか」 「秋山先生。手数《てかず》をおかけして相すまぬ」  石見守も御役目についたことを口に出さぬし、小兵衛も、谷彦太郎から耳にしたことをいい出さぬ。  空は、どんよりと曇ってい、底冷えの強《きつ》い朝であった。  谷彦太郎が、茶菓を運んであらわれたのへ、石見守が|めくばせ[#「めくばせ」は「目+旬」、第3水準1-88-80]《めくばせ》をした。  心得た谷が、引き退《さが》って行く。 「石見守様に申しあげます」 「おお……」 「私が、お相手をいたす御方を、何と、およびしたらよいのでございましょう」  問いかけた小兵衛へ、杉浦石見守が少しもためらうことなく、 「高松小三郎《たかまつこさぶろう》と、よんで下され」  と、いった。 「うけたまわりました」 「当年、十三歳に相なるが、先生がごらんになった上で、おもうままに稽古をつけていただきたい」  大名の血を引く、というからには、その少年が剣客になるための稽古ではあるまい。  十三歳という、感受の強い年齢に、秋山小兵衛の剣を通じ、むしろ精神の上へ強いものを植えつけておきたいというのが、杉浦石見守のねらい[#「ねらい」に傍点]なのであろうか……。  月に二、三度の稽古しかできぬというのは、少年の身に、それなりの事情があるからなのだろう。  それでも尚《なお》、小兵衛にたのむのは、十三歳という年ごろに体験したことは長く強く尾を引いて、少年が成長してのちも、その心身に残るからだ。 (それならば、そのように稽古をつけねばなるまい)  小兵衛も思案しつづけてきたのだが、どうも肚《はら》が決まっていない。  いま、杉浦石見守が、 「先生が、ごらんになった上で……」  そういったのも、小兵衛の迷いを見通しているからであろう。  少年は、小柄だそうな。  それを聞いて、小兵衛は少年のための木太刀を自分の手でつくりあげた。  その木太刀を、自分の木太刀と共に、谷彦太郎へ持たせて来た。  稽古の時間は、約|一刻《いっとき》(二時間)ということだ。  谷が、もどって来て、 「仕度が、ととのいましてございます」  と、石見守へ告げた。  うなずいた石見守が、みずから先に立ち、秋山小兵衛を案内するつもりらしい。  谷は、二振の木太刀の包みを両手に抱え、小兵衛の後へつき従った。      八  秋山小兵衛は、奥庭の一隅にある別棟《べつむね》の建物へ案内をされた。  そこは、杉浦|石見守《いわみのかみ》が弓術の稽古《けいこ》をする弓場《ゆば》で、十坪の板敷きに四坪の細長い畳敷きの間がつけてある。  戸を開け放った彼方《かなた》には、矢を射込む的場《まとば》が設けられてあった。  石見守は、屋根つきの渡り廊下から弓場へ入った。  小兵衛と谷が、その後につづく。  弓場の畳敷きに、紋つきの羽織・袴《はかま》をつけた少年が端座しており、その背後に、老人の侍が一人と、三十前後の侍が二人ひかえている。  石見守と小兵衛が入って行くと、少年をふくめた四人が両手をつき、頭を下げた。  そして、少年はすぐさま、畳敷きから板敷きへ身を移し、小兵衛を見あげて、あらためて両手をつき、 「高松小三郎にござります」  はっきりと名乗った。  三人の侍のうち、二人が弓場の外へ去り、老人のみが残って少年の背後にひかえた。  杉浦石見守は、小兵衛を畳敷きの見所《けんぞ》へいざなった。  小兵衛は坐《すわ》ってから、少年……いや、高松小三郎へ軽く頭を下げ、 「秋山小兵衛でござる」 「よしなに、御願い申しまする」 「はい、はい」  うなずいた小兵衛へ、老人の侍が、 「清野平左衛門《きよのへいざえもん》と申します。このたびは、御面倒なる御願いをいたし、おそれ入りまする」  丁重に挨拶《あいさつ》をした。  老人ながら、筋骨のしっかりとした躰《からだ》つきで、 (槍《やり》か、刀か……ともかくも武術に鍛えられた躰だ)  と、小兵衛は看《み》た。  小兵衛は、石見守に、 「小三郎殿と、二人きりにしていただけませぬか」  と、いい出た。  そのとき、清野平左衛門の顔が、微《かす》かに不安の翳《かげ》りをおびたのを、小兵衛は見のがさなかった。  石見守が、 「心得た」  と、いい、小三郎少年が清野平左衛門へうなずいて見せた。  清野は小三郎と小兵衛へ頭を下げ、外へ去った。  その後で杉浦石見守が、 「小三郎殿。では、よろしいな?」 「はい」  谷彦太郎が木太刀の包みを、秋山小兵衛の前へ置き、 「何ぞ、うけたまわっておくことはございませぬか?」 「ない」  谷は、主《あるじ》の石見守に従い、弓場を出て行った。  重い板戸が閉まった。  小兵衛は端座したまま、小三郎少年に見入っている。  物やわらかな、いかにも優しげな眼差《まなざ》しであった。  なるほど、小三郎少年は小柄《こがら》だ。躰つきも細いが血色はよい。  両眼の瞳《ひとみ》が黒ぐろと大きく、引きむすんだ口元といい、鼻すじといい、 (まさに、大名の血を引いている……)  ように、小兵衛はおもった。  いつまでも、こちらを見つめている秋山小兵衛を、小三郎は物怖《ものお》じもせずに見返していた。  ややあって、小兵衛が、 「小兵衛と小三郎……」  独り言のようにつぶやいたとき、小三郎の片頬《かたほお》に靨《えくぼ》が生まれた。 「ふたりとも、小さな躰……」  と、またしても小兵衛が、つぶやくようにいう。  小三郎の口元が、ほころびた。 「小さくて丈夫な躰には、むだ[#「むだ」に傍点]がない……」  小三郎の満面が笑みくずれた。  小兵衛も笑いながら、 「丈夫な躰にならなくてはいけませぬ」 「はい」  小兵衛は、傍《わき》に置いてある木太刀の包みへ、ちらり[#「ちらり」に傍点]と目をやったが、手をかけようともしなかった。  二人は、また、たがいに凝《じっ》と見つめ合った。  奥庭の上を、一羽の鳶《とび》が悠々《ゆうゆう》と旋回している。 「さて、小三郎殿。羽織をぬぎ、襷鉢巻《たすきはちまき》をなさるがよい」 「心得ました」 「そして、両刀を腰になされ」 「はい」  小三郎は、小兵衛のいうがままに、身仕度にかかった。  襷鉢巻は当然のことながら、両刀を腰にせよとは、どうしたことなのか……。  木太刀をもっての稽古に、両刀を帯びる必要はない。  だが、小三郎は、あくまでも素直に小兵衛の言葉にしたがった。  不審の色も浮かべなかった。  用意の包みの中から出した襷鉢巻をし、袴の股立《ももだち》を取った。  その手つきが、たどたどしい。  おそらく、つきそっている清野平左衛門に教えられたのでもあろうか。 「小三郎殿は、これまでに、剣術の稽古をなされたのか?」 「してはおりませぬ」  と、明快にこたえる。  してみると、清野平左衛門は側《そば》につきそっていながら、剣術の手ほどきをしていなかったことになる。 「清野殿より、手ほどきを受けなされなかったので?」 「はい。平左衛門が側についてくれるようになりましてから、十日もたちませぬ」 「さようか……」  いろいろと、事情のある身の上らしい。  小三郎は、すでに短刀をたばさんでいたが、畳敷きの隅《すみ》に置いてあった大刀を取りに行き、腰へ帯した。  少年用の、細身の大刀である。 「そのまま、そのまま」  声をかけて小三郎を立たせておき、秋山小兵衛も身仕度にかかった。  鳶の鳴き声がきこえる。  小三郎の家来たちは、渡り廊下の向うの一間《ひとま》で、息をつめ、弓場の気配に耳を澄ませているにちがいない。  小兵衛も襷鉢巻をし、袴の股立を取った。  それから大刀を腰に帯び、 「こちらへ……」  小三郎をさしまねいた。  このとき、さすがに小三郎も緊張をしている。  これでは、まるで真剣の立合いといってもよいではないか。  小三郎は小三郎で、木太刀を用意してきたのに、小兵衛は木太刀を取れとはいわぬ。 「こちらへ……いま少し、前へ……」 「はい」 「そこでよろしい」 「は……」 「大刀を、お抜きなされ」 「はい」  小三郎は、たどたどしく鯉口《こいぐち》を切って、そろりそろりと大刀を抜きはなった。 「うむ。では、その大刀を、おもうがままに構えなされ」 「はい」  秋山小兵衛は、小三郎と約|四間《しけん》をへだてて立っている。  小三郎の顔が、鉛色に変じてきた。  ともかくも大刀を正眼に構えているのだが、むろんのことに腰も脚も大刀をささえきれてはいず、まことに、たよりなげであった。  秋山小兵衛の両眼が、爛々《らんらん》と光りはじめた。      九  小兵衛は、そのまま、うごかぬ。  この弓場《ゆば》で、秋山小兵衛と高松小三郎が初めて顔を合わせてから、早くも約|半刻《はんとき》(一時間)が経過していた。  それは、二人きりになってからの沈黙の時間が、いかに長かったかをものがたっているといってよい。  小三郎少年の額に、ねっとりと脂汗《あぶらあせ》が浮いている。  小三郎が構えている大刀の切先《きっさき》が、ぶるぶると震えはじめた。  小三郎の腕に、大刀の重さがこたえてきたにちがいない。  小三郎の肩が波を打ち、呼吸は切迫する。  このとき……。  秋山小兵衛が、藤原国助《ふじわらくにすけ》二尺三寸余の愛刀をすらり[#「すらり」に傍点]、と抜きはなった。  小三郎が、ぱっくりと口を開けた。  ゆっくりと、小兵衛は国助の銘刀を振りかぶり、一歩、二歩と間合《まあい》をつめる。  小三郎は、まるで、金縛りにあったようにうごかぬ。  いや、うごけないのだ。  小兵衛がするする[#「するする」に傍点]と小三郎へ迫り、 「む!!」  低い気合声《きあいごえ》と共に、大刀を打ち下ろした。  打ち下ろして、ふたたび四間《しけん》の間合に身を引いた小兵衛が国助の一刀にぬぐい[#「ぬぐい」に傍点]をかけ、しずかに鞘《さや》におさめた。  小三郎の手から刀が落ちた。  小三郎の白い鉢巻《はちまき》が、小兵衛の一刀によって二つに切断され、足許《あしもと》に落ちている。  生色を失った小三郎の額には、一滴の血もあらわれぬ。  両手を、だらりと下げた小三郎の両眼は虚《うつ》ろであった。  小兵衛は、小三郎を見まもりつつ、鉢巻と襷《たすき》を外した。  ぐらりと、小三郎の躰《からだ》が揺れた。  素早く走り寄った秋山小兵衛が、くずれ倒れようとする小三郎少年の躰を両腕に抱きとめた。  気を失った小三郎の躰を板敷きへ横たえ、小兵衛は少しもあわてることなく、少年の鉢巻と襷を外し、袴《はかま》の股立《ももだち》を下げてやった。  つぎに、小三郎の腰から大刀の鞘を外し、落ちている大刀を取ってぬぐいをかけ、鞘へおさめる。  妙に、うっとりとした表情で、小三郎は気絶したままだ。  小兵衛は、つくづくと、その顔をながめていたが、やがて屈《かが》み込み、小三郎の胸の下を軽く拳《こぶし》で打った。  小三郎が、両眼をひらいた。 「気がつかれたな」 「は、はい」  半身を起しかける小三郎の躰をささえてやり、 「おどろかれましたかな?」 「はい」  と、素直である。 「今日は、これまで」  小兵衛が、そういって身を引くや、小三郎少年が坐《すわ》り直し、両手をつき、 「かたじけのうござりました」  深く頭を垂れた。 「今日のことは、だれにも他言無用でござる。よろしいか」 「はい」  畳敷きの見所《けんぞ》の火鉢《ひばち》に、鉄瓶《てつびん》が湯気をあげている。  小兵衛は盆の上の茶碗《ちゃわん》へ鉄瓶の湯を注ぎ、小三郎の前へ置き、 「湯気を、お吸いなされ」 「は……」  小三郎が両手に茶碗を持ち、たちのぼる湯気を鼻へ吸い込み、何ともいえぬ、こころよげな表情となった。  ややあって小兵衛が、 「湯を、おのみなされ」  と、いう。  こうして、ふしぎな時間がすぎてゆき、やがて秋山小兵衛が弓場の重い板戸を引き開け、渡り廊下の彼方《かなた》に控えていた谷|彦太郎《ひこたろう》へ、 「谷。終ったぞ」  声をかけたとき、約一刻が経過していたのである。  彼方の一間《ひとま》から、高松小三郎の家来たちがあらわれた。  彼らは、微笑を浮かべて弓場から出て来た小三郎を見るや、 「おお……」  一様に、安堵《あんど》の声をあげた。  杉浦|石見守《いわみのかみ》は、さしせまった用事があり、すでに下屋敷から上屋敷へもどって行ったらしい。 「くれぐれも、秋山先生へよろしゅうと、主《あるじ》が申しておりました」  と、下屋敷をあずかっている家来の山田吉右衛門《やまだきちえもん》が、小兵衛に挨拶《あいさつ》をした。  高松小三郎少年の乗物|駕籠《かご》は、何故《なぜ》か、裏門内に待機している。 「秋山先生の、お見送りを……」  小三郎が、家来の清野平左衛門《きよのへいざえもん》にいうのへ、 「いや、おかまい下さるな」  と、秋山小兵衛。  しかし、小三郎は、秋山小兵衛が表門から出て行くのを見送った。  谷彦太郎と共に門外へ出た小兵衛が振り向くと、高松小三郎は、まだ立っていて深く頭をたれた。  うなずいて、にっこりと笑った秋山小兵衛が歩みつつ、 「谷、もうよいぞ」 「いえ、先生。道場までお送りいたします」 「かまうなよ」 「主からも、かたく申しつけられております」  実は小兵衛、ひとりになって杉浦邸の裏門口へまわり、駕籠に乗った小三郎を護《まも》り、何処《いずこ》かへ立ち去る一行の後を、 (尾《つ》けてみようか……)  とも考えていたのだ。 (いったい、いずれの御子《おこ》なのか?)  この日、はじめて小三郎に会って、小兵衛の好奇心は、そそられるばかりとなった。  どのようにして、 (何を教えたらよいのか……?)  小三郎を見るまで、小兵衛のこころは決まっていなかった。  ところが会ってみて、木太刀を用いることなく、真剣をもっての、あのようなことになってしまった。  何故か……。  それは、小兵衛自身にもわからぬ。  だが、いったんは失神し、息を吹き返したときの小三郎少年の面上には、ありありと充実感がみちていて、 (おれがもっている何物かを、たとえいささかなりと、つたえることができた……)  ように、小兵衛はおもったのである。  歩みながら、 「気に入った」  と一言、秋山小兵衛がつぶやいた。  うしろについていた谷彦太郎が、小兵衛の傍《そば》へ来て、 「何ぞ?」 「いや、何でもない」  小兵衛を厚く信頼している杉浦石見守が、高松小三郎の身元を敢《あ》えて明かさぬというのは、それだけの複雑な事情があるからだろう。  おそらく、小三郎の駕籠を護って去る三人の家来たちも、尾行者については万全の注意をはらっているにちがいない。 (ま、わかるときがくれば、わかろうよ)  小兵衛は、もう一度「それにしても、気に入った」と、つぶやいた。 「秋山先生。何ぞ、申されましたか?」 「いや、何もいわぬよ」      十  下雑司《しもぞうし》ヶ谷町《やまち》の通りを東へすすみ、目白坂へかかったとき、秋山小兵衛が、 「谷。少し、やすもうか。それとも、これから何ぞ、石見守様《いわみのかみさま》の御用でもあるのか?」 「いえ、本日は何もありませぬ」  杉浦石見守は、前もって谷|彦太郎《ひこたろう》を通じ、高松小三郎への稽古《けいこ》が終ったのち、秋山小兵衛へ昼餉《ひるげ》のもてなしをするつもりであったが、これは、 「いや、それにはおよびませぬ」  小兵衛のほうから、辞退しておいたのである。  目白坂の右側にある目白不動の門前の茶店へ入った小兵衛が、 「酒をたのむ」  と、いった。 「今日は、冷え込みが強《きつ》いな」 「先生。さぞ、お疲れでございましょう」 「お前、本気で、そのようなことをいうのか?」 「は……いえ、あの……」 「剣術つかいに、つまらぬことを尋《き》くものよ。疲れたのは谷のほうではないのか?」 「恐れ入りました」 「疲れるということと、冷え込みが強いこととは別のことだ」  酒と、焼きたての豆腐田楽が運ばれてきた。  すぐさま、谷彦太郎が師の小兵衛へ酌《しゃく》をして、 「秋山先生……」 「む?」 「あの、高松小三郎殿を、どのようにおもわれますか?」 「どのように、とは?」 「あるじが、あれほどに、お世話をいたしますからには……」 「谷は、石見守様から、事体《じたい》をうけたまわっていなかったのか?」 「はい。先生は御存知なので?」 「いや、知らぬ」 「ははあ……」 「ふうむ……」  二人は、目と目を見合わせた。  谷が、小三郎少年の身元を知らぬのは、 (どうも、本当らしい)  のである。 「よほどに、血すじがよいと見たが……」  杉浦石見守は、秋山小兵衛に、 「実は、ある大名の血を引いている少年《こども》……」  とのみ、告げていたが、小兵衛はあえて谷彦太郎に、このことを洩《も》らさなかった。 「さようでございましたか……」 「ま、そうしたことは、どうでもよい。もっとのまぬか?」 「いただきます」  田楽の味噌《みそ》の香りにそそられて、小兵衛は、追加の注文をした。 「この田楽は旨《うま》いな」 「はい。この店に飯はありましょうか?」 「大分に空腹《すきばら》らしいな」 「恐れ入ります」 「尋いてみるがいい。ほかにも食べるものがあれば、いくらでも注文するがいい」  この茶店には、飯も汁《しる》も、大根の香の物もあった。  谷は、旺盛《おうせい》な食欲をしめした。  ふだんは、大身《たいしん》旗本に仕えているだけに、こうしたものを口にする機会がないものとみえて、 「旨《うも》うございますな。ふむ、これはよろしゅうございます。ふむ、ふむ……」  しきりにうなずきながら、谷は田楽を三皿《みさら》も平らげ、汁は二杯、飯も三杯、苦もなく腹へおさめた。  その谷彦太郎の、邪心のない、若々しい姿を、秋山小兵衛は目を細め、さもうれしげにながめている。  こうしたときの秋山小兵衛は、三十五歳という年齢より老《ふ》けて見えた。 (さて、このつぎには、あの少年に何をしてみせたらよいものやら……?)  そのことを考えると、さすがの小兵衛もあぐねてしまう。 (それにしても……)  今日は、あの殺風景な弓場《ゆば》の中で、二人きりで向い合って沈黙したまま、いつまでもいつまでも、たがいの顔を見合っていた時間が、そのときは短いもののようにおもえたのだが、後になってみると意外に長かった。  それが、ふしぎにおもえてならぬ。 (あの少年と、おれとは、どうも気が合《お》うているらしい)  としか、考えられぬではないか。  つぎには何を、どのようにして教えてよいか、それはわからぬが、 (何やら、会うのがたのしみになってきた……)  秋山小兵衛であった。  大名の血すじを引いた子というのは、 (妾腹《しょうふく》の、お子なのだろうか?)  となれば、その大名の下屋敷(別邸)にでも住み暮しているのであろう。  大名の妾腹に生まれても、それが男の子であれば、いささかも世にはばかることはない。  もしも、正夫人に跡つぎの男子が生まれぬときは、堂々と世子《せいし》の身となれるのだ。  それゆえ、剣術の稽古をするにしても、一旗本の別邸へ、人の目を忍んで来《こ》なくともよい。  秋山小兵衛を、 「師に迎えたい」  のならば、正式に申し入れて、少年がいる下屋敷なり何処《どこ》へなりと、小兵衛が出向いて行けばよいのである。  それを、何事も秘密のうちに運ぼうとする。  そのようにしてまでも、小三郎少年の心身を鍛えようと願っているのは、杉浦石見守ばかりではあるまい。  おそらく、小三郎の身辺を護《まも》る人びとも、それをのぞみ、小三郎も希望しているに相違なかった。  今日の様子から推して看《み》ても、小三郎の身の上には、 (何やら、容易ならぬものがある……)  ように、小兵衛は感じた。  大名や大身旗本家の内紛は、めずらしいことではない。  大小の御家騒動のうわさは、一介の剣客《けんかく》にすぎぬ秋山小兵衛の耳へも入って来ることがある。  一般庶民の家庭の内紛とちがうのは、多勢の家来たちがいて、これらが、二つなり三つなりの派閥をつくり、主人たちを巻き込むことであった。  高松小三郎の場合は、どのような事情があるか知れぬが、あのように人の目を忍んで外出《そとで》をするからには、何らかの危険にそなえているのではあるまいか。  小兵衛には、 (どうも、そのようにおもわれる)  のである。 「秋山先生。どうも空模様が怪しくなってまいりました」  谷彦太郎の声に、小兵衛は我に返った。  いつの間にか、寒風が吹きはじめてい、黒い雲がうごいている。  小兵衛が、茶店の勘定をすませ、 「谷、急ごうか」 「はい」  外へ出た途端に、霰《あられ》が叩《たた》いてきた。  目白坂を通っていた人びとが、不動尊の門の下や、茶店へ駆け込んで来る。 「こりゃあ、いかぬ」  苦笑をした秋山小兵衛は茶店へもどり、あらためて、酒を注文した。     春雪《しゅんせつ》      一  このところ、伊之吉《いのきち》は、神田《かんだ》・下白壁町《しもしらかべちょう》の宿屋〔和泉屋《いずみや》〕へ泊り込んでいる。  岡本弥助《おかもとやすけ》も、波切八郎《なみきりはちろう》に別れを告げて以来、めったに外へは出ない。 「どうも、妙だな」  と、岡本が伊之吉にいい、探るような眼差《まなざ》しを向けた。 「何が妙なので?」 「お前が、この和泉屋に泊り込んでいるということよ」 「いけませんかえ」 「いけないとは申さぬ。妙なことだといっているのだ」 「そうですかねえ」 「何やら、お前に見張られているような気がする」 「何とでもおもいなさるがいい。ところで旦那《だんな》……」 「何だ?」 「近いうちに、また、何かおやりなさるらしいね。そうなのでござんしょう?」 「さて……」 「隠したって、わかりますよ」 「それなら、それでよいではないか」 「今度は、この伊之吉に用はねえらしい」 「そのほうがよいのだろう、お前は……」  伊之吉は茶わんの酒を一気にのみほして、 「旦那のほうこそ、妙だ」  岡本弥助は、こたえなかった。  一昨日《おととい》の夜に、岡本は、深川の堀大和守《ほりやまとのかみ》屋敷へよびつけられた。  その折、堀大和守は、 「近きうちに、この屋敷へ移ってもらわねばならぬ。そのつもりでいてもらいたい」  と、岡本にいった。  だれを暗殺するのか、岡本は一向にわきまえていないが、その暗殺の当日がせまりつつあるらしい。  今回の準備は、すべて堀大和守がととのえている。  岡本は、一箇《いっこ》の暗殺者として用いられるにすぎない。  それにはそれだけの、事情があってのことなのであろう。 (これは、単なる暗殺ではない……)  岡本は、直感をした。  おそらく、堀大和守へ、大名家か大身《たいしん》旗本の依頼があってのことと看《み》た。  八代将軍・徳川吉宗《とくがわよしむね》の蔭《かげ》にあって、伴格之助《ともかくのすけ》と共に隠密《おんみつ》活動をつづけてきた堀大和守は、伴格之助とは別箇に、暗躍をするようになった。  役目柄《やくめがら》、諸国大名の動静を知りつくしている堀大和守だけに、伴格之助が死去し、徳川吉宗が隠居をしてからは、単なる旗本としておだやかに一生を終えるつもりにはなれなかったのであろう。  堀大和守は真田家《さなだけ》の内紛を嗅《か》ぎつけ、 「家老の原八郎五郎《はらはちろごろう》を、われらの手で、始末してやってもよい」  と、あの橘屋忠兵衛《たちばなやちゅうべえ》にもちかけたことがある。  それは岡本弥助の関知するところではなかったけれども、一事が万事である。  大和守は、隠居した大御所《おおごしょ》・吉宗の勢力がおとろえるにつれ、 (このままでは、自分が世に埋もれてしまう)  と、おもいはじめたにちがいない。  そこで、岡本弥助や森平七郎《もりへいしちろう》のような腕利《うでき》きの刺客《しかく》を雇い入れ、大金を得ての暗殺を密《ひそ》かに引き受けるようになった。  こうしたことを一つおこなえば、派生的に、つぎの依頼をことわれなくなる。  こちらも相手の秘密をつかむかわりに、相手も、こちらの秘密を知り、だれも知らぬ闇《やみ》の中で、堀大和守の存在を必要とする者たちの耳へもつたわってしまう。  自分の手は血に汚《よご》さずとも、堀大和守はこれまでに、どれほどの暗殺を重ねてきているのだろうか……。  岡本弥助のほかにも、大和守が操っている刺客は何人もいたに相違ない。  しかし、いまの大和守は、幕臣として世に出ようという野望を抱いている。  それがためには、先《ま》ず莫大《ばくだい》な運動資金を必要とする。  つぎには、自分の身辺をきれいにしてしまわねばならない。  先般、刺客の森平七郎を岡本弥助に暗殺させたのも、その一例といってよい。  大和守は岡本に、 「いま少しの辛抱じゃ。わしが世に出《いで》たるときは、岡本にも安楽をしてもらわねばなるまい」  などといっているが、岡本弥助は、 (おれだとて、いつ殺されるか知れたものではない)  と、おもいはじめている。  今度の暗殺については、岡本のほかに二名の刺客が加わるらしいが、それがだれか、岡本には知らされていない。 (これが最後だ)  岡本は、密かに決意をかためた。  波切八郎に別れを告げたのも、それゆえにであった。  今度の暗殺をすませ、堀大和守から報酬を得たならば、岡本は、 (ともかくも、江戸を離れる……)  つもりでいる。  江戸を離れ、何処《どこ》へ行って何をするか、それはわかっていないが、ともかくも堀大和守と手を切って、行方知れずになってしまわなくてはならぬ。  それでないと、自分も、 (森平七郎の二の舞になる)  このことであった。 (そもそも、おれは、これまで何のために生きてきたのか……?)  岡本弥助は、四十一歳の自分の人生を振り返ってみると、あまりの空《むな》しさに砂でも噛《か》んでいるようなおもいがする。  少年のころに生母は病死してしまい、それからは貧困で乱暴な剣客《けんかく》だった父との、殺伐《さつばつ》とした暮しがつづいた。  そのような父でも、岡本へ剣術を仕込むことだけは忘れなかったし、岡本自身も、剣にのみしか生《い》き甲斐《がい》を見出せなかった。  それほどに、この父子は貧困だったのである。  父は、岡本が二十五歳になった年の夏に死んだ。  遺言も何もない。現代《いま》でいえば脳溢血《のういっけつ》のようなものだったのであろう。  岡本が外出《そとで》から帰ったとき、すでに父親は息絶えていた。  そのころの岡本弥助は、無頼の仲間たちと共に、それ相応の悪事もはたらいていたし、何よりも、 「貧乏が嫌《いや》だった……」  と、何かの折に、伊之吉へふと[#「ふと」に傍点]洩《も》らしたことがある。  それでも亡父の血を引いていたのであろうか、暇があれば剣術の稽古《けいこ》にはげんだ。  岡本が稽古に通っていたのは、下谷《したや》・山伏町《やまぶしちょう》の外れにあった一刀流・井手徳五郎《いでとくごろう》の道場で、 「いまもって、おれはな、井手徳五郎先生のことを忘れぬ」  と、伊之吉にいったこともある。 「あのころ、もう五十をすぎていたろうが、頭がつるつる[#「つるつる」に傍点]に禿《は》げあがっていて……さようさ。ほれ、七福神の布袋《ほてい》さまそっくりの顔かたちでな。酒も好きだったが剣術も好き。そこのところは、おれの父とそっくりだったが、ちがうのは……」  ちがうのは、人の善い妻と、二人の子もちで、小さな道場ながら、 「いわゆる和気藹々《わきあいあい》というやつでな。おれも道場にいるときは気も落ちつき、金を得るための悪行も忘れていられたものだ。門人も少かったし、いやもう、ひどい貧乏道場だったが、みんなで、門人たちがちから[#「ちから」に傍点]を合わせて道場をつぶさなかったよ。おれもな、しだいに悪事から遠ざかるようになってきて、稽古に打ち込んだ。おもえば、あのころの四、五年が、おれの、もっともたのしい期《とき》だったのだろう」  そのとき伊之吉は、いつになく神妙な面《おも》もちで岡本弥助の言葉に聞き入っていたものだ。 「こんなはなし、お前には退屈だろう」  と、岡本が苦笑するや、 「いや、もっと、おつづけになったらいいでしょう」 「おれのはなしが、おもしろいのか?」 「ええ、まあ……その井手先生というお人は、いまも下谷にいなさるので?」 「十二、三年前に亡《な》くなられた」 「へえ……」 「生きておられればなあ……」  その、岡本の一言に万感のおもいがこもっていた。      二  井手徳五郎の死は、岡本弥助《おかもとやすけ》にとって非常な打撃であった。  このことについて、岡本は伊之吉《いのきち》にも語っていないが、 (井手先生が、あと五年も生きておられたなら、いまのおれとは全く別の男になっていたろう)  そうおもうことがあるのだ。  井手徳五郎は、岡本の父親と同様の急死であった。  死の直前まで、井手は元気一杯で門人たちへ稽古《けいこ》をつけていたが、 「ちょいと待て」  木太刀を置き、小用に出て行った。  行ったかとおもうと、道場の外の廊下で凄《すさ》まじい物音が起った。  みなが駆けつけたとき、井手徳五郎は昏倒《こんとう》しており、間もなく息絶えた。  後になってわかったことだが、それまでにも三、四度、心《しん》ノ臓《ぞう》の発作《ほっさ》があったらしい。  井手の妻女お幸《こう》は、中仙道《なかせんどう》・新町の呉服屋・田口七兵衛《たぐちしちべえ》のむすめで、 「もうそろそろ、道場をおやめなさいましては……」  すすめていたのだそうな。  だが、井手徳五郎は、そうした持病があることを、門人たちへ気《け》ぶりにも見せなかった。  お幸は、夫の遺骨を抱き、二人の女の子を連れ、上州・新町の実家へ帰ることになった。  井手徳五郎は晩婚だったので、長女が十五歳、次女が十二歳であった。  お幸は、 「この道場は、みなさんのよいようになさって下さい」  こういって、江戸を去ったが、後に、岡本弥助へ手紙をよこし、亡《な》き夫の言葉をつたえてきた。  それによると井手徳五郎は、お幸に、 「おれはな、この道場を岡本弥助へゆずってやりたいのだが、古い門人たちもいることだし、なかなかむずかしい」  と、洩《も》らしていたそうな。  井手が急死したとき、お幸は、この夫の言葉を遺言として、門人たちへつたえようかとおもったが、考えれば考えるほどに、 (やはり、むずかしい……)  と、おもい直した。  井手徳五郎自身の口から出た言葉ならよいが、女の自分が言い出すと、かえって門人たちの間に紛糾をよぶと考えた。  井手道場は、門人たちが何度も談合した上で、もっとも古い門人の柿山多喜造《かきやまたきぞう》が跡をつぐことに決まった。  柿山は、御家人《ごけにん》の三男で、当時三十五歳であったが、たしか、いまも道場をつづけているはずだ。  ところで……。  岡本弥助は、井手道場の跡をつぐというような野心は抱いていなかった。  ゆえに、柿山多喜造が跡をついだところで、別に失望をしたわけではない。  けれども、柿山を、自分の師にいただくつもりはない。  道場で稽古をしても、柿山は岡本の敵ではなかった。  そこで、当然、岡本弥助の足は道場から遠退《とおの》くようになってしまったのである。  それはよい。  よいのだが、岡本弥助にとって、井手徳五郎という師を失ったことは大きかった。  あたたかい人柄《ひとがら》の井手夫婦は、孤独な岡本を何かにつけてなぐさめてくれたし、 「ま、今日は泊って行け」  井手にすすめられて、これまでに味わったことがない家庭の団欒《だんらん》というものを知ることができた。  現在の岡本弥助の人柄が、たとえば波切八郎や伊之吉に、 (はなれがたい……)  ような、おもいを起させるのは、井手徳五郎夫婦によって育《はぐく》まれたものやも知れぬ。  井手の着物を妻女のお幸が縫い直して、岡本へあたえたことも何度かある。  岡本は、どちらかというと陰気な柿山多喜造とは気が合わなかった。  道場から遠退いた岡本は、たちまちに、もとの無頼の群れへ落ちて行った。  そのとき、 「どうだ、おもしろい仕事があるのだがね」  さそってくれた男がいる。  この男は、近江《おうみ》・土山の浪人で、関口周太郎《せきぐちしゅうたろう》といい、井手徳五郎の門人ではないが、月に二、三度あらわれて稽古をしていた。つまり、井手の友人といってよい。  関口周太郎も新道場主の柿山多喜造が嫌《きら》いで、 「井手さんも、柿山を好んではおらなかったよ」  と、岡本弥助へ洩らした。  さて……。  岡本を、堀|大和守《やまとのかみ》へ引き合わせたのが、ほかならぬ関口周太郎だったのである。  大和守は、岡本を見るや、 (ふむ。この男ならば……)  見きわめをつけたらしい。  大和守は、岡本弥助に金二十両をあたえ、 「しばらくは、関口の許《もと》へ身を寄せているがよかろう」  と、いった。  関口は、下谷《したや》・根岸の奥に、小さいが庭のついた風雅な家に住み暮していた。 (ずいぶんと、金まわりがよい浪人だな)  岡本は、そうおもっていたのだが、やがて岡本も関口同様の身となる。  岡本弥助が関口周太郎と共に、堀大和守の指令による暗殺へ参加したのは、それから一年後のことであった。  そのとき、岡本の心には、さして抵抗もなかった。  無頼な暮しをしていたときに、暗殺ではないが、喧嘩《けんか》や博奕《ばくち》の争いで、四人ほど人を殺《あや》めていたし、井手徳五郎に死なれた岡本は、半ば自暴自棄になっていて、 (ええ、もう、なるようになれ)  こころを決めたのだ。  関口周太郎は、六年前に死んだ。  労咳《ろうがい》(肺病)が昂《こう》じ、何度も血を吐いて死んだのだが、岡本弥助の看病を受けながら、 「おれは、岡本を、いまのような境界へ引き擦り入れてしまったが……悪いことをしたのではなかったかな?」  と、尋《き》いた。 「いまさら、何のことだ」 「そうか……ゆるしてくれるか?」 「ゆるすもゆるさぬもない」 「そうか、ほんとうか?」 「うむ」 「それにしても、こうして、畳の上で死ねようとはおもわなかった……」 「運がよかったのだろうよ」 「そのとおりだ」  この関口周太郎も、岡本弥助にとっては、忘れがたい男だったのである。      三 (もしも、おれが、井手徳五郎先生や関口周太郎……それに、波切八郎先生や伊之吉《いのきち》に出遭わなんだら、それこそ、まったく、この世に生まれ出た甲斐《かい》は何一つなかったろう)  いまこのとき、岡本弥助《おかもとやすけ》はしみじみとそうおもう。  ことに岡本は、波切八郎に対して、 「先生」  と、敬ってよぶ。  それは何故《なぜ》か……。  容貌《ようぼう》が似ているわけではないけれども、岡本がはじめて波切八郎を見たとき、 (あっ……まるで、井手徳五郎先生を若くしたような人だ)  途端に、そうおもった。  これは、岡本弥助のみの感覚であったやも知れぬ。  ともかくも、岡本は八郎に対して、そうおもった。  そのおもいは、八郎と暮すうちに、いよいよ深まっていったのである。  妻もなく、したがって子もなく家庭もない岡本弥助は、 (もう、いつ、この世から去っても未練はない)  おもいきわめているものの、 (いま一度、波切先生と共に暮してみたい)  このことであった。  先日、表番衆町の料理茶屋・一文字屋で別れの盃《さかずき》をかわしたとき、波切八郎も、 「私にとっても、別れの……」  いいさして、口を噤《つぐ》んだ。  してみると、八郎も、近いうちに江戸を発《た》って何処《どこ》かへ行くのか。 (おひとりで江戸を離れるのか、それとも、あの女性《にょしょう》を連れてか?)  八郎も、それからは何もいわなかったし、問いかけても八郎がこたえてはくれぬと知っているだけに、岡本も口にのぼせなかった。 (これから先、波切先生は、どのように生きて行かれるのだろう?)  先夜、一文字屋で見たときの波切八郎は、これまでに岡本が見知っていた八郎になかった明るい眼《め》の色をしており、声音《こわね》にも何かちから[#「ちから」に傍点]がこもっていたようにおもわれた。  それは、つまり、八郎が行手に、 (希望《のぞみ》をもちはじめた……)  ことになる。  そもそも、三年前に岡本が八郎の身柄《みがら》を引き取りに、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の橘屋《たちばなや》へおもむいたのは、堀|大和守《やまとのかみ》に命じられてのことであった。  してみると当時は、堀大和守と橘屋|忠兵衛《ちゅうべえ》の関係は、 (切れていなかった……)  と、看《み》てよい。  ところで、岡本弥助は、近くにせまった暗殺をすませてから、堀大和守には一言もいわず、密《ひそ》かに江戸から姿を消すつもりなのだが、それからどうするかについて、深い考えはないにせよ、 (ともかくも、上州の新町へ行ってみよう)  そうおもっていた。  上州の新町には、井手徳五郎の未亡人お幸《こう》がいる。  お幸とは、年に何度か文通をしている。  いまのお幸は六十をこえて、二人のむすめは、それぞれに嫁ぎ、孫が四人もいるそうな。  お幸の実家は新町の呉服屋で、兄は亡父の名をついで田口|七兵衛《しちべえ》となっている。  お幸が六十をこえているのだから、兄の七兵衛は七十に近いのであろう。  去年、お幸がよこした手紙によると、お幸は兄の家にいて奉公人たちの束ねをしており、老いた兄の七兵衛夫婦からも非常に、 「たより[#「たより」に傍点]にされている……」  とのことだ。  ゆえに、岡本弥助がお幸をたよって行っても、迷惑にはなるまい。  迷惑といっても、岡本は、たっぷりと金をもっている。  堀大和守から出た大金のうち、約百五十両ほどが残ってい、この金額は、上州の新町あたりで岡本がひっそりと隠れて暮しているなら、何もせずにいても十何年はすごせるであろう。 「伊之吉。そろそろ引きあげたらどうなのだ?」  まだ、日暮れには間のある時刻だったが、岡本と伊之吉は酒を酌《く》みかわしていた。 「邪魔ですかえ?」  岡本は、こたえなかった。 「ねえ、旦那《だんな》……」 「何だ?」 「今度の仕事には、私の出る幕はねえらしい」 「…………」 「ね、そうでござんしょう」  岡本は、めずらしく癇癪《かんしゃく》をたてて、 「お前は、もう帰れ!!」 「ふん……」  伊之吉が立ちあがったとき、和泉屋《いずみや》の番頭が二階へあがって来て、岡本弥助へ目顔で知らせた。  岡本が階下《した》へ降りて行くと、表口の土間に、堀大和守の家来・近藤兵馬《こんどうひょうま》が塗笠《ぬりがさ》をかぶったままで立っていた。  岡本は、すぐに二階へもどって来て、伊之吉を睨《にら》んだ。  伊之吉は鼻で笑って、階下へ去った。  一昨日《おととい》の夜に、岡本弥助が、堀大和守の屋敷へおもむいたとき、伊之吉は後を尾《つ》け、岡本が大和守の屋敷へ入るのを見とどけている。  これまでの伊之吉は、岡本を尾行したことなど一度もない。  いまは、波切八郎に、 「ここ数日の間、岡本さんから目を離すな」  たのまれている。  実は、伊之吉も、近ごろの岡本弥助の様子に徒《ただ》ならぬものを感じていた。  それだけに、内心は気が気でなかったのである。  伊之吉は伊之吉なりに、今度の岡本の仕事が非常にむずかしく、なればこそ、自分や波切八郎を、 (巻き込みたくないにちがいない)  と、推測していた。 (岡本の旦那という人は、そういう人なのだ)  ひとりで、決め込んでいる。 (へえ、深川の、こんな大きな屋敷へ、旦那は出入りをしていなすったのか……)  はじめてわかった。  伊之吉が去った後の、二階の奥座敷で、岡本弥助は冷えた酒を口にふくんだ。  一昨夜、堀大和守は、 「近きうちに、この屋敷へ移ってもらわねばならぬ」  と、岡本にいった。  ところが、いま、近藤兵馬によってもたらされた堀大和守の言葉は、 「指図があるまでは、和泉屋にいてよい。ただし、長時間にわたる外出《そとで》はつつしむように」  と、いうものであった。  これまでに岡本弥助が、伊之吉を使って暗殺の手順をととのえたように、堀大和守は、別の者を使って何やら探りをかけているらしい。  そのことを、近藤兵馬は、どの程度にわきまえているのであろうか。  岡本弥助は、近藤を、 (虫の好かぬ男……)  と、おもっている。  あれほどに顔を合わせていながら、岡本に対して、一度も笑顔を見せたことのない近藤兵馬なのだ。  燗《かん》をした酒を運んであらわれた番頭へ、岡本が、 「伊之吉は、何をしている?」 「伊之さんは、帰りましたよ」 「そうか……」 「旦那。どうか、なすったので?」 「どうもしない」 「ですが、このごろ……」  いいさして番頭は口を喋み、岡本の盃へ酒を注《つ》いでから、階下へ去った。  岡本弥助は、盃へ手を伸ばそうともせず、向うの壁のあたりへ目を据《す》えたまま、身じろぎもせぬ。      四 「今夜は、もう来《こ》ねえよ」  と、番頭にいいおいて、和泉屋《いずみや》を出た伊之吉《いのきち》は、和泉屋の前の堀割《ほりわり》に沿った道を東へ行き、堀割に架けられた小さな橋を南へわたった。  右側が紺屋町《こんやちょう》一丁目だ。その町すじをぐるり[#「ぐるり」に傍点]と一廻《ひとまわ》りした伊之吉は細道をぬけて、山城屋《やましろや》という宿屋の裏口へあらわれた。  このあたりには、桶《おけ》屋と指物《さしもの》屋が多い。山城屋は銅物問屋《どうものどんや》・日野屋《ひのや》のとなりにある、小ぢんまりとした宿屋だ。  裏口から入って来た伊之吉を、山城屋の奉公人は怪しみもせぬ。  そのまま、伊之吉は二階へあがって行った。  奥の部屋の前で、 「おいでなさいますかえ?」  声をかけた伊之吉へ、 「おお」  こたえた人の声は、まぎれもなく波切八郎のものであった。 「ごめんを……」  部屋へ入って来た伊之吉へ、波切八郎が、 「お前が和泉屋から出て来るところを見ていた」  と、いった。  なるほど、八郎が坐《すわ》っている左手の窓を開ければ、堀割の向うに和泉屋の表口がすべて見えるのだ。  伊之吉が岡本弥助《おかもとやすけ》のために、はたらくようになった当初は、和泉屋へ泊るようなこともなかった。  伊之吉も、遠慮をしていたからであろう。  そこで、双方の連絡《つなぎ》を密接にしなくてはならぬようなときは、和泉屋とは目と鼻の先の山城屋へ伊之吉は泊ることにした。  もっとも注意ぶかく、遠まわりをして山城屋へあらわれたので、さすがの岡本弥助も気づいていない。 「いったい、お前の塒《ねぐら》は何処《どこ》なのだ?」  しきりに岡本が尋《き》いても、 「こたえようがありませんよ。毎晩、帰るとこなぞ決めたことがねえので……」  伊之吉は、そうこたえた。ある程度、それは事実だといってよい。 「困るではないか。こちらから連絡をつけるときはどうする?」 「御念にはおよびません。かならず、こちらからつなぎ[#「つなぎ」に傍点]をつけ、旦那《だんな》に不自由なおもいはさせません」  事実、そのとおりであった。  岡本が伊之吉を必要とするときは、きまって伊之吉のほうから連絡をつけてきた。 「ま、そんなわけゆえ、近いところにいるのがいいとおもい、この山城屋へ泊っていたのでございますよ。ええもう、この宿屋とはすっかり顔なじみでございますから、安心をしておいでなせえまし」 「だが伊之吉、これでは、あまりに出来すぎている」 「波切先生。世の中には、何がさいわい[#「さいわい」に傍点]になるか知れたものではねえことが、あるもので……」  波切八郎は、一文字屋で伊之吉と密《ひそ》かに会ったとき、 「おぬしと、うまくつなぎ[#「つなぎ」に傍点]をとるためには、大久保村《おおくぼむら》では遠すぎる。何処か、神田《かんだ》の和泉屋に近い場所へ、暫時《ざんじ》、私が身を移してもよいのだが……そうだ、三《み》ノ輪《わ》の笠《かさ》屋へ、またもどってもよい」 「それよりも、もっといいところがございますぜ」  と、伊之吉が、山城屋へ八郎をともなったのであった。  波切八郎は、お信《のぶ》へ、 「しばらく留守にするが、案じなくともよい。三日か四日に一度は、大久保へもどって来られよう」  いいふくめて、山城屋へ移った。  伊之吉は、かねてから山城屋へ、たっぷりと〔こころづけ〕をわたしてあるし、泊りの勘定などもきちん[#「きちん」に傍点]と払ってきていたので、すこぶる信用が厚い。  八郎を送り出すとき、お信は不安でたまらぬようであったが、約束どおり、三日目に八郎がもどって来たので、ほっ[#「ほっ」に傍点]としたらしい。  いまとなっては、お信も市蔵も、八郎にくどい[#「くどい」に傍点]質問をせぬ。  したところで、むだ[#「むだ」に傍点]なことをわきまえてきたからだ。 「丹波《たんば》へは、いつ、お発《た》ちになります?」  と、お信が尋いた。  すでに、鞘師《さやし》の久保田宗七《くぼたそうしち》は、旅行用の往来切手(身分証明)をととのえてくれた。  これは、武士のものではない。  宗七は、弟子の富治郎《とみじろう》の名で切手を手に入れた。  土地《ところ》の名主へは相応の礼金を包んだにちがいない。  ゆえに波切八郎が、この切手を所持して江戸を発つときは髪のかたちから身なりもあらため、いかにも鞘師らしい風体《ふうてい》になり、刀も脇差《わきざし》を腰にする程度にしておかねばなるまい。 「いろいろと考えたなれど、やはり、わしの弟子として旅立つのが、もっともよいようにおもわれてな」  と、久保田宗七が、お信へいったそうな。  むろんのことに、波切八郎に否《いな》やはなかった。  それならば、すぐに江戸を発てばよいのに、八郎は伊之吉を使って、岡本弥助のうごきに目をつけはじめた。  これは、以前の八郎と岡本の立場が、 「逆になった……」  そういえぬこともない。  われながら、 (妙な……)  と、おもうのだが、どうにもならぬ。  いまの波切八郎は、秋山小兵衛《あきやまこへえ》との対決を目ざし、自分の剣を、 (洗い直そう!!)  決意して、丹波の石黒素仙《いしぐろそせん》の道場へおもむくはずではなかったのか……。  しかし、八郎は、 (いま少し、岡本の様子を見とどけてからでよい)  先日の一文字屋で、別れの盃《さかずき》を酌《く》みかわしたときの岡本弥助には、これまでにない深沈とした決意のようなものがただよっていた。  近くにせまっている暗殺に、八郎の助勢を請《こ》わなかったのは、それが至難の暗殺なのではないかと、八郎は直感した。  だが、堀|大和守《やまとのかみ》は岡本弥助へ、 「岡本|一人《いちにん》にてよいとおもう」  そういっている。  となれば、波切八郎の勘のはたらきが適中していないことになる。 (岡本は、もしやして、死ぬる気でいるのではあるまいか?)  八郎の危惧《きぐ》は、そこにあった。  八郎は、いまさらながらに、岡本と自分との結びつきの深さを、さとらぬわけにはいかなかった。      五 「先刻《さっき》、妙な侍が和泉屋《いずみや》へ来ましてね」  と、伊之吉《いのきち》が波切八郎にいった。 「どのような?」 「それが、いつも笠《かさ》をかぶったままで入って来て、岡本《おかもと》の旦那《だんな》と立ちばなしをして、すぐに帰ってしまいます」 「同じ侍か?」 「さようで」 「一昨日《おととい》の夜、岡本さんは、深川の武家屋敷へおもむいたといったな」 「はい」  その屋敷が、堀|大和守《やまとのかみ》のものであることは、いうまでもなかろう。  八郎は、すでに、堀大和守の屋敷へ岡本|弥助《やすけ》が入って行くところを見とどけているが、伊之吉へは告げていなかった。 「一昨日も、その侍が来たのか?」 「つなぎ[#「つなぎ」に傍点]に、ね」 「それで、岡本さんが深川へ出向いた……」 「へえ」 「これは伊之吉、事は近くにせまったようだな」 「ねえ、先生……」 「む?」 「いったい、どうなさるおつもりなので?」 「何が?」 「いえ、その……この前のときのように、岡本の旦那には黙っていて、いざというときに助太刀をなさるおつもりなのでござんすか?」 「わからぬ」 「わからねえのに、なぜ、こんなところにまで身を移しなすって、岡本の旦那を見張っていなさいます?」 「さて、な……」  波切八郎と伊之吉は、目と目を見合わせ、声もなく笑い合った。  何もいわなくとも、たがいの胸の内が通じ合ったとみえる。 「あの人は、妙な人よ」 「岡本の旦那も、先生のことを、そういっていなすった」 「そうか……」 「私も、そうおもいますよ」 「おれのことをか?」 「へい」 「おれも、そうおもう」 「私のことをで?」 「うむ」 「こいつは妙だ。いや、妙な男が三人そろってしまいましたね」  めずらしく八郎が、さも、おかしげに笑い声をたてた。 「今日の波切先生は、なんだか、別のお人のように見えます」 「何を、つまらぬ」 「いえ、今日ばかりじゃあねえ、そうだ、この間、大久保《おおくぼ》の一文字屋で、久しぶりにお目にかかったときにも、そうおもいました」 「久しぶりはないだろう。いつも、おれの後を尾《つ》けていたのではないか?」 「とんでもねえことをいいなさる」 「ま、よい。ところで、おれが別の人に見えるというのは、どういうことだ?」 「さあねえ……はっきりと、何処《どこ》がお変りなすったのか、それがわかれば申しあげますがね。どうも、口に出して、うまくいえません」 「おれは、少しも変ってはおらぬつもりだが……」 「人という生きものは、他人のことはよくわかっても、てめえのことは皆目わからねえものでござんす」 「伊之吉は、うまいことをいう」  にっこり[#「にっこり」に傍点]と笑った波切八郎の顔を、伊之吉が指さして、 「そ、それだ、それだ」 「何……?」 「いまの、先生の笑い顔だ。以前の先生にはなかったものですぜ」 「おれが笑わなかった、と……?」 「いいえ、そりゃあ、たまさかには苦笑いをなすったことはあるが、いまのような笑い顔を、前には見たこともねえ。先生は何処かが変ってきなすった。たしかにそうだ」  そういわれても、八郎にはわからぬ。  自分にはわからぬが、 (変ってもいよう。変らぬほうがどうかしている)  このことであった。  まる三年前の初夏に、目黒の道場と門人たちを捨てて出奔したときの、二十八歳だった自分と、この年、三十一歳になった自分とでは、 (なるほど。変ったといえば変ったはず……)  なのである。  去年の春ごろまでの波切八郎は、 (取り返しがつかぬ……)  過去を捨て切れず、そのため、ともすれば自暴自棄となってもいたし、迷いぬき、悩みぬき、虚《うつ》ろな日々の時間《とき》のながれをもてあましていたのだ。  当時の自分にくらべると、 (いまのおれは、たしかに落ちついてきた……)  ようにも感じられる。  それは何故《なぜ》か。  お信《のぶ》と再会し、老僕《ろうぼく》の市蔵と三人での暮しが、八郎に落ちつきをあたえたものか……。  その影響も、ないとはいえまい。  しかし、八郎の落ちつきは、 (おれの覚悟がきまった)  からだといってよい。  それは何か。  三十一年の、剣士としての生涯《しょうがい》を、目ざす秋山小兵衛との対決に、 (しぼりきれた……)  からであろう。  平林寺における誓約を破った恥も、剣士としての体面もかなぐり捨てて、波切八郎は秋山小兵衛との対決にそなえ、丹波《たんば》・田能《たのう》の石黒道場へおもむこうとしている。  それなのに何故、いまこのときになって、岡本弥助のことが気にかかってならぬのだろうか。  これは、伊之吉とて同様で、理屈では解けぬものがある。  八郎や伊之吉の意識にはのぼっていないけれども、一には、 (岡本弥助の、このたびの暗殺はむずかしいものらしい)  二には、 (周本は、何やら死を決しているらしい)  それを、 (打ち捨ててはおけなくなった……)  と、いうことであろうか。  丹波の石黒道場行をひかえて、八郎が岡本の身を気づかうのは、それだけ余裕が生じたのだともいえぬことはない。  今度の暗殺の結果を、たしかめぬうちは江戸を離れられない。 (これより先のことは知らぬ、が、今度は岡本弥助の無事な姿を見てからでなくては、丹波へおもむくことができぬ)  この前の森平七郎暗殺のときのように岡本が危いときは、助勢をいとわぬつもりだ。  それだけ、波切八郎は暗殺者としての自信をもつようになったともいえる。 「ごめん下さいまし」  山城屋の、中年の女中が行燈《あんどん》へ灯《あか》りを入れてあらわれた。  いつの間にか、部屋には濃い夕闇《ゆうやみ》がたちこめていた。  夢からさめたように、波切八郎が、 「酒をたのむ」  女中が去ってから、 「伊之吉。今夜は、ゆるりとのもうではないか。それとも、何処かへ行くあて[#「あて」に傍点]でもあるのか?」 「ふうん……」  と、伊之吉が唸《うな》って、目をみはったので、 「どうしたのだ?」 「先生が、こんなに、私を相手にしゃべるのを見たのは初めてでござんす」 「またか。いいかげんにしろ」 「ほれ、また、笑いなすった……」      六 「先生。もし、先生……」  伊之吉《いのきち》が、波切八郎の部屋へ飛び込んで来たのは、翌日の四ツ(午前十時)ごろであった。  昨夜は遅くまで、伊之吉と酒をのみ、八郎は、ぐっすりと眠っていた。  となりの部屋に、伊之吉は眠ったはずである。 「どうした?」 「いま、岡本の旦那《だんな》が、出て行きました」 「そうか……」  半身を起した八郎へ、 「ちょっと、見てまいります」 「私も行こう」 「ま、ようござんす。そのかわり、此処《ここ》をうごかずにいて下せえまし」  ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と、伊之吉が小廊下へ飛び出して行った。  ちょうど、そのころ……。  四谷《よつや》の秋山小兵衛道場へ、谷彦太郎《たにひこたろう》があらわれた。  主人の杉浦石見守《すぎうらいわみのかみ》が、いよいよ御小姓組御番頭《おこしょうぐみごばんがしら》という重い役目に就任したものだから、谷彦太郎は、このところずっと秋山道場の稽古《けいこ》に姿を見せていない。 「まことに怠けほうだいにて、申しわけもありませぬ」  と、先《ま》ず谷は小兵衛の前に両手をついた。 「気にかけるな。それよりも石見守様の御役に立つことのみをこころがけるがよい」 「恐れ入りましてございます。ところで秋山先生」 「おお」 「明後日、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の下屋敷へおこしいただけましょうや?」 「高松小三郎殿《たかまつこさぶろうどの》の御稽古の事か?」 「はい」 「よいとも」 「かたじけなく存じます」 「高松小三郎殿は、先般の御稽古に懲《こ》りなさらなかったようだな」 「何よりも、秋山先生にお目にかかることを、たのしみにしておられるそうでございます」 「ほう……」  この前の稽古から、早くも十余日を経ていた。  日いちにちと日足が伸びてきて、秋山道場の裏の竹藪《たけやぶ》で、鶯《うぐいす》が鳴いている。  谷彦太郎は、 「ついでのことにと申しては、まことに失礼でございますが……」 「何だ?」 「たとえ、いささかなりとも、稽古をつけていただきたく存じます」  谷彦太郎は一刻《いっとき》(二時間)ほど、たっぷりと汗をながし、もどって行った。  その谷が、表四番町の杉浦石見守屋敷へ帰りついたころに、伊之吉も紺屋町一丁目の山城屋へもどって来た。  波切八郎は、昼餉《ひるげ》をすましたばかりであった。  山城屋の奉公人の、甲州出身の男が饂飩《うどん》を打つのが得意で、泊り客のもとめにより何時《いつ》でも打ってくれる。  八郎は、この男が打つ饂飩を口にして、ひどく気に入り、山城屋にいるときの昼餉は饂飩にきめていた。 「腹が空《す》いたろう。お前のも残しておいてもらった」  と、八郎が女中に、伊之吉のために饂飩をたのんだ。 「先生。岡本《おかもと》の旦那は、やはり深川の、あの武家屋敷へ入りました」 「そうか……」 「入って、小半刻《こはんとき》(三十分)もたたねえうちに出て来まして……ほれ、いま、和泉屋《いずみや》へもどって来なさいますよ」  と、伊之吉がいった。  窓の障子を細目に開け、波切八郎が堀割《ほりわり》の向うの和泉屋の表口へ目を移した。  なるほど、いましも塗笠《ぬりがさ》をかぶった岡本|弥助《やすけ》が和泉屋へ入って行く姿が見えた。 「む。もどって来た」 「先生。こりゃあ、いよいよ事がせまってまいりましたぜ。これからは、目がはなせません」 「うむ……」  女中が熱々の饂飩を運んで来た。  味噌仕立《みそじた》ての汁《つゆ》、鶏卵に葱《ねぎ》、それだけのものだが、山城屋にはなじみの伊之吉だけに、これは大好物なのである。 「旨《うめ》え、旨え、同じ饂飩でも他所《よそ》のとは、どうしてこうもちがうのでしょうかね?」 「まさに、ちがうな。以前、私が住み暮していた土地《ところ》に、正月やという茶店があって、甘酒と饂飩が名物だったが、まったく比べものにならぬ」  と、波切八郎は、遠いものを見るような眼差《まなざ》しになった。  目黒の波切道場に近い、太鼓橋の茶店・正月やのことを思い浮かべたのであろう。  一方、和泉屋へもどった岡本弥助は、 「酒をたのむ」  番頭へいいつけ、二階の自分の部屋へあがって行った。  この日、岡本は堀|大和守《やまとのかみ》によびつけられて、 「いよいよ、明後日と決まった」  と、告げられた。 「では、今夜からにても、この御屋敷へ……」 「いや、それにはおよばぬ」 「と、おおせられますのは?」 「明後日の早朝、六ツ半(午前七時)に、神田《かんだ》の和泉屋へ迎えの者をさしむけよう。その者を、いま、引き合わせておく」  堀大和守が手を打つと、次の間との境の襖《ふすま》が開き、一人の男が入って来た。  背の高い、骨張った顔つき躰《からだ》つきの、剣客《けんかく》ふうの男であった。 「鈴木甚蔵《すずきじんぞう》と申す」  男は、そう名乗った。 「岡本弥助です」  岡本も名乗ったが、いささか不快であった。 (大和守様は、おれのような男を、ほかに何人も密《ひそ》かに抱えている……)  それは察していないでもなかったが、 (それならば、彼らのみによって襲撃をおこなわしめたらよいではないか)  これまでの、自分が関《かか》わった暗殺については、すべて自分が方法を考え、探りをつけ、実行してきた。  だが今度は、くわしいことを何も聞かされず、いざともなれば、自分が鈴木甚蔵の助勢をするような立場に置かれた気がして、それが不快なのだ。  堀大和守は、はじめのころ、 「岡本|一人《いちにん》にて仕てのけられよう」  と、いったではないか。 「のう、岡本」  大和守は、岡本弥助の面《おもて》に不快の色が浮かんだのを見てとって、 「相手は一人なれど、これを護《まも》る者が三、四人ほど附《つ》き従っている。なにぶん、日中の事ゆえ、手早く始末をつけてしまわぬとならぬので、これなる鈴木甚蔵と、いまひとりの者と、それに岡本の三人をもって、かかってもらうことにいたしたのじゃ」 「して、相手と申しますのは?」 「その名を聞きたいと申すのか?」 「なりませぬか?」 「聞かずともよい。この鈴木も知ってはおらぬ」      七  夜に入って尚《なお》、岡本弥助《おかもとやすけ》は酒をのみつづけている。  番頭が夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を運んで来たが、箸《はし》を手に取ろうともせぬ。 「気に入らぬ」  突如、岡本が、壁に向ってつぶやいた。 「どうも、気に入らぬやつ……」  岡本は、壁に目を据《す》えたまま、またしてもつぶやく。  何が気に入らぬのか……。  今日、堀|大和守《やまとのかみ》の屋敷で引き合わされた剣客《けんかく》・鈴木甚蔵が気に入らぬのだ。  大和守屋敷を、岡本弥助は鈴木甚蔵と共に辞去した。 「ま、近づきのしるしに……」  鈴木がさそったので、さすがにことわりきれず、岡本は鈴木の後について、入船橋《いりふねばし》をわたり、入船町の角地にある居酒屋へ入った。  この小ぎれいな居酒屋の中から、波切八郎は堀大和守邸へ入って行く岡本弥助を見かけたことがある。  鈴木と酒を酌《く》みかわしながらも、岡本は、 (早く、こやつと別れたい……)  そのおもいが、つのるばかりであった。 「このたびは、すべてを大和守様にまかされているので、御不満でもあろうが、拙者の指図に従っていただきたい。先《ま》ず、それを申しあげておこう」  と、鈴木甚蔵は、岡本の胸の内を見すかしたようなことをいう。  岡本弥助のことを、堀大和守が鈴木に何とつたえているか、それは知らぬが、鈴木の口調はかなり高圧的なものであった。  頬骨《ほおぼね》の張った面体《めんてい》が妙にどす[#「どす」に傍点]黒く、低く重い声が陰気で、わざと目を細め、おのれの目の色を岡本に気《け》どられまいとしているのが、はっきりとわかった。 「われらが討つ相手は、何者です?」  不快をこらえ、こころみに尋ねてみると、 「いや、岡本さん……」  鈴木甚蔵は手をあげて制し、 「それは、拙者も知らぬことだ」 「ほう……」 「相手は少年《こども》ですよ。駕籠《かご》に乗っている」 「駕籠の中の少年……」 「さよう。その少年一人を討てばよい。駕籠|傍《わき》をかためる者どもを、岡本さんと、もう一人で斬《き》るなり、追い散らしてもらいたい。よろしいか、よろしいな」 「む……」 「目ざす相手は、拙者一人にて仕とめる」 「…………」  どうも、おもしろくない。 (こんなやつに、大事が仕てのけられるのだろうか?)  しかし、鈴木甚蔵が相当の腕前であることは、岡本弥助にも一目でわかったようである。  明後日の六ツ半(午前七時)に、鈴木が下白壁町《しもしらかべちょう》の和泉屋《いずみや》へ岡本を迎えにあらわれるという。  暗殺の場所はと尋《き》くと、鈴木はにやり[#「にやり」に傍点]として、 「それは当日に、申しあげよう」  胸を反らして、そういった。 (いやなやつだ、気にくわぬ)  今度は胸の内でつぶやき、岡本は冷えた酒をふくんだ。  その和泉屋と、堀割《ほりわり》をへだてた宿屋・山城屋の二階でも、波切八郎と伊之吉《いのきち》が酒をのんでいる。 「どうだろう、明日の昼ごろまでに、岡本さんが和泉屋から出て来《こ》なかったら、少しの間、大久保村《おおくぼむら》の様子を見て来たいのだが……」 「ええ、大丈夫ですとも。やる事は、およそわかっています。となると、こりゃあ日中にはできねえことですからね」 「うむ」 「朝から、大久保へお出かけになったらいかがです。そのかわり、日が暮れるまでに此処《ここ》へもどっていただきたいもので」 「そうだ、な……」 「暮れ方から、岡本の旦那《だんな》が外へ出たときがあぶねえ」 「いかにも」  例外はあるにせよ、人を暗殺するためには夜の闇《やみ》こそふさわしい。  または、夜の闇が消える直前、すなわち明け方がよい。  このところ、大久保村へ帰っていないので、お信《のぶ》と市蔵が心配をしていることは、いうをまたぬ。  何故《なぜ》なら八郎は、山城屋に滞留していることを二人に告げていない。 (二人が、私の身を案じているだろうから、顔を見せて安心させたい)  この感情を、いまの八郎は押えきれなくなっている。  八郎自身は意識していないけれども、結果としては八郎の言動がそれ[#「それ」に傍点]を証明している。  つまり、いまの波切八郎は、 「ただ一人ではない」  と、いうことだ。  かつての八郎には、多勢の門人と老僕《ろうぼく》の市蔵がいて、波切道場という〔城〕があった。  それが、おもいもかけぬ事変によって、血なまぐさい流転《るてん》の明け暮れを迎えることになり、いままた、お信と市蔵が待つ〔巣〕をつくった。 〔巣〕をもてば、空飛ぶ鳥も帰らねばならぬ。  人間も生きものだ。  鳥や獣などと同様に、生きものの帰巣《きそう》本能が、われ知らず波切八郎をうごかしはじめているといってよい。  山城屋の窓の障子を細目に開け、それとなく和泉屋にいる岡本弥助を見張っているときや、夜ふけから朝にかけての見張りを伊之吉にまかせ、臥床《ふしど》に身を横たえているときなど、八郎は、 (お信と市蔵を連れて、江戸を発《た》とうか……)  ふっと、そうおもうことがある。 (そのほうが、お信も市蔵も安心であろう)  このことである。  二人を京の町に住まわせておいて、自分は丹波《たんば》・田能《たのう》の石黒道場へおもむけばよい。  そして月に一度か二度、田能から京の家へもどり、二、三日をすごして道場へもどる。  お信は、胸の内で、丹波へ行くという八郎の言葉をそのままには信じきれぬらしい。  たとえば食事などをしていて、ふと顔をあげると、お信が何ともいえぬ疑惑の眼差《まなざ》しを向けているのに気づくことが、しばしばであった。  石黒素仙について修錬にはげみ、半年なり一年なりをかけ、自分の剣に、 (よし、これなら……)  納得が行ったときは、お信と市蔵を京の家へ残し、自分ひとりが江戸へ出て来たほうがよい。  そのほうが、二人とも安心していられるような気がする。 「江戸の秋山小兵衛殿へ、これまでの礼をのべておきたい」  と、市蔵にいえば、一も二もない。  市蔵は、ありがたがるにちがいない。  江戸へ出て、秋山小兵衛と真剣の勝負をおこない、自分が勝てたときは、すぐさま京都へ引き返す。  負けたときは、小兵衛から自分の死を知らせてもらえばよい。 (秋山殿ならば、このたのみを引き受けて下されよう)  または、小兵衛との勝負の前日に、 「ゆえあって、明日、ある人と真剣の立合いをすることになった。もしも自分が京へもどらぬときは、立合いに敗れ、あの世[#「あの世」に傍点]へ旅立ったとおもってくれ」  と、手紙を書き、京の家へ送っておけばよい。      八  翌日の四ツ(午前十時)すぎに、 「では、大久保《おおくぼ》へ行ってまいる。すぐにもどる」  伊之吉《いのきち》へいって、波切八郎は山城屋を出た。  よびよせておいた町駕籠《まちかご》に乗り、八郎は大久保村へ向った。  八郎は、駕籠|舁《か》きに酒代《さかて》をはずみ、 「すまぬが、急いでくれ」  と、いった。  大久保村へは昼前に着いた。  町家の外れの酒屋の手前で、波切八郎は駕籠から下り、 「では、自証院《じしょういん》の門前で一刻《いっとき》ほど待っていてくれ」  と、駕籠舁きにいった。 「ようござんす」 「たのむ」  塗笠《ぬりがさ》をかぶって、酒屋の前を通りすぎて行く八郎の姿を、酒屋の二階にいて外を見張っていた手先の半平《はんぺい》が、 「おい、おい、庄《しょう》さん」  これも手先の庄次郎《しょうじろう》をよび、 「あの侍、見ろよ」 「どれ……あっ、あれだ」 「いつ、伊橋屋《いはしや》の寮(別荘)から出て行ったのだろう?」 「さあ、わからねえ」 「おれたちは、目をはなさなかったはずだぜ」 「だが、夜更《よふ》けに出られたのでは、こっちもわからねえ」 「そりゃまあ、そうだが……ともかくも、行って見る」  半平は飛び出して行ったが、間もなくもどって来て、 「伊橋屋の寮へ入って行ったぜ」 「帰って来たのだから、当分は外へ出ねえだろうよ」 「それにしても手ぬかりだったな、庄さん」 「なあに仕方がねえ」  庄次郎は、煙管《きせる》に煙草《たばこ》をつめながら、 「今度のような探りは、まったく見当がつかねえ」 「まったくだ。こんなことをしていたら、こっちの躰《からだ》が潤《ふや》けてしまうぜ」 「いったい、親分は何とおもっていなさるのだろう」 「親分が探っていなさることだから、きっと何か大切なことなのだろうがね」  一方、寮へもどった波切八郎を迎えて、お信《のぶ》と市蔵は大よろこびであった。  市蔵は、すぐに酒を買いに出て行った。  それを待ちかねたように、お信が八郎の胸へすがりついて来た。  八郎は、このような積極さを見せるお信を、はじめて見た。 「これ……市蔵が、すぐにもどって来る」 「かまいませぬ」  お信は、八郎の胸元から手を差し入れてきた。 「これ、よさぬか……」  はだけた八郎の胸元へ、お信が顔を押しつけてきた。 「お信、これ……」 「何処《どこ》へ行っておいでに、なったのでございますか?」 「よせというに……市蔵がもどる」 「もう、お出かけになりませぬな?」 「いや……」  はっ[#「はっ」に傍点]と顔をあげて、 「では、また何処ぞへ?」 「うむ」 「いや、いや……いやでございます」 「すぐに、引き返さねばならぬ」 「いったい、何をなさっておいでに?」 「私も、江戸をはなれるとなれば、いろいろと始末をつけておかねばならぬこともあるのだ。聞きわけのないことを申してくれるな。お前らしくもない」 「は……相すみませぬ」 「わかってくれたか」 「今夜も?」 「私も、泊って行きたいのは、やまやまなれど……」 「なりませぬか?」 「そのかわりに、お前を、京へ連れて行こう」 「えっ……」  目をみはった、お信の顔へ見る見る血の色がのぼってきて、 「そ、それは、まことでございますか?」 「まことだ。なればこそ、それをお前に言いに来たのではないか」 「まあ……」  実は八郎、此処《ここ》へ来るまで、はっきりと決意をしていたわけではないのだ。  お信にすがりつかれてしまって、ようやくに心が決まったといってよい。 「京で家を見つけ、お前と市蔵とで暮してもらう。私は、時折、田能《たのう》からもどって来《こ》よう」 「うれしゅうございます」 「では、納得してくれたのだな」 「はい」  しかし、お信も徒《ただ》の女ではない。  一瞬、するどい目つきになって、 「まさかに、何ぞ危《あやう》い事をしておいでになるのではございませぬな?」 「するわけもない」 「まことに?」 「くどい」  そこへ、市蔵がもどって来た。  市蔵が酒を買って寮へもどる姿を、酒屋の二階で半平と庄次郎が見ていた。 「こいつは、もう、だれも外へは出て来めえよ」 「そうだな」  それでも二人は、寮の方から目をはなしていたわけではない。  だが、寮を出て山城屋へもどって行く波切八郎を見逃してしまった。  酒屋の二階から見張られていることを知らぬ八郎だが、さすがに、このごろはぬかり[#「ぬかり」に傍点]がなかった。  八郎は庭づたいに寮の裏手の木立をぬけ、道もない草道を迂回《うかい》して表番衆町《おもてばんしゅうちょう》へ出たのである。  この前、岡本弥助《おかもとやすけ》に教えられた抜け道であった。  半平なり庄次郎が、寮へ近寄って見張っていれば、出て行く八郎を見かけただろうが、そうすると、八郎にも気づかれることになりかねない。  伊橋屋の寮のまわりに人家はないし、門の中へ入って行かないと充分な見張りはできない。  御用聞きの助五郎も、二人に、 「近寄って、向うに見とがめられては元も子もなくなる」  と、いっておいたほどだ。  波切八郎は大きく迂回し、自証院門前へあらわれ、待たせておいた町駕籠へ乗り、山城屋へもどった。  八郎を迎えた伊之吉がいった。 「岡本の旦那《だんな》は、和泉屋の二階からうごきませんよ」      九  夜に入って、冷え込みが強《きつ》くなったようだ。  梅も咲き、このところ、あたたかい日和《ひより》がつづいて、土の香が濃くなってきた。  木々の枝には細かな芽が生まれかけ、鶯《うぐいす》が鳴いた。  ところが今夜は、 (まるで、冬がもどって来たような……)  寒さになったものだから、山城屋の女中が気をきかして、波切八郎と伊之吉《いのきち》の部屋へ泥行火《どろあんか》の仕度をしてくれた。  その行火へ掛けた蒲団《ふとん》の中へ膝《ひざ》を入れ、酒を酌《く》みかわしながら、 「今夜は、夜半《よなか》すぎまで私が起きていよう。早目に寝てくれ」 「ですがね、先生。どうも、こいつはさしせまっておりますぜ。いつもの仕事とは様子がちがいますが、今夜か明日に……」 「長い間、岡本さんへつきそってきたお前がいうことだ。間ちがいはあるまい」  照れくさそうに、伊之吉が、 「こういうのを、腐れ縁というのでござんしょうねえ」  波切八郎は、こたえなかった。  無言で盃《さかずき》を手にした八郎へ、酌《しゃく》をしかけた伊之吉が、 「それじゃあ先生、これで」  徳利を膳《ぜん》の上へ置き、となりの自分の部屋へ去った。  夕餉《ゆうげ》をすませた八郎へ、臥床《ふしど》を敷きのべた女中が、 「ほかに、御用はございませんか?」 「いや、ない」  女中が立ち去ると、八郎は泥行火を窓ぎわへ寄せ、雨戸と障子を細目に開けた。  行燈《あんどん》の上へ布をかぶせ、部屋の中を薄暗くして、八郎は行火へ入り、障子の透間《すきま》から、堀割《ほりわり》の向うの和泉屋《いずみや》の表口へ、凝《じっ》と目をつけた。  透間から、冷気がながれ込んでくる。  八郎は羽織を取って肩にかけた。  和泉屋の表口の上の、二階の雨戸には灯《あかり》が洩《も》れていない。  岡本弥助《おかもとやすけ》は、おそらく、まだ起きているのだろうが、二階の奥の部屋にいるはずだ。 (岡本は、酒をのんでいるだろうか?)  それとも、愛刀の手入れをしているやも知れぬ。  八郎が、となりの部屋に寝ている伊之吉を起しに行ったのは、八ツ(午前二時)ごろであったろう。 「これ、伊之吉。これ……」 「あ、先生……」 「すまぬな、替ってくれるか」 「ようござんすとも」 「よく眠れたか?」 「へえ、ぐっすりと……夢も見ませんでしたよ」 「では、たのむ」  部屋へ引き返した八郎は、窓の透間からもう一度、和泉屋の表口をたしかめ、窓を閉め、臥床へ身を横たえた。  臥床の裾《すそ》へ行火を入れておいたので、 「ああ……」  心地よげな唸《うな》り声《ごえ》を発した波切八郎は、たちまちに眠りへ引き込まれていった。  どれほど、眠ったろう。  八郎は、夢の中にいた。  暗い海の中を、下帯一つの八郎と岡本弥助が、ゆっくりと泳いでいる。  暗いようでいて、泳ぎながらこちらを見やる岡本の笑顔が、はっきりと見えるのだ。  八郎も笑い返した。  いつまでも、いつまでも、二人は躰《からだ》をならべて、しずかな海原に抜手をきっている。  と……。  そのうちに、岡本弥助が八郎を引きはなして先へ出た。 「岡本さん。待て。ゆっくりとせぬか」  岡本はこたえぬ。振り向きもせず、抜手を速めた。 「これ、何を急ぐ。待たぬか」  八郎は追いつこうとして、抜手を速めたが追いつけない。  人間わざともおもわれぬ速さで、岡本弥助は見る見る八郎を引きはなして行く。  海面に見える岡本の頭が、豆粒ほどに小さくなったとき、 (もう、追いつかぬ)  八郎は、あきらめて立ち泳ぎとなった。  息が切れて、手も足も鉄棒へ縛りつけられたように重い。 (ああ、疲れた……重い。これは、まるで自分の手足ではないようだ。重い、重い……あっ、沈む)  あっ[#「あっ」に傍点]という間もなく、波切八郎は海中へ沈みはじめた。 (あっ……どうしたことだ、これは……)  必死で|もが[#「もが」は「足+宛」第3水準1-92-36]《もが》くうちにも、海水は容赦なく鼻へ口へ押し入って来る。 (あっ……ああ……)  あまりの苦しさにもが[#「もが」は「足+宛」第3水準1-92-36]きぬいていると、 「先生……もし、波切先生。どうなさいました?」 「あ……」  と、夢からさめた八郎が、 「伊之吉か?」 「悪い夢でもごらんなすったらしい。魘《うな》されていなさいましたよ」 「そ、そうか……」  顔にも躰にも、ねっとりと脂汗《あぶらあせ》が浮いていた。 「いま、何刻《なんどき》だ」 「朝になりましたよ。ほら、ごらんなせえ」  伊之吉が窓の障子を細目に開け、 「雪になりましたぜ」  まさに、白いものが落ちてきて、堀割の水へ吸い込まれてゆく。 「ほれ、和泉屋の前に傘《かさ》をさした侍が立っておりましょう。あれは、いま、岡本の旦那《だんな》を迎えに来たようで……」 「よし」  飛び起きた波切八郎は、素早く身仕度にかかった。  かねてより、このときを予期していた二人ゆえ、あわてることもなかった。 「あ……和泉屋の番頭が外へ出て来て、侍を中へ入れましたぜ」 「伊之吉、雪になったとあれば草鞋《わらじ》がよい。合羽《かっぱ》、笠《かさ》も……」 「ええ、もう、女中にいいつけましたよ」  そのころ……。  四谷《よつや》の秋山道場へ、迎えの駕籠《かご》が着いていた。  谷|彦太郎《ひこたろう》が、例によって駕籠につきそっている。  秋山小兵衛も、すでに身仕度をととのえていたが、お貞《てい》と共に玄関へあらわれ、 「谷、御苦労だな」 「いえ、先生こそ……」 「白いものが落ちてきた……」 「はい。昨夜は冷え込みが強うございました」 「うむ。高松小三郎殿は、このような日にも稽古《けいこ》にまいられるのか?」 「先生。何をおおせられます。武芸の稽古に雪も雨もありませぬ」 「ほう……申したな」 「おそれいります。いえ、今朝早くに知らせがまいりまして……」 「小三郎殿からか?」 「はい。いつもの時刻に、かならず当家の下屋敷へまいられると申してよこされました」 「念の入ったことだな」  小兵衛は、雪にそなえての仕度はしていない。  帰りも谷彦太郎がつきそい、駕籠で送られることがわかっていたからだ。  門外へ出て、小兵衛が駕籠へ乗った。 「お気をつけられて……」  と、お貞。  谷彦太郎が、お貞へ一礼したとき、秋山小兵衛を乗せた駕籠が地面をはなれた。  それから少し後になって、神田《かんだ》・下白壁町《しもしらかべちょう》の和泉屋の表口へ、二挺《にちょう》の町駕籠が来た。  それへ、和泉屋からあらわれた岡本弥助と、岡本を迎えに来た剣客《けんかく》浪人の鈴木甚蔵が乗った。  二人とも、別にこれ[#「これ」に傍点]といった身仕度をしてはいなかったが、風呂敷包《ふろしきづつ》みを小脇《こわき》に抱えている。  見送りに出た和泉屋の番頭が、二挺の駕籠が去った後も、あたりに目をくばっていたが、やがて中へ入った。  このとき、波切八郎と伊之吉は外へ出て、岡本たちの駕籠を尾行しはじめていた。  二人とも笠をかぶり、合羽をつけ、草鞋ばきであった。  このとき、波切八郎は袴《はかま》をつけていない。伊之吉と同じく股引《ももひき》をつけ、裾《すそ》を端折《はしょ》っていた。腰には亡父の形見の越前康継《えちぜんやすつぐ》二尺四寸余の大刀と和泉守国貞《いずみのかみくにさだ》一尺余の脇差《わきざし》を差し込んでいる。 「向うが駕籠なら、こいつは尾《つ》けやすい」  と、笠の内から伊之吉がつぶやいた。      十  秋山小兵衛が、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の杉浦|石見守《いわみのかみ》・下屋敷に到着をしたのは、五ツ(午前八時)をまわっていたろう。  雪は熄《や》んでいた。  石見守|孝豊《たかとよ》は、この日、江戸城へ登城するとかで姿を見せなかったが、前のときと同様に、先《ま》ず書院へ通され、茶菓が出た。 「この前のときも、底冷えの強い朝であったが……」 「なれど先生。雪は熄みましてございます」  と、谷|彦太郎《ひこたろう》。 「よいあんばい[#「あんばい」に傍点]だ」  ひとやすみして、小兵衛は奥庭の一隅《いちぐう》にある弓場《ゆば》へ向った。  すでに待っていた高松小三郎が、小兵衛を迎えてかたちをあらため、両手をつき、頭を深く下げる。  つきそっていた小三郎の家来たちも、同様に小兵衛を迎えた。  この前は、清野平左衛門《きよのへいざえもん》と名乗った老人のほかに二人の侍が小三郎へつきそっていたが、今日は一人増えている。 「秋山先生……」  と、小三郎少年が面《おもて》をあげ、 「かような寒さきびしき朝に、わざわざお出向きをいただき、かたじけのう存じます」  挨拶《あいさつ》をする声が弾んでいた。  小兵衛が坐《すわ》って一礼し、 「変りなく、すごされてでござったか?」 「はい」 「では、はじめましょうかな」 「はい」  小三郎が立つのをきっかけに、清野以下四人の家来と谷彦太郎が弓場を出て行った。  小兵衛が何もいわぬのに、高松小三郎は襷《たすき》をまわし、鉢巻《はちまき》をしめた。  今朝の小三郎は木太刀を持参しておらず、秋山小兵衛も同様であった。  身仕度をする小三郎少年を見まもっていた小兵衛が羽織をぬぎ、これを袖《そで》だたみにしてから立ちあがった。  小三郎は腰に大小の刀を帯し、弓場に立って、小兵衛の仕度がすむのを待っている。  秋山小兵衛も、この前と同様に襷鉢巻をし、袴《はかま》の股立《ももだち》を取り、藤原国助《ふじわらくにすけ》の愛刀を腰に帯した。 「よろしいか?」 「はい」 「では……」  すすみ出た小兵衛が、約四|間《けん》をへだてて小三郎と向い合ったとき、 「む!!」  低く唸《うな》った小三郎少年が、腰の大刀を抜きはなった。  この前は、鯉口《こいぐち》を切るのもたどたどしく、怖々《こわごわ》と大刀を抜いたものだが、今朝はちがう。  おそらく清野平左衛門あたりに教えられて、抜刀の練習をしたのだろうが、見事に抜きはなった。  秋山小兵衛が、にっこりと笑って大きくうなずき、これも国助の一刀をゆっくりと抜きはらう。  途端に、小兵衛の顔色が一変した。  小兵衛の両眼は、むしろ殺気を帯びているといってもさしつかえないほどに、鋭く光っている。  高松小三郎の顔が緊張に蒼《あお》ざめる。  小兵衛が一歩、足をすすめると、小三郎少年が一歩|退《しさ》る。  これは、この前のときとは大分にちがう。  この前は、小兵衛と向い合ったとき、小三郎は、まるで、 「金縛りになった……」  ように身うごきができなくなってしまったのだ。  それが、どうだ。  小兵衛が一歩、間合《まあい》をつめると、すかさずに一歩退ったではないか。  これは、小三郎に剣の対応感覚が生じたことになる。  秋山小兵衛は、さっ[#「さっ」に傍点]と二歩退った。  間《かん》、髪《はつ》を入れず……というわけにはまいらなかったが、それでも小三郎少年は必死の面《おも》もちで二歩、間合をつめてきた。 「鋭《えい》!!」  はじめて気合声《きあいごえ》を発し、小兵衛が、じりじりと間合をつめる。  高松小三郎の満面に脂汗《あぶらあせ》が浮き、息があがって、退る足許《あしもと》がもつれかけた。  またしても、小兵衛がぱっ[#「ぱっ」に傍点]と退る。  小三郎は、その小兵衛の躰《からだ》にさそい込まれるように、ふらふらと前へ出た。  小三郎の刀の切先《きっさき》が、がっくり[#「がっくり」に傍点]と下った。  その瞬間に、 「しっかりと刀を構えよ!!」  秋山小兵衛の声が飛んだ。 「は……」  小三郎は、懸命に刀を構える。  そのまま、二人はうごかなくなった。  小三郎少年の肩が、大きく波を打ち、呼吸が荒くなる。  秋山小兵衛は、正眼に構えた大刀を下段に落しざま、するする[#「するする」に傍点]と小三郎へせまり、 「たあっ!!」  気合声と共に、振りかぶった大刀を打ち下ろした。  そして、この前のときと同様に身を引き、刀にぬぐい[#「ぬぐい」に傍点]をかけて鞘《さや》へおさめる。  小三郎の白い鉢巻が二つに切断され、足許に落ちた。  ぐらり[#「ぐらり」に傍点]と、小三郎の細くて小さな躰が揺らいだ。  小兵衛は、これに凝《じっ》と見入っている。      十一  この前のときは……。  顔に掠《かす》り傷《きず》もつけずに、秋山小兵衛が高松小三郎の鉢巻《はちまき》を切断したとき、小三郎は大刀を落し、両手をだらり[#「だらり」に傍点]と下げたまま、虚脱していた。  そして気をうしない、倒れかかるのを小兵衛が抱きとめたのである。  ところが、今朝はどうだ。  小三郎少年は、まだ、大刀をつかみしめているではないか。  小兵衛に鉢巻を切断されて、小三郎の構えは崩れたが、両手に大刀をつかみ、気をうしなうこともなかった。  さすがに、顔色は変じ、口をあけたまま喘《あえ》いでいたが、ややあって口を引きむすんだ。  そして……。  少しずつ、少しずつ、大刀を正眼に構え直した。  このとき、秋山小兵衛が、 「お見事」  声をかけた。  秋山小兵衛の満面が笑みくずれている。 「今日は、これまで」 「は……」 「刀を鞘《さや》へ、おさめなされ」 「は、はい」 「ぬぐい[#「ぬぐい」に傍点]をかけて、おさめなされ」 「はっ……」  大刀を鞘におさめ、これを腰から外した高松小三郎が、正座して両手をつき、 「秋山先生。かたじけのうございました」  頭をたれた。両肩が大きく波打っている。 「おお、おお……」  うなずいた小兵衛が、見所《けんぞ》の火鉢《ひばち》にかかっていた鉄瓶《てつびん》の湯を茶わんへ注《つ》ぎ、これを小三郎へあたえた。 「熱いゆえ、ゆるりとおのみなされよ」 「は……もったいのうございます」 「何の……」  と、小兵衛が少年の肩へ手を置き、 「上出来でござった」 「じょう、でき……」 「ふうむ。このような世俗の言葉を御存知ないものとみえる」 「どのようなことでございましょう?」 「この前の折に引きくらべて、格段に見事でござった。どなたかについて、稽古《けいこ》をなされたか?」 「いいえ……」  かぶり[#「かぶり」に傍点]を振って小兵衛を見あげる小三郎の両眼が潤《うる》んでいた。  このように、きびしく、また親しげなふるまいを受けたことがなかったのであろう。 「さ、白湯《さゆ》を、おのみなされ」 「はい」  一口、白湯をすすりこみ、小三郎が小兵衛へ、うれしげに笑いかけた。  うなずきつつ小兵衛は、小三郎の肩へかけた手をはなさぬ。 「秋山先生に、お願いがございます」 「ほう……」 「この後、小三郎を、お見捨てなきよう願いあげまする」  茶わんを置き、またしても高松小三郎が両手をついた。 「これは、これは……」  かたち[#「かたち」に傍点]をあらため、軽く頭を下げた秋山小兵衛が、 「先《ま》ず……先ず、お手をおあげなされ」  何故《なぜ》か、小兵衛の両眼も熱くなってきていた。  どのような事情があるか知れぬが、高松小三郎は、 「大名の血を受けた……」  少年《こども》であるという。  しかもいまのところは、公《おおやけ》に、その身分をみとめられていないらしい。  なればこそ、人の情というものに、少年は飢えていたのではあるまいか。  どうも、そのようにおもわれる。  その小三郎の心情が、小兵衛の胸の内へつたわってきたのであろう。 「はい、はい」  まるで、赤児《あかご》をあやすような口ぶりになって、 「ようござるとも」 「では、先生……」 「見捨てなど、いたしますものか」 「かたじけのう……うれしゅうございます」 「何よりも、その躰《からだ》を、たいせつになさることだ」 「はい」  やがて、小兵衛と小三郎が弓場を出て行った。  谷|彦太郎《ひこたろう》につきそわれて、秋山小兵衛が門を出て行くのを、小三郎少年が見送ったのも、前のときと同様であった。  雪は熄《や》んでいたが、依然として冷え込みは強《きつ》い。  小兵衛は駕籠《かご》に乗って、しばらく行ったが、 「谷、駕籠をとめてくれ」 「どうかなさいましたので?」 「いや、何でもない」  停《とま》った駕籠から下りた小兵衛が、道端へ歩いて行き、 「谷……」  と、手まねきをして、 「もっと、側《そば》へ寄れ」 「はい」 「どうだ、物は相談だが……」 「…………?」 「お前は、高松小三郎殿の身分も居所《いどころ》も知らぬと申したな」 「はい。主《あるじ》より、かたく立ち入ることならじと申しつけられております」 「うむ……なれど、知りたくはないか、どうだ?」 「は、それは……」 「私は、ぜひとも知りたくなってきた」 「先生……」 「なんとなれば、私は、小三郎殿が好きになってしまったからだ。お前は、どうだ?」 「私も……」 「好きか?」 「はい」 「どうだ。小三郎殿の居所を知りたいとはおもわぬか?」  俄然《がぜん》、谷彦太郎の両眼が好奇の光りを帯びてきた。 「居所がわかれば身分も知れよう。たとえ、石見守様《いわみのかみさま》が秘密にしておられようとも、私とお前は小三郎殿について、わきまえていたほうがよいとおもう」 「はい」 「今日、小三郎殿は私に、いつまでもお見捨てなきようと、いってくれた」 「まことでございますか?」 「さればさ」 「わかりましてございます」 「小三郎殿の後を、尾《つ》けようではないか」 「いまからでございますか?」 「そうだ」  谷は、一瞬ためらったようだが、 「ようございます」 「駕籠を帰せ」 「はい」  谷彦太郎が駕籠を担《かつ》いで来た小者たちへ近寄って行き、何かささやき、 「では、たのむぞ」 「ようございます」  小者たちは、秋山小兵衛へ一礼した。 「谷、これを……」  と、小兵衛が〔こころづけ〕を紙に包み、小者たちへわたすようにと、谷へ目顔でしめした。  小者たちは、駕籠を担いで去った。杉浦石見守の本邸へ帰って行くのであろう。 「あの者たちへは、何といったのだ?」 「これより、秋山先生の御酒のお相手をするからと申して帰しました」 「それでよい。さ、急ごう」 「はっ」 「おお、そうだ。向うに笠《かさ》屋があるな。菅笠《すげがさ》を二つ、買って来てくれ」 「承知いたしました」      十二  深い木立の中であった。  彼方《かなた》に、木立と木立にはさまれた道が見える。  岡本弥助《おかもとやすけ》と鈴木甚蔵は、木蔭《こかげ》に屈《かが》み込んでいた。  そのほかに、もう一人。年齢《とし》のころは二十七、八に見えるが、筋骨のたくましい剣客《けんかく》浪人で、 「この男は、寺嶋林平《てらじまりんぺい》」  と、鈴木甚蔵が岡本弥助へ引き合わせたが、 (寺嶋だろうが何だろうが、いまのおれには、どうでもよいことだ)  岡本は、気にもとめなかった。  此処《ここ》は、千駄《せんだ》ヶ谷《や》の外れで、当時のこのあたりは全くの田園といってよい。  岡本と鈴木は、千駄ヶ谷・八幡宮《はちまんぐう》の門前で駕籠《かご》を捨て、この木立の中まで歩いて来た。  雪は積もらぬうちに熄《や》んでしまったが、この天候では、木立や畑の道を歩む人影も絶えている。  寺嶋林平は、木立の中にいて、 「早かったですな」  と、二人を迎えた。 「滝五郎《たきごろう》は?」 「鈴木さん。いま、見張りに出ていますよ」 「大丈夫なのだろうな?」 「御念にはおよびません。拙者と滝五郎が充分に探ったことですからな」 「なるほど」 「そちらの……岡本うじへ、そろそろ手筈《てはず》を告げておいたほうがよいとおもいますが……」 「そうだな」  鈴木と寺嶋が、すべてを運んできたらしい。  岡本弥助は、当然、おもしろくなかった。 「岡本さん」  よびかけて、寺嶋と何かささやき合っていた鈴木甚蔵が近寄って来た。 「目ざす少年《こども》は、駕籠の中にいる。これにつきそっている侍は四人だそうな」 「…………」 「拙者が少年を討ち取る、よろしいか?」 「…………」 「先《ま》ず、岡本さんと寺嶋とが飛び出して行って、警固の四人を斬《や》ってもらいたい。その隙《すき》に、拙者が少年を仕とめる。よろしいか、よいな?」 「…………」 「御不満か?」  と、鈴木が薄笑いを浮かべた。 「いや、別に……」 「だが、御不満のように見うけられる」 「さようか。気になさるな」 「むろんのことに、気にしてはおらぬ。いまは、そのようなことを気にしている場合ではない」  それなら、何故《なにゆえ》に尋《き》いたといいたいところであったが、岡本弥助は辛《かろ》うじて堪《こら》えた。 「よろしいか?」 「よろしい」  鈴木は、にやり[#「にやり」に傍点]として寺嶋をかえり見て、 「岡本さんは承知だ」 「ふん……」  と、寺嶋が鼻で笑ったようである。  岡本は、これにも耐えた。 「岡本さん。心得ていようが、何分《なにぶん》いまの時刻だ。夜ではない。素早く片づけてしまわねばならぬ。そのつもりで、な」 「わかった」 「この三人で仕てのけることだ。なに、わけもない」  このとき、波切八郎と伊之吉《いのきち》は、岡本たち三人が潜んでいる木立と道をへだてた林の中に身を屈めていた。  八郎も伊之吉も、向うの三人と同様に笠《かさ》をかぶったままだ。 「此処でやるらしいな、伊之吉」 「さようで……」 「ともかくも、岡本さんさえ無事ならば、手出しをすることもない」 「へい」 「なるほど、このあたりなら、夜でなくとも……」 「かえって、相手は油断をしておりましょうからね」 「うむ」 「相手は、一人なのでしょうかね?」 「いや、岡本さんたちは三人だ。すると相手は二人以上ということになろう」 「昼間の、こんな仕事は、めったにございませんよ」 「そうだ、な。伊之吉、いま少し、前へ出ておこう」 「さようですね」 「あ……」 「どうなさいました?」 「だれか来た」  ささやいて、八郎が身を伏せた。  道の北の方から、菅笠《すげがさ》をかぶり、合羽《かっぱ》を着た町人ふうの男が走って来た。  男は、道の向う側の木立の中へ駆け込んで行った。  この男が、滝五郎であった。  滝五郎は鈴木甚蔵のために、はたらいているらしい。  つまり、岡本弥助と伊之吉との関係のようなものなのであろうか。 「滝五郎、こっちだ」  と、寺嶋林平が低く声をかけた。  木々の間を擦り抜けて来た滝五郎が、 「鈴木先生。間もなくやって来ますぜ」  そういって、ちらり[#「ちらり」に傍点]と岡本弥助を見やった。 「滝五郎。こちらが岡本さんだ」  と、鈴木がいう。 「さようで。岡本先生。滝五郎と申します」  岡本は、こたえなかった。  滝五郎は、じろりと岡本を睨《にら》んだ。  鈴木と寺嶋が、顔を見合わせて笑う。  岡本は、 (これきりだ。今日の、この仕事で何も彼《か》も終りなのだから……)  辛抱をする気でいる。  滝五郎は岡本を無視してしまい、鈴木と寺嶋へ何かささやいていたが、 「では、行ってめえります」 「たのむぞ」 「へい」  滝五郎は、木立から走り出て行った。  向うの林の中では、伊之吉が、 「あっ……野郎、また出て来ましたぜ。引き返して行きます」 「見張りだろうよ」 「嫌《いや》な野郎だ」  舌打ちを鳴らした伊之吉へ、 「顔も見ぬのに、か」  と、波切八郎が声なく笑った。 「波切先生。もうすぐでござんすよ」 「うむ……」 「ひとつ、あの野郎の後を尾《つ》けてみましょうか」  伊之吉は、いつになく昂奮《こうふん》している。 「よせ。こちらは、岡本さんにさえ、目をはなさなければよい」 「向うの木立の中に、何か見えますか?」 「見えぬが……いることは、たしかだ」 「あ、また、白いものが落ちてきましたぜ」      十三  この日の堀|大和守直行《やまとのかみなおゆき》は、朝に目ざめたときから、落ちつかなかった。  朝餉《あさげ》をすませ、書院へ入ったが、すぐに出て来て奥へもどり、居間で何やら手紙のようなものを書きはじめた。  そうかとおもうと、筆を置き、書きかけの手紙を破り捨てて、またも書院へもどる。  大和守が書院へもどると、何処《どこ》からともなく、家来の近藤兵馬《こんどうひょうま》があらわれて広縁に坐《すわ》り込み、あたりへ目をくばった。  大和守は書院にいて、空間の一点に眼《め》を据《す》え、唇《くち》をかみしめている。  顔も躰《からだ》も静止していたが、脇息《きょうそく》へかけた手の指は、せわしなくうごいていた。  大和守は、鈴木甚蔵からの報告を待ちかねているのであろう。  はじめのうちは、岡本弥助《おかもとやすけ》に向って、 「岡本|一人《いちにん》にて大丈夫じゃ」  そういったほどの大和守なのだから、今日の高松小三郎襲撃の成功に不安をおぼえているわけではあるまい。  しかし、何分《なにぶん》にも日中の襲撃であるから、長い時間をかけてはいられない。そこがむずかしい。  高松小三郎は、秋山小兵衛について剣の教導をうけるようになったが、そのほかに、内藤新宿《ないとうしんじゅく》・六軒町に住む田所一伯《たどころいっぱく》という学者の許《もと》へ、三年ほど前から通っている。  つい先ごろまで、小三郎の駕籠《かご》につきそっていたのは、老人の清野平左衛門《きよのへいざえもん》ひとりであったのだ。 (これならば、岡本一人で大丈夫……)  と、大和守はおもったにちがいない。  すると……。  ちかごろになって、高松小三郎につきそう侍が清野のほかに二人も増えた。ときには三人となり、清野老人をふくめると合わせて三人か四人の警固となる。  この暗殺を、堀大和守へ依頼してきた或《あ》る大名家の重臣から寄せられた、密《ひそ》かな情報によると、老人もかなり剣をつかうし、若い二人の侍の腕は相当なものだという。  むろんのことに、岡本弥助が彼らと斬《き》り合って引けをとるわけもないだろうが、一対四の斬り合いとなれば、時間も長引くし、その間に、目ざす小三郎少年が逃げてしまうおそれ[#「おそれ」に傍点]がある。  小三郎少年が住み暮しているのは、その大名家の控屋敷《ひかえやしき》で、夜ふけに其処《そこ》を襲う計画については、 「それは、まことにむずかしい。ともかくも、小三郎が田所一伯の許へおもむく往復いずれでもよいから、その途中で襲ってもらいたい」  と、重臣はいってよこした。  もっともである。  小三郎をまもる人びとも、夜は警戒をきびしくしているからだ。  小三郎を毒殺することも、むずかしいらしかった。  ともかくも、小三郎警固の侍が増えたからには、岡本弥助一人にまかせることはできぬ。  できることなら、岡本一人ですませたかった。  刺客《しかく》の数が少ければ少いほどよいのは当然であった。  今度の暗殺は、何といっても十八万石の大名家の内紛から生じたものだし、成功のあかつきには、堀大和守の手へわたる金額も莫大《ばくだい》なものなのだ。  これから、金力をもって立身への途《みち》へ出ようとしている堀大和守にとっては、何としても、この暗殺を成功させねばならない。  そこで大和守直行は、鈴木甚蔵をえらんだ。  鈴木も岡本弥助同様に、七年も前から大和守のためにはたらいてきた刺客であったが、大和守の依頼を聞くや、 「すべて、それがしのおもうままにさせて下さるのなれば、お引き受けいたしましょう」  と、いった。  鈴木甚蔵、岡本弥助、それに先ごろ、岡本に暗殺された森平七郎などは、堀大和守が抱えている刺客の中でも屈指の連中で、それぞれに手の者を抱えているし、その呼吸の合った手の者たちと共に事をすすめるのでなくては、 「やりにくい……」  と、いうわけで、それは、もっともなことだといわねばなるまい。  その鈴木甚蔵へ、岡本弥助を特別に参加させたのは、やはり、大和守が高松小三郎暗殺を絶対に成功させたかったからと見てよい。  今日の首尾は、遅くも二刻《ふたとき》(四時間)後には、鈴木甚蔵によって大和守へ届けられるであろう。 (鈴木と岡本が、そろって、仕てのけることゆえ、よもや仕損じはあるまい……)  あるまいとはおもうが、こればかりはわからぬ。 (これならば、かならず……)  と、おもいきわめていた暗殺でも、意外な失敗をよぶことがある。  堀大和守にも、何度か、そうした苦い経験があった。  なればこそ今日も、鈴木の、 「仕とめましてござる」  という報告を耳にせぬうちは、安心ができぬ。  たまりかねたように、大和守が書院から広縁へ出て来た。  いったんは熄《や》んでいた雪が、またしても降り出した。  広縁の戸は開け放たれてい、火の気もない一隅に、近藤兵馬が控えていた。  大和守は、奥庭に降る雪を、血走った眼でながめていたが、突然に、 「兵馬」  と、よんだ。 「これに控えおります」 「酒をもて」 「はい」  大和守は書院へ入りかけたが、振り向いて、 「灯《あかし》を入れよ」 「心得ました」  書院の障子が閉まった。  近藤兵馬は、広縁の端へ行き、ふところから鈴を束ねたものを出して打ち振った。  すると、いつものように、何処からともなく侍女があらわれる。  書院の広縁で、堀大和守の用命を受けるのは近藤兵馬と、この侍女の二人のみであった。  よほどに、大和守の気に入られているとみえる。  兵馬が侍女に、何かささやいた。  侍女の顔は、能面のように無表情だし、兵馬も同様だ。  侍女は、兵馬の肩ごしに書院の方を見つめている。  見つめながら、兵馬のささやきを聞いている。  酒の仕度をいいつけるにしては、ささやきが長かった。  兵馬も侍女の肩ごしに、渡り廊下や、あたりを鋭く見まわしつつ、ささやきつづけた。  つまり二人は、たがいの肩ごしに、あたりの様子をうかがっていることになる。  兵馬のささやきが終った。  一瞬、侍女の面《おもて》が緊張に引きしまったが、すぐに、前の冷静さを取りもどし、兵馬へ一礼し、小廊下を奥へ去って行く。  近藤兵馬は、そのまま其処へ坐った。  坐って、またも、あたりに目をくばる。  雪の日の薄暗い書院の内では、堀大和守が苛々《いらいら》しながら煙草《たばこ》を吸いつづけていた。      十四  鞘師《さやし》の久保田《くぼた》宗七は、この日の朝に、大久保村《おおくぼむら》の伊橋屋《いはしや》の寮(別荘)へあらわれた。  すぐに帰らなかったのは、前日に寮へ顔を見せたという波切八郎が、もどって来るやも知れぬとおもったからだ。 「いったい、何処《どこ》へ行っておられるのか……?」  宗七の問いに、お信《のぶ》は、 「わかりませぬ」  と、こたえるより仕方がない。 「お前にも隠しているというのが、どうも解《げ》せぬな」 「市蔵も、心配しております」 「そうであろうとも」  だが、お信は意外に落ちついている。  いまのお信は、一途《いちず》に波切八郎を信頼しきっていた。  橘屋忠兵衛《たちばなやちゅうべえ》の離れ屋にいたころの波切八郎を思い返してみても、 「いろいろと、深い事情《わけ》があって、その始末をなさっているのでは……?」 「ふうむ」 「伯父さま。これはもう、人を疑うたなら切りがありませぬゆえ……」  きっぱりと、お信はいった。  お信は八郎と共に暮すようになってから、久保田宗七の目にも、あきらかに変貌《へんぼう》してきている。  肚《はら》が据《す》わってきたというか、何事にも、わが一身を波切八郎にゆだねて後悔はせぬという決意が微塵《みじん》もゆるがぬように見える。  むしろ、久保田宗七のほうが、八郎の丹波行《たんばゆき》についてはすべて仕度がととのっていることでもあり、不安をおぼえて、 「波切さんが、お前と市蔵を共に連れて旅立たれるというのは何よりのことだが……このように行先《ゆきさき》も告げぬまま、何日も留守にするというのは、またも、あの人の身に何か起ったのではあるまいか?」 「大丈夫でございます」 「そうか、な……」  久保田宗七は、京都の三条通り寺町西入ルところにある薬種屋〔寿昌堂《じゅしょうどう》・池田源右衛門《いけだげんえもん》〕へあてて添え状を書き、これを金五十両と共に持参した。  五十両は、姪《めい》のお信の暮しの費用に、添え状は波切八郎へわたすつもりでいたのである。  八郎が江戸を発《た》つときには、かならず挨拶《あいさつ》に来るはずだし、そのときにわたすつもりであったが、 「気がかりになったので、様子を見に来た」  のである。  すると、昨日は八郎がもどって来て、お信と市蔵を京都へ連れて行くといったそうな。 「それでは、この添え状を書き直し、お前のこともたのまねばならぬ」 「この寿昌堂さまというのは?」 「わしの古い知り合いじゃ。ふと、おもい出してな。あの池田源右衛門どのなれば、何かと、お前たちの相談に乗ってくれよう。住む家を探すときも、源右衛門どのへ相談をするがよい」 「かたじけのうございます」  両手をついた姪に、二度、三度とうなずき返した久保田宗七が、 「これまでは、苦労つづきであったな」 「は……」 「これよりは、波切さんと共に、幸せになってくれるとよいが……」  しみじみといったが、その声の中には微《かす》かな不安がこめられている。  それは、当然といってよい。  宗七は、波切八郎に好感を抱いているが、八郎の身辺にただよう秘密の匂《にお》いが、どのようなものかを知らぬ。  お信が、八郎と共に生きる決意をかためたからには、久保田宗七も八郎への好感ひとつを、たよりにするほかはない。 「お信。この五十両は、お前への餞別《せんべつ》になってしまったのう」 「伯父さま。このような大金をいただきましては……」 「何、かまわぬ。取っておくがよい」 「何から何まで、ありがとうございます」  お信は、さすがに泪《なみだ》ぐんで、 「伯父さま……」 「うむ?」 「父上と、お別れするような心地がいたします」 「よいわ。わしも、お前の父親だとおもうている。ゆえに、何事にも遠慮をするな。京へおもむいた後も、何ぞ異変が起ったときは、すぐさま江戸へ帰って来るがよい」  そういったのは、やはり、波切八郎への懸念《けねん》が消えていないからであろう。 「はい」  お信は、素直にうなずいた。 「さて、そろそろ帰ろうか」 「伯父さま。また、雪が降ってまいりました。いま少し……」 「なに、春の雪じゃ、積もることもあるまい」  久保田宗七は傘《かさ》を持ち、高下駄《たかげた》を履いて来ている。  そのころ……。  大久保村の例の酒屋には、手先の庄次郎と半平。それに御用聞きの助五郎がいた。  庄次郎と半平は、昨日、寮へもどって来た波切八郎が、密《ひそ》かに裏手の崖道《がけみち》づたいに出て行ったことを知らぬ。 「庄次郎。そいつは、妙だな」  と、助五郎がいった。 「ですが親分。夜更《よふ》けに、こっそりと出て行かれたのでは、こっちもわかりませんよ」 「それもそうだが……」 「ねえ、親分。いつまで此処《ここ》で見張りをつづけりゃあいいので?」 「飽きたのか。それとも、おれが出す手当に不足でもあるのか?」 「冗談じゃあねえ。そんなことは考えてもみませんよ」 「ならば、もう少し、やってみてくれ。たのむ。たのむから……」 「親分にそういわれては、返す言葉もありませんがね」  そのとき、窓の障子の透間《すきま》へ顔を寄せていた半平が、 「あ……さっきの、ほれ、あの爺《じい》さんがもどって来ましたぜ」 「穴八幡《あなはちまん》の鞘師宗七か?」 「へえ」  むろんのことに、久保田宗七が寮へ向う姿を、庄次郎と半平は見とどけていた。その後で助五郎がやって来たのだ。 「親分。どうしましょう?」 「そうだな。何か探りがつくかも知れねえ。よし、おれが尾《つ》けてみよう」 「いえ、私が行きます」  と、庄次郎が立ちあがり、 「お願《ねげ》えだ。行かせておくんなさい」  助五郎は苦笑をした。  庄次郎は、この酒屋の二階に閉じこもっていて、躰《からだ》をもてあましていることがわかっているからだ。  階下《した》へ降りて行く庄次郎を、半平がうらやましげに見送った。 「半平……」 「へい?」 「すまねえな」 「なあに……」 「下で、酒をもらってこい。二人で一杯やろう」      十五  小川の向うの木立から、谷|彦太郎《ひこたろう》があらわれ、こちらへ走り寄って来たので、秋山小兵衛は足を停《と》めた。  ほたほた[#「ほたほた」に傍点]と雪が落ちてきて、道の土へ吸い込まれてゆくが、積もる様子はない。  風は絶えている。  小兵衛と谷は二手に別れ、高松小三郎の駕籠《かご》を尾《つ》けていた。  雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の杉浦|石見守《いわみのかみ》・下屋敷から、半里余も尾行をつづけて来たろうか。  小川を飛び越え、近寄って来た谷彦太郎が、 「秋山先生。向うは、道が行きどまりになっております」 「ま、いっしょに来《こ》い。ときに谷、このあたりは、もう千駄《せんだ》ヶ谷《や》へ入っているのではないか?」 「さようでございます」  そのころの千駄ヶ谷は、大久保村《おおくぼむら》と同様に江戸の郊外で、もう全くの田舎といってよい。  だが、雪は降っていても日中のことではあるし、近辺の百姓が道を通る姿も見られぬではない。  小兵衛と谷は、雑司ヶ谷で買った笠《かさ》をかぶり、草鞋《わらじ》をはいている。 「どうも、このあたりのようだな?」 「はい」 「あ……駕籠が見えなくなったぞ。先へ出てみてくれ」 「承知いたしました」  谷は、小兵衛を後にして、畑道を急ぎはじめた。  高松小三郎につきそっている四人の侍は、いずれも笠・合羽《かっぱ》・草鞋ばきの姿だが、刀の柄袋《つかぶくろ》を外し、万一のときにそなえているのが看《み》てとれた。  駕籠の後尾についている若い侍が、時折、後ろを振り返って見るので、小兵衛も谷も迂闊《うかつ》に近づけぬ。 (何やら、悪い事でもしているような……)  気がしてきて、秋山小兵衛は笠の内に苦笑を洩《も》らした。  けれども、小兵衛の好奇心は募るばかりであった。  高松小三郎の身辺に、どのような深い事情があるのか、それは知らぬ。  しかし、外出《そとで》の小三郎が乗る駕籠を四人の侍(小三郎の家来と見てよい)が、このように警固をしているというのは、まさに、 (徒事《ただごと》ではない……)  のである。  さりとて、多くの人数が小三郎の供をすることも、はばかられるということなのだ。  杉浦石見守が、ひそかに、 「さる大名家の血を引いている……」  と、秋山小兵衛に洩らしたほどの高松小三郎であった。  その小三郎の住み暮す屋敷さえも、石見守は秘密にしている。  あれほどに信頼している秋山小兵衛にも、側近《そばちか》く仕えている谷彦太郎へも、石見守は打ちあけようとはしない。  小三郎少年が、すっかり気に入ってしまった秋山小兵衛だけに、このときの尾行については、 (好奇のこころを押えきれなくなった……)  そのほかにも、小兵衛の心情を強く揺りうごかすものがあったに相違ない。  そのころ、深川の堀|大和守《やまとのかみ》屋敷では、先《ま》ず、例の侍女が書院へ入って来て、二つの燭台《しょくだい》の大蝋燭《おおろうそく》へ火を灯《とも》した。  灯し終え、侍女は広縁へ出て障子を閉めた。  そのとき、先刻《さっき》の位置に坐《すわ》っていた近藤兵馬《こんどうひょうま》が、振り向いて侍女を見あげた。  立ったままで、侍女が兵馬へ、わずかにうなずいて見せた。  すると、兵馬もうなずき返してから、眼《め》を奥庭へ転じた。  築山《つきやま》に、植込みに、雪が舞っている。  侍女は兵馬の傍《わき》を擦りぬけ、奥へ去った。  去って間もなく、侍女は酒の膳《ぜん》を両手にささげてあらわれた。  それを見るや、近藤兵馬が立ちあがって、酒の膳を受け取る。  侍女が、書院の障子を、しずかに引き開けた。  兵馬が、膳を持って中へ入る。  障子を閉めた侍女は、身を返して奥へ去って行ったが、その足取りは、これまでとはちがう。  音はしなかったが、足取りは小走りになってい、たちまちに小廊下の奥へ消えた。  兵馬は、酒の膳を堀大和守の前へ置き、 「お酌《しゃく》を……」  と、いった。 「よい。かもうな」 「はい」  兵馬は、すぐさま、広縁へ出た。  いつものことである。  たとえば、岡本弥助《おかもとやすけ》なり鈴木甚蔵なりが来ているときに、酒を出す場合は別のことだが、大和守ひとりで酒をのむときは酌を好まぬのだ。  その習癖は、よくわきまえている近藤兵馬だが、いつも一応は「お酌を」というし、これに対する堀大和守のこたえも「かもうな」であった。  書院の障子を閉め、広縁へもどった近藤兵馬は、そこへ坐って、いつものようにあたりへ目をくばるかと見えたが、そうではなかった。  広縁の突き当りから、兵馬の姿がさっ[#「さっ」に傍点]と左の小廊下へ消えた。  書院の中の堀大和守は、手酌の盃《さかずき》を口へ運びかけている。  近藤兵馬が傘《かさ》を手に表門へあらわれ、門番へうなずいて見せ、潜《くぐ》り門《もん》を開けて外へ出て行った。  門番の足軽が、飛んで出て来て、 「お気をつけられまして……」  近藤の後姿《うしろすがた》へ声をかけた。  振り向かぬままに、近藤がうなずいた。  足軽は潜り門を閉ざし、閂《かんぬき》をかけた。  このとき、堀大和守は二杯目の酒をのみほしている。  近藤兵馬は、堀割《ほりわり》に沿った道をゆっくりと歩み、入船橋《いりふねばし》を南へわたりきると、急に足を速めた。  大和守は、三杯目の酒をのみかけて、 「う……」  突如、顔を顰《しか》め、左手を胸へあてた。  右手の盃が膳の上へ落ちた。 「あっ……」  両手に胸を押えた堀大和守が、 「近藤……兵馬はおらぬか」  と、叫んだ。  こたえる者は、だれもいない。 「近藤……近藤……」  よばわって、立ちあがりかけた大和守の躰《からだ》が前へのめった。  凄《すさ》まじい唸《うな》り声《ごえ》と共に、大和守の口から、おびただしい血汐《ちしお》がふきこぼれてきた。  すでにそのとき、酒の膳を運んで来た件《くだん》の侍女の姿も、大和守屋敷から消えていた。  これは、あきらかに毒殺であった。  酒に毒を混じて大和守へすすめたのは、近藤兵馬と件の侍女であり、この二人がたちまちに姿を消してしまったとなれば、当然、犯人と見倣《みな》してよかろう。  いずれにせよ、堀大和守邸が大さわぎとなったことはいうをまたぬ。  公儀からも人が出張《でば》って来て、行方不明となった近藤兵馬と侍女の探索がおこなわれたが、それも、 「かたちばかりのもの……」  だったようである。  後になって、堀大和守|直行《なおゆき》という人物の過去を知る人びとは、 「御公儀にとっても、八代様亡《はちだいさまな》き後は、大和守に生きていられては、困ることがあったのじゃ」 「それゆえ、何年も前から毒殺の事をすすめていたのであろう」 「では、その近藤|某《なにがし》と申す家来も……?」 「御公儀の手の者であろうよ」 「なるほど。それでは、いかに探しまわってもむだ[#「むだ」に傍点]なことじゃ」 「さればさ」  堀大和守一件のみならず、名君とうたわれた八代将軍・徳川|吉宗《よしむね》の、 「尻《しり》ぬぐいは、いろいろとあった……」  そうである。  大和守直行には、妾腹《しょうふく》ながら嫡子《ちゃくし》の精太郎がおり、十七歳になっていたのだから、亡父の跡をつぎ、五千石の当主となった。  しかし、その後、一年たつかたたぬかのうちに病死してしまい、ここに堀大和守の家は断絶することになる。  そのときも、精太郎の急死について、ひそかに、さまざまな風評がながれたそうな。  さて……。  ここで、まだ生きていた堀大和守が独酌の酒をのみはじめたあたりへ、はなしをもどさねばなるまい。      十六 「あっ……出て来ました」  と、伊之吉《いのきち》が波切八郎へささやいた。 「どこだ?」 「それ……あの、向うの……」 「うむ……岡本《おかもと》さんではない。お前、知っている男か?」 「いえ、一度も見たことがございませんよ」  このとき、小道をへだてた木立の中から、姿を見せたのは鈴木甚蔵であった。  鈴木は袴《はかま》をぬぎ、着物の裾《すそ》を高々と端折《はしょ》り、灰色の股引《ももひき》に草鞋《わらじ》ばきで、顔を黒布で覆《おお》っている。  鈴木も寺嶋《てらじま》も、そして岡本|弥助《やすけ》も、木立の中で襲撃の身仕度をととのえたものであろう。  鈴木甚蔵は木蔭《こかげ》から半身をのぞかせ、あたりの様子をうかがっているようだ。  雪が、激しく降りはじめてきた。  伊之吉が、八郎の耳へ口を寄せて、 「岡本の旦那《だんな》は、木立の奥に、いるのでござんしょうかね?」 「そうだろうな」 「どうなさるおつもりなので?」 「ともかくも、岡本さんが無事ならばよい」 「さようで……」 「気にかかるのは、先日、自証院《じしょういん》・門前の一文字屋で酒を酌《く》みかわした折に……いや、その日、大久保《おおくぼ》の寮(別荘)の裏手へあらわれたとき、岡本さんは、おれにこういった」 「何と……?」 「二度と、私の前にはあらわれぬ、とな」 「そ、そんなことを……」 「うむ。おそらく、死を決しているのではないかとおもう」 「だからこそ、今度にかぎって、先生や私に何もいわねえのだ。すると、今日の相手は、よほどにむずかしい相手なのでございましょうね」 「うむ……」  波切八郎も伊之吉も、この時点では勘ちがいをしている。  岡本弥助は、この襲撃を最後に、堀|大和守《やまとのかみ》と手を切り、身を隠す決心をかためていたにすぎないからだ。  ところで、堀大和守を毒殺した近藤兵馬《こんどうひょうま》は、鈴木や岡本が、この日、高松小三郎少年を暗殺せんとしていることを承知していたろうか。  いや、知ってはいなかったろう。  大和守が岡本や鈴木と密談する折に、近藤兵馬は広縁の端に坐《すわ》っていたけれども、書院の中の低い声が耳へとどくはずがない。  それに、この日まで、近藤兵馬は大和守の秘密へ立ち入ろうとしたことは一度もない。  堀大和守も、自分の〔別の顔〕を、兵馬にはのぞかせていなかったのである。  ゆえに、この日、近藤兵馬へ某所から大和守毒殺の指令が下ったのは、偶然のことであったにちがいない。 「先生……」  と、伊之吉が、 「野郎、引っ込みましたぜ」  鈴木甚蔵は、ふたたび、木立の奥へ姿を消した。 「伊之吉、もう少し、前へ出て見よう。いざというときにそなえておかねばならぬ」  波切八郎が身を屈《かが》め、少しずつ、前へすすみはじめようとしたとき、伊之吉が、 「あっ。さっきの奴《やつ》が、もどって来ましたぜ」  もどって来たのは、滝五郎であった。  向うの木立の中へ走り込んで行った滝五郎を見て、 「いよいよ、はじまるらしい」  と、波切八郎がつぶやき、合羽《かっぱ》をぬぎ捨てた。  このとき……。  高松小三郎一行は、千駄《せんだ》ヶ谷八幡宮《やはちまんぐう》への往還から、右の小道へ曲った。  小道は曲りくねり、木立の中を縫い、渋谷《しぶや》の方へ通じている。  これまでの往還には、ちらほらと人影が見えたけれども、小道へ入ると、雪の日でもあり、まったく人の気配もない。 「これは、秋山先生……」  谷|彦太郎《ひこたろう》が秋山小兵衛へ身を寄せて来て、 「どうやら、渋谷のあたりに御屋敷があるとみえますな」 「ふむ、そうらしいな」 「先生。雪がひどくなってまいりました。引き返してはいかがで……?」 「ま、よい。せっかくに此処《ここ》まで尾《つ》けて来たのだから……」 「さようでございますか」 「これならば、いま少し、間《ま》を詰めても見咎《みとが》められまい」 「はい」 「それにしても、谷。高松小三郎殿は何処《いずこ》の大名の御子《おこ》なのだろうか……高松の姓は、おそらく仮のものだろう」 「私も、そのようにおもいます」  四人の侍に警固された小三郎少年の駕籠《かご》は、間もなく、鈴木・岡本たちが潜んでいる木立の前へさしかかろうとしていた。      十七  木立にはさまれた道が右へ折れ曲って、前方をすすむ高松小三郎一行が、秋山小兵衛の視界から消えた。  そこで、小兵衛と谷|彦太郎《ひこたろう》は小走りに間《ま》を詰めて行った。  道に、雪が薄く積もりはじめている。  堀|大和守《やまとのかみ》の密命を受けた刺客《しかく》たちが木蔭《こかげ》から躍り出したのは、このときである。  刺客たちは、小三郎一行の進行方向の、右側の木蔭から襲いかかった。  先《ま》ず、寺嶋《てらじま》林平が躍り出た。  寺嶋は、小三郎少年が乗っている駕籠《かご》の右側前につきそっていた若い侍へ、物もいわずに斬《き》りかかった。 「あっ……」  右の頸部《けいぶ》から肩へかけて寺嶋の一刀を受けたが、さすがに、えらばれた士《もの》と見えて、よろめきつつも、奮然と寺嶋の胴へ組みついたものである。  駕籠を担《かつ》いでいた小者ふたりは、駕籠を捨てて、叫び声をあげながら逃げ去った。  このとき、岡本弥助《おかもとやすけ》も木蔭から走り出て、駕籠の右側の後ろについていた清野平左衛門《きよのへいざえもん》へ斬りつけた。  老人だし、岡本の一刀にひとたまりもなく見えたが、清野は咄嗟《とっさ》に身をひねり、駕籠に打ち当って足がもつれたけれども、 「曲者《くせもの》っ!!」  叫ぶや、脇差《わきざし》を抜き放ち、岡本の二の太刀を必死に打ちはらったではないか。 「ぬ!!」  岡本は、そもそも、この襲撃に気が乗らなかったこともあったろうし、いささか清野老人を、見くびっていた気味がないでもなかった。  そこへ……。  駕籠の左側の後ろについていた警固の侍が素早く廻《まわ》り込み、 「おのれ!!」  岡本弥助の側面から斬りつけた。  もとより、その一刀を身に受けるような岡本ではない。  ぱっと飛び退《しさ》った岡本が、 「む!!」  唸《うな》るような気合声《きあいごえ》を発し、その侍の顎《あご》のあたりを、すくい[#「すくい」に傍点]切りに斬りあげた。 「うわ……」  駕籠の左側前にいた警固の侍は、大刀を抜きはらったが、左側からの襲撃にそなえて位置を移さぬ。  ここまでの、双方の激しいうごきは、ほとんど一瞬の間のことだといってよい。  小三郎少年の一命をねらって、鈴木甚蔵が木蔭から飛び出したのは、このときであった。  岡本弥助に圧倒され、駕籠|傍《わき》に片膝《かたひざ》をついていた清野平左衛門が、早くも鈴木に気づいた。  大刀を小脇《こわき》に構えて走り寄って来た鈴木甚蔵へ、清野老人が、 「推参《すいさん》な!!」  叫びざま、手にした脇差を投げつけた。  おもいもかけぬ老人の反撃であった。  脇差は鈴木の片頬《かたほお》を切り裂いて、木蔭の中へ吸い込まれて行った。  鈴木甚蔵は激怒し、あわてて体勢をととのえたが、その間に清野平左衛門は立ちあがり、今度は大刀を抜きはらって正眼につけた。  寺嶋林平は、自分が斬った侍に組みつかれ、雪の中を転げまわっている。  堀大和守は、はじめのうち、 「岡本|一人《いちにん》にてよいとおもう」  などといっていたが、高松小三郎警固の侍たちの抵抗の強さは予想外のものであった。  秋山小兵衛は、道を曲って、この異変を目撃した。 「谷!!」  声をかけて、小兵衛は走り出した。  走りながら、笠《かさ》を引きむしるように投げ捨てた。  そのとき、岡本弥助に顎を切り割られつつも、前へ立ちふさがった侍へ、 「たあっ!!」  岡本が必殺の一刀をあびせかけた。  そこへ、秋山小兵衛が駆け寄ったのである。  岡本弥助も、まさかに後方から、このような助勢があらわれようとは、おもってもいなかったろう。  駆け寄って来る小兵衛の気配に気づいて、岡本がはっ[#「はっ」に傍点]と振り向いた。 「鋭《えい》!!」  秋山小兵衛の腰間《ようかん》から疾《はし》り出た藤原国助《ふじわらくにすけ》の愛刀が、岡本弥助の面上を切った。 「う……」  身を引いたが、およばなかった。  覆面と共に、額から鼻すじ、口へかけて小兵衛の一刀に切り割られた岡本が血しぶきをあげてのけ反った。 「あっ……」  これまで、伊之吉《いのきち》と共に道の左側の木蔭から様子を見ていた波切八郎が低く叫ぶと共に、腰をあげた。  秋山小兵衛は、岡本弥助の頸部の急所へ二の太刀を送り込んでおいて、清野平左衛門を殪《たお》そうとしている鈴木甚蔵へ立ち向った。  降りしきまく雪の中で、波切八郎の目には、岡本を斬り殪したのが秋山小兵衛だとはわからなかった。  八郎は、我を忘れ、笠をかぶったままで大刀を抜きはらい、道へ走り出た。  駕籠の左側をまもっていた侍が、それに気づき、 「曲者、下れ!!」  わめいて斬りつける一刀を、八郎が打ち払った。  そこへ谷彦太郎が走り寄って、八郎の右側面から斬りかかった。  小兵衛は清野老人へ斬りかかっている鈴木甚蔵へ、左手に引きぬいた差し添えの脇差を投げ撃った。  近距離であったし、小兵衛の脇差は鈍い音と共に鈴木の左胸へ突き立った。 「あっ、秋山先生……」  おどろく清野老人へ、 「さ、早く、そやつを……」  声をかけておいて、くるり[#「くるり」に傍点]と反転した秋山小兵衛は、谷彦太郎の左肩先を浅く傷つけた波切八郎へ向った。 「谷、さがっていろ」  叫びざま、小兵衛が身を沈め、八郎の脚を薙《な》ぎはらった。  八郎は跳躍して、小兵衛の一刀を躱《かわ》した。  清野平左衛門は、重傷を負った鈴木甚蔵を圧倒している。  谷彦太郎は、波切八郎を小兵衛にまかせ、駕籠の左側を駆けぬけた。  ようやくに若い侍を仕とめて立ちあがった寺嶋林平が、鈴木甚蔵と闘っている清野平左衛門へ襲いかかろうとした。  谷彦太郎は駕籠の前方へ駆けぬけ、寺嶋林平へ体当りをくわせた。 「あっ……」  木立の中まで突き飛ばされた寺嶋を追った谷が、双手突《もろてづ》きに寺嶋の腹を刺した。  寺嶋林平の凄《すさ》まじい悲鳴が、雪の幕を引き裂いた。      十八  波切八郎は木蔭《こかげ》から飛び出して来たとき、合羽《かっぱ》は脱ぎ捨てていたが、笠《かさ》はかぶったままであった。  八郎にとって、この襲撃には何の関心もない。  おもいもかけず、高松小三郎一行の背後から、走り寄って来た侍に、それこそ、 「あっ……」  という間もなく、岡本弥助《おかもとやすけ》が斬《き》り殪《たお》されてしまったのを見て、ただもう、岡本を助けたい一心で飛び出したのだ。  斬られて倒れはしても、まさかに、岡本弥助が息絶えてしまっているとはおもえなかった。  笠をかぶったままで谷|彦太郎《ひこたろう》の肩先を斬り、 (岡本さん……)  胸の内によびかけつつ、駕籠《かご》の後ろに倒れ伏した岡本へ近寄ろうとしたとき、岡本を斬った小柄《こがら》な侍が走りもどって来て、八郎の脚を薙《な》ぎはらった。  躍りあがって、その刃風を躱《かわ》した波切八郎が、さっと後退し、越前康継《えちぜんやすつぐ》二尺四寸余の大刀を八双《はっそう》に構えた。 「何者だ、名乗れ!!」  叱咤《しった》した秋山小兵衛が、大刀を下段につけて八郎と相対した。 (あっ……)  このとき、はじめて、八郎は相手が秋山小兵衛とわかった。  小兵衛も、また、 (や……?)  いぶかしげに、波切八郎を見まもった。  二人とも、まさかに、いまこのとき、このような場所で出合おうとはおもいおよばぬことであったが、 (あ……波切八郎殿ではないのか?)  笠をかぶってはいても、小兵衛の炯眼《けいがん》に誤りはない。 (まさに、波切殿だ)  すぐに、それ[#「それ」に傍点]とわかった。  わかると同時に、小兵衛が、 「去れ!!」  大声を発した。  八郎は、八双にかまえたまま、二歩、三歩と退《さが》る。  このとき、鈴木甚蔵は谷彦太郎に斬りたてられ、駕籠の前方の道を必死になって逃げようとしていた。  谷は、これを追って、右側の木立へ逃げ込もうとする鈴木甚蔵の背中へ一刀をあびせかけた。  鈴木は、のめり込むように木蔭へ倒れた。  ほんらいならば、谷彦太郎に斬られるような鈴木甚蔵ではなかったろうが、近距離から小兵衛が投げ撃った脇差《わきざし》に深く胸を突き刺され、清野平左衛門《きよのへいざえもん》と斬り合ううち、その脇差が重味で落ちたため、おびただしい血汐《ちしお》がふき出してきた。  このため、さすがの鈴木も、どうにもならなかった。  清野老人は、別の侍と共に、小三郎少年の駕籠|傍《わき》をかため、油断なく、あたりに目をくばりつつ、 「出てはなりませぬぞ」  駕籠の中へ、声をかけた。  小三郎の、こたえる声がしたけれども、何といったのか、清野老人にはわからなかった。  しかし、清野が見るかぎり、刺客《しかく》の刃《やいば》は一度も駕籠の中へ突き込まれていなかったし、小三郎の言葉はわからなかったが、しっかりとした声音《せいおん》だったので、 (これならば、大丈夫……)  と、おもった。  刺客のうち、岡本と寺嶋と鈴木は殪れ、残る一人が秋山小兵衛と対峙《たいじ》しているのみだ。  滝五郎も、このありさまを木蔭から見とどけ、 (あ……もう、いけねえ)  鈴木、岡本たちの羽織やら傘《かさ》やらを一まとめにした荷物を背負い、木立の奥へ逃げはじめている。  だが、伊之吉《いのきち》は逃げなかった。 (ああ、畜生め。何とか、隙《すき》を見て、岡本の旦那《だんな》を、こっちへ担《かつ》ぎ込んでしまわなくては……)  木蔭に苛立《いらだ》っていても、駕籠傍の侍が鋭く目を光らせているので、出ようにも出られぬ。 「立ち去れ」  またしても、秋山小兵衛が波切八郎へいった。  八郎が刺客一味に加わっているのか、どうか……それはわからぬが、飛び出して来て斬りかかったからには、 (いまは、そうと看《み》るよりほかに仕方がない……)  のではないか。  降りしきる雪の中で、激烈な乱闘の響《とよ》みが起り、それがいま、ぴたりとしずまった。  何処《どこ》かで、鴉《からす》が鳴いた。  波切八郎の左手が刀の柄《つか》からはなれ、笠の紐《ひも》をほどいた。  八郎の笠が投げ捨てられ、その左手はふたたび、刀の柄へもどった。 (もはや、これまでだ)  すぐに、八郎は決意をした。  秋山小兵衛との対決にそなえ、丹波《たんば》の田能《たのう》の石黒道場へ向うつもりでいた波切八郎なのである。  いずれにせよ、小兵衛と相対するときは、 (秋山殿の誤見を解くことはできまい)  その覚悟は、すでについている。  ただ一剣士としての生涯《しょうがい》を、秋山小兵衛との真剣勝負に賭《か》けるのみであった。  波切八郎にとっては、その期《とき》が早いか遅いかのちがいにすぎない。  いさぎよく笠を除《と》って、おのれの顔貌《がんぼう》を小兵衛に見せた八郎の両眼が、見る見る闘志に光りはじめた。  こうなると、小兵衛もよけいな思案をめぐらしているわけにはまいらぬ。  下段につけた、小兵衛の藤原国助がじりじり[#「じりじり」に傍点]と正眼の構えに移る。  それと呼吸を合わせたかのように、波切八郎の越前康継も八双から正眼に移ってゆく。  はじめのうちは、波切八郎が相手方を打ち殪し、岡本弥助を救い出すことに、 (なあに、波切先生なら大丈夫だ)  さして、危惧《きぐ》をおぼえていなかった伊之吉も、いまは、八郎と対峙している小柄な侍が容易ならぬ相手だとわかった。  小刻みに躰《からだ》をふるわせながら、伊之吉は木蔭で息をのみ、蒼《あお》ざめていた。  幅三間《はばさんげん》にみたぬ道で、八郎と小兵衛は刀を構えたまま、うごかなくなってしまった。  谷彦太郎と清野平左衛門は、ふたりの警固の士《もの》の息絶えたことをたしかめたのち、小兵衛と八郎を見まもっている。 「むう……」  低く唸《うな》って、波切八郎が間合《まあい》をつめ、秋山小兵衛はじりじりと退る。  木蔭に隠れて、目をみはっている伊之吉の背後で、また、鴉が鳴いた。  波切八郎が猛然と、小兵衛へ大刀を打ち込んだのは、このときである。  伊之吉の昂奮《こうふん》しきった目には、二人の剣士のうごきがさだかにつかめなかったようだ。  二人の躰が入れかわり、さらにうごいて、八郎のがっしりとした背中に、小兵衛の姿が見えなくなったとおもったら、八郎の躰がぐらり[#「ぐらり」に傍点]と揺れた。 「ああっ……」  おもわず声をあげ、伊之吉は腰を浮かした。信じられなかった。  波切八郎の右腕が大刀をつかみしめたまま、血を振り撒《ま》きつつ躰からはなれて、雪の道へ転がるのを見たからである。  無我夢中で、わけもわからぬ叫び声を発した伊之吉は、道へ走り出て行った。      十九  以来、毎年の雪降る日には、波切八郎の面影《おもかげ》が脳裡《のうり》に浮かぶのを、 (どうしようもない……)  秋山小兵衛であった。 (あのときの波切殿は、以前に、本多伯耆守《ほんだほうきのかみ》様の下屋敷で試合をしたときの波切殿とは、別人のようであった……)  その折、小兵衛は飛びちがいざまに波切八郎の左腕を打ち据《す》え、試合に勝った。 (なれども、真剣の勝負となれば、いまの自分に分《ぶ》はない)  当時、小兵衛は、そう感じた。  なればこそ波切八郎も、あらためて秋山小兵衛に、真剣の立合いを申し入れてきたのであろう。  木太刀と真剣の立合いは、まったく別の物である。  これは、経験者でなくてはわからぬことだ。  ゆえに、波切八郎のような剣一筋に生涯《しょうがい》をかけた男は、 (何としても……)  真剣の勝負を、目ざすことになる。  といっても、それには先《ま》ず、相手をえらばなくてはならぬ。  天下泰平《てんがたいへい》の世に、むやみに人と斬《き》り合《あ》うことはゆるされないが、剣士のみは、剣の法にのっとって真剣の勝負を争うことを、 (暗黙のうちに……)  ゆるされている。  それには、また、この相手と闘って負けても、 (おもい残すことはない)  という相手を見つけなくてはならぬ。  波切八郎は、本多屋敷で秋山小兵衛と木太刀をまじえ、 (この人ならば……)  と、おもいきわめたのである。  小兵衛は、こころよく、八郎の申し入れを受けいれてくれた。  秋山小兵衛は、それまでに三度ほど、真剣の立合いを体験していた。  ひとかどの剣客《けんかく》ならば、剣の法にのっとった真剣勝負の立合いを、ことわるわけにはまいらぬ。もっとも、拒絶するだけの理由と事情があれば別のことだが……。  小兵衛は、 (波切八郎という剣客の太刀筋は、真剣をとって闘うとき、層倍のちから[#「ちから」に傍点]を発揮するに相違ない)  と、看《み》てとった。  剣士としての人格も、申し分がない。  そこで、八郎の申し入れを承知したのだが、勝負の日を翌々年の春にのばしてもらうことにした。  それは、恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》の隠退と、その後の辻道場の始末をつけねばならなかったからだ。  辻道場の高弟として、辻平右衛門から、 「後の始末をたのむ」  と、いわれているだけに、 (波切殿と真剣をまじえるからには、生きてもどれぬやも知れぬ)  おもえばこそ、すべての始末を終えた後の年月をえらんだのである。  以後の波切・秋山両剣士については、すでに語り終えた。  そして、おもいもかけぬ、あの雪の日に、二人は真剣をまじえることになった。  小兵衛が八郎へ、 「去れ」  と、いったのは、老僕《ろうぼく》・市蔵のことがあったからであろう……そうとしか、おもえぬ。  だが、八郎は刃《やいば》を引かなかった。  闘志に光る八郎の両眼には、一点の疾《やま》しさもなかった。何も彼《か》も八郎は捨て切って刀身に没入していた。  けれども、長い長い対峙《たいじ》の間に、秋山小兵衛の気魄《きはく》は充実し、波切八郎の剣には一種の焦《あせ》りが浮いてきた。  何故《なぜ》か、それはわからぬ。  わからぬが、八郎がおもいきって小兵衛へ刀を打ち込み、これを躱《かわ》した小兵衛の眼《め》は、一瞬、つぎの攻撃へ移ろうとして右へまわった八郎の右腕の隙《すき》をとらえた。  そこが、 (おかしい……)  のである。  本多邸における木太刀の立合いで、小兵衛は八郎の左腕を打ち据えている。  しかし、波切八郎ほどの剣士が、真剣の勝負において、右腕に隙を生じるわけがない。さりとて、故意に隙を見せたのでもあるまい。  また、故意に小兵衛の一刀を右腕に受けるつもりだったとは、断じていえぬ。  つまりは、そこに、八郎の破綻《はたん》が生じたと看るよりほかはない。  すべては、ここ数年間における八郎と小兵衛の、それぞれの生目《いきめ》が、その一瞬に凝結して勝敗を決したことになる。  我を忘れ、木蔭《こかげ》から走り出て、 「な、波切先生。しっかりしておくんなさい。先生、先生……」  気が狂ったかのごとく、右腕を肘《ひじ》の下から切断されて両膝《りょうひざ》をついた波切八郎へ抱きついた伊之吉《いのきち》に、 「その男を何処《どこ》ぞへ連れて行け。早く立ち去れ!!」  と、秋山小兵衛は叫んだ。  清野平左衛門《きよのへいざえもん》も谷彦太郎も、小兵衛が何故《なにゆえ》に、波切八郎と伊之吉を、この場から追いはらおうとしたのかわからなかったろう。  清野も谷も、警固の侍も、ただ茫然《ぼうぜん》と、このありさまを見まもるのみであった。  伊之吉は、岡本の遺体にも、こころは残ったろうが、どうしようもない。 「行け。早く立ち去らぬか!!」  叱咤《しった》する秋山小兵衛の声に、伊之吉は、激痛に唸《うな》る波切八郎を背負って、木立の中へ飛び込んで行ったのである。  もとより秋山小兵衛は、伊之吉が何者であるかを知らぬが、 (これで、何も彼も終った……)  と、いってよい。  翌日、小兵衛は御用聞きの助五郎へ、 「大久保村《おおくぼむら》の寮(別荘)の見張りは、取りやめにしてもらいたい」  指示をした。  波切八郎と老僕の市蔵と、自分との関《かか》わり合いは、 (すべて忘れてしまおう)  小兵衛は、そうおもった。  けれども、冬が来て、雪が降ると、波切八郎と市蔵の顔が脳裡に浮きあがってくるのだ。 (波切殿は生きているか、死んだか……?)  それも、わからぬ。  御用聞きの助五郎は小兵衛に指示されたのちも、自分ひとりの裁量で、尚《なお》も伊橋屋《いはしや》の寮を探ってみるつもりであったが、折しも探索中の浪人強盗二人の所在をつきとめようとして、却《かえ》って浪人どもに斬殺《ざんさつ》されてしまったのである。  そして、いつの間にやら、伊橋屋の寮から、お信《のぶ》と市蔵の姿も消えてしまった。     三条大橋《さんじょうおおはし》      一  御用聞き助五郎《すけごろう》の遺子で、母親の手ひとつに育てられた弥七《やしち》が、お上《かみ》から十手《じって》をゆるされ、亡父の跡をついだのは明和《めいわ》四年(一七六七年)であった。  その年、秋山小兵衛《あきやまこへえ》は四十九歳になっていた。  助五郎|亡《な》きのち、何かにつけて、小兵衛が弥七の面倒をみてきてやったことは、いうをまたぬ。  すでに、秋山小兵衛にも子が生まれていた。  長男の大治郎《だいじろう》であった。  小兵衛の子は、大治郎ひとりで、愛妻のお貞《てい》は、大治郎が七歳の冬に急死をしてしまった。  あれほどに丈夫なお貞であったのに、風邪《かぜ》をこじらせたのがもとで、高熱を発し、小兵衛が懸命の看護にもかかわらず、世を去った。  現代《いま》でいう急性肺炎であったのか……。  お貞の死は、小兵衛にとって、生涯《しょうがい》に一度の衝撃であった。  約一年、小兵衛は道場の門扉《もんぴ》を閉ざし、我子《わがこ》の大治郎と二人きりの生活を送った。 「あのときの自分を振り返ってみると、つくづく、おれという男は剣一筋に生きぬける男ではないと、悟ったらしいのだよ」  のちに、秋山小兵衛は内山文太《うちやまぶんた》へ、ひとごとのように洩《も》らしている。  お貞の一回忌が過ぎて、小兵衛は、ふたたび道場をひらき、門人たちへ稽古《けいこ》をつけはじめたが、 「秋山先生は、お人柄《ひとがら》が変られたような……」  門人たちは、ひそかに語り合った。  それまでの小兵衛の稽古は、誰彼《たれかれ》の区別なく厳しくて、その厳しさに耐えきれぬ者は、 「当道場を去るがよい」  というのが建前であったし、事実、耐えきれずに道場を去った者は多い。 「十人のうち二人残れば、よいほうだったよ」  と、内山文太も回顧しているほどだ。  ところが、道場を再開してからの秋山小兵衛は、たとえ、剣の筋がよくない門人をも見捨てるようなことをしなくなった。 「よいか。剣術の稽古というものは、何も剣術のみにかぎられたことではない。人の躰《からだ》と心は、しっかりとむすびつき、助け合っているのだから、おのれの躰の仕組を剣術によってわきまえておくことは、皆々の行末にとって益になりこそすれ、いささかも害になることはない」  と、小兵衛はいった。  また、体力のない門人や、病弱の門人へも、それなりに、やわらかく稽古をつけてやり、 「秋山道場へ通うようになってから、倅《せがれ》が、すっかり丈夫になってのう」  よろこぶ父兄たちが増え、そうなると、道場の評判もよくなるのは当然で、 「道場を別の土地へ移し、ひろげたらいかがじゃ」  などと、たとえば杉浦石見守《すぎうらいわみのかみ》のような後援者が、しきりにすすめてくれたけれども、 「いまのままにて、結構でございます」  小兵衛は、四谷《よつや》の道場からうごかなかった。 「剣術で病気が癒《なお》ると申すのなら、秋山小兵衛は医者になったほうがよい」 「いかさまな」 「それに、下賤《げせん》の者どもがのぞむとあれば、平気で入門をさせるというではないか」 「そのような道場で、稽古ができるか」 「まことにもって、ふざけたはなしだ」  好評の一方では悪評もあり、そうした小兵衛の仕方に、 「秋山先生は、もういかぬよ」  愛想をつかし、道場へ来《こ》なくなった門人も少くなかったのである。 「さて、あのころのわしが、何故《なにゆえ》に変ったか……それは、よくわからぬなあ。人というものは、他人のことならよくわかっても、おのれのことになると、さっぱりとわからぬ生きものゆえな」  後年に、老いてからの秋山小兵衛は、そういっている。  しかし、小兵衛自身は、当時をかえりみて、 (強いていうならば、波切八郎《なみきりはちろう》の右腕を斬《き》ってのち、少しずつ、剣術への考え方が変ってきたようにおもわれる。それを言葉にせよといわれてもむり[#「むり」に傍点]なのだが……それに、お貞に死なれたことによって、大分に変ったようじゃ。わしは、倅の大治郎を剣客《けんかく》にするつもりはなかったが、それでも大治郎へ剣術の手ほどきをした。つまり、剣術は剣術のみにとどまらず、いかなる人びとへも益をもたらすと、おもうたからだろう)  そう、おもっている。  大治郎は少年のころから、異常な熱心さで稽古に打ち込みはじめた。  父の小兵衛は、それを見て危ぶみ、 「もう、稽古をするな」  押しとどめようとしたが、遅かった。  少年ながら、大治郎は自分から剣を除いたなら、 「何もありません」  いいきったものだから、 「生意気なやつめ」  小兵衛は、苦虫を噛《か》みつぶしたような顔つきになった。 (あの、波切八郎は、大治郎のような少年《こども》ではなかったろうか……)  ふと、そうおもったとき、小兵衛は肌寒《はださむ》くなってきた。  波切八郎の父も、江戸ではそれ[#「それ」に傍点]と知られた剣客であり、目黒に道場を構えていた。  八郎の父・波切|太兵衛《たへえ》は、みずからすすんで、わが子に剣の道を歩ませ、自分の道場の跡をつがせるつもりでいたのだろうか。  小兵衛は、わが道場を、 (自分一代かぎりだ)  と、おもいきわめている。  しかし、大治郎が、どうあっても剣の道へ突きすすみたいというのを、小兵衛としては最後まで反対をとなえるわけにはまいらぬ。  小兵衛自身の若き日をおもえば、反対する理由がないのだ。  大治郎少年の決意は、ゆるがなかった。 「仕方もない」  小兵衛は嘆息し、 「なれど、父は、この道場をお前にゆずるようなことはせぬ。それでもよいのか?」 「はい」 「何事も、お前ひとりで切りひらいてゆくのだぞ。わかっていような?」 「わかっています」 「苦しいぞ」 「はい」 「では……」  いいさして小兵衛は、剣士になることはゆるすかわりに、真剣勝負だけは禁ずる。その約束をまもれるかと、いいかけたが、 (われながら、下らぬことを……)  苦笑して、やめた。  そして、小兵衛もまた、決意をかためたのである。  大治郎が決意を父に告げたのは十三歳の夏のことで、これをゆるしてからの、秋山小兵衛が我子につける稽古は一変した。  さすがの内山文太が、 「あまりにひどくて、見ていられぬよ」  顔をそむけたほどに、凄《すさ》まじいものであったらしい。 「何しろ、大治郎さんの躰に生傷が絶えないのだからな」  内山の妻が、 「どうしてまた、そのように……?」 「秋山さんはな、真剣でもって稽古をつけているのだ」 「まあ……」 「大治郎さんにも、真剣をもたせてな。こいつは恐ろしいよ」      二  秋山小兵衛が、息《そく》・大治郎に、 「これよりは、父が手許《てもと》を離れるがよい」  と、いい出たのは、明和五年の正月であった。  ときに、小兵衛は五十歳。大治郎は十五歳になっていた。 「父上。では、何処《いずこ》へまいったらよろしいのでしょう?」 「わからぬか?」 「は……」 「わかるまで、考えるがいい。急ぐにはおよばぬ」  五十歳の秋山小兵衛の髪は、大分に白いものがまじっていたけれども、顔や躰《からだ》の色艶《いろつや》は、二十年前とほとんど変っていない。  門人たちへの稽古《けいこ》も休まぬ。  また、このころになると、大名や大身《たいしん》旗本の屋敷へ出張して稽古をつけることが増えた。  道場での稽古は午前中で、出稽古は午後からになる。  あるとき、大治郎少年が、 「父上。出稽古は、おやめになったらいかがでしょう?」 「なぜだ?」 「稽古をつけてもらいたいのなら、先方から道場へ来るべきではないでしょうか?」 「待て。わしが出稽古をするのはな、世間をひろくしているのだ」 「それは、どのような?」 「道場にいて、門人たちへの稽古のみに暮しつづけていると、ひろい世間がわからなくなってくる」 「剣の道を歩む者は、それでよいのではありませぬか?」 「そうか、な」  秋山小兵衛は、ふくみ笑いを洩《も》らしたが、すぐに笑うのをやめ、何か遠いものでも見るような眼差《まなざ》しとなったので、大治郎が、 「いかがなされました?」 「むかし、な……」 「は?」 「むかし、お前にそっくりな人がいたのを、おもい出した」  曰《いわ》くありげな父の口調に、 「それは、どのような?」 「いやなに……お前の知ったことではない。それよりも大治郎。先日、わしが申したことについて、思案がまとまったか?」 「いえ、まだでございます」 「これよりは、剣の修行よりも、人としての修行……というよりも、お前も、ひろい世間を見てまいれ」 「武者修行でございますか?」 「あは、はは。子供のくせに、古風な言葉をつかうではないか」 「父上。大治郎も十五歳になりました」 「十五歳の子供よ。なれば、これよりは大人になるのだ。父が行けというところへ行くか、どうだ?」  すると言下に、 「父上のお指図に従います」  きっぱりと、大治郎がこたえた。 「ふむ。そうか。よく申してくれた」  これまでは、他の道場へも通わせず、余人との試合を禁じ、みずから真剣をとって大治郎を鍛えぬいてきた秋山小兵衛であった。  その稽古は他の門人が帰って後におこなわれ、これを知っていたのは内山文太一人である。  内山文太をして、その稽古の凄烈《せいれつ》さは顔をそむけしめたほどだが、いまの小兵衛は慈父そのものの温顔を見せ、 「大原《おはら》の里へ、まいるがよい」 「では……あの、辻平右衛門《つじへいえもん》先生の許でございますか?」 「さよう。すでに辻先生より、おゆるしの御手紙をいただいている。わしが、つきそって行くつもりでいたが、辻先生は、お前ひとりに道中をさせよといわれた」 「なれど、父上。辻先生は、もはや七十……」 「七十も八十もない。お前は、剣を手にせずとも、父に代って辻先生にお仕えすればよいのだ。それが、これからの、お前の修行とおもえ」 「はい」  と、こうしたときの大治郎は、一言も父に逆らわぬ。  父の大刀によって、大治郎の躰には無数の傷痕《きずあと》がある。その大半は消えたほどの浅い傷であったが、そのような稽古を受けながら、 (父の申されることならば、どのようなことでも……)  自分は信じきることができると、大治郎は考えているようだ。  その信頼感は、自分の躰を父の刀で傷つけられることによって生まれ、育《はぐく》まれたわけだから、内山文太が、 「恐ろしい……」  と、妻に洩らしたのである。 「大治郎」 「はい?」 「辻先生の許には、まだ嶋岡礼蔵《しまおかれいぞう》が仕えている。お前が、たとえ、剣術の稽古が嫌《いや》だといっても、嶋岡がゆるさぬだろうよ」  そして、この年の春に、十五歳の大治郎は単身、東海道を上って行ったのである。  秋山小兵衛は、これを高輪《たかなわ》まで見送って行った。  大治郎の出発は、内山文太にも門人たちにも知らせなかったので、 「けしからん。私も、ぜひ、見送りに行きたかった」  と、内山が大いに憤慨したものだ。  旅姿の大治郎と共に、小兵衛が高輪の七軒茶屋へ着くころには、品川の海から朝日が昇ってきて、 「よい旅立ちだ」  ひとりうなずきつつ、小兵衛は〔亀《かめ》や〕という休茶屋《やすみぢゃや》へ入って行った。  七軒茶屋は、芝の田町九丁目の外れにあり、休茶屋や飯屋、蕎麦切《そばきり》を売る店など七軒がならんでいるので、その名称があった。  大治郎は〔亀や〕で、生まれてはじめて、酒というものをのんだ。 「これからは、のんでもよいぞ」  と、父が盃《さかずき》をよこし、酌《しゃく》をしてくれたのである。  一口のんで、大治郎が顔を顰《しか》め、 「父上。こんなものが、なぜ、旨《うま》いのでしょう?」 「なぜか、わからぬなあ。わしもな、お前がなぜ、剣術なぞをやるつもりになったのか、それがわからぬ」 「さようでしょうか……」 「みんな、同じことだ。人の世のことで、はっきりとわかっているものは何一つない……」  いいさした秋山小兵衛が、盃を置いて、 「いや、一つだけある。わかるか?」 「人は生まれてより、死ぬる日に向って歩みはじめる。このことでございましょう?」 「ほう。よう、わかっているではないか」 「以前に二、三度、父上からうけたまわりました」 「そうか、これはどうも……わしも、すっかり耄碌《もうろく》してしまったようだ」 「父上。お酌をいたします」 「うむ……」 「お躰に、気をつけて下さい」 「よし、わかった。ありがとうよ」 「では、そろそろ、まいります」 「これよりは、辻平右衛門先生を父とおもえ。怖《おそ》れてはいかぬぞ。甘えて仕えるがよい」 「はい」  東海道へ出た大治郎が、しばらく行ってから振り返り、白い歯を見せて一礼した、その姿を、秋山小兵衛は後に内山文太へ、 「あんな生きものが、亡《な》きお貞の腹から飛び出て、あれほどに大きくなってしまったとは……いやはや、何となく、恐ろしくなってきたものだ」  と、洩らしたそうな。 「ですが秋山さん。十五歳の初旅ですぞ。大丈夫ですかなあ」 「だめ[#「だめ」に傍点]なものなら、仕方もないさ」 「私なぞ、とてもまね[#「まね」に傍点]ができません」 「そりゃ、わしだって、大治郎が、ひとかどの剣客《けんかく》を目ざして生きるのではないと申すのなら、旅へなぞ出さぬよ」 「はあ……?」 「いたしかたもないことだ。当人がやる[#「やる」に傍点]というからには、そのようにしてやらねばならぬ」  いいながらも小兵衛は、あの朝、江戸を発《た》って行った倅《せがれ》の、十五歳にしては、 「桁外《けたはず》れに……」  大きな後姿《うしろすがた》と、波切八郎のそれ[#「それ」に傍点]とが重なり合って脳裡《のうり》に浮かびあがってくるのを、どうしようもなかった。 (波切殿は、あれから、どうしたろうな……?)  右腕を切断されたのだから、当然、出血はひどい。  得体《えたい》の知れぬ男が飛び出して来て「波切先生……」と泣きわめきつつ、八郎を背負って雑木林の中へ逃げて行ったが、 (助からなかったろうな……)  と、小兵衛はおもっている。  すぐに手当をすれば助かったろうが、何しろ、大久保村《おおくぼむら》のあのあたりには、しかるべき医者もなかったろうから、多量の出血のために波切八郎は息絶えたと看《み》てよい。  以後、秋山小兵衛と杉浦|石見守《いわみのかみ》との交誼《こうぎ》は絶えなかったが、あの事件の直後、石見守の本邸へよび出されて、 「ゆえあって、高松小三郎《たかまつこさぶろう》の稽古は取りやめになってのう」  と、石見守にいわれた。 「さようでございますか」  小兵衛も、そうこたえたきりで、以来、二人の会話には高松小三郎の名が出たことはない。  小兵衛は、波切八郎の旧道場へも、穴八幡《あなはちまん》裏の鞘師《さやし》の家へも足を運ばなかった。 (すべては終った……)  と、おもったからである。  だが、四年ほど前に、穴八幡の近くまで所用で出かけた折、鞘師の家のあたりを見まわったことがある。  鞘師の家は、別の家に建て替えられていた。なんでも程近い原町三丁目の小間物問屋の寮(別荘)だという。  そこで近辺の人びとに尋ねると、鞘師の当主・久保田宗七《くぼたそうしち》は、十年ほど前に病死してしまい、弟子たちも散り散りになったらしいということであった。  杉浦石見守も六年前に亡くなってしまったし、むろんのことに、老僕《ろうぼく》の市蔵《いちぞう》も、すでにあの世[#「あの世」に傍点]へ旅立ったにちがいない。  大治郎を恩師・辻平右衛門の手許《てもと》へ送ってのちの秋山小兵衛は、 「自分では、別に以前とは変りない気持でいたつもりだが……やはり、ちょいと寂しくなっていたのだろうよ」  と、後に内山文太へ洩らしているように、表面には全く変っていないように見えても、何処《どこ》かがちがってきていたのである。  お貞《てい》が死んで後、他の女の肌《はだ》には手もふれぬというわけではなかった小兵衛だが、このころから、新吉原《しんよしわら》や深川へ出向いて、女遊びをはじめるようになった。  だが、そうした小兵衛の一面は内山文太にもよくわからなかった。  雇い入れた女中のおたみ[#「おたみ」に傍点]に手をつけたりしたのも、そのころであったろう。  小兵衛にしてみれば、 (この女なら、ずっと一緒に暮してもよい)  そう考えたからだ。  それでなければ、女に不自由をしているわけではなし、女中に手をつけることもなかったろう。  おたみは、亡きお貞の顔や姿によく似た大柄《おおがら》な女であった。  ところが、おたみは間もなく、小兵衛の金を十両ほど持ち出し、突然に姿を消してしまった。  小兵衛は、おたみを信頼し、自分の金をすべてあずけ、家計をまかせるほどになっていたのだ。  そのとき、小兵衛からあずかった二十四両のうち、十両だけを持って、おたみは出奔したのだが、 (何故《なぜ》、みんな持って逃げなかったのか?)  それが不可解であったが、不可解ということになれば、女そのものが不可解であって、胸の底で何を考えているものやら知れたものではない。  もっとも、女にしてみれば、男のことを同じように看ているのであろう。  ともあれ、おたみが十両だけ持って消えたところに、何やら味わいがあるではないか。  ずっと後年になって、秋山小兵衛は、その後のおたみが地蔵堂の堂守との間にもうけた、おみつ[#「おみつ」に傍点]という娘に出合うことになるが、それは別のはなしだ。  おたみも、秋山小兵衛をたより、おのれの行末に希望を抱いていたにちがいない。  それだけは、小兵衛にもよくわかっている。  ところが、おたみにとっては、何やら退《の》き引《ひ》きならぬ事情が起って、姿を隠さざるを得なかったのであろう。 (二十四両、みんな持って行けばよいのに……いじらしい女め)  小兵衛は、いささかも、おたみをうらみにおもわなかった。  その後、小兵衛は、 (どうも、わしは好色らしい。女はいかぬなあ)  というので、老爺《ろうや》を女中がわりに雇い入れた。  平六《へいろく》という、この老僕は、どこか市蔵の面影《おもかげ》を偲《しの》ばせるものがあって、 (これはよいな)  小兵衛は、よろこんでいたのだが、市蔵とちがって躰が弱く、半年後に病死をしてしまった。  その後に、女中として入ったのが、おはる[#「おはる」に傍点]であった。  おはるは、大川(隅田川《すみだがわ》)の向うの関屋村《せきやむら》の百姓・岩五郎《いわごろう》の次女で、当時十七歳。これは、ほかならぬ内山文太の口ききでやって来た。  前のおたみは四谷《よつや》・坂町の菓子屋が世話をしてくれて、下野《しもつけ》の烏山《からすやま》の在の生まれと、口入屋《くちいれや》に告げたそうだが、後になれば、みんな嘘《うそ》だったにちがいない。  それで小兵衛は、内山と共に、わざわざ関屋村へ行って、おはるの両親や兄にも会ってきたし、 (まあ、孫のような少女《こむすめ》ゆえ、これなら、わしも……)  手を出すこともあるまいと、自分で安心をしていたのだが、どうもやはり、わからないものだ。  秋山小兵衛は、またしても、おはるに手をつけてしまった。      三 (この年齢《とし》になって、何故《なにゆえ》、わしは好色の爺《じじい》になってしまったのか……)  秋山小兵衛は慨嘆しきりであったが、ついに、道場を廃し、おはる[#「おはる」に傍点]を連れて、大川の向うの鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ隠棲することになる。  おはるは、まったく物欲のない娘で、気性が明るく、 「お前は、よほどに、両親がうまく育ててくれたらしい」  小兵衛が、つくづくと洩《も》らしたことがある。  鐘ヶ淵の隠宅は、かつて、秋山小兵衛と親交があった絵師・友川正信《ともかわまさのぶ》の隠居所だったものを、小兵衛がゆずり受け、手を入れたのだ。正信夫婦は、すでにこの世[#「この世」に傍点]の人ではない。  ところで……。  おはると共に、改築が成った隠宅へ移って間もなく、立派な風采の、中年の侍が秋山小兵衛を訪れて来た。  小兵衛は、客の侍を居間へ請《しょう》じ、しばらく語り合っていたが、台所にいたおはるの耳へは、何を語り合っていたのだか、わからなかった。  やがて、侍が帰った後で、小兵衛によばれ、おはるが居間へ入って行くと、 「ほれ、ごらん。これで当分は安心じゃ」  おはるの目の前へ、小兵衛が袱紗包《ふくさづつ》みを押しやった。  紫色の袱紗包みの中から、小判で百両もの大金が出てきたので、 「あれ、まあ……」  おはるは、びっくりして目をみはった。 「こ、こんな大金を、どうしたのですよう?」 「さる御大名から、わしの隠居祝いに下されたのじゃ」 「へえ……まあ、おどろいたねえ、先生」  おはるにとっては、将軍であろうが大名であろうが、まったく関心がないから、その大名の名前を尋ねようともせぬ。  ただ、その大名が、自分の好きな〔先生〕へ大金を祝ってくれたことにおどろいている。 「先生は、えらいのですねえ。こんな大金を祝っておくんなさる御大名と知り合いなのだから……」 「この御大名はな、少年《こども》のころに、大変な苦労をなすった。そのころに、わしが、ちょいと剣術の一手二手《ひとてふたて》を、教えてさしあげたことがあってのう」 「へへえ……」 「そのときより、もう、二十年以上にもなろうか。あの御方も、四十に近くなられ、いまは十八万石の御当主じゃ。さぞ、立派になられたことだろう」 「それじゃ、二十何年も、お目にかかっていないのかね?」 「うむ」 「それなのに、こんなに大金を……」 「お目にかかれずとも、何かにつけて……」  と、秋山小兵衛は、何やら遠いもの[#「遠いもの」に傍点]をながめるように目を細めて、 「これまでにも、わしのことをお忘れなく、ひそかに、おこころにかけられてのう」 「まあ……でも、今度は御礼に出ないといけませんねえ」 「御礼に出なくとも、わしのこころは通じていようよ」 「そんなものですかねえ。けれど先生。やっぱり、御礼にうかがったほうがいいとおもいますよう」 「いや、これはな……いろいろと、深い事情《わけ》があって、わしが、御屋敷へまかり出ぬほうがよいのじゃ」  おはるは、これで素直に納得してしまう。  まるで祖父のような秋山小兵衛をたよりきって、一点のうたがいも抱こうとはしない。  小兵衛は、おはるのそうした性格を好ましくおもって、 (この女なら、共に暮してもよい)  と、決心をしたのであろう。  愛妻お貞の死後、自分に、このような晩年があろうとは、夢にも見なかったことである。  秋山小兵衛が鐘ヶ淵の隠宅へ移ったのは、安永四年(一七七五年)の二月で、ときに小兵衛は五十七歳。おはる[#「おはる」に傍点]は十七歳であった。  小兵衛の息《そく》・大治郎は、二十二歳の青年剣士に成長していた。  だが、このときの秋山大治郎は、大原《おはら》の里に隠棲していた辻平右衛門《つじへいえもん》の手許《てもと》にいなかった。  辻平右衛門は、二年前の安永二年の三月一日に、山城国《やましろのくに》・愛宕郡《おたぎぐん》・大原において、七十五歳の生涯《しょうがい》を終えている。  ちょうど、そのころの秋山小兵衛は、すでにのべておいた女中のおたみ[#「おたみ」に傍点]とねんごろ[#「ねんごろ」に傍点]の仲となっていて、 (これよりは、おたみと共に暮そう)  こころに決めていたわけだが、 (いずれは、大治郎に、おたみのことを打ちあけねばならぬが……はてさて、困ったことになったものじゃ)  共に暮すとなれば、夫婦になるということだから、五十をこえて白髪《しらが》まじりとなった自分が、大治郎とさして年齢《とし》もちがわぬ若い女を、 (女房《にょうぼう》にしたと聞けば、大治郎は、さぞ、わしをさげすむことだろう)  はずかしくもあり、不安にもなって、大治郎への手紙の中にも書き切れなかった。  そうして小兵衛が、おもい迷っているときに、大治郎が恩師・辻平右衛門が死去したことを、京都からの早飛脚をもって江戸の父へ知らせてよこしたのである。  秋山小兵衛は、すぐさま、江戸を発して大原の里へ急行した。  このときも、留守居のおたみへ、 「後をたのむぞ」  持金のすべてをあずけておいたのだが、おたみはしっかりと留守をまもり、あずかった金には、手もつけなかったのだ。  おたみが、金十両を盗んで失踪《しっそう》したのは、その翌年ということになる。  当時は十五歳の少女だったおはるは、秋山小兵衛を知ることもなく、関屋村の両親の許《もと》にいた。  ここで、はなしを安永二年の、辻平右衛門死去の件《くだり》へもどしたい。      四  辻平右衛門《つじへいえもん》の遺体は、大原《おはら》の円妙寺《えんみょうじ》という小さな寺に葬《ほうむ》られた。  駆けつけた秋山小兵衛は、恩師の臨終を看《み》とることができなかった。  これが、長い病の後に死去したというのなら、当然、小兵衛は大原へおもむき、こころゆくまで師の看病をしたであろうが、辻平右衛門は死の前日まで、何事もなくすごしていたのだそうな。  ところが翌朝になって、いつもは早起きの平右衛門がなかなかに目ざめぬので、 「わしが、寝間へ入って見ると……」  と、小兵衛を大原の里に迎えた嶋岡《しまおか》礼蔵が、 「おしずかに、冥府《めいふ》へ旅立たれておられた……」 「御遺言は?」 「格別にない。ただ以前より、自分が死ぬるときは、だれにも知らせるなと申されていたので、そのようにしている」  嶋岡礼蔵とも、二十何年ぶりに会ったわけだ。  小兵衛の亡妻お貞《てい》を、礼蔵が、ひそかに思慕していたことを、小兵衛もお貞も知らなかった。小兵衛がそれとわかったのは、お貞と夫婦になる一年ほど前のことである。  以来、嶋岡礼蔵は独身《ひとりみ》をつらぬき通し、恩師に仕えてきた。 「嶋岡。何事も、おぬし一人にまかせてしまい、申しわけもなかった……」 「いや、二人だ。大治郎は立派に、おぬしの代りをつとめてくれたわ」 「そういってくれるか。ありがたい」  若いころは、辻道場の〔龍虎《りゅうこ》〕だとか〔双璧《そうへき》〕だとかよばれたほどに、嶋岡礼蔵と秋山小兵衛の名は、江戸の剣術界に知られたものである。  嶋岡の実家は、大和《やまと》の国《くに》・磯城郡《しきぐん》・芝村にあり、長兄の八郎右衛門《はちろうえもん》が大庄屋《おおじょうや》の家をついでいる。 「ともかくも、わしは故郷《くに》へ帰るつもりだが、大治郎も江戸へもどしたがよい。おれが見たところ、申し分のない男になった」 「いや、いや……」 「よい倅《せがれ》をもったな」 「何の……」  嶋岡礼蔵は、お貞のことに一言もふれない。小兵衛も黙っていた。  嶋岡にいわれるまでもなく、小兵衛は、大治郎を江戸へ連れ帰るつもりでいた。  大治郎が江戸の父の許《もと》へ帰るとなれば、おたみ[#「おたみ」に傍点]のことを隠しておくわけにはまいらぬ。 (さて……どのように、打ちあけたらよいものか……)  しかし、大治郎は、 「これより三年ほどは、江戸へもどりませぬ」  と、いい出た。  かねて、辻平右衛門から、よく聞かされていた諸国の剣客《けんかく》を訪ねて、さらに、修行を積みたいというのである。 「おぬしは何とおもう?」  小兵衛が尋ねると、嶋岡礼蔵は、 「それもよかろう。何処《どこ》へ出しても、大治郎は大丈夫だ」  事もなげにいった。  これで、決まった。  辻平右衛門死後の始末も終り、嶋岡礼蔵が大和の実家へ発《た》った翌日の午後、秋山小兵衛・大治郎の父子は大原の里を出て京都へ入った。  京の麩屋町《ふやちょう》・三条上ルところの旅宿・石州屋久兵衛《せきしゅうやきゅうべえ》方へ、秋山父子は旅装を解いた。  明朝、小兵衛は東海道を下って江戸へ向う。  大治郎は、大坂の天満《てんま》に道場を構える柳嘉右衛門《やなぎかえもん》の許へ、 「先《ま》ず、行ってみたいと存じます」 「好きにするがよい」  初夏の夕闇《ゆうやみ》の中に、中庭の朴《ほお》の木が白い花を浮かべていた。  新緑が生ぐさいまでに匂《にお》い立ち、秋山小兵衛の額に薄汗《うすあせ》が滲《にじ》んでいる。  小兵衛は、自分とおたみとのことを倅に打ちあけようとおもいながら、何としても面映《おもは》ゆく、言葉にならなかった。  しきりに、小兵衛は大治郎に酒をすすめながら、 「のう、大治郎。いまのお前には、まだ、よくわからぬやも知れぬ。わしも、お前の年ごろには少しもわかっていなかったのだが……」 「何のことでしょう」  五年目に見る大治郎の巨体を、膳《ぜん》をはさんで、小柄《こがら》な小兵衛が見上げるかたちとなる。  その筋骨のたくましさを見るにつけても、 (よほどに、嶋岡が鍛えてくれたにちがいない)  と、察しがつく。  小兵衛は久しぶりに、波切八郎の風貌《ふうぼう》を脳裡《のうり》におもい浮かべ、たくましく成長した倅の顔を眩《まぶ》しげにながめやって、 「あらためて尋ねるが、お前は剣一筋に生きぬくつもりじゃな」 「そのとおりです」  澄みきった大治郎の双眸《そうぼう》には、一点の曇りもない。 「わかった。相手と勝負を競いながら、おのれの剣を磨《みが》いてゆくわけじゃが……よいか、大治郎。人の生涯《しょうがい》……いや、剣客の生涯とても、剣によっての黒白《こくびゃく》のみによって定まるのではない。この、ひろい世の中は赤の色や、緑の色や黄の色や、さまざまな、数え切れぬ色合いによって、成り立っているのじゃ」 「はあ……」 「よしよし、いまは、わからなくともよい。なれど、いま、お前にいった父の言葉を忘れてくれるな、よいか」 「はい」  その夜、ゆっくりと眠った秋山父子は、翌朝の五ツ半(午前九時)ごろに宿を出た。  空は青く晴れわたり、道筋の石塀《いしべい》の中の木立から、早くも松蝉《まつせみ》の鳴きそろう声がきこえた。  やがて、秋山父子は、三条大橋へさしかかった。  山科《やましな》のあたりまで見送るという大治郎へ、小兵衛が、 「早く大坂へ向うがよい。病にかかるなよ」 「父上も、お気をつけられて……」 「よし、よし」  三条大橋の西詰《にしづめ》で、大治郎と別れた秋山小兵衛は、ゆったりと大橋を東へわたって行く。  橋上は、東海道を下る旅人や、町屋の人びとが、今朝の好天に晴れ晴れとした顔で行き交っている。  橋の左側を中ほどまで来て、秋山小兵衛は何気もなく、向う側を見やったのだが、その瞬間に、 (や……?)  ぴたりと、足が停《とま》った。  幅が約|五間《ごけん》の向う側を、東詰の方から歩んで来る老人に見おぼえがある。  背の高い、その老人の右手は、ふところに入っているように見えたがそうではない。  ほかならぬ秋山小兵衛の一刀に切断されたのである。 (あ……波切……)  まさに、波切八郎であった。  二十余年前にくらべて、八郎の体躯《たいく》は細身になっていたが、髪も黒く、血色もよかった。  波切八郎も五十をこえているはずだ。  八郎は、町人の姿をしている。  身なりも上品で、むろんのことに刀は帯びてない。  八郎へ付きそうように歩む老女が、にっこりと笑いつつ、何やら八郎へ語りかけている。  八郎が、これも穏やかな笑顔で、老女に応《こた》えていた。 (生きていたか……?)  笠《かさ》の内から、秋山小兵衛は老いた二人を見まもった。  老女は、むかし、大久保村《おおくぼむら》の寮(別荘)で波切八郎と共に暮していたという女であろうか……。 (あれから、どのようにして生き残ったのか……いまは剣を捨て、この京にいて、どのように暮しているのだろうか?)  何も彼《か》も、小兵衛にはわからぬ。  それにしても、 (あの波切殿が……)  町人の姿となって、目の前にあらわれようとは、おもいもかけぬことであった。  八郎は、立ち停っている小兵衛に気づかぬまま、約五間をへだてた向う側を歩んでいる。  小兵衛と八郎をへだてる五間の橋板の上を、人びとが行き交っている。  波切八郎は、老女と共に、三条大橋の西詰へ去って行った。  その姿が見えなくなるまで、小兵衛は立ちつくしていた。  何処からともなく、矢のごとく疾《はし》って来た燕《つばめ》が一羽、小兵衛の笠の内をのぞきこむようにして飛びぬけて行った。 (もはや、市蔵は、世を去っていよう)  市蔵が生きていれば、九十に近い。  奇蹟《きせき》でもないかぎり、生きているはずがなかった。 (生きていた。そうか……ふむ、波切八郎殿は、生きていたか……)  わけもなく熱くなってきた目頭を指で押えてから、秋山小兵衛は三条大橋を東へわたって行った。     解説 [#地から2字上げ]常盤新平 『剣客商売』は池波正太郎氏の小説のなかでも、圧倒的な人気を持つシリーズの一つだ。『剣客商売』の最初の一編を読めば、このシリーズの愛読者になることは間違いない。鬼平と梅安と小兵衛《こへえ》三人のヒーローのなかで、誰《だれ》を一番好きかとよくきかれる。これは難問である。  鬼平は『鬼平犯科帳』の長谷川《はせがわ》平蔵であり、梅安は『仕掛人』シリーズの藤枝梅安であり、小兵衛は『剣客商売』の老剣客、秋山小兵衛である。三人とも数百万の愛読者を持つ魅力的な主人公である。三人のうちの誰に最も魅力を感じるかという質問にはとても答えられない。三人ともおそらくこの三十年のあいだに誕生した時代小説のヒーローたちのなかでも、最も忘れがたいヒーローたちである。 『黒白』は『剣客商売』の秋山小兵衛の若いころを描いている。これが「週刊新潮」に連載されていたときは、毎号待ちかねて読んでいた。著者の装幀《そうてい》になる単行本も一気に読んだ。 『剣客商売』でも、小兵衛の若いころが語られている。それはもちろん回想という形をとっていて、読者は秋山小兵衛の青年時代におもいをめぐらすことができる。ただ、それにしても、小兵衛ほどの剣の達人がどうして、まだ十七歳の「孫のような少女《こむすめ》」に手をつけてしまったのか、もっと詳しく知りたいものだと思わぬでもない。  作者は『剣客商売』の一編一編に読者の熱い支持を感じながら、書きすすめるうちに、いつか秋山小兵衛の若いころを書こうと思いたったにちがいない。読者の側にもそういう希望があったはずである。そして、『剣客商売』がはじまって、十年後に、それが長編という形で実現したのである。 『黒白』は秋山小兵衛にまさるとも劣らない魅力に富んだ小野派一刀流の剣客が登場する。寛延《かんえん》三年(一七五〇年)、彼は小兵衛より四歳下の二十八歳で、この翌年の三月、無外流の名手、小兵衛と真剣の勝負をすることになっている。この勝負をめぐって、物語は宝暦《ほうれき》三年(一七五三年)までつづき、両剣客の生活はしだいにへだたってゆく。しかし、二人を結びつける糸にも似た人物がかならずいて、物語の糸がつむがれてゆくのである。  作者が無類のストーリーテラーであることはいまさら言うまでもないだろう。さらに、『黒白』の二人の女がじつに美しく描かれていることも言うをまたない。波切八郎が慕うお信《のぶ》と小兵衛の妻となるお貞《てい》である。お貞は二十六歳で、三十三歳の小兵衛の妻となっている。「水気のない果物」だと蔭口《かげぐち》をきかれたお貞は当時としては「まことに晩婚」であったが、小兵衛といっしょになって、内山文太をして「あの艶《つや》っぽい眼《め》の色」と言わしめるほどの女に変った。  秋山小兵衛と波切八郎の生き方が対照的であるように、お信とお貞も対照的である。お貞はどちらかといえば、秋山大治郎の妻となる佐々木三冬に似ているようだ。大治郎を知る前の三冬はやはり「水気のない果物」に似たところがある。 『黒白』には『剣客商売』でおなじみの人物が数多く出てくる。いずれも、小兵衛と同じに若い。内山文太もその一人だし、この小説のエピローグには、御用聞きの弥七《やしち》が姿を見せる。彼は小兵衛の力になってくれた御用聞き助五郎の遺子だ。母親の手ひとつに育てられた弥七は、おかみから十手《じって》をゆるされ、亡父の跡を継ぐのである。  弥七は「仏の助五郎」と呼ばれた父親とそっくりで、『剣客商売』では小兵衛を大いに助けている。だから、『黒白』は秋山ファミリーの物語であり、秋山ファミリーができるまでの過程を書いた小説なのである。彼らはみんな変ってゆく。そのなかでも、変転のはげしかったのが波切八郎だろう。 「人という生きものは、他人のことはよくわかっても、てめえのことは皆目わからねえものでござんす」  と波切八郎につきまとう伊之吉《いのきち》は言う。そして、秋山小兵衛も同じことを言うのである。 「さて、あのころのわしが、何故《なにゆえ》に変ったか……それは、よくわからぬなあ。人というものは、他人のことならよくわかっても、おのれのことになると、さっぱりとわからぬ生きものゆえな」  このように小兵衛が述懐するのは後年のことだが、この台詞《せりふ》は作者の小説ではしばしば見かけてきた。これだからこそ、小説を書くのであり、小説というものがあるのではないかと思う。 『黒白』では、作者は波切八郎という剣客を描ききることで、秋山小兵衛の姿を照射しようとしたようである。『鬼平犯科帳』の鬼平が読者にとって大きく見えるのは、作者が盗賊をも大きく書いているからだ。盗賊にも悪役としての魅力を作者は十分にあたえている。それ故《ゆえ》に、鬼平の存在が圧倒的になるのである。  波切八郎について、登場人物の一人は言う。 「悪い人ではねえから、かえって災難を運んでくるのですぜ。私はね、悪い奴《やつ》よりも善《い》い人のほうが恐ろしい」  ここで、では、秋山小兵衛はどうなのかと読者は考えないわけにいかない。小兵衛は少なくとも波切八郎とはちがう。もっともっとしたたかな剣客である。小兵衛は「悪い人」ではないが、「悪」を知っている剣客といえよう。「剣術は剣術のみにとどまらず、いかなる人びとへも益をもたらす」と思う剣客である。 「剣客」と「商売」とは本来、結びつかないはずであるが、秋山小兵衛という老人はそれを苦もなく一緒にしてしまった。『剣客商売』とは『黒白』と同じように独創的なタイトルだ。『黒白』は池波文学の世界を暗示している。作者の哲学を示唆《しさ》している。  作者が人気絶大なシリーズの主人公の若かったころを書いて、読者を楽しませるというのは、珍しいことだ。作者の構想と読者の希望とが一致した、稀有《けう》の例かもしれない。  作者はいままで、人間がそんなに単純な「生きもの」ではないことを小説のなかでそれとなく語ってきた。人間について黒か白かを決するのは、なかなかにできないことである。秋山小兵衛の大きな包容力はそのような人間観に根ざしているのかもしれない。彼は市井《しせい》のかくれた剣客であるが、江戸の町に一個のファミリーをつくっている。その中心にいるのはつねに秋山小兵衛その人だ。だから、読者は彼の剣ばかりでなく、彼の親切、好奇心、指導力、判断力に酔うことができる。  抜群のリーダーシップは、秋山小兵衛や藤枝梅安や鬼平に共通した資質である。長谷川平蔵が部下を束ねているように、小兵衛は秋山一家をまとめている。波切八郎にもリーダーシップはあったし、もしかしたら小兵衛と同じような剣客の道をあゆむことができたかもしれない。そうはならなかったのは、自分自身のことがわからなかったからである。それは運命というものだろう。池波文学は、なんでも黒白を決したがる世の中にあって、ことはそのように単純明快ではなく、人間が不可思議な存在であることを描いている。  ニューヨークに長く住む人に、『黒白』を読みますかと訊《き》いてみた。彼が池波ファンかどうかわからなかったからである。ぜひ読みたいとその人は言い、そのわけを説明してくれた。彼は『食卓の情景』や『散歩のとき何か食べたくなって』を読んで、愛読者になったのである。  池波氏のエッセーによってファンになったという人もじつに多い。氏の小説を読んで、氏のエッセーを愛読するようになった人もまた夥《おびただ》しい数にのぼるだろう。小説でも『仕掛人・梅安』から読みはじめて、『鬼平犯科帳』や『剣客商売』にすすんだという読者も多い。池波氏の世界にはいるには、このようにさまざまな道がある。『雲霧|仁左衛門《にざえもん》』で氏の小説のとりこになった人も多いにちがいない。  池波氏は読者を楽しませ、その上啓発する作家だ。たんにおもしろいばかりの小説だったら、いくらでも、それこそ腐るほどある。しかし、小説はたんにおもしろいだけでいいのかと疑問に思うとき、何か、つまりサムシングが欲しくなる。池波文学にはそのサムシングがある。ただおもしろいだけではないのである。それだけのことだったら、同じものを二度も三度も読みかえすことはないだろう。  池波氏の作品は『剣客商売』にとどまらず、二度も三度も読ませる力を持っている。その力がサムシングだ。『黒白』ももちろんサムシングを備えている。  ニューヨークに住む人もそのサムシングに惹《ひ》かれて読んできたという。それはなんでしょうかと彼はひとりごとのように言うのだった。秋山大治郎は父、小兵衛に言う。 「人は生まれてより、死ぬる日に向って歩みはじめる。このことでございましょう」  この言葉をサムシングと言ってもいいだろう。生と死が池波氏の小説にはつねにある。読者にいやおうなくそのことを考えさせる。しかし、それにしても、『黒白』は息もつかせず一気に読ませる小説だ。ストーリーテリングのうまさにはただただ驚くばかりである。 『剣客商売』は、これからもつづくだろうし、目下、新作を「小説新潮」に連載中であるが、『剣客商売』の既刊シリーズを全部読みきってしまったら、『黒白』にもどってもらいたい。できることなら、『黒白』をまず読んでから、『剣客商売』のページを開いてみたかった。 [#地から2字上げ](昭和六十二年四月、作家) [#地付き]この作品は昭和五十八年二月新潮社より刊行された。 底本:剣客商売番外編 黒白(下) 新潮社 平成15年5月10日 発行 平成16年5月15日 5刷 [#改ページ] このテキストは、 (一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第18巻(番外編 黒白・下).zip 49,748,664 9cb30651c588ef2059d36c855c5d4475 を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。 画像版の放流者に感謝。 なお、516, 517ページの画像が欠けていたので、実本から補完しています。 補完に使用した底本は、 底本:剣客商売番外編 黒白(下) 新潮社 平成15年5月10日 発行 平成18年11月30日 10刷 です。